2010-04-30
柳田国男 「遠野物語・山の人生」
この本は小林秀雄が書いたものの中で紹介されていて、文庫本の表に「数千年来の常民の習慣・伝説には必ずや深い人間的意味があるはずである。それが記録・攻究されてこなかったのは不当ではないか。柳田国男の学問的出発点はここにあった」と書いてあり、小林秀雄もわりかしそういう趣旨で書いていたし、解説の人も同じような感じで言っていたから、この本について、そういう解釈が定番になっているのだと思うが、僕がこの本を読んで、ちょっと意外で、そして面白いと思ったのは、そういう人間的な深い意味ではなく、柳田国男という人が、かなり実証的に、学者らしく、古い伝説を踏まえながらも、新しい解釈を提出しているというところにあった。
どういうことかと言うと、神隠しとか、天狗の話とか、山に関して大量の伝説があるわけだが、昔、といっても明治の初め頃まではそうだったと著者は見ているのだが、実際に山に、日本の先住民を起源とした、「山人」がいたのではないか、と言うのだ。天狗などというのは彼らのことをそのまま言い表したものだろうし、神隠しなどというのも、特に女性などの場合は、山人がさらっていったものだと考えられるという。日本に古代から住んでいたところに、今の日本人の起源ともなる民族が後から入ってきて、住み分けをしたのではないかと。「国津神」などというのも、彼らのことを呼んだものではないかと言っている。
山地が徐々に開発されるようになって、山人は住む場所がなくなり、絶滅したり、また平地の人に同化したりして、もう今ではいなくなってしまったのだが、昔は実際にそういう人がいたのだという考えは、とても興味深く、それが証明されたらどんなにすごいだろうと思うが、どうなのかな、柳田国男もそれを証明するというところまではいかなかったみたいだし、今となっては真偽はつかないというところなのだろうな。
小林秀雄も、解説の桑原武夫という人も、文学者で、柳田国男の文学的な側面にばかり着目しているように思うが、わざとなのか、気付かなかったのか、まあそういうこともあると思うが、それより古文書から「山人が実際にいた」という仮説を導きだし、それを実証的に確かめようとすることの方が、よっぽど面白いと思うがな。
この岩波文庫版には、「遠野物語」と「山の人生」という2篇が収められていて、遠野物語は佐々木という人が語った遠野郷の伝説が文語体で書かれていて、解釈もまったくないから、僕なぞははいそうですか、というだけだったのだが、「山の人生」の方に、そういう山人についての実証的な研究が書かれていて、当然こちらが面白い。
誰かこの研究をまともに取り上げて、その後発展させた人というのは、いたのかな。折口信夫とかそうなのか。全く知らんが。
遠野物語・山の人生 (岩波文庫)
2010-04-28
マイケル・ポランニー 「暗黙知の次元」(最終回)
さて、まただらだらと、今度は自分のことなぞ書いてしまって、自分でも、この「暗黙知の次元シリーズ」はどこへ行くのだろうと、不安にもなるのだが、「暗黙知の次元」の最後の、驚くべき結論までは、なんとか辿り着きたいと思っているのだ。
ポランニーは、暗黙的な認識、すなわち、梅干しとかつお節というものを踏まえながらも、その一つ一つを注視するのでなく、あくまで「冷奴の薬味」というものを探し求めるとき、「梅かつお」という新たな形が姿をあらわすということ、また相手の話す英語の、単語の一つ一つを理解しようとするのでなく、相手が何を言いたいのかに耳を傾けるとき、相手の話す英語の内容が、はっきりと見えてくるということ、そのことは、ここでいきなり、辿り着きたいと思っていると今言ったばかりの、この「暗黙知の次元」の結論を言ってしまうと、「生命そのものである」と言うのだ。ポランニーは、40億年前に、初めて細胞というものが生まれたとき、そこには、この梅かつおが僕の中で姿をあらわしたのと同じことが起こっていた、梅かつおを生みだすのと同じ原理が、40億年前に働いていた、と言う。さらに、そこには「意識」が発生していなければいけなかったはずだ、とまで言うのである。
すごいな、ポランニー。僕はまったく同意見だ。ってポランニーにとっては僕ごときが賛成したって、何の足しにもならないわけだが。
一般的な考え方としては、100億年前に宇宙というものが出来て、そこには人間はおろか、生命の痕跡すらなかったところが、何らかの原因によって、40億年前に最初の細胞という形で生命が生まれ、そしてその延長線上に、100万年前に、言語を話し、意識をもった存在である人間が生まれた、とされている。つまり普通は、100万年前より以前は、意識というものはなかったし、40億年前より以前は、生命というものはなかったと、考えるわけだ。でもほんとにそうなのか。
例えば、誰でもいい、ある人間、小沢一郎のことをどうしたら理解できるか、ということを考えてみるとする。もちろん小沢一郎を完全に理解した、ということは、人間は自分ですらも、完全に理解することはできない以上、永久にないことなわけではあるが、小沢一郎はなぜああいう不機嫌そうな顔をしているのかとか、小沢一郎はなぜ、ああいう高圧的な物言いをするのかとか、そういうちょっとしたことでも、理解できるということがあるとすると、それは小沢一郎を、自分と同じ人間であると仮定することによるのじゃないか。小沢一郎の一挙手一投足を自分に当てはめ、自分に置きかえて考えてみるからこそ、小沢一郎を少しでも、理解できるということがあるのだろう。
それは小沢一郎に限らず、歴史上の人物についても同じだろう。500年前に生きた織田信長という人を、僕たちは僕たちなりに、理解しようとすることができる。それは様々な歴史資料から、自分のなかに、自分と同じ人間である織田信長が、何をどう考えたのかを探ることだ。自分と違うものであったとしたら、理解の仕様がないのじゃないか。
そのことは、僕は単純に、500年を40億年に引き伸ばしてもいいのじゃないかと思うのだ。40億年前に人間がいなかったことは、それは当たり前、確かなことだ。しかし、「自然の全体」というものを考えてみたとき、その総量は、今と変わらなかったと考えなければ、40億年前を理解することはできないのではないか。その自然のなかに、少なくとも今は、「意識」というものが存在する。であれば、40億年前、初めて細胞が生まれたときに、意識に相当する、同じ性質のものが、自然には存在すると考えなければいけないのではないか。さらにそれは、100億年前に宇宙ができたときから、すでにあったと考えなければいけないものなのじゃないかと思うのだ。
それは必ずしも、ひどく突飛な話というわけでもなく、たとえば物理法則というものについて考えてみると、今自然を支配しているのとまったく同じ物理法則が、100億年前から、いやもしかしたらもっと前から、存在すると考えるからこそ、宇宙の起源というものを考えることができるわけだ。宇宙そのものは100億年前にできたかもしれないが、物理法則自体は、そのとき初めてできたものではなく、終始一貫変わらないものとして考える。
もし仮に、生命というものを支配する、物理法則とは違う、何らかの新しい原理、それはポランニーは「あるに違いない」とはっきりと言うし、僕もまったく100パーセント、その通りだと思うのだが、そういうものがあったとして、それがあらゆる生きものから、人間の意識というものまでをも、貫いているものであるとしたら、その原理は、100億年前から終始一貫、変わらずに存在し、それが最初の細胞を生み出し、あらゆる生命、そして人間というものを生み出してきたと考えることは、何もおかしくない。逆に、意識というものが100万年前に初めて生まれ、生命が40億年前に初めて生まれたと考えることが、物事を難しくしてしまっているのじゃないかと、僕の場合は完全に素人考えで、「DNAの冒険」をして以来、漠然と思っていたのだが、まったく同じことを、ポランニーは考えている。少なくとも、ポランニーは考えていると僕は思って、この「暗黙知の次元」、死ぬほど面白かったのだ。
とここまで書いてしまったら、「暗黙知の次元」について、なんとなくすっきりしたかも。ポランニーはもちろん、こんな雑な議論はしないのであって、もっと一歩一歩丁寧に、それこそ蝶が舞い蜂が刺すように進んでいくのだけれど、その足どりや、そのなかに見えるポランニーの迷いや、自信のなさや、また逆に確信みたいなものは、「暗黙知の次元」を実際に読んで、感じるしかないことなわけで、僕がとやかく言うことじゃないような気もするしな。
とここまで書いてしまったら、「暗黙知の次元」について、なんとなくすっきりしたかも。ポランニーはもちろん、こんな雑な議論はしないのであって、もっと一歩一歩丁寧に、それこそ蝶が舞い蜂が刺すように進んでいくのだけれど、その足どりや、そのなかに見えるポランニーの迷いや、自信のなさや、また逆に確信みたいなものは、「暗黙知の次元」を実際に読んで、感じるしかないことなわけで、僕がとやかく言うことじゃないような気もするしな。
暗黙知の次元シリーズ、とりあえずここで終わることにして、また書きたいと思うことがあれば書く、ということにしようかな。この文章を書き始めるとき、ってつい1時間ほど前だが、そのときには、終りはだいぶ遠いと思っていたのだが、ずいぶん早かったな。
2010-04-27
マイケル・ポランニー 「暗黙知の次元」(10)
マイケル・ポランニーの言う「暗黙の力」について、僕の体験のなかで、それに相当すると思えるものをもう一つ上げてみたい。
僕は以前、あるカレッジで学生の指導をしていたことがあって、ある年、知り合いを招いて毎月、2時間くらいの発表会をやろうと、無謀な計画を立てたことがある。発表を繰り返すうちに、一部の学生だけが選ばれて発表するのはつまらないので、時間の長短はあってもいいから、全員が前に立てるようにしたいということになり、それじゃそのためにはどうしたらよいかと、皆で考えるようになった。
全員が発表に参加する発表会の構成というものは、けっこう複雑なもので、まず一つのテーマにそった全体のストーリーが必要だし、同時に、そのなかで、その頃30人くらいいた学生の一人一人が、どういう役割で、どんな話をするのかが決まらないといけない。毎月発表を繰り返していると、蓄積していたネタも尽きるので、あらかじめ台本があるわけでもなく、一人一人の話を聞きながら、それを踏まえて、全体のストーリーを決めるということにせざるを得なかった。
テーマは、それまで続けてきた発表会の流れから、わりと簡単に決まるのだが、次に、それではそのテーマについて、自分は何を話したいかということについて、全員が話していく。だいたいは甚だ漠然とした話になって、それを皆で質問などもしながら、一人一人の話を聞くのだが、それが終わると、それじゃ発表当日のストーリーをどうしようか、という話になる。誰かの話が、全体のストーリーに使えるような、素晴らしいものであればよいが、そんなわけもなく、皆の断片的な話を組み合わせたりなどしながら、あれこれ考える。どうしたらよいか分からず、しばらく沈黙が続いたりもする。するとだ、毎回かならず、そのうち誰かが、皆が「それはいい」と思えるような、ストーリーのアイディアを思いつくのである。それは一人一人の話を組み合わせてできたものではなく、全く新しい発想にもとづく、それまで誰も思いつかなかったようなものなのだが、それでは、一人一人の話は、そのストーリーのなかのどこに入ったらいいか、確認してみると、一人も漏らさず全員の話が、全く見事に、すっきりと、そのストーリーのなかに収まっていくのである。
これは僕にとって、ほんとに大きな、驚くべき体験で、人間の場というものが、そのように個別を大きく統合していく力をもつものだということを、思い知ることになったわけなのだが、「DNAの冒険」という本はその延長に、基本的に同じやり方をして、できたものなのだ。
(つづく)
2010-04-23
