昨日のおっさんひとり飯は・・・。
イカワタ味噌炒め。
それにオクラととろろ昆布の吸物、ナス塩もみおかかカラシ酢醤油、
焼き万願寺おかかポン酢醤油と、冷奴一味ポン酢醤油。
昨日は真っ茶っ茶の新鮮なスルメイカが魚屋に並んでいて、
見た瞬間、即座にこれを買うことに決めた。
スルメイカは、茶色の色が濃いのが新鮮なのだが、昨日のは、
いつにも増して色が濃く、若大将も
「今日のは新鮮ですよ」
と太鼓判を押していた。
新鮮なスルメイカが手に入ったら、やはりワタを使うに限る。
イカワタを使った料理として、ぼくが知るかぎり最も手軽でうまいのは、
檀一雄の「イカのスペイン風」なのだけれど、
これはニンニクを使い、かなり強烈な味がするから、
和食の献立に混ぜてしまうと、他の料理を蹴散らしてしまうことになる。
そこでこのイカのスペイン風を、やはりイカワタと相性がいい味噌を使い、
「イカの和風」にすることは、これまで何度も挑戦してきたのだけれど、
そのたびに、決して不味くはないのだけれど、
「やはりスペイン風の方がうまいな」
ということになっていた。
ところが今回、イカの和風が、イカのスペイン風にも匹敵すると思える程
おいしくできた。
コツはゴマ油を使うことと青ねぎをたっぷりと入れることで、
素麺の上にのせると更にうまい。
この料理では、イカはさばく必要がないので非常に手軽にできるのだ。
イカは胴の内側にタテに入っている軟骨と、足の根元にあるクチバシ一対
だけを取り除き、あとはハシから足はぶつ切り、胴は輪切りにする。
器に入れ、一つまみの塩と酒少々を揉み込んで下味をつける。
下味をつけて15分でも30分でも冷蔵庫においておけば、味がしみて
おいしくなるが、べつにすぐ使ってもかまわない。
フライパンにゴマ油と輪切り唐辛子を入れて強火にかけ、
下味をつけたイカ、ざく切りにした青ねぎ3~4本を入れる。
30秒ほど炒めてイカがピンク色になってきたら、
味噌と酒、みりん、砂糖を大さじ1、おろしショウガ小さじ1の合わせ調味料を入れ、
さらに少し炒めて調味料が絡みついたら火を止める。
味噌は、ぼくは赤だし味噌(豆味噌)を使うけれど、
普通の味噌でも問題はないと思う。
固めにゆでて水で洗い、熱湯で温めた素麺の上にのせる。
生臭みなどは全くなく、青ねぎがまたいいアシストになっている。
オクラととろろ昆布の吸物も、簡単なのに美味かった。
かつお節ととろろ昆布、うすく小口に切ったオクラをお椀に入れ、
熱湯を注いでうすくち醤油と塩で味つけする。
オクラととろろ昆布のネバネバ具合がいい。
昨日は晩酌前に、四条大宮のいつものバー「スピナーズ」へ行ったら、
竹野内豊似の男性と隣り合わせ、料理の話になった。
竹野内豊似の男性は、
「料理の手間と、さらに皿洗いの手間がかかるのが面倒で、
自炊をしていないんですよね」
と言う。
皿洗いに関しては簡単な話で、
「洗剤を使わなければいいんですよ」
と教えてあげた。
水洗い用のスポンジを使えば、今は給湯器でお湯も出るのだし、
油汚れもかなりのところまで落ちる。
ひどい油汚れは紙で拭き取ってから洗うようにすればいいし、
洗い終わった時点で多少ベトベトしていても、
最後にふきんで拭けば、ベトベトはほぼ完全になくなる。
洗剤を使うと、洗剤で洗って、さらにその倍くらいの時間をかけて、
すすがないといけない事になる。
お湯だけで洗えば時間は3分の1に短縮できるから、
皿洗いも大した手間ではなくなる。
「なるほど、そうなんですね・・・」
イケメンで、性格もよい竹野内豊は、感心したように相槌を打つ。
「でも自炊をするようになると、やはり最低でも1時間くらいは、
余分に時間が取られるようになるんですが、
『料理』はそれだけの時間をかけても、価値のあることだと思うんです・・・」
ぼくはさらに、料理についてのウンチクを、竹野内豊に披露した。
自炊をすれば、まずは健康にいい。
結局のところ体が欲しがるものを食べる事が、
必要な栄養を取ることにつながるのだとぼくは思う。
体が欲しがるものを食べるためには、
自分で料理を作るのが一番まちがいがない。
次に料理は、面白い。
食事は生きている限り全ての人間が、毎日しなければいけないものだから、
膨大な数の人が、毎日料理を作ることに携わっている。
さらに人間は、それを人類誕生以来100万年、
もちろん程度の差はあるにしても、営々と続けてきている。
だから料理を「文化」として捉えた場合、
料理は、一部の専門家や趣味人だけが行うものとなっている
音楽や絵画等の芸術や、その他あらゆる文化と比べて裾野が広く、
その分、その内容も、幅が広くて奥が深いとぼくは思う。
料理をするという事は、そのような文化に触れ、
そこから何かを学ぶ事なのだから、
それが単なる労働などである訳がない。
大きな喜びともなり得る事なのだ・・・。
「なるほど、言われてみれば、たしかにそうですね・・・」
竹野内豊は、感心したように肯いている。
さらにぼくは、竹野内豊は結婚が決まっているというから、
一つ、付け足した。
「それに男が料理が出来るということは、家庭での自身の独立を
保つことにもつながるんですよ・・・」
自分で料理が出来なければ、誰かに料理をしてもらわなければならない。
それが奥さんであるとするならば、家で奥さんがいなければ、
