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2010-08-31

アジ塩焼き

京都にはアジとか、甘鯛とか、干してはいないんだが、開いただけのをよく売っている。
焼きやすいようにということかと思うが、今日はその、丸アジの開きを買ってみた。

塩をふってフライパンで焼いてみる。
アジは今まで、水っぽくなってしまって、どうもうまく焼けたことがないのだが、今では僕も、フライパンの焼き方を、きっちりマスターしたわけだからと、いつも通り強めの火で、フタをしめて焼いてみたが、いやびっくりだ。
いつまでたっても煙が出てこない。
延々と水蒸気が出てきて、ふつうの魚の何倍の時間がたっても、なかなか煙が出てこないので、たまりかねて裏側を覗いてみたら、いい感じで焦げていたので、ひっくり返してみた。
水気の多い魚なんだな。

裏側を焼いているうちに、家の非力なIHレンジ的に、最高温度をオーバーしてしまったのだろう、とうとう加熱しなくなってしまったので、それで焼きを終了したのだが、水気はなく、悪くない感じだが、ちょっと時間がかかりすぎて、パサつき加減になってしまった。
難しいな、アジ、焼くの。
ほんとはもう少し火加減を強くしたら良さそうな気がするけれど、家のレンジはこれが最強だったのだ。
生アジは焼くな、ってことだな。

今日は冷奴とアジには、ポン酢をかけてみた。
悪くはないっすね。
ただ僕はポン酢を、あまりいいのを使っていないから、柑橘の風味が人工的っぽくて、それほど良くもなかった。


高槻 ラーメン翔

高槻アルプラザの前にあるラーメン屋。
隣には立ち食いそば屋、その隣には餃子の王将があって、なんとなくそういう類の、安いばかりで何の取り柄もないような店かと思ったら、そんなことはない。
店内は明るくきれいで、大将はわりと若くてさわやか系。
パートのおばさんと思しき人ひとりを使っているみたいだ。

ここは売り文句としては、「鶏骨、豚骨、無化調」。
鶏と豚でだしを取るというのは、まあラーメンとしちゃ普通だろうから、この「無化調」が、ポイントになってくるわけだな。

メニューは味噌、塩、醤油とあり、醤油を注文。
削り節が入っていると書いてあった。

醤油ラーメン、650円。

無化調、化学調味料を入れないというのは、ラーメン屋としてはかなりの冒険になるものだと、僕は思う。
ラーメンの味というのは、けっきょく化学調味料の味であると、言ってもいいようなものなのだよな。
だから単純に化学調味料を外してしまうと、ラーメンにならなくなってしまうのであって、そこでいかに、化学調味料を使わなくても、ラーメンと言えるものに仕立てていくのか、ということが、勝負になってくるわけだ。

この店ではそれを、だしに削り節をつかい、上からゴマをふりかけるということで、解決しようとしているのだが、残念ながらあまり解決になっていない。
だしはきちんとていねいに取っているのだろう、なかなかのコクがあるのだが、ラーメン的な味の不足はいかんともしがたく、食べながら「化学調味料をくれ」と言うのを、喉まで出かかってがまんした。

べつに無化調にこだわらず、ふつうに化学調味料入れても、このスープならけっこうおいしくなるのじゃないかと思うが、どうなのだろう。
今のままだったら、化学調味料が嫌い、という、ラーメン好きな人の中では、ごく少数派の人たち以外には、あまり受けないと思うのだがな。

ギョウザは、さっぱりとしていて、なかなかうまかった。


ラーメン翔 ラーメン / 高槻駅高槻市駅
昼総合点★★★☆☆ 3.0

朝めし

野菜天うどん。


2010-08-30

本家第一旭 たかばし本店

友人が広島から来て、京都駅のちかくでラーメンを食いたいと言うから、迷うことなくこの店を案内した。
ここは京都標準ともいえる、京都の代表的なラーメン屋だし、また醤油豚骨で、広島のラーメンとも似ているから、広島の人にとって理解しやすいということもある。
しかし何といっても、僕が久しぶりに食べたかったからな。
 
