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2010-04-02

郡司ペギオ-幸夫 「生きていることの科学-生命・意識のマテリアル」

この本の著者のことは、ずいぶん前から、おもしろいと思っていて、著作をいくつか、読んだりしたこともあるのだが、おもしろいのだが、難しくてよくわからないのだ。おもしろいがわからないとは、矛盾した言い方のようだが、この人は僕とほぼ同い年、同世代ということだからなのか、問題意識や議論の進め方が、いちいち、僕の琴線に触れるのだ。けどわからない。
今回、もう数年前になるみたいだが、講談社現代新書から、彼の本が出ていたのを知り、ということは当然、一般の人を対象に書かれているわけで、帯には「あの郡司理論が画期的にわかる、待望の一冊!」とビックリマークまで付いていて、これはと思って読んでみたのだが、うーん、残念ながら、最後まで読んでみて、感想は同じ、「おもしろいけどわからない」だった。
このわからないということに、結局は同じことなのかもしれないが、二種類のことがあって、一つは、用語とか、説明とか、哲学なのか、数学なのか、注釈なしに使われるので、それがわからない。以前読んだのは、専門書に近いものだったのだが、これは一般向けだし、実際、二人の人物の会話調という形式になっていて、文体も「ちゃって」「んだよね」という、くだけた調子なので、これはいけるかなと思い、途中まではたしかに画期的に、付いていけたのだが、中盤からいきなり、「え、行っちゃうの」みたいに置いてきぼりをくらってしまった。
この人の場合、ワケの分からないことを、唐突に言う、みたいなこと自体が、そのおもしろさだったりもして、置き去りにされながら、「これだから郡司はおもしろい」と、自虐的なセリフを吐いてみたくもなるのだが、たぶん途中から、わかりやすく書くのが面倒臭くなったのじゃないかと思う。
それからもう一つは、この人、自ら専攻を「理論生命科学」としていて、この本のタイトルも、生きていることの「科学」であるわけだが、なぜこれが科学なのかが、よくわからないのだ。哲学だというなら、この内容は、そうだろうとふつうに思えるのだが、科学だと言われるから、非常に興味をかきたてられるのにもかかわらず、それがよくわからない。結局これが何なのか、とか、だからどうしたのか、とか、そのあたりのことが、いちおう最後まで、注意して読みはしたのだが、よくわからないのだ。そういう意味じゃこの人、全体から部分にいたるまで、首尾一貫してわからないとは言えるな。
ということで、この本は、そのおもしろわからない、独特な世界を味わってみたい人には、かなりのおすすめです。ってなげやりか。
★★★★
生きていることの科学 (講談社現代新書)