自分は何も食べられないという事になるのなら、
それは奥さんに、隷属しているという事だ。
だから結婚したら、男性は料理ができて初めて、
奥さんと対等な、お互いに独立した関係になれる。
奥さんに自分の作った料理を食べさせれば、
場合によっては尊敬などされる事もあるかもしれない・・・。
「なるほど、そういう物なのかも知れないですね・・・」
竹野内豊は苦笑している・・・。
「また若い人に説教して、迷惑かけたんじゃないだろうね。」
昨日は大丈夫だったと思うけどな・・・。
2013-07-31
2013-07-30
実は簡単に出来る、鯛めし
昨日のおっさんひとり飯は・・・。
鯛めし。
ぼくは切り身の魚はどうもあまり買う気がせず、
やはり食べるなら、頭の付いている魚がいいと思う。
切り身ももちろん、うまいには違いないのだが、
頭がなく、さらに骨までない魚など、魚を食べている気がしない。
魚はやはり、骨をしゃぶって食べるのが、何といっても醍醐味だ。
骨の近くの肉は、実際にぷりぷりとして味がいいし、
骨からきれいに肉をはずして食べることに、
一種掃除でもしているような快感もある。
最近ではスーパーが、骨の全くない魚を売り出しているそうだが、
それ程馬鹿な話はないのであって、そんなことをしても、
魚離れを加速する事にしかならないようにぼくは思う。
それよりもスーパーはもっと、魚の料理法や食べ方を、
教える努力をする事が必要なのではないかと思う。
という訳で、鯛アラなのだが、
鯛アラがいかに安くて美味いかということは、
これまで散々言ってきたから、今日は言わない。
しかし「料理が簡単だ」という事については、ハッキリさせておきたいと思う。
鯛のアラは、漠然と「料理が面倒だ」と思っている人も多いと思う。
たしかにアラは臭みが出やすいから、ちょっとした下処理は必要になる。
でも手間が掛るのは、それだけなのだ。
まず鯛は、それだけで日本人にとっては完璧な味だから、
だしを取ったり、調味料をあれこれ使ったりする必要が全くない。
また余計なものを合わせる必要もないから、
他の材料を切ったりする手間も掛らない。
だから料理の手順がシンプルになり、あっという間に出来てしまう。
嘘だと思うのなら、やってみてもらいたい。
あまりに簡単で、拍子抜けするのは請け合いだ。
まず鯛は、給湯器の熱湯にサッと浸してすぐに湯を捨て、
水でよく洗う。
この時ウロコを一枚残らず取ることだけは、多少の時間を掛けるようにする。
水をふき取り、一つまみの塩をパラパラと振りかけたら、
焼き網で表裏をサッと焼く。
これは臭みを抜き、香ばしい風味を付けることが目的だから、
軽く焦げめが付けば、それでいい。
鍋に5センチ角くらいのだし昆布を敷き、
研いでザルに10分くらい上げておいた米1カップ、水1カップ、
酒とうすくち醤油大さじ1を入れたら、その上に焼いた鯛を置く。
フタをして中火にかけ、湯気が勢いよく出てきたら、弱火に落として10分炊く。
土鍋なら、そのまま火を止めて10分蒸らす。
金属製の片手鍋などの場合なら、蒸らす時に温度が下がり過ぎてしまうから、
消える寸前の小さな火にして5分蒸らし、さらに火を止めて5分蒸らす。
炊き込みご飯は、フタを開ける時が楽しみだ。
鯛のいい香りがする。
まずは細く刻んだ大葉をのせ、そのまま食べる。
鯛は文句の付けようがない味がする。
さらに氷水を入れ、わさびを落として、お茶漬けのようにかき込む。
これがまた、耐えられなくうまい。
昨日はあとは、たたきキュウリの梅かつおも作った。
スリコギでたたいて割り、一口大にちぎったキュウリを
一つまみの塩で揉み、5分ほど置いたら水で洗って水気をふき取る。
細く刻んだみょうがと合わせ、かつお節と一緒にたたいた梅肉、
みりんとうすくち醤油少々で和える。
これもさっぱりして、夏に食べるには実にうまい。
ぼくは口の利き方が悪くて損ばかりしてきていて、
小さな頃から親や先生に
「一呼吸おいて少し考えてから話せ」
と口を酸っぱくして言われ続けた。
学生時代や仕事を始めてからも、
キツイ言い方をして女子を泣かせたことは数知れず、
その場合、仮にどんなに言い分が正しかったとしても、
こちらが謝らなければならない羽目になる。
会社で役員をやっていた頃、役員会に遅れてきて、
それまでの話をまったく無視して怒鳴り散らす社長に対し、
滔々と説教をしたこともある。
ぼくがその後飛ばされたのは、言うまでもないことだ。
ぼくもさすがにこの年になり、自分の欠点は自覚していて、
口の利き方には気を付けているつもりなのだが、
性格はそう簡単には直らないものらしい。
今でも時々、やらかしてしまう。
先日も、バーで女性のお客さんを泣かせた。
泣かせるつもりなどなかったのだが、泣いてしまったものは仕方がない。
謝りのメールを送ったのだが、まだ返事はない。
こんなことで、この先の人生やっていけるのかと
自分で自分が不安になるが、
きっとまた、やらかしてしまうに違いない。
まあしかし人生、なるようにしかならないのだから、
ぼくは自分の人生を、淡々と歩むだけなのである。
「バカは死んでも治らないって言うからね。」
そうなんだよな・・・。
鯛めし。
ぼくは切り身の魚はどうもあまり買う気がせず、
やはり食べるなら、頭の付いている魚がいいと思う。