平日のお昼どき、隣の新福菜館本店ともども、ずらりと行列していると思ったのだが、意外に行列はなし。
夏で暑いから、行列までしてラーメンを食べようという人は、少ないということなんだな、たぶん。
僕はラーメンは、夏も冬も関係ない。

当然まずビール。

そしてキムチ。

僕がこの店が好きなのは、「ビールを飲んでラーメンを食う」ということについて、よくよくわかっているということが、まずある。
キムチとかメンマとか、すぐに出てくるつまみがちゃんとある。
ビールにギョウザとラーメンを注文すると、きちんと、「ラーメンはギョウザのあとにしますか」と聞いてくれ、ギョウザを食べ終わるまさにそのタイミングで、ラーメンを出してくれる。

そのギョウザが、小ぶりで皮がバリっと焼けて、餡の味はパンチがきいて、ビールのつまみになんとも合う。
というか、ビールのためのギョウザなのだな、まさに。

そしてラーメン。
これは「特製ラーメン」800円。
特製ラーメンは、麺とチャーシューが大盛りになっている。
ビールの話の続きでいえば、このラーメンがまた、ビールによく合うのだ。
ラーメンには、ビールに合うのと合わないのと、あるのだが、何が違うのかな。

このラーメン、まず言えることは、「日本のラーメンといえば、これだろう」という、まさにそういう味。
ラーメンというものは、全国に考えられないくらいの膨大な種類があり、さらに人による好みも激しい食べ物なわけだが、たとえば、もし未来のために、日本のラーメンを一つ、ラーメンの代表としてタイムカプセルに入れて、残さなければいけないということになったとしたら、このラーメンを選ぶということについて、かなりの同意が得られるのじゃないだろうか。
そういう、ラーメンとして非常に折り目正しい味なのだ。

次にこのラーメン、男気があるんだな。
僕はもし、高倉健が、「僕はこのラーメン、毎日食べてます」と言うのを聞いたとしても、驚かない。
気品ある男のラーメン、という感じなのだ。
これは、このラーメンのスープが、大きく影響していると思うのだが、野菜もなにも使わない、豚骨のみで取っただしに、香り高い、濃厚な醤油があわせてある。
におい消しを一切つかわず、火加減のみで勝負するという潔さ、それにあわせるこの醤油の味の正しさ。
男のなかの男、という感じがして、しびれるのだな。

麺は、「ラーメンの麺といえば、これだろう」と言いたくなる、中細のちょっともっそりしたタイプ。
チャーシューは脂の多い部分と赤身とをあわせてあって、ぷりぷりの煮加減。
それにもやしと、たっぷりの青ネギ。
チャーシューは注文すれば、脂身、赤身を選べ、また青ネギともやしは、これでもかというばかりの大盛りにもしてくれる。

ライスを注文すると、

たくわんは取り放題。

いや参りました。
隅から隅まで、お客のツボを知り尽くした心づかい。
また来さしていただきます。


本家 第一旭 たかばし本店ラーメン / 京都駅七条駅九条駅
昼総合点★★★★★ 5.0

お揚げの雑炊

ほんとはもう少し汁気を残したいと思ってたのだが、ちょっと目を離した隙に、あっという間に米がふくらんだ。


2010-08-29

鶏もも塩焼き

もうほとんど、我ながらあまりにお馴染みで、説明もいらないようなメニュー。
これ家族がいたりしたら、こうやって同じもんばっかり出すとかってこと、「飽きた」とかいわれて、許されないのだろうな。
僕は自分のためだけに料理を作るので、そんなことは心配せず、好きなものはいくらだって、続けて食べてもいいわけだ。

鶏肉はだいたい、最近ほとんどそこで買い物をするグルメシティで、週に2回くらい安売りをする日があって、いちおう魚やほかの肉に、めぼしいものがないことを確認の上、買ってくるようにしている。
僕は買い物へ行くのに、あらかじめ献立を考えることは、ほとんどしない。
時たまするときもあるのだけれど、実際店に行ってみると、けっきょく違うものを買ってしまうことが多い。
スーパーや店で色々眺めながら、その中から、自分の食べたいものを見つけるということが、やはり何といっても、楽しいと思うのだよな。