マイケル・ポランニー 「暗黙知の次元」(9)
僕が、ポランニーのいう「暗黙的認識」について、自分の体験のなかで、あれはまさしく「暗黙だ」と思うことがあるのだ。外国語にかんする体験だ。
僕は下手な英語を聞いたり話したりできるのだが、完全に話せるというわけでもないものだから、その英語を話す相手によって、分かり具合にずいぶん違いがある。
自分とあまり親しくない人が、自分とあまり関係がない話題を、自分じゃない、例えば横にいるアメリカ人に向かって話しているときなど、全く分からないこともある。それから、相手の話す言葉の端々から、内容を推測して、とりあえず推測した内容にもとづいて返事をしてみたりして、それで会話が問題なく進行すれば、結果オーライ、みたいなこともある。
しかしそうではなく、完全に、100パーセント、相手の話す英語を理解できるということもあるのだ。相手が親しい人だったりする場合が多いが、何を言っているのか、日本語を聞くように、分かることがある。ところがそういうとき、ふと我に返ってみて、今相手が具体的にどういう英語で話していただろうと考えると、分からないのだ。何語で話していたのか、相手がはたして英語で話していたのかすらも、もちろんそのはずなのだが、分からなかったりする。相手の話す内容そのものが、ダイレクトに自分の頭に入ってくるような感じがするのだ。
相手は当然英語を話し、こちらもその英語を聞いて、個別の単語やら、それらを結合する文法やらから、頭の中で、意味をつくり出しているには違いないのだが、その部分は実際には、全く感知されない。まさに暗黙のうちに、それらが行われ、つくり出された結果である、相手の話す内容だけが、頭に浮かんでくるというわけだ。これは日常ではあまり使わない英語についての体験だったから、「何語で話していたのか」などということをわざわざ考えたわけだが、もしかしたら普段、何も考えずに話している日本語についても、同じなのかもしれないよな。実際日本語の場合でも、相手の言ったことを、相手が言ったとおりの言葉遣いで再現するということは、けっこう難しかったりするものだからな。
2010-04-22
男・津田一郎
このところ生命誌研究館へ通って、中村桂子先生の蔵書を読ませてもらっているわけだ。
大きな一室に、ものすごい数の本があって、僕が興味をもっている生命関係のものは言うまでもなく充実してて、いつでも自由に来て活用していいと言ってもらっているので、ほんとにありがたい。小林秀雄の全集をひたすら読んでいたときには、とにかく時間がかかってもいいから、味わって読むということを心掛けていたのだけれど、これだけ本があるとそれは無理。とりあえず面白そうなやつを抜き出して、まずは一回ざっとページをめくって、そうするとそれでだいたい、どんなことが書いてあるかは大まかには分かるから、さらに詳しく読みたいと思ったら、家で読むように借りて帰るか、またはアマゾンで注文し、そうでないやつは書棚に戻す、という風にしている。速読法というのはこれなのか、一行一行読むのではなく、ページを全体として眺めるようにするだけで、けっこうなことは分かるのだよな。
ほんとはこのブログに、読んだ本のことを、ラーメン屋の報告をするみたいに、逐次アップしていこうと思っていたのだが、ラーメンの場合はうまくてもまずくても、どうであれ最後まで食べるわけだが、本の場合はざっと読んでそれで終わりとか、小説とかでつまらなければ途中でやめるとか、そういうものも多く、また面白いのは何回も読んだりするので、頻繁にアップするというのは、なかなか難しい。それでマイケル・ポランニーみたいにほんとに面白い本が見つかったら、それを何度もしつこくアップするという手に出ているというわけだ。「暗黙知の次元」はほんとに面白くて、分量がそれほどないということもあって、もう4回目を読んでいる。出会った感じがするな、ポランニーとは。
昨日もそれで、生命誌研究館で本を読んでいたら、中村先生から、午後から津田一郎さんが、対談の収録のために来るということを聞いたのだ。津田さんは北海道大学の数学者で、以前は東京にいらして、もう20年以上前になるが、ちょこちょこお会いして、お話させてもらったりしていたことがあるのだ。お久しぶりなので中村先生にお願いして、対談を傍聴させてもらって、そのあと一緒に大阪で食事して、いや昨日はほんとに充実した。
津田さんはその風貌もしゃべりかたも、見るからに切れるという感じの人で、カオスの数学が専門だ。物理学というのは湯川秀樹の時代には、紙と鉛筆があればできると言われたもので、実際の作業は、方程式をひたすら解いていくということになるわけだが、1970年代頃からコンピュータが進歩して、複雑な、人間が紙と鉛筆で解くことはできないような方程式を、ガンガン解くことができるようになって、するとその答から、それまでは思ってもみなかったような複雑な、しかも興味深い内容が見えてくることが分かって、それが「カオス」と呼ばれるものなのだが、このカオスって、ギャオスみたいでなんだかコワイよな、それはいいが、生きもののふるまいもカオスの数学で、たくさんのことが説明できることがわかり、それを目標として「複雑系」という学問分野もでき、大きく発展して現在に至っているのだ。文が長いな。
物理学者は数学を、現象を説明するための道具としてつかうわけだが、数学者は数学そのものが専門なわけで、昨日は津田さんから、「数学者の数学観」というものをたっぷり聞くことができて、それがほんとに面白かった。
料理人で言うと、って僕は料理のたとえが多いよな、料理人は包丁を、材料を切って、料理を作るために使うわけだが、数学者は包丁を作ること自体が仕事だから、とにかく切れ味のいい包丁ができれば、それでいいのだ。いかに切れるかということに心血を注ぐのであって、その包丁で何を切るかとか、どういう料理を作るかとか、そこには興味がない。いい料理ができると思いますので、あとはどうぞやってください、ってなもんなのだな。普通は、物事ってのは、「何の役にたつのか」を考えることが、社会人としては重要だろうと言われたりするわけだが、そんなこと微塵も考えない。いやちょっとは考えるかもしれないが。それがまことに男らしい感じがして、津田さんの話を聞いていて、ほんとに痛快だった。
しかも津田さんは、津田さん自身「意識と物質のかかわり」という、ある意味究極のテーマに興味があるのだが、ほんとに切れ味のよい数学は、そのことをすぱっと説明するということに、確信を持っているのだ。その理由がすごい。「なぜなら数学は、人間の意識がつくりだしたものであって、数学の構造は、人間の意識の構造そのものであると言ってもよいから」なのだ。くー、かっちょいい。僕もそんなこと言ってみたい。津田さんはその確信があるから、できた数学を何に使うかなんてことに神経を使わなくても、泰然と構えていられるのだ。
数学以外の話にももちろんなって、津田さんは一貫して男らしいのだが、例えば研究費。今研究費をいかに分捕るかということが、多くの研究者の中心課題になってしまっているわけだが、津田さんはこの状況についても憂いていて、それでどうしたかというと、自分の研究費を申請するときに、後で削られるからと水増しするのが普通のところ、学生(※)が申請したものを見直して、あらかじめ不必要分をばっさり削った上で、申請したのだそうだ。もちろん予算が認可されると、役所がさらに削ってくるわけだが、もし不当に削られたのなら、事前に削ってあればきちんと喧嘩できるし、学生にもそういう姿勢をきちんと示して教えておくことが重要だと。国民の税金をつかって研究をするわけだから、それは当然のことだと津田さんは言うが、そうやって削った分は、誰かが水増しした予算にまわって、そちらが得をするということになるわけで、それを分かっていながら、自分は自分の分を守るということは、それほど簡単なことじゃない。さすがだな。
僕の今回の、仕事をやめる決断についても、色々話を聞いてもらって、それはいい、頑張れと応援してもらったし、マイケル・ポランニーのことについても、たくさん話しができたし、さらに茂木健一郎の奥さんが、僕も知ってる女性だってことが分かったりもして、ほんとに楽しく、充実した夜になりました。
※津田さん、早速このブログを見てくれたとのこと、連絡をいただいて、とても嬉しく思っているのですが、上の件について訂正があるということです。津田さんがカットしたのは「学生」の予算申請ではなく、津田さんが元締めをするあるプロジェクトのメンバーの予算で、その方々はみな、教授だったり主任研究員だったりするのだそうです。すごいな。津田さんは、行政刷新会議の事業仕分けについて、重要な予算を削らないでくれという、研究者88名からなる要望書に名を連ねているのですが、自分のところの予算について、きちんと無駄を削って申請しているので、このことについては、モノが言える立場にあるとのこと。そうだよな、そうやって戦うんだよな。津田さんのホームページから、このプロジェクトのホームページへも飛べるようになっていて、要望書もそこから見ることができます。
2010-04-21
マイケル・ポランニー 「暗黙知の次元」(8)
ポランニーが、おそらく何度も、自身で体験しただろう「科学的な発見」というものは、何も科学に特有なものではない。
それは僕が勝手に言っているのではなく、ポランニー自身がそう書いている。人間のあらゆる認識や、芸術における創造活動、医者の診断、技術の習得、言語の習得、そういったものは根本においては、皆同じものなのだ。当然ラーメンを味わうということも同じだし、料理を作るということも同じだ。
料理のことで言うと、何か大事なものを買い忘れた、というようなとき、僕はポランニーの言う「暗黙の力」を、とてもよく感じるのだ。先日も青ネギを買い忘れて、豆腐は買ってあって冷奴にするつもりでいたから、冷奴に青ネギがないというのは、普段なら僕にとっては全く考えられないことなわけだが、そこで再びスーパーへ引き返して、青ネギを買うというような、短絡的な行動はとらずに、冷蔵庫の中を見まわしたりしてみると、梅干しがあって、かつお節があって、普段はおたがい何の連絡もない両者が突然むすびついて、梅かつおというものになり、それはたしかに、冷奴に乗っけてみると、なかなか良かったりするわけだ。
ポランニーはこの本の中で、一つ一つの実例が同じものであることを、順に論証していくように書いているが、それはそういう形をとらないと、学問として成り立たない、読む人を説得できないと考えているからであって、いや実際そのとおりだと思うが、ポランニー自身がこの「暗黙知」についての着想を得るのに、そのような順を経ていったということでは、僕はたぶん、全くないと思う。ポランニーにとっては初めから、この本の最後で書かれる結論までが、一つの壮大なイメージとして見えていたのだ。ポランニーはそのイメージについて、この本の何カ所かで語るとき、いかにもわくわくした、嬉しそうな書きっぷりになる。いかにも気持ちを抑えられないという感じなのだ。
料理のことで言うと、何か大事なものを買い忘れた、というようなとき、僕はポランニーの言う「暗黙の力」を、とてもよく感じるのだ。先日も青ネギを買い忘れて、豆腐は買ってあって冷奴にするつもりでいたから、冷奴に青ネギがないというのは、普段なら僕にとっては全く考えられないことなわけだが、そこで再びスーパーへ引き返して、青ネギを買うというような、短絡的な行動はとらずに、冷蔵庫の中を見まわしたりしてみると、梅干しがあって、かつお節があって、普段はおたがい何の連絡もない両者が突然むすびついて、梅かつおというものになり、それはたしかに、冷奴に乗っけてみると、なかなか良かったりするわけだ。
冷奴の薬味にする何かをさがして冷蔵庫を見まわして、梅干を見、かつお節を見、している段階では、まだ発見は生まれていない。意識的にそれらを結びつけようともしていない。しかしそれらは、冷奴の薬味を志向する僕の意識にひきずられ、無意識のなかで、暗黙の力によって、統合され、梅かつおというそれまで冷奴にのせるとは考えてもみなかった、新たな形をとって、僕の意識に姿をあらわすのである。