切り身ももちろん、うまいには違いないのだが、
頭がなく、さらに骨までない魚など、魚を食べている気がしない。
魚はやはり、骨をしゃぶって食べるのが、何といっても醍醐味だ。
骨の近くの肉は、実際にぷりぷりとして味がいいし、
骨からきれいに肉をはずして食べることに、
一種掃除でもしているような快感もある。
最近ではスーパーが、骨の全くない魚を売り出しているそうだが、
それ程馬鹿な話はないのであって、そんなことをしても、
魚離れを加速する事にしかならないようにぼくは思う。
それよりもスーパーはもっと、魚の料理法や食べ方を、
教える努力をする事が必要なのではないかと思う。
という訳で、鯛アラなのだが、
鯛アラがいかに安くて美味いかということは、
これまで散々言ってきたから、今日は言わない。
しかし「料理が簡単だ」という事については、ハッキリさせておきたいと思う。
鯛のアラは、漠然と「料理が面倒だ」と思っている人も多いと思う。
たしかにアラは臭みが出やすいから、ちょっとした下処理は必要になる。
でも手間が掛るのは、それだけなのだ。
まず鯛は、それだけで日本人にとっては完璧な味だから、
だしを取ったり、調味料をあれこれ使ったりする必要が全くない。
また余計なものを合わせる必要もないから、
他の材料を切ったりする手間も掛らない。
だから料理の手順がシンプルになり、あっという間に出来てしまう。
嘘だと思うのなら、やってみてもらいたい。
あまりに簡単で、拍子抜けするのは請け合いだ。
まず鯛は、給湯器の熱湯にサッと浸してすぐに湯を捨て、
水でよく洗う。
この時ウロコを一枚残らず取ることだけは、多少の時間を掛けるようにする。
水をふき取り、一つまみの塩をパラパラと振りかけたら、
焼き網で表裏をサッと焼く。
これは臭みを抜き、香ばしい風味を付けることが目的だから、
軽く焦げめが付けば、それでいい。
鍋に5センチ角くらいのだし昆布を敷き、
研いでザルに10分くらい上げておいた米1カップ、水1カップ、
酒とうすくち醤油大さじ1を入れたら、その上に焼いた鯛を置く。
フタをして中火にかけ、湯気が勢いよく出てきたら、弱火に落として10分炊く。
土鍋なら、そのまま火を止めて10分蒸らす。
金属製の片手鍋などの場合なら、蒸らす時に温度が下がり過ぎてしまうから、
消える寸前の小さな火にして5分蒸らし、さらに火を止めて5分蒸らす。
炊き込みご飯は、フタを開ける時が楽しみだ。
鯛のいい香りがする。
まずは細く刻んだ大葉をのせ、そのまま食べる。
鯛は文句の付けようがない味がする。
さらに氷水を入れ、わさびを落として、お茶漬けのようにかき込む。
これがまた、耐えられなくうまい。
昨日はあとは、たたきキュウリの梅かつおも作った。
スリコギでたたいて割り、一口大にちぎったキュウリを
一つまみの塩で揉み、5分ほど置いたら水で洗って水気をふき取る。
細く刻んだみょうがと合わせ、かつお節と一緒にたたいた梅肉、
みりんとうすくち醤油少々で和える。
これもさっぱりして、夏に食べるには実にうまい。
ぼくは口の利き方が悪くて損ばかりしてきていて、
小さな頃から親や先生に
「一呼吸おいて少し考えてから話せ」
と口を酸っぱくして言われ続けた。
学生時代や仕事を始めてからも、
キツイ言い方をして女子を泣かせたことは数知れず、
その場合、仮にどんなに言い分が正しかったとしても、
こちらが謝らなければならない羽目になる。
会社で役員をやっていた頃、役員会に遅れてきて、
それまでの話をまったく無視して怒鳴り散らす社長に対し、
滔々と説教をしたこともある。
ぼくがその後飛ばされたのは、言うまでもないことだ。
ぼくもさすがにこの年になり、自分の欠点は自覚していて、
口の利き方には気を付けているつもりなのだが、
性格はそう簡単には直らないものらしい。
今でも時々、やらかしてしまう。
先日も、バーで女性のお客さんを泣かせた。
泣かせるつもりなどなかったのだが、泣いてしまったものは仕方がない。
謝りのメールを送ったのだが、まだ返事はない。
こんなことで、この先の人生やっていけるのかと
自分で自分が不安になるが、
きっとまた、やらかしてしまうに違いない。
まあしかし人生、なるようにしかならないのだから、
ぼくは自分の人生を、淡々と歩むだけなのである。
「バカは死んでも治らないって言うからね。」
そうなんだよな・・・。
2013-07-29
和風味で作る、豚肉とキャベツ等のカレー煮込み
昨日のおっさんひとり飯は・・・。
豚肉とキャベツ等のカレー煮込み。
キャベツが冷蔵庫に、一個の半分も残っていたから、
これを何とか使い切りたいと思い、あれこれ考えると、
どういう訳か「カレー煮込み」しか思い浮かばない。
カレー煮込みが特に好きという訳でもないのだけれど、
以前京子さんの店で食べたのが、印象に残っているのだと思う。
カレーだから、豚肉を入れることにした。
キャベツと豚肉は、黄金の相性だ。
これに玉ねぎと、やはり冷蔵庫に残っていたインゲンくらいを
入れようかと思っていたが、折角だから、
ジャガイモ、ニンジン、油揚げ・・・、冷蔵庫にあるものを片っ端から入れ、
残り物整理を兼ねることにした。
味付けは、カレールウを使ってしまえば簡単だが、