あまり使ったことがないものを食べたくなってしまったときなど、料理法がよくわからないから、ちょっとした挑戦になるわけだけれど、そういう場合もできるだけ、ネットでレシピなど検索したりしないで、とりあえず思った通りにやってみることにしている。
失敗することも多いが、その方が楽しいのだ。
失敗して、その理由を考え、次にリベンジするというのも、また楽しい。
その場合はときどき、ネットを検索することもあるが、失敗の理由というのは、それではわからないことも多い。

今日は鶏もも塩焼き、焼くときフタをしてみた。
今まで焼くのにずいぶん時間がかかりながらも、フタをしなかった理由は、一つには臭いがこもりそうなこと、もう一つは水蒸気がこもって、皮がパリッと仕上がらないのじゃないかと思ったことだ。
それで今日は、はじめ皮を下にしてフライパンに入れ、弱火で焼き始めるとき、そのときフタをして、そのあと火をちょっと強めて、皮に焦げ目をつけるとき、フタをはずし、裏返してからはフタはしない、というようにしてみた。
とりあえず臭いも残らず、皮もパリッと仕上がった。

水菜とお揚げの炊いたん。
だしを取ったら、味付けはうすくち醤油だけ。
色々入れるのじゃなく、こういうあっさりとしたものには、このだしにうすくち醤油だけというのが、僕はいちばん好きな気がするな。
というかこれは、ごはんのおかずじゃなく、酒の肴にするにはいい、ということだろうな、たぶん。
だしが煮立ったら、まずお揚げを入れ、それから水菜を入れ、ひと煮立ちしたら火を止める。
そのまましばらく、だしにひたしておく。

他県の友人といっしょに、今日は京都をいろいろ歩いたのだが、このお猪口は、錦小路にある雑貨屋で買った、315円のもの。
「アンティーク」と書いてあったが、たぶんただ単に中古品という意味で、中国で仕入れてきたんじゃないかと思う。
ちゃちなつくりなのだが、また気分が変わっていい。
というか、酒は器によって、気分だけじゃなく、ほんとに味が変わるのだよな。


酒菜食房いち

他県の友人を案内して、2,000円程度でおさまる、小じゃれた京都らしいランチが食べられる店を食べログで探して、狙いをつけて行った店。
結論をいうとまさに狙い通り、友人ともどもとても満足した。

店内はカウンター6席くらいと、テーブル4席くらいの、それほど広くない造り。
男女の若い店員も、きちんと感じがよい。

日曜日、11時半に予約していったのだが、12時ごろには、ほぼ満席になっていた。

「週替わりランチ」が900円であって、「いち特製ランチ」1,500円になると、週替わりランチにお造りと蒸し物、デザートが付くようになっている。
メインは肉と魚から選べるようになっていて、僕は魚、「お魚唐揚とサラダ、おろしポン酢あんかけ」を選んだ。

まずビール。
休日の昼ビールは欠かせないな。

ビールの到着後、ほどなく料理も到着。
魚の唐揚げは、切り身とすり身をあわせて変化がつけられ、あんかけでしっかり味が付いているが、大根おろしとサラダであっさりと食べられるようになっている。
しかもかなりの量。
ぷりぷりとした冷奴には、さっとゆでたオクラ。
出し巻き卵はほくほくで、鯛の刺身もうまい。
雑穀米に、わかめと豆腐の味噌汁。

湯葉とゴマ豆腐の蒸し物。
こってりとした甘辛いタレがあわせてある。

デザートの、柚子のシャーベット。

値段から考えると、十分以上の内容で、派手なところはないのだが、きちんと手がかけられていることが感じられ、量もたっぷり、お腹いっぱいになった。
けっこういいんじゃないか。


酒菜食房いち 創作料理 / 四条駅(京都市営)烏丸駅大宮駅
夜総合点★★★★ 4.0

2010-08-28

サンマ塩焼き

今日はグルメシティで、新物の生さんま、198円。
だんだん安くなってるな。
今年はお盆のころ、サンマが不漁だと聞いたが、そのあと、いやけっこうちゃんと、南化してきているとも聞き、今の時期でこの値段だから、それほど心配しなくても良さそうだよな。