(つづく)
2010-04-20
マイケル・ポランニー 「暗黙知の次元」(7)
マイケル・ポランニーは、元々かなりできる化学者だったそうで、そのまま続けていたらノーベル賞を取ってもおかしくなかっただろうと、どこかに書いてあったが、1935年にソ連共産党最高幹部の一人であったブハーリンと話をして、状況のむずかしさを痛感し、「こうした状況を作りだしている原因を探求してやろうと決心した」のである。
まあ僕は思想史みたいなことは全く詳しくないので、よく分からないのだが、ポランニーは当時の思想的な状況に不満を感じ、ポランニー自身の言葉を引用すると、
「私たちの文明全体は極端な批判的明晰性と強烈な道義心の奏でる不協和音に満たされており、この両者の組み合わせが、まなじりを決した近代の諸改革を生み、同時に、革命運動の外部では、近代人の苦悩に満ちた自己懐疑をも生み出したのだ」
となるのだが、まあ僕もこの文章の意味は、きちんとは分からないのだが、とにかくポランニーは、共産党の硬直した教義にふれて、「社会や自然というものは、ほんとはもっと違うはずだ」と、直感的に思ったということなのだと思うのだよな。それでたぶん、それではそれがどう違うのか、自分が今、明らかにしなければ、世の中はダメになると、思ったのかどうか、いやたぶん思ったのだろう、実績の上がっていた科学研究の道をなげうち、哲学の道へと入っていったということなのだ。
ポランニーは1891年生まれだから、ブハーリンと話しをしたという1935年といえば、44歳、今の僕と同じような年代だな。その年で進路を変えるということは、けっこうな決心だったのだろうけど、なぜそれができたのかと言うと、ポランニーには確信があったのだ。根拠はなかったと思うが。自分の科学研究の体験をとおして、科学的な「発見」というものが、どのように生み出されるものであるかについて、ポランニーは知っていたんだな。というか、見つけていたものがあった。そして、その発見の過程というものは、ただ科学の研究ということについてだけ、当てはまるというものではなく、人間のあらゆる認識や創造活動、さらには、生きものが生み出されていくプロセス、原始的な生きものが高等生物へと進化していくプロセス、そういうものと、まったく同じ原理に基づくものであると、ポランニーは確信していたのだ。その原理を自分は、見つけてやろうじゃないか。そうすれば、人間とは何か、自然とは何かと世の中の人が考えている、その考えは、180度変わる。今の社会のあり方や、科学のあり方についても、根本から変わるのだ。
この「暗黙知の次元」は、1966年に書かれ、ポランニーは10年後の76年に亡くなっているから、たぶんポランニーの思想の中核が、もっともコンパクトに、書かれたものになっているのじゃないかと思う。ポランニーの探し求めた「原理」は、いまだ見つかっておらず、この本の中でもそれを見つけようとする途中経過が書かれているのだが、とにかくすごいのだ。今の常識に反する発言が、ずばずばと出てくるのだが、それはただ常識はずれな意見であるとは、僕には見えない。まさしくその通りであると、僕には思えるのである。
(つづく)
2010-04-19
中村桂子先生のインタビューを終わって
今回中村桂子先生のインタビューをさせていただくのに、ご著書の「ゲノムが語る生命」についての質問という形をとらせていただいたのだが、中村先生はこの本の副題にあるとおり、「新たな知の創造」というものにむけて一歩を踏み出されている。ここで科学でなく、「知」という言葉をつかうのは、科学を踏まえながらも、それに囚われるのではない、対象をただ客観的に、外側から記述するということではなく、目のくらむような複雑な自然をまるごと受け止め、それを「愛づる」ことで、そこから聞こえてくる物語に耳をすませてみようじゃないかという、そういう大きな世界を、中村先生が創りだしたいと思っているからだ。もちろん中村先生のその思いは、今に始まったことではなく、30年近くにわたって考えつづけ、「ゲノム」という考え方を提唱し、研究館をつくり、幾多の骨太な活動をしてこられているわけだが、今さらにここで、「新たな知」の創造を掲げるというのは、中村先生が現在の科学の現状に深刻な危機感をいだき、このまま進んで行ってしまっては、科学はおろか、人類の破滅にすらつながりかねないと考えているからである。
中村先生は今回のインタビューで、5年前にこの「ゲノムが語る生命」を出版されて以来、お考えになり、活動してこられていることを、存分に語ってくださった。構想中の新しい本の内容を始めとして、今まさに進めている研究のことから、ご自身が迷っているというところまで。熟練の研究者が前に進もうとするときの熱気のようなものそのものを、感じさせてもらうことができたと思う。また最後には、「どこからか天才があらわれて、すべてを解決してくれないか」という、ほとんど祈りにも近いことを、中村先生がお考えであるということを知り、強く感銘をうけるとともに、僕自身、微力ながらも、なんとかそこに貢献することができないかと、願わずにはいられなかった。
今回中村先生には、お時間をさいてお話ししてくださったのみならず、文字おこしをした原稿に2度にまでわたって入念に手を入れていただいて、お忙しいところ、何とお礼を言ったらよいのか分からないくらい、ありがたく思っている。
中村桂子先生インタビュー(1) 「分子生物学の始まり」
中村桂子先生インタビュー(2) 「分子生物学の流れ」
2010-04-18
マイケル・ポランニー 「暗黙知の次元」(6)
もうこの「マイケル・ポランニー」のシリーズを読んでくれてる人は、とうにご承知のことと思うが、僕はこれを自分の勉強のために書いていて、マイケル・ポランニーのこの「暗黙知の次元」という本を、すこしでもはっきり理解したいと思ってのことであって、ここに何か新しいことを付け加えたいなどということでは、さらさらない。
なのでこのまま、だらだらとした要約が続いてしまうことになるかもしれないが、かといって僕はべつに、この本の要約をしたいと思っているわけでもなくて、この本を読み、それを踏まえながら、何らかの自分の言葉にしてみるということが、この本を理解する一番の近道であると思っているということなのだ。それが結果として、だらだらとした要約になっているということなのだが、しかし考えてみれば、これはまさに、ポランニーの暗黙的認識を実践しようとしていることではあるな。
これまでは、そしてもしかしたらこれからも、書きながらどうしてもポランニーの本を参照してしまい、そうするとポランニー自身の言葉にとらわれてしまって、ただそれをひたすら要約する、ということになってしまうのだ。料理なんかでも、料理の本を見ながらやってしまうと、最悪につまらないのだよな。料理の本は僕も好きだし、本屋で立ち読みしたりして、って買わないわけだが、よく読むのだが、それはあくまで読書として楽しむようにして、料理をするときにはそれを全部忘れて、自分で思ったように料理するということでないと、生き生きとした料理にならないのだ。でも不思議と、本で読んだことは、とりたててそれを記憶しようとしたということでなくても、からだのどこかが憶えていて、料理をしながら、その忘れていたはずの知識が、うまいこと思い出されたりして、組み合わさっていったりするから面白い。
だからポラニーのこの本を、もし自分の言葉にしてみたいと思うのだったら、書こうとするときには、それを見ないでやらないと、全然ダメだってことだ。なるほどな。
中村桂子先生インタビュー(最終回) 「突破口はどこに」
高野 最後にお伺いしたいのは、中村先生、「ゲノムが語る生命」の中で、言語学の人とか、情報科学の人とか、複雑系の人とか、いろんな人と勉強会を始めています、っていうことをお書きになっているんですけれど、それは今、どんなふうな感じで進んでいらっしゃるんですか。
中村 物事をほんとに考えたいという人たちと、話しはしてて。たとえば、こないだ酒井さんともお話ししたし、情報でいえば西垣さんとよくお話ししてますね。今度、生命誌研究館のトークで、津田一郎さんと話そうと思っているんですけどね。あと津田さんと同じ仲間でいうと、金子邦彦さんとか。「生命とは何か」を書いた方です。そういう人達とは話をしていますけれど、誰と話をしても、みんな今、悩んでいる最中。
高野 なるほど、面白いですね、みなが悩んでいるって、こんなに面白いことないですね。
中村 私が、その人がおっしゃったことを「あ、なるほど」って思って、答えに近付くというところに、まだ行きませんね。みんな、なんかこう、探っているという感じね。
今のこの世代の人たちが、もしできないとしたら。たとえばチューリングという、とんでもない天才が出てくるじゃないですか。日本でなくていいんです。日本だともっといいけど。だけどやっぱり、東欧ってすごいよですね。有名な話があるじゃないの、「宇宙人はいるだろうか」って言うと、「いる。今ハンガリーにいる」。
高野 あはは、あ、宇宙人っていうのは、科学者として、宇宙人みたいにできる人たち、っていう意味なんですね。
中村 ハンガリーのあたり、すごいでしょう。天才の産地ですよ。だってヨーロッパの文化って、あの辺から出てるわけじゃない。東側じゃない。イギリス、フランス、ドイツなどまだ文化的でなかった頃、東側は進んでいた。音楽もそうで、イギリスなんて地の果てだったわけでしょう。それが、大英帝国と言って、軍艦持って、偉そうにやっただけでね。長い人間の歴史でいったら、やっぱり東ですね、文化は。ノイマンもそうだし、天才は東欧ですよ。
高野 あははは、そういう人たちでもいいから、何か見つけてくれ、っていうお気持ちなんですね、中村先生は。
中村 ハンガリーでもどこでもいいけど、そろそろ天才が出てくるんじゃないかと。この頃あんまりいないでしょ。
高野 そう言われればそうですね、アインシュタインみたいな。
中村 そろそろ出てきてもいいんじゃないかと思うんです。
高野 しばらくいないですもんね。
中村 数学は面白いでしょ。「フェルマーの定理」とか、長いあいだ解けていなかった定理が、このごろ解かれているでしょう。我々それが解かれても関係ないって言えば、関係ないんだけど、今、数学が面白いですよね。そろそろ生物学で。でも生物学って、あまり天才の出るところじゃないのかもしれないのだけど。だけど、生物に限らず複雑系というところで、天才が出てきて、ああそうかー、って、みんなが分かるようなこと、言ってくれないかなって思ってるのだけど。そろそろ出てこないといけないわね。
私はそんなことは、全然分からない、凡人の凡人の凡人だけど、ただ、今まさにそういう時期だな、って気はする。でもそういうことに関心をもって、そういうことを考える学者が少なすぎると思います。大金を持って、お金をかけて、データ出すことだけやってる人が多すぎる。とくに日本は多すぎる。今はこれは、危機ですよ。学問の危機。面白いのに、こんなに面白い時期に、悩まないっていうのは、変なんですよ。歴史から見ても、面白い時期は、悩んでいます。
高野 でも今回の悩みっていうのは、「生命」、「意識」という、誰でも持っているものについての悩みなんですよね。僕それがね、今までの問いとはちがうと思うんですよね。量子力学だったら、実験室とかで、実際に原子や電子を見られる人しか悩めなかったじゃないですか。ところが生命とか意識とかっていうものは、人間なら誰でも全員が持っているものですからね。だから僕は、まあいろんな幅があるにしてもね、人間であれば、少なくとも、それが面白いっていうことはね、絶対に分かるはずなのに、そんなに面白いことがあるっていうことをほとんどの人が、まだ知らないと思うんですよ。
中村 脳科学者は、頭に線のいっぱいついた帽子をかぶせて、これで子供のお勉強がどうこうって。意識とは何かと、もっと考えなくてはいけない。それが少なすぎると思います。