それでは何も面白くないので、和風の味付けに、カレー粉を加える事にする。
ただここで、ウスターソースとケチャップを隠し味に加えるのが、
和風のカレー味を作る場合のポイントになると思う。
上に卵の黄身を落とし、青ねぎと一味を振ることにして、
これで構想は一通り完了ということに相成った。
フライパンにだし昆布を引き、ゴロゴロと切ったジャガイモ、ニンジン、
ざく切りのキャベツと玉ねぎ、筋をとって3センチくらいに切ったインゲン、
細く切った油揚げ、一口大に切った豚コマ肉を入れ、
水1カップ、酒とみりん、うすくち醤油を大さじ2、砂糖大さじ1、
カレー粉大さじ1、ウスターソースとケチャップ、おろしショウガ小さじ1を入れて、
火にかける。
煮立ってきたら、カレー粉がダマにならないように少し混ぜ、
フタをして、強めの中火で10分煮る。
10分経ったらフタを外し、味を見て塩加減をする。
火を強火にし、上下を返しながら、煮汁がほぼなくなるまで煮詰める。
皿に盛り、卵の黄身を落として青ねぎと一味を振る。
だしは昆布だけだが、これで十分おいしく出来る。
今エリック・クラプトンの “I Got The Same Old Blues” という曲をコピーしていて、
毎日2~3時間はギターを弾いている。
今はYouTubeにライブ映像等がいくらでもあり、ギタリスト本人の手の動きを
つぶさに見ることが出来るようになっているから、コピーの手間は、
レコードを繰り返し聞くしかなかったぼくが学生だった頃に比べると、
飛躍的にかからなくなっている。
ただ今の若いギタリストたちは、それを必ずしも「恩恵」とは、
受け取っていないのだろうとも思う。
コピーがラクになり、たしかにギターを弾くための敷居は下がったが、
おそらくそうして参入が容易になった分、ギタリストの競争は激しくなり、
さらにテクニックも、ぼくが学生の頃と比べるとずいぶん高度化しているから、
ギタリストになることの難しさは、結局は昔と変わらないのだろうと思う。
1日に2~3時間も練習をするというと、「頑張っている」と聞こえるかも知れないが、
実際にはその全く逆で、練習を始めると「やめられない」のだ。
以前マラソンを趣味にし、毎日トレーニングして全国の様々な大会に出ている
素人ランナーの知り合いに、マラソンなどやろうと思ったこともないぼくは、
「マラソンのどこがそんなに楽しいのか」
と聞いたことがある。
知り合いは、
「練習するとその分タイムが上がったり、走れる距離が伸びたり、
やっただけ結果に結びつくのが楽しい」
と言っていたのだが、ぼくのギターもそれと同じだ。
「練習は裏切らない」という言葉を聞いたことがあるような気がするのだが、
ギターも練習すればするだけ、これまで弾けなかったフレーズが弾けるように
なったり、弾けていたフレーズも、もっとスムースに弾けるようになる。
弦を抑える左手の指も徐々に筋肉がつき、指先にはマメができて硬くなり、
弦がどんどんラクに抑えられるようになる。
そうなると、「もっと上手く弾きたい、もっと上手く弾きたい」と思うようになり、
これは一種の「中毒」と言えるのではないかと思うのだが、
一旦練習を始めてしまうとやめられなくなり、仕事をそっちのけで
続けてしまうという訳なのだ。
最近ではそうやって、1日に2~3時間もの時間を、クラプトンと向き合っている。
「ギターをコピーする」とは、「手の動きを再現する」という意味で、
何度もやっているうちに、クラプトンのちょっとした手癖なども分かってくる。
ある手癖を発見すると、それまでどうしても出せなかった一連の音が、
一気に出せるようになったりするのが面白い。
しかしそうしてクラプトンの手癖を探っていると、何となく、クラプトンの
人間性までが感じられるような気になっていて、それが最近は、
ちょっと辛くなっている。
クラプトンのギターの手癖は、「スローハンド」と呼ばれるのだけれど、
「手はそれ程動かないのに音はたくさん出る」
ことに特徴がある。
これは要は、ギターが音を出すための基本的作業である、
「左手で弦を抑えて右手ではじく」という事以外で音を出す、
様々なやり方を駆使することで可能になっているのだが、
もしかしたらクラプトンは、日常生活の上でも同じ様に、
基本的なことに正面から取り組むことをせず、
それを上手くショートカットする方法をあれこれ探るような人なのではないかと、
クラプトンの手癖を再現しながら、ぼくなどはちょっと思ったりしてしまうのだ。
「そうだったらあまり好きなタイプじゃないな」
などと、勝手に想像してみたりしている。
もちろんそうは言っても、クラプトンは超一流のギタリストなのだから、
学ぶことが多いのは言うまでもない。
特にクラプトンは、古いブルースのテクニックをよく勉強している人で、
それがぼくが、クラプトンの何よりいいと思う所だ。
「ちゃんと仕事もやってよね。」
うん、分かってる。
豚肉とキャベツ等のカレー煮込み。
キャベツが冷蔵庫に、一個の半分も残っていたから、
これを何とか使い切りたいと思い、あれこれ考えると、
どういう訳か「カレー煮込み」しか思い浮かばない。
カレー煮込みが特に好きという訳でもないのだけれど、
以前京子さんの店で食べたのが、印象に残っているのだと思う。
カレーだから、豚肉を入れることにした。