サンマをフライパンで焼くことについて、しつこいがもう一回書いておくと、と言いながら、また書くと思うが、まず第一に、火加減は強め。
家の非力なIHレンジは、最強にしても、ガスレンジでいうとちょっと強めの中火くらいだから、それ以上強くしたらいいかどうかは、わからないのだが、くっつくことを怖れて火を弱めるのじゃなく、あくまで強気に、強めでやるのだ。

それで次に、フライパンをよく熱してから、魚を入れるようにする。
家のはテフロンだが、ちょっと古いので、念のためちょっぴり油をしくが、新しいやつだったら、しかなくてもいいかもな。
魚を入れたとき、ジュッと音がするくらい、ちゃんと熱するようにする。

あと、焼くときフタをする。
煙がこもって、臭いが付くような気がするが、べつに気なることはない。

焼きはじめて、しばらくは蒸気が出てくるのだが、そのうち煙が出てくるようになる。
煙が出はじめて、ちょっとしたらひっくり返すようにすると、ちょうどいい焼き加減になっている。

ちなみに僕は、まずハラワタを食べる派。
しかしサンマはうまいな。
塩サンマもいいが、やはりサンマは、生がうまいよな。

今日はほうれん草、ずいぶんちょっぴりなのが、250円。
昨日は水菜も、300円もしてた。 
夏が暑いから、不作だったりするのか。


Meal MUJI 京都BAL店

無印良品京都BAL店地下2階にある、無印良品の経営するカフェ。
家具も食器も無印良品のものを使い、出てくる食べ物も、「素材の味を大事にし、からだにやさしくておいしい」という、まさに無印良品らしいものになっている。

朝の11時から夜の7時半まで、「選べるDELI」というものがあって、おかずを3品だと780円、4品だと930円で、温かいのと冷たいのと、好きなのを選んで、それにごはんと味噌汁がつくという仕組みになっている。

とりあえず生ビール。
550円。

4品をたのんで、ごはんと味噌汁はビールを飲み終わってから出してもらうようにした。
手前から、南部鶏のタンドリーチキンと、ちゃんちゃん焼き風、ラタトゥイユ、それに名前は忘れたが、何かの豆のサラダ。

ごはんと味噌汁。

味は、それほど感動するということもないが、小じゃれた感じで、そういうのが好きな人にはいいかもな。


Meal MUJI 京都BAL店カフェ / 三条駅河原町駅京都市役所前駅
昼総合点★★★☆☆ 3.0

お揚げの雑炊

いちおう京都らしく「お揚げ」としてみた。
昨日につづいてお揚げの雑炊、今日は水の量をすこし増やしてやったら、かなりバッチリ。
やはり雑炊は、お粥より汁気が多くないとな。
研いで水にひたした米と6倍量の水、それにだしパックを入れた鍋を火にかけ、5分たったらだしパックは取り出して、うすくち醤油だけで味をつけ、きざんだお揚げを入れる。
昨日は塩と半々にしたが、やはりうすくち醤油だけの方がうまかった。
15分くらいたって、汁気がちょうど良くなったら、味をみて、溶き卵を流し入れ、みつばを散らして火を止めて、ちょっと蒸らして出来上がり。

話は変わって。

一人暮らし男の料理の秘訣、というほどのもんじゃないが、こないだ「計画的にやらない」と書いたが、似たような話で大事なことがもう一つあって、「効率的にやらない」ということだ。
仕事では効率は必要なんだが、それを家に帰ってまで、同じようにやろうと思うと、疲れるのだよな。
できるだけゆっくりと、楽しみながら作るというのが、かなりポイントとしちゃ大きいのじゃないかと思う。
自分の楽しみであれば、すこしぐらい余分に時間かかったって、それは趣味の時間であって、全然かまわないのだよな。