高野 今日は長い時間、お話しいただきまして、どうもありがとうございました。
(おわり)
中村桂子先生インタビュー(1) 「分子生物学の始まり」
中村桂子先生インタビュー(2) 「分子生物学の流れ」
マイケル・ポランニー 「暗黙知の次元」(5)
マイケル・ポランニーは、客観的であるとされる科学における発見も、実は暗黙知という、個人に由来する力にささえられていると言う。すべての科学研究の出発点となる「問題」とは、どのように考察されるものなのかを考えてみる。ポランニーはプラトンの例を引く。
プラトンは「メノン」の中で、
「問題の解決を求めることは不条理だ。なぜなら、もし何を探し求めているのか分かっているのなら、問題は存在しないのだし、逆に、もし何を探し求めているのか分かっていないのなら、何かを発見することなど期待できないからだ」
と言っている。問題を考察するとは、まだ見つかっていない、隠れた何かを考察することであって、そこに一貫性があるということを、暗に認識することなのだ。だからもしすべての認識が、はっきりと意識できるものであり、明確に言いあらわすことができるものであるとしたら、私たちはその問題を、認識することも、答えを探し求めることも、できはしない。もし問題というものが存在して、それを解決することによって、発見というものがなされるのだとしたら、私たちは言葉で説明することはできないが、とても重要であるという、そういう事柄を認識できるということになる。そのように問題の考察が暗黙的に行われるものであるとすると、プラトンの不条理は実際には不条理ではないし、また実際科学にかぎらず、すべての「知」の発見は、これと同じようになされるものなのだ。
そのような知を、生み出し、育てていこうとするということは、問題を前にして、発見されるべき何かがかならず存在する、という信念に、心底うちこむことだ。そうやって信念をもつのは個人なのだし、またそれを見つけていこうとする場合にも、だいたいは孤独な営みとなるわけなので、それはまさしく個人的な行為である。しかしそれが、客観的ではない、個人の行いであるからといって、科学における発見では、自分勝手に物事を進めてしまうなどということとは、まったく違うのだ。発見しようとする者は、なんとしてでも隠れた真理を追求しなくてはいけないという、そういう責任感に満たされている。真理のベールを剥ぎとるために、彼は献身的な努力をするのである。
実証主義者は80年以上にわたって、科学における発見が、個人によるものではない、客観的なものであるということを示すような基準を探し求めてきたが、そんな基準などあるわけはない、そのようなことは無駄なのである。問題に心底うちこむ、個人の掛かり合い(コミットメント)を、一般的に形式化することなどできない。もしそんなことが出来るとしたら、それは物事を何でもかんでも、はっきりと目に見えるように明らかにするということであり、それはその内容を台無しにしてしまうだけなのだ。
それでは実証主義者がとなえる、「客観性」という理念にかわるものは何なのか。それを見つけ、確固としたものとして打ち立てることは、まことに難しい。しかしそれこそが、暗黙知の理論を前にして、私たちがこれから、腹をすえて取り組むべき課題なのである。
2010-04-17
中村桂子先生インタビュー(9) 「生きものの志向性」
高野 そのことと関連すると思うのですけれど、中村先生がご本のなかで、「志向的構え」ということをお書きになってますよね。生きものを、「信念」や「欲求」を「考慮」して、主体的に「活動」を「選択」する、合理的な活動体とみなして解釈するという説明の仕方。これは擬人的な見方であって、本来科学は、これを避けてきた。このことを中村先生がお書きになっていらっしゃるということは、中村先生がかなり大きな一歩を踏み出そうと考えていらっしゃると、僕は思ったのですけれど。
中村 実を言うと、この「志向的構え」という考えを言ったデネットという人は、あんまり好きじゃないのです。哲学の考え方としては、科学者とちかい考え方をしている人なんだけど、唯物論なんです。100パーセント唯物論です。だから、そういう立場で物事を整理するという意味では、科学との関係はとてもいいのでね。
高野 それは、整理の方法なんですね、あくまでも。
中村 そう、整理としては、とても役に立つんです。ただ完璧に唯物論的思考なので、私はそこのところはちょっと違う。その哲学的背景を別にすれば、科学者が整理しやすい整理の仕方をしてくれているので、その部分だけ借りました。
高野 僕はこれを素人考えで言うので、すごく馬鹿げた考えであると実際に思うのですけれども、たとえば「志向的な説明」というものをするとしますよね、生きものにたいして。その時に、実際にそういう志向的な性質というものを、生きものが、実在として持っているのか、それとも、それはあくまでも説明のための便法なのか、ってことは、違うことだと思うんですね。
僕なんかはね、生きものは志向的な性質を、当然持ってるはずだと思うんですよ。40億年前に初めて細胞が生まれたといわれている時から、それはあったと思うんです。だってね、今の自然の全体と同じものが、荒削りではあったとしても、100億年前からあったはずだと、僕は素人考えで思うんですよ。もちろんそれは、ネズミが意志を持っているということとは別ですよ。もうちょっと全体的な意味で言うんですけども、僕は当然そうであるはずだ、っていうふうに思うんです。でもこれはあくまで素人考えであってね、中村先生はどういうふうに、その辺のさじ加減というか、そういうものをお考えになっているのかっていうことを、お伺いしたいなと思ったのですけれど。
中村 私も毎日動いていますので、考え方はだんだん変わっている。たとえば「生命誌」という一つの言葉を使っていても、20年前に生命誌と言った時と、今、私が生命誌という時は、内容は変わっている。いろんな人の考えを聞いたり、いろんなことをやっているうちに、どんどん変わっていく。今あなたが聞かれたそのことはね、ある意味ではいちばん基本的なところなんですよ、私にとっては。だから、かなり揺らいでますね。誰かさんがこう言っている、なんていうのを読むと、ああそうか、と思ったり、そうかと思うと、また反対の考えになったり。ちょっとまだ、揺らいでいるところですね。
高野 よくわかりました。
2010-04-16
マイケル・ポランニー 「暗黙知の次元」(4)
ここでマイケル・ポランニーは、「身体」というものの役割を強調する。暗黙的認識においては、外界にある事物を、身体を通して、内面にとりこみながら、それらが統合された意味を見つけ出すのである。老舗ラーメン屋のラーメンは、もちろんそれは口から身体のなかの胃袋に入っていくものだけれど、それだけではなく、舌やのどの神経、そしてもちろん、これも身体の一部である脳細胞を使って、スープや麺を味わい、それらが似たような他のラーメン屋とどう違うのかは意識されることはないけれど、全体として他のラーメン屋とはまったく違う、その老舗ラーメン屋のラーメン独自の、一つの人格をもった「意味」として、意識されることになる。それはその感知された人格の内側に、自分の身を置くことであると言ってもいい。
それはもちろん、ラーメンに限った話ではなく、芸術作品を鑑賞するときなどにも、その作品を見ることで、作品は自分の内側にとりこまれ、その一つ一つの部分が明確に意識されるということはないけれど、身体の内部でおこる無意識の反応が統合されて、作者の精神というものが意識されるようになる。
道徳教育では、道徳の内容が自分の内側にとりこまれ、今度は自分が行動し、判断するときの暗黙的な枠組みとなる。科学理論を理解しようとするときも、やはりそれは暗黙的に内側にとりこまれるのであって、科学理論そのものを意識的に理解するというよりも、科学理論が説明した自然の内容を理解しようと意識するときに、暗黙的に感知されるものとなる。
この暗黙的な理解というものを、明瞭に意識しようとしてしまうと、暗黙的に存在する一つ一つの要素と、その全体を統合する意味というものは、まったく破壊されてしまう。一つの単語だけをとりだして、何度も注意して発音してみると、それがどういう意味を持っていたのか、よく分からなくなっていまう。ピアニストが自分の指の個別の動きを意識してしまうと、ピアノがまったく弾けなくなってしまう。
「かくして、私たちはきわめて重大な問題のとば口に立つことになる」と、ポランニーはいう。
「夜に謳われた近代科学の目的は、私的なものを完全に廃し、客観的な認識を得ることである。たとえこの理想にもとることがあっても、それは単なる一時的な不完全性にすぎないのだから、私たちはそれを取り除くよう頑張らねばならないということだ。しかし、もしも暗黙的思考が知(ナリッジ)全体の中でも不可欠の構成要素であるとするなら、個人的な知識要素をすべて駆除しようという近代科学の理想は、結局のところ、すべての知識の破壊を目指すことになるだろう。厳密科学が信奉する理想は、根本的に誤解を招きかねないものであり、たぶん無残な結末をもたらす誤謬の原因だということが、明らかになるだろう」
暗黙的な認識というものが、あくまで、個人の身体というものに由来する、個人的なものである以上、それを取り除こうとすることは、知識そのものの破壊を意味するからだ。そしてポランニーは、科学おける「新たな発見」というものについても、暗黙の力が大きな役割を果たしていることを、明らかにするのである。
(つづく)
マイケル・ポランニー 「暗黙知の次元」(3)
「暗黙知」という言葉をきくと、なんとなく、「はっきりとは認識されないけれど、暗黙のうちに感じられる知識」という、あくまではっきりとした認識が主であって、暗黙知はそれを補うもののように感じられるところがあるけれど、マイケル・ポランニーが言わんとしていることは、全く違うのだ。前にポランニーの言葉を引用したところに「暗黙の力」とあるように、「形成」や「統合」を生みだす源として、暗黙というものを捉えている。「ラーメンの味」というものは、ラーメンを構成するスープや麺やチャーシューや、そういう一つ一つのものの味から、暗黙の力によって統合されたものなのだ。ラーメンの味を感じるというと、あらかじめあったものを人間が受け取るだけという、受け身なイメージがあるが、そうではなく、あったのはあくまでスープの味であり、麺の味であるところから、それを食べた人間が一つのラーメンというものの味として生み出したもの、創造行為なのだとポランニーは言うのである。
だからポランニーは、ラーメンの味を知るというのと同じこととして、そのもっとも高度なものとしては、科学や芸術の天才が示す創造活動、また名医の診断、芸術、運動、専門分野の様々な技量、工具や探り棒、教師の指示棒などの使用などをあげる。これらはすべて、一つ一つの要素から、暗黙の力によって、一つの形が生み出される過程なのである。
ラーメンを食べるというとき、僕はまずスープをすすり、麺を食べ、チャーシューをかじり、としていくのだが、こうやって一つ一つに注意が向いていたところから、だんだん「ラーメンの味」というものへと注意が向けられていくことになる。ラーメンの味に注意が向けられ、それが一つの人格のようなものとして、はっきりと感じられるとき、またそれが似たような他のラーメン屋とは明らかに違っていると感じられるとき、スープや麺などの一つ一つについて、それは当然ラーメンの味の違いを作りだす理由になっているはずなのだが、それを明確に言葉にすることはできない。それらはラーメンの味そのものを通して、感じられるだけなのである。