キャベツと豚肉は、黄金の相性だ。
これに玉ねぎと、やはり冷蔵庫に残っていたインゲンくらいを
入れようかと思っていたが、折角だから、
ジャガイモ、ニンジン、油揚げ・・・、冷蔵庫にあるものを片っ端から入れ、
残り物整理を兼ねることにした。
味付けは、カレールウを使ってしまえば簡単だが、
それでは何も面白くないので、和風の味付けに、カレー粉を加える事にする。
ただここで、ウスターソースとケチャップを隠し味に加えるのが、
和風のカレー味を作る場合のポイントになると思う。
上に卵の黄身を落とし、青ねぎと一味を振ることにして、
これで構想は一通り完了ということに相成った。
フライパンにだし昆布を引き、ゴロゴロと切ったジャガイモ、ニンジン、
ざく切りのキャベツと玉ねぎ、筋をとって3センチくらいに切ったインゲン、
細く切った油揚げ、一口大に切った豚コマ肉を入れ、
水1カップ、酒とみりん、うすくち醤油を大さじ2、砂糖大さじ1、
カレー粉大さじ1、ウスターソースとケチャップ、おろしショウガ小さじ1を入れて、
火にかける。
煮立ってきたら、カレー粉がダマにならないように少し混ぜ、
フタをして、強めの中火で10分煮る。
10分経ったらフタを外し、味を見て塩加減をする。
火を強火にし、上下を返しながら、煮汁がほぼなくなるまで煮詰める。
皿に盛り、卵の黄身を落として青ねぎと一味を振る。
だしは昆布だけだが、これで十分おいしく出来る。
今エリック・クラプトンの “I Got The Same Old Blues” という曲をコピーしていて、
毎日2~3時間はギターを弾いている。
今はYouTubeにライブ映像等がいくらでもあり、ギタリスト本人の手の動きを
つぶさに見ることが出来るようになっているから、コピーの手間は、
レコードを繰り返し聞くしかなかったぼくが学生だった頃に比べると、
飛躍的にかからなくなっている。
ただ今の若いギタリストたちは、それを必ずしも「恩恵」とは、
受け取っていないのだろうとも思う。
コピーがラクになり、たしかにギターを弾くための敷居は下がったが、
おそらくそうして参入が容易になった分、ギタリストの競争は激しくなり、
さらにテクニックも、ぼくが学生の頃と比べるとずいぶん高度化しているから、
ギタリストになることの難しさは、結局は昔と変わらないのだろうと思う。
1日に2~3時間も練習をするというと、「頑張っている」と聞こえるかも知れないが、
実際にはその全く逆で、練習を始めると「やめられない」のだ。
以前マラソンを趣味にし、毎日トレーニングして全国の様々な大会に出ている
素人ランナーの知り合いに、マラソンなどやろうと思ったこともないぼくは、
「マラソンのどこがそんなに楽しいのか」
と聞いたことがある。
知り合いは、
「練習するとその分タイムが上がったり、走れる距離が伸びたり、
やっただけ結果に結びつくのが楽しい」
と言っていたのだが、ぼくのギターもそれと同じだ。
「練習は裏切らない」という言葉を聞いたことがあるような気がするのだが、
ギターも練習すればするだけ、これまで弾けなかったフレーズが弾けるように
なったり、弾けていたフレーズも、もっとスムースに弾けるようになる。
弦を抑える左手の指も徐々に筋肉がつき、指先にはマメができて硬くなり、
弦がどんどんラクに抑えられるようになる。
そうなると、「もっと上手く弾きたい、もっと上手く弾きたい」と思うようになり、
これは一種の「中毒」と言えるのではないかと思うのだが、
一旦練習を始めてしまうとやめられなくなり、仕事をそっちのけで
続けてしまうという訳なのだ。
最近ではそうやって、1日に2~3時間もの時間を、クラプトンと向き合っている。
「ギターをコピーする」とは、「手の動きを再現する」という意味で、
何度もやっているうちに、クラプトンのちょっとした手癖なども分かってくる。
ある手癖を発見すると、それまでどうしても出せなかった一連の音が、
一気に出せるようになったりするのが面白い。
しかしそうしてクラプトンの手癖を探っていると、何となく、クラプトンの
人間性までが感じられるような気になっていて、それが最近は、
ちょっと辛くなっている。
クラプトンのギターの手癖は、「スローハンド」と呼ばれるのだけれど、
「手はそれ程動かないのに音はたくさん出る」
ことに特徴がある。
これは要は、ギターが音を出すための基本的作業である、
「左手で弦を抑えて右手ではじく」という事以外で音を出す、
様々なやり方を駆使することで可能になっているのだが、
もしかしたらクラプトンは、日常生活の上でも同じ様に、
基本的なことに正面から取り組むことをせず、
それを上手くショートカットする方法をあれこれ探るような人なのではないかと、
クラプトンの手癖を再現しながら、ぼくなどはちょっと思ったりしてしまうのだ。
「そうだったらあまり好きなタイプじゃないな」
などと、勝手に想像してみたりしている。
もちろんそうは言っても、クラプトンは超一流のギタリストなのだから、
学ぶことが多いのは言うまでもない。
特にクラプトンは、古いブルースのテクニックをよく勉強している人で、
それがぼくが、クラプトンの何よりいいと思う所だ。
「ちゃんと仕事もやってよね。」
うん、分かってる。
2013-07-28