効率的にやらないということについて、僕がいちばん大事じゃないかと思うことは、「顆粒だしをつかわない」ということだ。
顆粒だし、つかえば早いし、たぶん味だって、まずいということはないと思うけれど、料理というのは実は、「だしを取る」ということが、料理の中心、煮込み料理の場合なんかだったら、料理そのものだったりするのだ。
僕もだしパックを使っているから、あまり偉そうなことは言えないが、だしを取るということを自分でちゃんとやらないと、料理というものがどういうものか、わからなくなってしまうのだよな。
料理の楽しみというものは、やはり「料理という世界」の全体を知る、ということが、大きいと思うのだ。

同じような理由で、僕は電子レンジも圧力釜もつかわない。
それって要は、高速道路をつかわないようなものだ。
時間はかかるが、一般道をゆっくり走っていったほうが、いろいろ景色も眺められたりして、楽しみとしちゃ大きいのだ。

あとこれはどうでもいいことだが、不器用な僕はそうしている、という話なのだが、作業はできる限り、並行して進めない。
一つひとつの作業をていねいにやったほうが、やはり楽しいのだ。

ということで、まあこれは、料理を楽しむということについて、僕が自分なりに思っていることであって、とくに主婦の人の料理とか、まったく当てはまらないと思いますが、ご参考まで。


2010-08-27

牛ステーキ

グルメシティに売ってた、300円のオージービーフ。 
ステーキの付け合せといえば、こないだピーマンだろう、ってなってたが、やはりジャガイモだよな。
ということで、丸まんまのジャガイモを、皮のついたまんまゆでてみた。
20分ちかくゆでてみたが、まだ多少かたかったが、ギリでセーフ。
ステーキは塩コショウして焼いて、青ネギと、レモン汁と醤油をかけて食べる。


レッド・ツェッペリン



レッド・ツェッペリンのことについて、昨日中途半端な文をちょこっと書いたら、ツェッペリンのファンだという方からコメントをもらって、僕が「ツェッペリンの音楽が、『天国への階段』をもって完成した」と書いたことについて、それはちょっと違うのじゃないかということだった。
それはたしかにその通り、実はまったく違うのであって、世の中にあたえた音楽的な影響というところからだけみれば、「天国への階段」がひとつの高みであることは間違いないのだけれど、ツェッペリンの音楽が「完成した」ということばを使ってしまうと、ツェッペリンの魅力を、まるごと否定する、ということになってしまうのだな。

ツェッペリンが「とにかくかっこいい」というのが魅力だと、昨日も書いたのだが、このかっこよさのひとつの大きな側面が、「同じ場所にひと時たりとも留まっていない」ということがあるのだ。
これはビートルズにも同じように言えることだと思うけれど、アルバムごとに、基本的にまったく新たな、違った挑戦をしていくのだ。
それが「前向き」とか「進歩」とかいうことばがイメージするものとは、僕はちょっと違うと思うのだが、たとえばデビューのとき、これはあくまで僕の想像であり、事実がたしかにそうであるということではないのだが、リーダーでありギタリストのジミー・ペイジは、ジミ・ヘンドリックスをみて、音楽的には果てしなく新しいものがあるものの、「これじゃ売れないな」と思ったのじゃないかと思うのだ。
ビートルズがデビューするとき、マネージャーのブライアン・エプスタインが、それまでビートルズのメンバーたちが、革ジャンにジーンズ、リーゼントの髪という、そのへんの不良のような、小汚い格好をしていたのをやめさせて、襟なしのスーツにマッシュルームカットという、こざっぱりとした格好をさせたという話があるのだが、昨日の投稿に貼り付けた、ジミ・ヘンドリックスのビデオを見ても、ジミヘンは、やはり小汚い格好をして、態度も横柄な感じだし、さらに昨日のビデオには出ていないが、ジミヘンはあるコンサートで、イギリス国歌をギター一本で演奏するときに、爆撃機が爆弾を投下するときの音を入れ込んだりして、反戦的な主張もしていた。
ジミー・ペイジが、ベーシストのジョン・ポール・ジョーンズに、バンドの結成を持ちかけたとき、「いっしょに金を儲けようぜ」と言ったという有名な話があるのだが、ペイジはジミヘンを、冷徹な目で観察し、そこから売れない要素をすべて取り除き、売れる要素のみを思い切り増幅する、ということを、したのじゃないかと思うのだな。
それで格好も、音楽的にも、小汚い要素をすべてなくし、思想的な主張も一切しない、というスタイルを確立していく。
前向きというよりも、「否定力」とでもいうようなものが、ものすごく強いのじゃないかという気がするのだ。