ラーメンの味というのは、ラーメンの「意味」であると言ってもよい。この意味というのは、「単語の意味」などというのとは少しちがうが、音楽の意味とか、絵画の意味とか、そういうものと同じである。そうするとラーメンを食べるということは、僕たちが自分の身体の感覚によって、スープや麺を味わうことによって、徐々に自分の身体から離れて、ラーメンという外部のものの中に、意味を見出そうとするプロセスであるといえる。暗黙的認識とはそのような一つのダイナミックな動きを伴ったものだ。
(つづく)
中村桂子先生インタビュー(8) 「科学を踏まえながら見えてくるもの」
高野 それでそのときに、僕はもう一つ、お伺いしたいことがあるのですが、中村先生はそうやっていく時、同時に、ただ文学や哲学としてではなく、「科学というものを踏まえながらやる」ってことをおっしゃるわけですよね。
中村 それは私のスタートが科学だから、そこを離れられないというだけの話で、私がもし宗教学か何かから入っていたら、全然違うことを言っているかもしれません。
ただ私が大事にしたいことはやっぱり、「現実にあるものを見る」ということ。それがサイエンスというものの根本じゃないかと思うのだけど、ところが、そこから見えてくるもの、その先に見えてくるものは、何も現実に実際に、目に見えるものとは限らなくて、ある種のイメージまでふくめて、見えてくるものがあるわけなのです。体験から、それがあるわけです。それはだから、万人が見えているもの、「ここに茶碗があります」というような見え方じゃなくて、この茶碗の向こうがわに何を見るのか、という問題になってくる。
数学者である私のお友達も、「N次元が見える」とはっきり言う。しかも「Nは大きければ大きいほど、よく見える」って。いちばん見えないのは4次元なんだって。3次元はふつうにね、誰でも見えるでしょう。だからそれに近い、Nが小さな次元のほうが見えやすいのかと思ったら、まったく逆で、大きなN次元はとってもよく見えるのに、「いちばん見えないのは、4次元だよ」って言われて。そうなんだろうなと思うわけ。同じように、物理をやってる人たちは量子が見える。我々生物学者は、明らかに、DNAが見えるんですよ。それは、分子がこういうふうに並んでますとか、二重らせんの形をしてますというのとは違う、DNAというものの持っている、非常に本質的なものが、DNAって言葉を聞いたとたんに向こうがわに見えてくる。それはだから、DNAについて自分が今まで勉強してきたこと全部をふくめて、できあがってくるイメージなんですね。そういうものがなかったら、次のことを考えられない。
高野 でもたしかにおっしゃるとおり、ただ現実に、実際に見えることだけではなく、そういうイメージもふくめた全体を、いかに言葉にできるか、ってことですもんね。
中村 しかも、そういうイメージの中には、言葉にはできないものがある。語れることしか語れない、語れないことは語れないのであって、この世の中のもの全部が語り尽くせるとは思っていません。ただ「専門家」のやらなければならないことは、それを言葉にすることですよね。ただ見えますよ、って言っていてもしょうがないわけだから、それを言葉にしていくんですよね。
その中のある部分は、数式にしてみせることで、たしかにこれはいい。ガリレオの時代には、世の中はすべて数式にしてみせられるよ、って言ったけど、それは無理、と私は思っている。やっぱり「物語る」ということでしか伝えられないことは、たくさんある。しかし、それでもなおかつ、全部が語れるってことはないと思っていないといけない。
今の科学の矮小化されてしまっているところは、ある人たちは、数式ですべてが説明できる思っている。別の人たちは、そこまで行かなくても、すべてが物語れると思ってる。科学者の多くはそういうふうに思っている。そうじゃなく、「すべては語れない」ことを前提にしながら、しかし語れるところは語っていきたいという感じを持っている人は、そんなに多くはないですね。
高野 中村先生が「科学を踏まえて」とおっしゃるときの、その内容の中に、ただ分子の構造や、数学的な形式や、というものだけでない、それだけの深い意味合いがふくまれているということなのですね。よくわかりました。
(つづく)
中村桂子先生インタビュー(1) 「分子生物学の始まり」
中村桂子先生インタビュー(2) 「分子生物学の流れ」
2010-04-15
マイケル・ポランニー 「暗黙知の次元」(2)
マイケル・ポランニーは「暗黙知」を語るにあたって、次のようなことから話を始める。
「私たちは言葉にできるより多くのことを知ることができる。(中略)ある人の顔を知っているとき、私たちはその顔を千人、いや百万人の中からでも見分けることができる。しかし、通常、私たちは、どのようにして自分が知っている顔を見分けるのか分からない。だからこうした認知の多くは言葉に置き換えられないのだ」ここで再びラーメンの話になるのだが、僕は京都のある老舗のラーメン屋のラーメンを食べたとき、似たような他のラーメン屋とは明らかに違ってとてもおいしく、店主の人格のようなものまで感じたにもかかわらず、それがどう違うのかをどうしても説明することができなかった。似たようなラーメンだったから、スープや麺などの構成としてはさほど変わらず、そういうものの目立った特徴として説明することができなかったからだ。しかしもちろん、ラーメンはスープや麺などから出来上がっているのであり、味の違いはそれらに由来するわけで、僕は何らかの形でそれらの味の違いを感じ取っているのは間違いないことなのだが、それは言葉で説明できるものの外にあったのである。
(一般にラーメンの味というものを、全く言葉で表現できないというわけではないが、少なくともこの老舗ラーメン屋のうまさが、他の似たような背脂醤油系のラーメン屋とどう違うのかは、どうやっても言葉にできなかったことだし、老舗どころのラーメンというのは、そういうとくべつ特徴らしきものは何もないのに、死ぬほどうまい、ということが往々にしてあるものだと思う。まあこのことはラーメンの話で、暗黙知とは関係ないのだが。)
またこの老舗ラーメン屋の味について、僕が誰かに説明したとして、それをほんとに理解できるのは、実際にそれを食べたことがある人だけだろう。
「私たちのメッセージは、言葉で伝えることのできないものを、あとに残す。そしてそれがきちんと伝わるかどうかは、受け手が、言葉として伝え得なかった内容を発見できるかどうかにかかっているのだ」
とポランニーはいう。ラーメンの味というものは、
「認識を求める過程で、能動的に経験を形成しようとする結果として、生起するものである。この形成(シェイビング)もしくは統合(インテグレイティング)こそ、私が偉大にして不可欠な暗黙の力とみなすものに他ならない。それによって、すべての知が発見され、さらにひとたび発見されるや真実と確信されるのだ」
(つづく)
マイケル・ポランニー 「暗黙知の次元」(1)
「暗黙知」という言葉は以前から知ってはいて、本を読んだり話を聞いたりしたことはあったのだが、それは野中郁次郎という経営学者が暗黙知を組織経営の方法にとりいれた話の方で、元祖であるこちらマイケル・ポランニーのことは全く知らなかった。中村桂子先生とお話しさせていただいた時に話が出てきたので、早速買って読んでみたのだが、一気に釘付け。死ぬかと思うくらい面白い。
僕は以前「DNAの冒険」という本の制作にかかわり、分子生物学を学んだことがあるのだが、そこで思ったことは、細胞の中の分子の構造やふるまいについて、どんなに詳しく分かったとしても、それだけでは「生きているとは何か」という問いに答えることはできない、ということだった。例えてみれば、「このラーメンの何がおいしいのか」を説明しようとすることと、事情は全く同じなのだ。
ラーメンはスープや麺、チャーシュー、もやし、メンマ、青ネギなどからできていて、それらの一つ一つがどういうもので、どういう味がするかということを説明することはできる。しかしそうやって説明することで、「ラーメン」というものを説明し尽くしたことになるのかと言えば、全くそうではなく、特にほんとにおいしいラーメンの場合、麺がどうの、スープがどうのという話とはまったく別に、そのラーメンが一つのものとして、強烈に世界を語ってくるのである。それはほとんど「人格」とも呼べるものであって、麺やスープなどの個別の説明に還元することは到底できない。
「DNAの冒険」を作り終えてから、色々な科学者の話をきく機会があり、とくに「複雑系」という分野の人たちが、同じような考えのもとに研究を進めていることを知ったのだが、それから僕の仕事が別のことで忙しくなってしまって、このことについては僕自身の中では立ち消えてしまっていた。
暗黙知の次元 (ちくま学芸文庫)
このことはラーメンに限らず、音楽でも絵画でも、人間がかかわる様々な局面に見られるものであると思うのだが、タンパク質やDNAなどの分子でできた「細胞」も、同じように、それら一つ一つの分子に還元できない、一つの世界を語っているのではないか。それが「生命」というものなのではないか。そう考えて、言語をはじめとした人間の活動について、自分の体験から見えてくるものを通して、細胞や動物の体の中で起こっていることを、素人なりに精一杯考えてみたというのが、「DNAの冒険」だったのだ。
「DNAの冒険」を作り終えてから、色々な科学者の話をきく機会があり、とくに「複雑系」という分野の人たちが、同じような考えのもとに研究を進めていることを知ったのだが、それから僕の仕事が別のことで忙しくなってしまって、このことについては僕自身の中では立ち消えてしまっていた。
今回仕事をやめて、再び以前の興味に立ちもどり、人の話を聞いたり本を読んだりするようになって出会ったのが、40年以上前に書かれたこの「暗黙知の次元」だったのだが、僕がDNAの冒険以来漠然と考えていたことと全く同じことが、しかしはるかに明確な形で、書かれていると思った。やっぱりいたんだ、同じことを考えている人は。マイケル・ポランニーは既にずいぶん前に亡くなってしまったので、実際に会って話せないのが残念だが、僕は自分の新たな冒険、やっと入口のドアの前に立てたような気がしている。
(つづく)
暗黙知の次元 (ちくま学芸文庫)
中村桂子先生インタビュー(7) 「コミットメントする」
高野 それを実際に見ることができたらすごいことですよね、ほんとに。そのことについてもお聞きしたいことはいくらでもあるのですが、時間もありませんので次の質問に行かせていただきますね。
僕が次にものすごく面白いと思いましたのが、中村先生が「ゲノムが語る生命」の中で一連の流れとして書かれていらっしゃると思うのですけれど、まず「複雑なものを、まずはそのまま、自分が受け止める」ということ。次に「愛づる」という、自分と対象を分離するのではなく、対象を愛しいと思って、理解しようとすること。さらにそれを「物語る」こと。それなんですけれど、僕は小林秀雄がまったく同じことを言っていると思うんです。
「もののあはれをしる」という言葉は、小林秀雄の晩年の著作である「本居宣長」の中で、本居宣長の思想を言い表す言葉として、詳しく書かれているわけですけれど、これは同時に、小林秀雄自身の思想をあらわすものと受け取っても、僕はいいと思うんですね。それでそのことと中村先生の言われていることと、同じなんです。
この言葉は「ものの」「あはれを」「しる」という、3つのことから成り立っているのですけれど、まず「もの」にたいして、自分がまっすぐに向かっていくこと。そうやって向かっていくときに、自分のなかに湧き起こってくる「あはれ」があるわけですけれど、そのあはれは、それを自分が言葉にして「しろう」としない限り、自分自身にも見えてこないものであるということ。本居宣長は「古事記」に書いてある日本の古代の神話というものが、古代日本の人たちの「もののあはれをしる」という営みそのものであったと言っているわけです。