厚揚げと万願寺のツナ缶あんかけ
昨日のおっさんひとり飯は・・・。
厚揚げと万願寺のツナ缶あんかけ。
昨日は餃子にラーメンで昼ビールをしたから、
夜は冷蔵庫にある材料を使い、軽いものを作ることにした。
厚揚げがあったから、これを万願寺と煮込むことにしたが、
だしをどうしようか考えた。
普通に取ってもかまわないが、何かだしになるものをと考え、
思い付いたのがツナ缶。
さらに煮汁にトロミを付け、ツナを厚揚げにまとわり付かせることにした。
鍋にだし昆布、ひと口大に切った厚揚げ、万願寺、汁ごとのツナ缶、
水2カップ、酒とみりん、うすくち醤油を大さじ2、
おろしショウガ小さじ1/2を入れ、火にかける。
煮立ったら落としブタをし、弱めの中火で20分煮る。
厚揚げと万願寺を皿に盛り、残った煮汁に片栗粉大さじ1、水大さじ2の
水溶き片栗粉でトロミをつける。
できたあんを、厚揚げと万願寺の上にかける。
簡単にできるが、しっかりうまい。
ツナ缶は臭みもなく、大変いいだしが出る。
あんが余ったら、捨てずに冷蔵庫で冷やしておく。
素麺にかけると、またうまい。
このブログには、調味料の量を細かく書いているが、
ぼくはもし料理ブログをやっていなければ、調味料は計りたくない所だ。
調味料を測るのは面倒だし、さらに調味料の量が計量スプーンに
置き換えられてしまうと、料理のおもしろ味が薄れるところがあると思う。
料理はできるだけ、感覚に頼るのが楽しい。
調味料を味見をしながら、あれこれ加減して入れるのは、
料理の醍醐味の一つだとぼくは思う。
さらに計量スプーンを使ってしまうと、失敗がない。
調味料をつい入れ過ぎてしまい、それが新しい味の発見につながることは、
少なからずあることだ。
エサキダイオードを初めとして多くのノーベル賞級の大発見が、
実験の失敗がきっかけとなっているのは知られた話だ。
失敗を防ぐことは、発見への道をも閉ざすことになる。
調味料には、広大な世界がある。
しょうゆと砂糖(みりん)は、その割合を変えることで、
色の濃淡ですべての色彩を表現する墨絵のように、
様々な味を作り出す。
ある「おいしい味」の隣にあるのは、必ずしも「まずい味」ばかりでなく、
「別の味」が存在することがある。
その広い世界を探索するには、失敗してみるのが一番だ。
だからこのブログを見て自分で料理してみようと思う人には、
ここに書いてある調味料の量は「だいたいそのくらい」という意味だと思い、
計量スプーンは使わないことを薦めたい。
そのほうが、「料理を自分で考え出す」力が身につくと思う。
ただし煮炊きする「時間」については、多くの場合、
長すぎても短すぎてもおいしくならない。
だから時間は、計るのがオススメだ。
「ぼくは失敗したまずいものは食べたくないよ。」
オレも進んで食べたくはないけどな。
厚揚げと万願寺のツナ缶あんかけ。
昨日は餃子にラーメンで昼ビールをしたから、
夜は冷蔵庫にある材料を使い、軽いものを作ることにした。
厚揚げがあったから、これを万願寺と煮込むことにしたが、
だしをどうしようか考えた。
普通に取ってもかまわないが、何かだしになるものをと考え、
思い付いたのがツナ缶。
さらに煮汁にトロミを付け、ツナを厚揚げにまとわり付かせることにした。
鍋にだし昆布、ひと口大に切った厚揚げ、万願寺、汁ごとのツナ缶、
水2カップ、酒とみりん、うすくち醤油を大さじ2、
おろしショウガ小さじ1/2を入れ、火にかける。
煮立ったら落としブタをし、弱めの中火で20分煮る。
厚揚げと万願寺を皿に盛り、残った煮汁に片栗粉大さじ1、水大さじ2の
水溶き片栗粉でトロミをつける。
できたあんを、厚揚げと万願寺の上にかける。
簡単にできるが、しっかりうまい。
ツナ缶は臭みもなく、大変いいだしが出る。
あんが余ったら、捨てずに冷蔵庫で冷やしておく。
素麺にかけると、またうまい。
このブログには、調味料の量を細かく書いているが、
ぼくはもし料理ブログをやっていなければ、調味料は計りたくない所だ。
調味料を測るのは面倒だし、さらに調味料の量が計量スプーンに
置き換えられてしまうと、料理のおもしろ味が薄れるところがあると思う。
料理はできるだけ、感覚に頼るのが楽しい。
調味料を味見をしながら、あれこれ加減して入れるのは、
料理の醍醐味の一つだとぼくは思う。
さらに計量スプーンを使ってしまうと、失敗がない。
調味料をつい入れ過ぎてしまい、それが新しい味の発見につながることは、
少なからずあることだ。
エサキダイオードを初めとして多くのノーベル賞級の大発見が、
実験の失敗がきっかけとなっているのは知られた話だ。
失敗を防ぐことは、発見への道をも閉ざすことになる。
調味料には、広大な世界がある。
しょうゆと砂糖(みりん)は、その割合を変えることで、
色の濃淡ですべての色彩を表現する墨絵のように、
様々な味を作り出す。
ある「おいしい味」の隣にあるのは、必ずしも「まずい味」ばかりでなく、
「別の味」が存在することがある。
その広い世界を探索するには、失敗してみるのが一番だ。
だからこのブログを見て自分で料理してみようと思う人には、
ここに書いてある調味料の量は「だいたいそのくらい」という意味だと思い、
計量スプーンは使わないことを薦めたい。
そのほうが、「料理を自分で考え出す」力が身につくと思う。