デビューのときは、その否定力は、他者に向けられたものだったけれど、デビューして以後は、それを自分たちにも向けていく。
2枚目のアルバムは、大ブレークの最中に、ほんとに短い時間で録音したものだったそうで、そのころライブで演奏していた曲をそのまま入れて出したのだが、3枚目のアルバムになると、その路線をまったくやめてしまう。
たぶんそのころには、ツェッペリンのスタイルを真似た他のバンドも続々出現し、これをこのままやっていても、先がないな、と思ったのじゃないかと思う。
それで人気としては絶好調だったにもかかわらず、ハードロックの路線をやめてしまって、ペイジがもともと、ほんとは好きだった、アコースティックギターをふんだんに使った、イギリスの民族音楽のような曲が入ったアルバムを発売する。
この3枚目のアルバム自体は、売り上げはあまり良くなかったのだけれど、しかしけっきょくそうやって、アコースティックギターを使った音楽に取り組んだということが、ハードロックとアコースティックギターを融合させた、それまでにはどこにもなかった、完全に新しいスタイルのロックである、「天国への階段」を生み出すきっかけになったのだと思う。

ツェッペリンはそれ以後も、自分たちがつくり上げ、多くの追随者を生む新しいスタイルを、あるところで切り捨て、まったく新たな、次の挑戦をする、ということを繰り返す。
「天国への階段」の路線も、それが「プログレッシブ・ロック」のような、新しいジャンルすらつくり上げるだけの影響を、世の中に及ぼしたにもかかわらず、もう一枚アルバムを作ったら、惜しげもなくそのスタイルを捨ててしまう。
だからツェッペリンというのは、たくさんのジャンルをつくり出しながら、自分たちはそのどれにも属さない、「レッド・ツェッペリン」でしかない、という、なんともすごいことになっているというわけなのだ。

「即答するバカ」(梶原しげる)

このところちょっと難しい本ばかり読んでいるので、売れているふつうの本も読んでみようと思って、Amazonで何冊か注文したなかの一冊。
「即答するバカ」というタイトルと、鳩山元首相がオバマ大統領に答えた「トラスト・ミー」ということばが、やり玉に上がっていたので、いま世の中の人がものごとに即答する傾向をもつようになっているのはなぜか、みたいな、社会分析とか、精神分析とか、そういう内容の本かと思ったら、まったくそうではなく、著者は元文化放送のフリーアナウンサーで、この本は、ネットに連載したコラム「プロのしゃべりのテクニック」をまとめたもの。
「しゃべりのプロが指南する、会話およびコミュニケーション術」というかんじのハウツー本で、初めの2、3ページを読んだ時点でそれがわかって、それなら買うんじゃなかったと思ったが、せっかくだから最後まで読んでみたのだ。

受け答えの具体例から始まって、次第にもう少し奥深い内容になり、最後は「ら抜きことば」、「か取りことば」など、日本語自体の変化についての話で終わる。
「KYと言われても、自分自身で考え、人にかまわず行動することも大事だ」とか、「人は表面的なことばだけでなく、しゃべり方とか、声質とか、動作など、肉体の動きそのものを感じるところから、共感や信頼が生まれる」など、含蓄のあることも書いてある。
またさすが放送界の人だから、芸能人だとか、政治家だとか、誰でも知っている人のことを具体例にあげながら、話をすすめていくので、興味ももてるしわかりやすい。
仕事で人との関わり方について、悩んでいる人とか、かなり参考になる内容が書いてあるのじゃないかと思うし、僕自身も自分をふりかえって、思うところもいくつもあった。

★★★☆☆ 3.0
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ikoi cafe

ikoi cafe、今日のランチはサンマの甘露煮。
また手の込んだものを作るものだが、ママのおばあさんから教わるのだそうだ。
以前食べた、万願寺の炊いたんも、おばあさん直伝の、初めにまず炒めてから炊くという、手のかかる作り方をしていた。
サンマの甘露煮は、かつて僕も作ろうとしたことがあったが、ふつうの鍋だとあまりに時間がかかるので、あきらめたことがある。
ママもさすがに、圧力釜を使うのだそうだ。