中村先生はご本の中で、「やまとことば」で物事を言い表すことで、漢語で言うのとは違った世界が見えてくるのじゃないか、ということとか、「アニミズム」、原始信仰のこととか、お書きになっていますよね。小林秀雄は、日本人ははもともと自然にたいして、「もののあはれをしる」という理解の仕方をしてきていて、それこそが、人間本来のあり方なのだけれど、中国から文字や文化を輸入することによってそれが妨げられてしまった、と言うんです。それで国文学者が本居宣長の言っていることをきちんと理解していないのだと、もうけちょんけちょんに批判するのですけれど、僕は小林秀雄のそういう自然にたいする見方というものは、中村先生がおっしゃっていることと、ものすごく重なることがあるように思うんです。
中村 なるほど。今まで自分では思っていませんでしたが、言われてみるとそうだろうと思います。たぶん自然とか、「もの」の本質を見ようとすると、それしかないのだと思う。だから科学ですか、文学ですか、哲学ですか、宗教ですかという問いは無しでね、ものの本質を知りたいわけでしょう。「生きている」とか、「いのち」とか、そういうことを知りたいということであるれば、それは文学であろうとなんであろうと、結局おんなじになるのだと思うんですよ。それはそれじゃ、日本だけかと言ったら、これまだ私はわからないけれど、「暗黙知」って話、知ってるでしょ、マイケル・ポランニーの。
高野 あ、聞いたことあります。
中村 彼は、物事には明確には表現することができない、「暗黙知」があると言っているけれども、私がいちばん関心をもつのは「コミットメント」なのです。「科学が客観的でなければいけない」ということにたいして、彼は批判するのです。科学だって、人間がやること、人間が分かろうとすることなのだから、説明しようとする対象の外側に自分をおいて、ただ客観的に説明するだけでは足りないんだ、そうではなく、対象にたいして、科学者自身の主体的なかかわり、コミットメントがなければ、本当には理解できないんだと言ってるわけです。
もちろんそれは、何でも自分で、勝手なことを言ってもいいというのとは違う。「主観的」というと「勝手なこと」と思われるけれど、そうではない。また「客観的」というと「真実」のように思うけれど、それも違っている。本当に分かろうとしたら、コミットメントしていかなければだめだということ。そしてコミットメントするとすれば、それは単に言葉で表現するだけでなく、ある種の直感みたいなことが、そこには関わりあうというので、「暗黙知」という言葉が出てくるのだけれど、彼の特徴は「コミットメントする」というところだと思うのです。
そういう意味でね、ちょっとずつ背景がちがうから、100パーセントみな同じとは言わないけれど、西洋とか東洋とか、日本とか中国とか言わずとも、本質を知ろうとしたときに、そういう関わりでなければわかってこないという感覚は、一生懸命考えると、おのずと出てくることなのじゃないかと思うのです。
2010-04-14
中村桂子先生インタビュー(6) 「ゲノムの構造」
中村 それで私が次に言ったのは、ゲノムが「レシピ」のようなものであるということ。お料理のレシピ、または演劇の台本。「いちおうこうなります」と。台本はあっても、それを実際に上演する際の役者によって、ちょっと調子がちがったり、どこかにアドリブが入ったりね。じゃあシェイクスピアの「リア王」は、役者がアドリブを入れたらその劇じゃなくなるのかといったら、まあリア王の場合は、アドリブ入れちゃいけないのかもしれないけれど、基本的にはそうではなくて、その時の観客とのかかわりで、ちょっと違うセリフが入ったって、その劇は劇でしょう。お料理のレシピ、カレーライスはできるけど、その時によって、ちょっと辛かったり甘かったりするでしょう。だから、カエルならカエルになるという基本は決まっているけれど、その時の様子によって変わっていく、ゲノムはそういう、台本やレシピのようなものかなと思っていたんです。まあいずれにせよ設計図ではない、もっとゆるいものだと思ってたんです。
ただ、ここで考えなくちゃいけないことは、ゲノムが「こうしなさい」と命令するか、という問題なの。実は、命令していないんです。ゲノムは、そこへタンパク質ならタンパク質がやってきて、「読みとっていく」のですよ。今、外からなにか病原菌が入ってきた。ここで戦わなくちゃいけない。そうなると、必要なものをつくるために、ゲノムのところへ取りにいくわけ、つくる情報を。ゲノムが「つくれ」と言うことはありません。タンパク質などが、ゲノムに情報を取りにいくわけ。だからゲノムは、ある意味では「アーカイブ」になるわけね。こちらからアクセスして取っていくものは、ゲノムに全部入っている。ゲノムから積極的に命令するものではないんですよ。
だから、細胞の中でゲノムがいる場所は図書館みたいなものね。そこにあるのはアーカイブ。これをつくるにはこれだけのものが必要ですよ、いつでも取りにいらっしゃい、となっていて、必要なときにみんなが取りにいく。今私は、ゲノムはそういう「アーカイブ」じゃないかと思っている。ゲノムから命令を出すのじゃないんです。
高野 なるほど、そうすると先生がこの本をお書きになったときとは、ずいぶん違ったゲノムの姿が見えてきた、ということですよね。
中村 今そう思っています。ゲノムから「どうやって取り出すか」ということが大事なので、そこに、その取り出し方に、ある種の構造があるかということなんですね。
このあいだ言語脳科学者の酒井邦嘉さんとお話しして、とっても面白いと思いました。チョムスキーの「生成文法」ですね。人間の言語は辞書の中にある限られた言葉を取り出して、それを組み合わせることによって、無限のものをつくりだすことができる。生きものも、遺伝子の様々な組み合わせがあって、取り出してはつくられるということは同じなわけですね。
そのつくられ方は、「再帰性」を基本にしていますよね。酒井さんがよく例に言う、「チーズを、食べちゃった、ネズミを、追っかけてる、ネコが、入った、家にいた、ジャックが・・・」というふうに、「ジャック」にたいしていくらでも説明をつなげることができる。そういう構造を「再帰性」というのですけれど、この再帰性は、生きものがゲノムを読み解いていくときの構造でもあるのだろうと思っています。それはまだ論文に書けるものではありませんけれど。再帰的な構造をもっているのだろうという感じはします。そこで「生命誌」を読んで、実例をどんどん探していかなきゃいけない。再帰性というのは生物のいろんな反応のなかに常に見られることなので、それは整理していけばそうなるだろうと思っています。
2010-04-13
中村桂子先生インタビュー(5) 「ゲノムとは」
高野 なるほど。お話しをお伺いして、中村先生が今、並々ならぬ危機感をお持ちだということがよく分かります。それではそのような危機的な状況を、すこしでも前に進めていくために、どうしたらよいかということについて、中村先生はやはり「ゲノムが語る生命」のなかでお書きになっていらっしゃるわけですけれど、それについても、いくつかお話しをお伺いできればと思います。
まず僕がとても面白いと思いましたのが、中村先生が「ゲノム」というものと「言語」というものとを、並べて考える可能性についてお書きになっていらっしゃることです。ただ単にたとえ話ということに留まるのではなく、もっと踏み込んで、ゲノムの中には言語でいえば「文法」にも当たるような、何らかの構造があるのではないか、ということをお書きになっていらっしゃる。そういうことについて、生命誌研究館でも実際のご研究をスタートされていらっしゃるということをお書きになっていらっしゃいましたので、そのあたりのことについて、お話をお伺いできればと思うのですが。
中村 それはまさに今、私が悩んでいることの一つですから、はっきりとした答えはありません。でも探すべきなのはどういうものかと言うと、物理法則のような、アインシュタインの「E = mc2」とかね、そういうような公式、法則、これに則って物事は動くんだ、というものではないですよ。
生きものは「予測不能」なもので、生きもののことを知ろうと思ったら法則性を探すのではなくて、歴史を調べるしかないわけです。40億年のあいだ、どうやってきたのか。そのことが、生きものの中に書かれている。生まれてくる時どうするかとか、動く時どうするか、考える時どうするか、そういうことも全部ふくめて考えなくてはいけない。それの基本にあるのがゲノムですけれど、ゲノムだけで決まるわけでもなんでもありません。
この本を書いた頃と、ゲノムにたいする考え方が違ってきていて、今私は、ゲノムは「アーカイブ」だと思っているんです。
ゲノムは「設計図」だって、みんな言いますね。でも設計図ではありません。だってそれに従って、あらかじめ決められた建物をたてる、みたいなことは、生きものにはできないのだから。
カエルのゲノムがあれば、「カエルが生まれます」ということは言えますよ。でも脚が何センチのカエルが生まれるかということは分かりません。そのときの様子で、脚は3センチかもしれないし、3.5センチかもしれない。そんなことは分からない。3センチならカエルで、3.5センチだったらカエルじゃないということはない。カエルはカエルなんですね。だからカエルのゲノムの中にあることは、「ここからはカエルが生まれる」ということは分かるけれど、設計図のようにきちっとしたことが書いてあるわけではない。だからゲノムは、設計図ではないというのは、昔から思っていました。
(つづく)
中村桂子先生インタビュー(1) 「分子生物学の始まり」
中村桂子先生インタビュー(2) 「分子生物学の流れ」
2010-04-12
中村桂子先生インタビュー(4) 「現在の危機」
中村 生命科学のほとんどの研究は、分析的なやり方をしている。それで本当に人間のことが分かるか、病気のことが分かるかといったら、それはNOです。分からない。そこでもう一回、今ここでね、ハイゼンベルクたちのところへもどって、生命とは何か、意識とは何か、という問いを、物理学としてじゃなく、生物学として、あらためてきちんと立てて、その上で、新しい流れをつくらなければいけない時期ではないかと思います。
ハイゼンベルクたちの時代にすばらしい物理学者たちが悩んだように、また次の時期、私の若い頃、まわり中のちょっと私より年上の、すごいなあという人たち、ジャコブとかモノーとか、クリックとかブレナーとか、日本では渡辺先生とかそういう方たちが、ここをどうやってブレイクスルーしようか、悩んでいたように、今の研究者たちが悩んでるのかといったら、全体的に見てもそうだし、またその中でもとくに日本は、悩んでいません。そこが気になるところなのです。
今は悩むときです。ところが今、様々なデータが機械でどんどん出せるようになっているから、それだけでやってる気になってしまう。今という時期は、次へ向かう大きなブレークスルーを生み出すべき、とても面白い時期にいると思っていて、そういう時は悩むときのはずだと思うのに、悩まない。
もちろん、生命現象を知るための研究は大事なことですから続けながらですし、全員が悩まなくてもいいのです。意識のある人さえ、悩めばいい。それを悩まない人たちが邪魔しなければいいのだけれど、大型プロジェクトを組んで、研究費も若い人も、そちらへ持っていってしまう。
だから今は、ほんとにまずい状況。悩む人たちが、悩む余裕を与えてもらえていない。学問に余裕がなければ、悩むことなんてできないでしょう。それを明日役に立つことをやれとか、そういうことを言われて、それをやる人がえらいんだ、みたいにやられたら、ゆっくりと悩むことできないでしょう。そういう状況を、今つくってしまってる。それが気になることです。
極端にいえば、お金なんてなくてもできるはず、考えることは。頭を使えばいいのだから。機械はなくてもいい。ところがそんなことを言うと大変。何十億円、何百億円がないと落ち着かない人たちができてしまったから。数百万円あればいいのよ。桁がちがいます。何百億円というプロジェクトは、高い機械を買って並べて、データを出すのです。考えるということとは別のほうへ行ってしまうわけです。機械はできるだけ皆で使うようにして、そこで競争すべきで、機械を持つか持たないかは競争ではありません。