ただし煮炊きする「時間」については、多くの場合、
長すぎても短すぎてもおいしくならない。
だから時間は、計るのがオススメだ。
「ぼくは失敗したまずいものは食べたくないよ。」
オレも進んで食べたくはないけどな。
2013-07-27
ツナ缶とキュウリの炊き混ぜご飯
今日のおっさんひとり飯は・・・。
ツナ缶とキュウリの炊き混ぜご飯。
四条大宮[酒房京子]の女将京子さんは独特の商売のやり方をする人で、
まず店にメニューがない。
メニューがないから注文もできないわけだが、もし希望があれば、
「今日はお腹が減ってるから」とか、
「もう食べてきたから軽く」とか、
あらかじめ言っておくようにすれば、その希望に沿ったものを出してくれる。
酒を飲みながら待っていると、食べ物が勝手に出てくるわけだが、
京子さんは基本的に仕込みはせず、
もちろん時間がかかる物は仕込んである場合もあるが、
だいたいは「お客さんの顔を見てから出すものを考える」のだそうだ。
京子さんは手早くて、けっこう手が込んだ料理でも、
あっという間に出してくれる。
お勘定の計算法も独特で、いちおう計算する素振りは見せるのだが、
かならず2千円とか3千円とか、ちょっきりとキリのいい額になっている。
年齢によって値段を変えているフシもあり、
若者が行くとどんなに飲み食いし、カラオケまで歌っても、
3千円を超えることはないとも言われている。
大雑把といえば大雑把なのだが、それで文句をいう人もなく、
お客さんに愛されているというのだから、問題はないのである。
京子さんはその時々で、「作りたい物」のマイブームがあるようで、
出てくるものは行くたびに、全く違うものが出てくる。
ぼくもこれまで京子に20回以上は行っていると思うのだが、
同じメニューが出てきたことは、ただの一度もない。
最近は炊き込みご飯に凝っているようで、
「ご飯が上手に炊けるようになったのよ」と嬉しげに言いながら、
あれやこれやの炊き込みご飯を出してくれる。
京子さんの料理は、おいしいのはもちろんのこと、作るのが簡単で、
さらに食材の組み合わせや薬味の使い方、食べ方など、
ぼくにとっては意表を突かれる物が多く、
「これが京都のやり方なのか」と思いながら、
行くたびに参考にし、真似させてもらっている。
おとといのナスとキュウリのご飯、サバ缶のご飯もとても美味しかったので、
昨日は家にあったものを使い、この2つを合体して、
「ツナ缶とキュウリの炊き混ぜご飯」を作ってみた。
鍋にだし昆布を敷き、研いでザルに15分ほど上げておいた米1カップ、
汁ごとのツナ缶、刻んだ油揚げ、ささがきにして水にさらしたゴボウ、
水1カップ、酒とみりん、うすくち醤油をそれぞれ大さじ1、塩小さじ1/2を入れ、
フタをして、中火にかける。
湯気が勢いよく出てくるようになったら弱火にして10分、
さらに火を弱めて5分炊き、火を止めて5分蒸らす。
ご飯を炊いている間に、薄い小口切りにしたキュウリを
一つまみの塩で揉み、10分ほどおいて水気を拭いておく。
みょうがをたっぷり薄切りにしておく。
キュウリとみょうがを、蒸らし終わったご飯に混ぜ込む。
茶碗によそい、指でひねり潰したゴマを振る。
ツナ缶のコクと、キュウリとみょうがのあっさり感が、大変いい。
2杯めは、氷水をかけ、わさびを落として食べる。
これはさっぱりして、本当にうまい。
炊き込みご飯に氷水とわさびを入れて、お茶漬けのようにして食べるのは、
京子さんの所で初めて見たやり方なのだが、
これはほんとに手軽で、夏の暑い時には打ってつけの、
天才的な食べ方だと思う。
昨日はあとは、これは定番料理だが、
トマトと卵、ソーセージの炒め物も作った。
卵はあらかじめ、多めのオリーブオイルで大きめにまとめて焼いておく。
改めてオリーブオイル少々でソーセージを炒め、
くし切りにしたトマトを加えて、しんなりしたら卵を戻し入れ、
砂糖小さじ1、酒とうすくち醤油大さじ1で味付けし、
片栗粉小さじ1と水小さじ2の水溶き片栗粉でトロミをつける。
トマトと卵の相性は実に良く、
これはご飯に乗せてもうまいのではないかと思う。
昨日は晩酌前にスピナーズへ出かけ、カウンターで隣り合わせた
竹野内豊似の男性と、酒と煙草の話になった。
ぼくは食べ物については、
「お腹が減ったら、減った分だけ食べる」
ようにすることができ、食べ過ぎることはあまりない。
ところが酒と煙草については、どうしても、
飲み過ぎ、吸い過ぎることになってしまう。
そんな話をしていたら、竹野内豊似の男性は、
「ぼくもそうなんですよ。でも煙草って、高野さんライターだったら、
物を書くとき吸いたくならないですか?」
と聞く。
たしかにその通りで、ぼくは物を書いている時、
特に書く物のアイディアが浮かぶまでの間に、
どうしても煙草をスパスパ吸ってしまうことになっている。
「ぼくもデザインの仕事をしているので、同じなんですよ。
アイディアを出し合うためのミーティングなどでも、
煙草なしだと本当にキツイんですよね。」
竹野内豊はうなずき、さらに続ける。
「それから酒は、精神を解放することで、
人とのコミュニケーションを円滑にするところがありますよね。」
それはまさにその通りで、ぼくは人と話して楽しくなると、
酒の量が加速してしまうところがある。