このランチ、甘露煮がほっくりと味わい深く炊けていることはもちろんなのだが、副菜がまたすごい。
ピーマンのじゃこ炒め。
炒り豆腐、ひじきとニンジン、インゲン入り。
れんこんのサラダ、枝豆まで入っている。
それに油揚げとナスの味噌汁、きしめん入り。
玄米ごはん。
すべて手作り。

これはすごいな。
ここまで手をかけるのは、ほんとにえらい。
ママはたぶん、思い付いてしまったことは、やらないと気が済まない性格なんだな。
僕は以前、この店のランチが、新妻がつくる料理のような初々しさがあると書いたが、専業主婦の新妻でも、ここまではやらないな。
何かの権威によりかかるのじゃなく、自分の感覚を絶対的に信じて、捨て身で出してくるランチ。
これはなかなか食べられないと思う。

食後はコーヒーを飲んで、店に置いてある週刊文春を読んで、お客さんとちょっとことばを交わして、くつろいでから帰ってくるのだ。


油揚げの雑炊

いつもあまりにうどんで、不満があったわけでもないが、何か違うものも食べてみたいなと、今朝は雑炊。

研いで水に浸しておいた米と5倍量の水、だしパックを鍋に入れて火にかけ、煮立って5分たったら、だしパックを取り出して、うすくち醤油と塩で味付け。
油揚げを入れて、しばらく煮て、三つ葉と溶き卵を入れ、ひと煮して、フタをしてしばらく蒸らす。

ほんとはもう少し汁を残すつもりだったのだが、ちょっと煮すぎた。
でも味はまずまず。


2010-08-26

レバニラ炒め

スーパーで売ってた、鶏のレバーを使って、レバニラ炒め。
ずいぶん以前に何度か作った、おぼろげな記憶を頼りにやってみた。

レバーは適当な厚さになるように、そぎ切りして、水で洗って血合いなどを落とし、塩コショウと酒で下味をつけ、かたくり粉をまぶしておく。
醤油、みりん、酒、おろしニンニク、おろしショウガ、ゴマ油のタレを作っておく。
まずレバーをよく炒め、それからきざんだニラを入れたら、さっと混ぜ、すかさずタレを入れる。
何度か混ぜて、できあがり。

かなりばっちし、うまかったっす。

冷奴には、小口にきざんだオクラをのせた。


レッド・ツェッペリン

レッド・ツェッペリンは僕は高校生のときにハマって、友達と競ってギターをコピーしたり、バンドでやったりしてたのだが、それから幾多のバンドを見ても、いまだにいちばん好きであることは、変わらないのだ。
ツェッペリンの魅力を語りだせば、それこそキリがないのだが、ひとことで言うならば、「かっこいい」のだな。
ツェッペリンのかっこよさが、いちばんストレートに出ている曲は、これだと思う。


「胸いっぱいの愛を」という曲名だが、ちなみにこのビデオ、音源はライブじゃなく、もともとのアルバムのやつを使っていて、そこに様々なライブ映像を、タイミングが合うようにはめ込んだという、なかなか凝ったつくり。

この曲が収められたアルバム「レッド・ツェッペリンⅡ」が発売されたのは、1969年だが、当時の音楽状況を想像するに、まず1962年にビートルズがデビューして、60年代はビートルズと、ビートルズに刺激された、ロックンロールを原型とした多数のバンドが、全盛を誇っていたわけだ。
ビートルズが偉大であることは間違いなく、誰もそれは否定できないわけだが、これだけ人気だと、やはり「ビートルズみたいじゃない音楽」をやりたいと思う人たちも現われるわけで、そういう人たちは、「源流」に還ろうとしたんだな、たぶん。
で、行き当たったのは「ブルース」で、ブルースというのは、ビートルズが手本にしたロックンロールの、そのまたルーツだったりするのだ。