私が危機だと言っているのは、ハイゼンベルクたちと同じところにいられるんだ、ジャコブやモノーたちと同じところにいられるんだ、そういうとても面白いところに私たちはいるのだから、今度は私たちが、彼らと同じように、みんなで悩んで新しいことを見つけ、次の流れを生み出そうよと思うのだけれど、その同志が少ないことです。
(つづく)
中村桂子先生インタビュー(1) 「分子生物学の始まり」
中村桂子先生インタビュー(2) 「分子生物学の流れ」
2010-04-11
中村桂子先生インタビュー(3) 「たまりができる」
中村 その頃モノーが言った有名な言葉があって、「大腸菌での真実は、象での真実でもある」と。その頃はみな大腸菌で研究していたわけだけれど、遺伝の仕組みについてはすべての生きもので共通だから、ここで大腸菌について見つかったことは、すべての生きもの、象にだって通用することなんだ、もうこれで基本は全部わかっちゃったんだ、と思ったということ。それはほんとに華やかな状況でした。
ところが学問がそういう華やかな状況にある時は、一方で、新たな悩みが生まれているとさっき言いましたね。アルプスがあって、その山の上にある湖から分子生物学という細い細い、でも非常に見事な流れができた。「細い」というのは、そんなに大勢の人がやったわけではないから。ところが山の中腹で、また湖ができてしまったのです。
次に何が分からなかったのかというと、たとえば脳のこととか。「大腸菌で分かったことは象でも同じだ」とは言うけれど、大腸菌とは仕組みがずいぶん違う「真核細胞」があり、たくさんの真核細胞が集まってできた「多細胞生物」があり。多細胞生物は「発生」といって、卵から子どもが生まれていったりするし、さらにはそこから「脳」という、とても複雑な働きをする臓器ができていく。そういうことを具体的に考えようと思うと、大腸菌を見ていただけでは何も分からない。それをどうやって研究したらいいのか。材料にするのはネズミがよいか、線虫といって細胞数の少ない簡単な生き物か、ショウジョウバエかと、みんなで議論しました。外から見ると、「DNAの研究は発展している」と言われていたけれど、中では大議論が起こって、みんなで方向を模索した、苦悩のときだったわけです。前は物理学者、今度は分子生物学者です。
そこへ出てきたのが、ポール・バーグらによる「組換えDNA技術」。これは話せば長い物語で、分子生物学者としてのすばらしい技術や考え方があったからこそ、ポール・バーグにそれができたのですけれど、それは短い時間では話せないから割愛するとして、とにかく、組換えDNA技術を使うと、ハエだろうと、ネズミだろうと遺伝子から研究ができるという、そういう方法を開発したわけね。それともう一つは、イギリスのサンガーが、DNAの塩基配列の解析法を開発した。
この二つの技術ができたために、今度は構想ではなく技術が解決してくれたのだけれど、「どんな動物でも扱えます」ということになった。ここですごいのは、「人間も扱えます」ということになったこと。
ネズミなら、カゴの中で飼って、しっぽを切ったりいろいろなことをして研究できるけれど、人間をカゴに入れて、しっぽ切って研究するなんてこと、ぜったいできないでしょう。あ、人間にはしっぽはないか。だから生物学では、人間の研究はできなかった。だけど人間のDNAをとって調べることはできるのです。組換えDNA技術によって、人間まで研究できる。これはすごいことです。この技術は「とんでもない技術」とされることがあるけれど、そうではありません。学問の流れの中では、ほんとにすばらしい、重要な、革命的な、これがなかったら今の生物学はありません、という技術です。
そういう経緯で、アルプスの中腹の湖に水がたまって、脳の研究はできない、発生学もできない、どうしよう、と言っていたところへ、この二つの技術ができて、大きな流れができて、今に至っています。ここで大事なのは、生物学が人間まで扱えるようになったということ。そうなると「医学」と生物学が結びつくことになる。医学と生物学がつながって生まれた新しい学問の太い流れが、ものすごい勢いで流れ始めました。最初はアルプスの山頂からの細い細い流れだったものが、それとは比べものにならない、太い太い流れになっているわけです。研究者も増えて研究は盛んになっているけれど、それではこのまま流れていくかというと、そうではない。また今、水がたまって、湖ができている。私は「今また、たまりができている」と考えています。
(つづく)
中村桂子先生インタビュー(1) 「分子生物学の始まり」
中村桂子先生インタビュー(2) 「分子生物学の流れ」
中村桂子「ゲノムが語る生命―新たな知の創出」
2010-04-10
中村桂子先生インタビュー(2) 「分子生物学という流れ」
高野 1930年代、40年代といえば量子力学が完成したあとですものね。
中村 そう、量子力学がほぼ完成して、それまでのニュートン力学のマクロの世界から、新たにミクロの世界が見えてきた。そこからたくさんのことは分かったけれど、しかしまだ分からないことがある。それが何かといったら「生命」であり、さらにハイゼンベルクは「意識」ということを問題にしました。
生命や意識という問題が量子力学で解けるのかというと、そうではない。すると、量子力学の先に、生命や意識のことを明らかにする学問があるはずです。それは物理学とはまったく別の、何か新しいものか。そういうことを彼らは、一生懸命考え始める。それこそあなたが何回も読んでいるハイゼンベルクの「部分と全体」は、まさにそれでしょう。
高野 ほんとにそうですね。
中村 「部分と全体」は、ハイゼンベルクやボーアのそういう問題意識で満ちみちている。同じような問題意識で、シュレディンガーは「生命とは何か」を書いたわけです。あの素晴らしい人たちでさえ、この新たな問いの答えは見えない。科学として、その答えを見つけたいと思っていたわけです。
私はそれを、アルプスのような大きな立派な山の上に、ちいちゃな湖がある、というようにイメージするの。その湖は、生命とは何か、意識とは何か、という問いでいっぱいなのだけれど、それを明らかにするためにどうしたらよいか、誰も分からなかったから、この湖からは水は流れ出さない。満ちみちているのだけれど、外へは出ない。さあどうしようと、みんなが考えていたわけです。
そこへデルブリュックという若い物理学者が現れます。生きものを情報としてとらえ、哲学的に構想するボーアやハイゼンベルクの話を聞き、とにかく具体的にやってみよう、遺伝という現象を追いかけてみようとして、「分子生物学」という流れをつくったのです。ちいちゃなちいちゃな流れが、その湖から流れはじめた。それからもう一方、イギリスのブラッグという物理学者が、DNA分子の構造について、物理学の方法を使って解明していった。
デルブリュックたちヨーロッパ人の、情報的、哲学的な流れ、そしてブラッグたちイギリス人の、構造的、実体的な流れ、その二つの流れの両方をつなぐような形で、1953年に、DNAの二重らせん構造が発見された。
高野 あ、なるほど、DNAが二重のらせん構造をしているということが、遺伝の情報が間違いなく伝えられていくということについても、はっきりと説明したのですものね。
中村 これはしかし正直言って、デルブリュックにしてみると、ある意味では面白くないわけです。だってこれまでの物理学とはまったく違ったような、ものすごく新しいことが出てきて、新しい学問が生まれるかと思ったら、そうではなく、DNAという物質で、生きもののことが分かるということになったのだから。デルブリュックは「分子生物学のパイオニア」としてノーベル賞を受賞するのだけれど、ぜんぜん嬉しそうな顔をしていなかったのね。
高野 あはは、そういう写真があるのですか。
中村 有名な話です。でもデルブリュックにとってはあまり面白くなかったかもしれないけれど、生物学としては、デルブリュックのおかげで「分子生物学」という流れがはっきりできた。それでワトソンやクリックという人たちが登場して、新しいことをどんどん見つけていって、DNAはどういうふうに複製されるのか、DNAからタンパク質がどのように作られるのかとか、たくさんのことが60年代に分かったわけです。
(つづく)
中村桂子先生インタビュー(1) 「分子生物学の始まり」
中村桂子「ゲノムが語る生命―新たな知の創出」
2010-04-09
中村桂子先生インタビュー(1) 「分子生物学の始まり」
高野 中村先生のお書きになった「ゲノムが語る生命―新しい知の創出 (集英社新書)」を読ませていただきまして、ものすごく面白かったのです。今日はお時間をいただきまして、この本のことについて、中村先生にいくつかのご質問をさせていただきたいと思います。
この本の前半の部分で中村先生、今の生物学、生命科学の現状についてかなりのページ数をさかれていまして、「第4の科学革命」ですとか、「第2のルネッサンス」ですとか、そういう、それこそ革命的な転換が成し遂げられなければならないとお書きになっていらっしゃいます。それほどの危機感を、中村先生が生命科学の現状について、お持ちになっていらっしゃるということだと思うわけなのですが、そのあたりのことからお伺いできればと思っています。
中村先生が、すべての細胞の中に入っている遺伝物質「DNA」の総体である、「ゲノム」の大切さを踏まえて、「生命誌を」提唱されたのは、もう20年以上前になるのでしたっけ。
中村 そうですね。 考え始めたのが85年頃、研究館を構想したのは89年。
高野 1950年代に、生きものの遺伝をつかさどる物質が「デオキシリボ核酸」(DNA)という分子であることが発見され、それから続々と実際に、生きものの様々な性質を決めると考えられた「遺伝子」が、DNA分子の配列として明らかにされていった。しかし中村先生は、生きものとはあくまで「全体として」生きているのであって、ただ生きもののからだの部分の性質を一つ一つ明らかにしていっても、それだけでは「生きているとは何か」を明らかにすることにはならない。生きものの研究は、遺伝子ではなく、生きものがそれぞれ持っているDNAの総体である「ゲノム」を中心として行われなければならないと、提唱されたのですよね。
その後世の中は、中村先生のおっしゃったとおりに、遺伝子を解明するだけのところからゲノムを解明するというところへと大きく動き、そして「ヒトゲノムプロジェクト」によって、人間のゲノムをすべて解読するというところにまで至ったわけなのですけれど、それでは今、生命科学が、中村先生がお考えになったように「生きているとは何か」を明らかにするというところへ、実際に向かっているのかといえば、まったくそうではない。医療や産業と結びつくことにより、それとはまったく逆ともいえる方向へ向かってしまっていると中村先生はお書きになっていらっしゃいますね。
中村 医療は大切なことだし、生命科学が医療と結びつくこと自体は、何も問題はないのよ。でも生きものを考えながら医療を進めなかったら、よい医療にならないでしょう。
私は今、今年1年をかけて本を書こうと思っていて、その出発点をあなたのブログで最初に言うことになるのだけれど。
分子生物学の始まりは、実は物理学から出ているわけです。1930年代、40年代にアインシュタイン、ハイゼンベルク、ボーア、シュレディンガーなどが新しい物理学を創りました。その前にプランクがいて。まさに「知の巨人」で、相対性理論や量子力学、宇宙から素粒子までが明らかにされて、物理学が輝いていた時です。
ところが学問というものは、外から華々しく、盛んに見えている時は、もうすでに中にいる真剣に考えている人たちは、次を考え始める大切な時なのです。
2010-04-08
中村桂子先生インタビュー掲載始めます
