ご主人は、この不景気だから人一倍頑張らなくちゃと思い、朝から晩まで、休みなしで営業しているのだが、奥さんにしてみたら、営業すれば当然自分もいっしょにやらなくちゃいけないが、家のことだって、子供の面倒だってあるのに、その上どうして私がそこまでやらなくちゃいけないのかと思っているところもあるのだろう。人を雇うということは、経済的に難しいし、ご主人に言っても、やはり必死なご主人は、どうしても認められない一線というものがあるだろうし、そうなると不満は、奥さんの中にたまり続けることになるのだな。
奥さんが誰か、自分の不満を打ち明け、解消できる人がいたらいいのだが、どうなのだろう。昔はそういうとき、大家族の誰かやら、地域の誰かやらが、そういう不満をうまく吐き出させる役目を買って出ていたものじゃないかと思うのだが、今は、とくに都会では、そういう人間関係は、どんどん希薄になっている。
僕が20代の頃、毎日のように通っていた渋谷の焼き鳥屋があって、そこも40代のご夫婦でやっていた。職人気質のご主人は、頑固一徹、仕事についてはほんとに厳しい人で、店でよく、奥さんを叱りつけたりしていたものだが、奥さんはよく出来た人で、口答え一つせず、すべて飲み込み、はいと答えて、またすぐ笑顔で仕事に戻るということをしていた。
そのご主人が、40代半ばで心臓発作で急逝して、ご主人の腕一本でやっていた店だから、どうするのかと思ったら、奥さんが見よう見まねで、営業を再開することになった。子どもが小さかったから、それ以外に仕様がなかったのだ。不思議なもので、そばで見ているだけだった奥さんが焼いた焼き鳥が、きちんとご主人の味がして、店は再び繁盛するようになったのだが、その奥さんが、今度は癌であることが発覚。闘病しながら店を営業していたが、ご主人が亡くなってから数年後に、後を追うようにして亡くなった。
その焼き鳥屋は、すでに成人していた娘さんが継ぎ、それから十年以上、今でも営業していると思うから、奥さんは見事に、バトンを子供たちに渡したわけだが、今でもその奥さんの、少し寂しげな笑顔を想い出すと、奥さんにとってあの人生はどうだったのか、ご主人に尽くし、子供たちを育て、それで満足だったのか、少しは自分の楽しみもあったのかと、ちょっと考えてしまう。
会社でも、社員の不満というものは、つねにたまり続けるわけで、そういう時のはけ口は、以前は酒だった。酒を飲んで上司の悪口を言い、憂さを晴らすことで、明日からの鋭気を養っていたのだと思うが、今はどんどん少なくなっているのではないか。会社の同僚と酒を飲むというのは、たぶんギリギリ僕達の世代くらいまでで、僕より下の世代は、よほど運動部にいたとかいうのでなければ、酒を飲むということをしなくなり、ましてや同僚や上司などと飲むというのは、激減しているのではないかと感じる。
酒を飲むということは、コミュニケーションのための重要な手段だったわけだが、今の人たちはそれがネットに置き換わっている。友だちもネットでできるし、不満もネットの掲示板などに吐き出すことができる。ネットが普及しだしたのが、15年くらい前で、僕はその時30を過ぎていたが、今30の人は、学生時代からネットがあったわけだ。
酒を飲むというのと、ネットの掲示板に書き込むということでは、不満を吐き出すということは同じでも、結果として表れる作用はまったく異なる。酒を飲めば、不満があっても、それはけっきょく社内で吸収されるが、ネットに吐き出される不満は、情報として万人の手元へ流れ出していくから、それが思いもよらぬ影響を及ぼすということがあり得る。
そのことが象徴的に、そして衝撃的な形で、露わになったのが、あの尖閣ビデオの流出事件だったのだと思う。組織の一員が上司にたいして抱くありきたりな不満が、ネットに吐き出されることによって、場合によっては日本の世論や国益をすら、左右するということが明らかになった。
こういうことは、今までには想像もできなかった事態であって、これからは、ネットとどう付き合っていくのかを、誰でもが考えていかざるを得ない時代になったということを、はっきりと示しているのであると思うが、難しいのは、僕より上の世代の人たちは、まさに酒を飲んで憂さを晴らした世代であって、僕より下の世代の人たちとは、はっきりと行動様式が異なるのだ。たぶんお互い、宇宙人であるかと思うほどの違いがあるのじゃないかと思う。それをどう埋めていくのかということが、今まさに問われなければならない、一つの大事な課題であるのだと思う。