折しも電気技術の発達により、ギターアンプの大容量化がすすみ、さらにそれをオーバーロードさせて、ひずませた、迫力のあるギターの音が出せるようになってきた。
このひずんだギターを全面にだして、ブルースをやるというのが、一つの流れになってきて、その代表が、ジミ・ヘンドリックスだ。


ジミ・ヘンドリックスは「ギターの神様」と言われていて、今のロックギターの奏法の、基本的なものについてはすべて、この人が開発したと言っても過言じゃないのだ。

ところでこの、ジミ・ヘンドリックスのビデオは、上のレッド・ツェッペリンの「胸いっぱいの愛を」が発表されたのと同じ、1969年に撮影されているのだ。
ツェッペリンは、このジミ・ヘンドリックスに代表される人たちがつくり出していったロックに刺激されて、それを踏まえて、さらに新しいロックをつくり出したわけなので、ギターの感じとか、曲の感じとか、この二つはとてもよく似ている。
でも違いもあって、その違いこそが、ツェッペリンが果たしたことになるわけだが、要は、「ブルース臭さ」、もっといえば「黒人臭さ」を、完全に取り去ったのだな。
それによって、ツェッペリンは、空前の大ブレークをしていくことになる。

ツェッペリンはさらに、このブルースに起源をもつロックと、イギリスに昔からあったフォークソングとを融合させた、新しいロックの形を生み出していく。
それが結実したのが、「天国への階段」だ。


これでほぼ、ツェッペリンの音楽は、完成したのだな。

でも僕は、この曲よりも、もうちょっと後の、円熟期ともいえる時代の、「永遠の詩」という曲のほうが好きだ。



さらに、僕がツェッペリンの曲の中でいちばん好きなのは、「ブラックドッグ」という曲。
これは埋め込みできなかったので、リンクを見てください。
いやかっこいいわ。

昼めし

生命誌研究館、社員食堂の、カツカレー定食と、おすそ分けのぶどう。
ごはんを大盛りにしてくれと、食堂のネエちゃんに言ったら断られたので、かわいそうに思われて、いっしょに食べた人から、ごはんもらった。


朝めし

じゃこ天うどん。

勤めを辞めたので、よっぽど早く起きないといけないとき以外は、目覚ましをかけないのだが、寝るとき厚いカーテンをせず、レースのカーテンだけ閉めるようにしているので、日がのぼって明るくなると、わりと自然に目が覚める。
でもおもしろいもので、寝る時間はだいたい、12時から1時と決まっているのだが、朝起きる時間はまちまちで、6時半ごろ起きるときが多いが、7時半になるときもあれば、5時半に目が覚めるときもある。

早く目が覚めるときというのは、前の日何か、とくべつ節制したからとかいうことではなく、からだに固有のリズムみたいなものがあって、バイオリズムって言うんだったか、その調子がよくて、朝早くから頭が回転しだすからだという感じがする。
逆に前の日酒を飲みすぎたということでなくても、一日どうもさえない日もある。

現代に生きていると、何にでも原因を求めたくなるわけだけれど、必ずしもすべてのことに、原因があるわけではないのだよな。
かといってこれが、完全に偶然でもないように思えるところが、おもしろいところだ。


2010-08-25

塩サバ

今日はノルウェー産の塩サバを買ってみた。
先日、生さばを塩焼きするのと、塩サバを焼くのとでは、塩サバがうまいということがわかったのだが、さらにその塩サバ、日本産とノルウェー産とでは、どちらがうまいのかを比べてみようというわけだ。
しかし考えてみたら、昨日の昼めしも、塩サバだったな。
忘れてた。

もうフライパンで魚を焼くのは、手馴れたものだ。
万全の焼き加減。
そして結果は・・・。

ノルウェー産圧勝。
日本産よりぜんぜん脂がのっていて、やわらかい。
日本人としては、多少複雑な気持ちもしないではないが、結果は結果だから仕方がない。
ということで皆さん、サバを焼くときは、ノルウェー産の塩サバにしてください。
日本産より安いしな、しかも。

ほうれん草のおしたしには、今日はじゃこ。

熱燗は、松竹梅。
手で触れるギリギリ、くらいの熱さにする。