僕が今回、3月に仕事をやめ、一介の浪人になってやりたいと思うことは、「生命とは何か」ということについて、自分なりの答を見つけてみたいということなのだ。それはたぶん人類にとって永遠のテーマなのであり、大昔、ヒトというものが生み出されたその時から、人間はこのことを問い、答えを見つけようとしてきたのだと思う。それはもちろん、人間がまだ文字をもっていなかった頃から始まり、文字が発明されるとすぐにそれは、神話とか伝説という形で書き記されるようになった。それ以降のここ数千年、あらゆる文化、宗教から文学から、哲学、そして科学は、このことを究極の目標としているときっぱり言い切ってしまっても、まったく過言ではないのだと思う。
それがなぜかと言えば、簡単なことで、このテーマがそれだけ深くて広い、無類の面白さを秘めているからなのだと思う。面白いことに目がない僕は、やはりそれにチャレンジしたい。自分が何かを発見するとか、そういうことを露ほども期待するものではないけれど、その問いに正面からぶつかり、それをほんとに考えようと思っている人といっしょになって、試行錯誤がしてみたい。僕は心からそう思うのだ。僕が自分のこれからの人生をかけるのに十分値する、いや、十分すぎるくらいのわくわくする内容が、そこにあるのに違いないと思えるのである。
実際いま、それが科学という領域で問われるようになっていて、科学者たちの中には「科学」という枠組み自体が大きく拡張されなければ、科学はこの問にたいする答えを見つけられないのではないかと考えている人たちもいる。それがほんとにそうであるのかどうかは僕には分からないけれど、自分がものを考えている、その土台を疑ってみるということほど面白いことはそうはないということは、間違いなく言えるのではないだろうか。
生物学者である中村桂子先生は、そのことを本当に問おうとしているお一人である。僕はご著書を読んでとても面白く、先日お願いしてお話をお伺いした。約1時間にわたって、先生が今まさに構想中の新たな本の内容から、生命科学の現状、ご自身のこれからの方向性、さらにはご自身が今どういうところで迷っているのかというところまで、存分に語ってくださり、これだけの内容を僕が一人で隠し持っているのは申し訳ないということで、ご許可をいただき、明日から10回にわたって、このブログに掲載させていただくことにした。「生命とは何か」という問いのもつ面白さを、少しでもお伝えできれば嬉しいなと思っている。
2010-04-04
京の花見9 「清水寺」
昨日はちょうど東山の方へ行ったので、天気もよく花見日和の土曜日、混むのは分かっていたが、やはり清水寺には、天気のいい時に行っておかないといけないと思い、覚悟して出掛けたのだ。しかしすごい人出だった。
東京の、渋谷や原宿など、目じゃないな、この混み具合。行きはまだ良かったのだが、夕方帰るときには、上から降りてくる人と下から上がってくる人が、目一杯に詰まってしまって、まったく動かないという状態になってしまっていた。
しかしたしかに、そこまでしても、清水寺は来る価値があるのだ。とにかく見所が多い。敷地が大きくて、お堂もたくさんあり、またそれが、清水の舞台などは典型だが、起伏のある土地を活かして、ダイナミックに建てられているから、眺めがいい。そこに桜が、それほど本数は多くないのだが、ツボを押さえて植えられており、近景、遠景ともに、なんともきれいなのだ。
入り口を上がって、清水の舞台を通り、その先東山の中腹をまわりこんで、そこから本堂を眺められるようになっているのだが、そこからの景色は、もう絶景。迫力のある大きな本堂と、脇に三重塔、そしてその先には、京都市街のビル群と、奥の山々までが、一望のもとに見渡せるようになっており、「京都」という歴史の流れと空間の広がりを、一目で感じ取れるようになっている。どれだけ見ても見飽きないな、この風景は。そこに桜が、絶妙に色を添え、ここが京都を代表する観光地になっているのは、たしかにうなずける。
さらには、降りてきたら降りてきたで、こんな光景まである。ごめんなさいだ。
しかもだ、この圧倒的有利なロケーションに、寺は安住していないのだ。きちんとアトラクションを開催し、耳目を引く。ここまでされたら、人が集まらないわけがないのだ。
というわけでこの清水寺、派手好きな僕は、今のところ、京都の神社仏閣では一番好きだ。ベタだが。清水寺のまわりは、坂がたくさんあって、そこがまた、なんとも京都らしい風情があるし、ちょっと歩くとすぐ祇園だし、観光地としてはこれ以上のものはないな、ほんと。
東京の、渋谷や原宿など、目じゃないな、この混み具合。行きはまだ良かったのだが、夕方帰るときには、上から降りてくる人と下から上がってくる人が、目一杯に詰まってしまって、まったく動かないという状態になってしまっていた。
しかしたしかに、そこまでしても、清水寺は来る価値があるのだ。とにかく見所が多い。敷地が大きくて、お堂もたくさんあり、またそれが、清水の舞台などは典型だが、起伏のある土地を活かして、ダイナミックに建てられているから、眺めがいい。そこに桜が、それほど本数は多くないのだが、ツボを押さえて植えられており、近景、遠景ともに、なんともきれいなのだ。
入り口を上がって、清水の舞台を通り、その先東山の中腹をまわりこんで、そこから本堂を眺められるようになっているのだが、そこからの景色は、もう絶景。迫力のある大きな本堂と、脇に三重塔、そしてその先には、京都市街のビル群と、奥の山々までが、一望のもとに見渡せるようになっており、「京都」という歴史の流れと空間の広がりを、一目で感じ取れるようになっている。どれだけ見ても見飽きないな、この風景は。そこに桜が、絶妙に色を添え、ここが京都を代表する観光地になっているのは、たしかにうなずける。
さらには、降りてきたら降りてきたで、こんな光景まである。ごめんなさいだ。
しかもだ、この圧倒的有利なロケーションに、寺は安住していないのだ。きちんとアトラクションを開催し、耳目を引く。ここまでされたら、人が集まらないわけがないのだ。
というわけでこの清水寺、派手好きな僕は、今のところ、京都の神社仏閣では一番好きだ。ベタだが。清水寺のまわりは、坂がたくさんあって、そこがまた、なんとも京都らしい風情があるし、ちょっと歩くとすぐ祇園だし、観光地としてはこれ以上のものはないな、ほんと。
2010-04-02
郡司ペギオ-幸夫 「生きていることの科学-生命・意識のマテリアル」
この本の著者のことは、ずいぶん前から、おもしろいと思っていて、著作をいくつか、読んだりしたこともあるのだが、おもしろいのだが、難しくてよくわからないのだ。おもしろいがわからないとは、矛盾した言い方のようだが、この人は僕とほぼ同い年、同世代ということだからなのか、問題意識や議論の進め方が、いちいち、僕の琴線に触れるのだ。けどわからない。
今回、もう数年前になるみたいだが、講談社現代新書から、彼の本が出ていたのを知り、ということは当然、一般の人を対象に書かれているわけで、帯には「あの郡司理論が画期的にわかる、待望の一冊!」とビックリマークまで付いていて、これはと思って読んでみたのだが、うーん、残念ながら、最後まで読んでみて、感想は同じ、「おもしろいけどわからない」だった。
このわからないということに、結局は同じことなのかもしれないが、二種類のことがあって、一つは、用語とか、説明とか、哲学なのか、数学なのか、注釈なしに使われるので、それがわからない。以前読んだのは、専門書に近いものだったのだが、これは一般向けだし、実際、二人の人物の会話調という形式になっていて、文体も「ちゃって」「んだよね」という、くだけた調子なので、これはいけるかなと思い、途中まではたしかに画期的に、付いていけたのだが、中盤からいきなり、「え、行っちゃうの」みたいに置いてきぼりをくらってしまった。
この人の場合、ワケの分からないことを、唐突に言う、みたいなこと自体が、そのおもしろさだったりもして、置き去りにされながら、「これだから郡司はおもしろい」と、自虐的なセリフを吐いてみたくもなるのだが、たぶん途中から、わかりやすく書くのが面倒臭くなったのじゃないかと思う。
それからもう一つは、この人、自ら専攻を「理論生命科学」としていて、この本のタイトルも、生きていることの「科学」であるわけだが、なぜこれが科学なのかが、よくわからないのだ。哲学だというなら、この内容は、そうだろうとふつうに思えるのだが、科学だと言われるから、非常に興味をかきたてられるのにもかかわらず、それがよくわからない。結局これが何なのか、とか、だからどうしたのか、とか、そのあたりのことが、いちおう最後まで、注意して読みはしたのだが、よくわからないのだ。そういう意味じゃこの人、全体から部分にいたるまで、首尾一貫してわからないとは言えるな。
ということで、この本は、そのおもしろわからない、独特な世界を味わってみたい人には、かなりのおすすめです。ってなげやりか。
★★★★☆
生きていることの科学 (講談社現代新書)
今回、もう数年前になるみたいだが、講談社現代新書から、彼の本が出ていたのを知り、ということは当然、一般の人を対象に書かれているわけで、帯には「あの郡司理論が画期的にわかる、待望の一冊!」とビックリマークまで付いていて、これはと思って読んでみたのだが、うーん、残念ながら、最後まで読んでみて、感想は同じ、「おもしろいけどわからない」だった。
このわからないということに、結局は同じことなのかもしれないが、二種類のことがあって、一つは、用語とか、説明とか、哲学なのか、数学なのか、注釈なしに使われるので、それがわからない。以前読んだのは、専門書に近いものだったのだが、これは一般向けだし、実際、二人の人物の会話調という形式になっていて、文体も「ちゃって」「んだよね」という、くだけた調子なので、これはいけるかなと思い、途中まではたしかに画期的に、付いていけたのだが、中盤からいきなり、「え、行っちゃうの」みたいに置いてきぼりをくらってしまった。
この人の場合、ワケの分からないことを、唐突に言う、みたいなこと自体が、そのおもしろさだったりもして、置き去りにされながら、「これだから郡司はおもしろい」と、自虐的なセリフを吐いてみたくもなるのだが、たぶん途中から、わかりやすく書くのが面倒臭くなったのじゃないかと思う。
それからもう一つは、この人、自ら専攻を「理論生命科学」としていて、この本のタイトルも、生きていることの「科学」であるわけだが、なぜこれが科学なのかが、よくわからないのだ。哲学だというなら、この内容は、そうだろうとふつうに思えるのだが、科学だと言われるから、非常に興味をかきたてられるのにもかかわらず、それがよくわからない。結局これが何なのか、とか、だからどうしたのか、とか、そのあたりのことが、いちおう最後まで、注意して読みはしたのだが、よくわからないのだ。そういう意味じゃこの人、全体から部分にいたるまで、首尾一貫してわからないとは言えるな。
ということで、この本は、そのおもしろわからない、独特な世界を味わってみたい人には、かなりのおすすめです。ってなげやりか。
★★★★☆
生きていることの科学 (講談社現代新書)
京の花見6 「円山公園」
知恩院の隣に位置する「円山公園」は、巨大な宴会場なのだな。ブルーシートで場所とりをするも良し、縁台でお金を払って飲むも良し、出店のほかに、海の家みたいなものが軒を並べていて、あれは花見シーズンだけ出現するのかな。僕も当然、一杯やっといた。
京の花見5 「知恩院」
桜ってのは、日本の昔ながらの風景に、ほんとによく合うんだな。昔の建物ってまた、黒っぽかったりするから、それに桜の淡いピンク色って、配色としてもゴールデンだしな。知恩院は、桜はそんなにたくさんはないのだが、やはりこの巨大な三門との対比が、なんとも美しい。結婚式もできるようです。
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