「煙草と酒はそうやって、人間の精神活動と
つながってしまっているところがあるから、
なかなかやめられないんじゃないかという気がするんですよ・・・」
なるほど、言われてみればたしかにその通りだ。
だからぼくは食事と違い、煙草や酒を吸い過ぎ、飲み過ぎてしまうのか・・・。
「それただの言い訳だから。」
そうだよな。
ツナ缶とキュウリの炊き混ぜご飯。
四条大宮[酒房京子]の女将京子さんは独特の商売のやり方をする人で、
まず店にメニューがない。
メニューがないから注文もできないわけだが、もし希望があれば、
「今日はお腹が減ってるから」とか、
「もう食べてきたから軽く」とか、
あらかじめ言っておくようにすれば、その希望に沿ったものを出してくれる。
酒を飲みながら待っていると、食べ物が勝手に出てくるわけだが、
京子さんは基本的に仕込みはせず、
もちろん時間がかかる物は仕込んである場合もあるが、
だいたいは「お客さんの顔を見てから出すものを考える」のだそうだ。
京子さんは手早くて、けっこう手が込んだ料理でも、
あっという間に出してくれる。
お勘定の計算法も独特で、いちおう計算する素振りは見せるのだが、
かならず2千円とか3千円とか、ちょっきりとキリのいい額になっている。
年齢によって値段を変えているフシもあり、
若者が行くとどんなに飲み食いし、カラオケまで歌っても、
3千円を超えることはないとも言われている。
大雑把といえば大雑把なのだが、それで文句をいう人もなく、
お客さんに愛されているというのだから、問題はないのである。
京子さんはその時々で、「作りたい物」のマイブームがあるようで、
出てくるものは行くたびに、全く違うものが出てくる。
ぼくもこれまで京子に20回以上は行っていると思うのだが、
同じメニューが出てきたことは、ただの一度もない。
最近は炊き込みご飯に凝っているようで、
「ご飯が上手に炊けるようになったのよ」と嬉しげに言いながら、
あれやこれやの炊き込みご飯を出してくれる。
京子さんの料理は、おいしいのはもちろんのこと、作るのが簡単で、
さらに食材の組み合わせや薬味の使い方、食べ方など、
ぼくにとっては意表を突かれる物が多く、
「これが京都のやり方なのか」と思いながら、
行くたびに参考にし、真似させてもらっている。
おとといのナスとキュウリのご飯、サバ缶のご飯もとても美味しかったので、
昨日は家にあったものを使い、この2つを合体して、
「ツナ缶とキュウリの炊き混ぜご飯」を作ってみた。
鍋にだし昆布を敷き、研いでザルに15分ほど上げておいた米1カップ、
汁ごとのツナ缶、刻んだ油揚げ、ささがきにして水にさらしたゴボウ、
水1カップ、酒とみりん、うすくち醤油をそれぞれ大さじ1、塩小さじ1/2を入れ、
フタをして、中火にかける。
湯気が勢いよく出てくるようになったら弱火にして10分、
さらに火を弱めて5分炊き、火を止めて5分蒸らす。
ご飯を炊いている間に、薄い小口切りにしたキュウリを
一つまみの塩で揉み、10分ほどおいて水気を拭いておく。
みょうがをたっぷり薄切りにしておく。
キュウリとみょうがを、蒸らし終わったご飯に混ぜ込む。
茶碗によそい、指でひねり潰したゴマを振る。
ツナ缶のコクと、キュウリとみょうがのあっさり感が、大変いい。
2杯めは、氷水をかけ、わさびを落として食べる。
これはさっぱりして、本当にうまい。
炊き込みご飯に氷水とわさびを入れて、お茶漬けのようにして食べるのは、
京子さんの所で初めて見たやり方なのだが、
これはほんとに手軽で、夏の暑い時には打ってつけの、
天才的な食べ方だと思う。
昨日はあとは、これは定番料理だが、
トマトと卵、ソーセージの炒め物も作った。
卵はあらかじめ、多めのオリーブオイルで大きめにまとめて焼いておく。
改めてオリーブオイル少々でソーセージを炒め、
くし切りにしたトマトを加えて、しんなりしたら卵を戻し入れ、
砂糖小さじ1、酒とうすくち醤油大さじ1で味付けし、
片栗粉小さじ1と水小さじ2の水溶き片栗粉でトロミをつける。
トマトと卵の相性は実に良く、
これはご飯に乗せてもうまいのではないかと思う。
昨日は晩酌前にスピナーズへ出かけ、カウンターで隣り合わせた
竹野内豊似の男性と、酒と煙草の話になった。
ぼくは食べ物については、
「お腹が減ったら、減った分だけ食べる」
ようにすることができ、食べ過ぎることはあまりない。
ところが酒と煙草については、どうしても、
飲み過ぎ、吸い過ぎることになってしまう。
そんな話をしていたら、竹野内豊似の男性は、
「ぼくもそうなんですよ。でも煙草って、高野さんライターだったら、
物を書くとき吸いたくならないですか?」
と聞く。
たしかにその通りで、ぼくは物を書いている時、
特に書く物のアイディアが浮かぶまでの間に、
どうしても煙草をスパスパ吸ってしまうことになっている。
「ぼくもデザインの仕事をしているので、同じなんですよ。
アイディアを出し合うためのミーティングなどでも、
煙草なしだと本当にキツイんですよね。」
竹野内豊はうなずき、さらに続ける。
「それから酒は、精神を解放することで、
人とのコミュニケーションを円滑にするところがありますよね。」
それはまさにその通りで、ぼくは人と話して楽しくなると、
酒の量が加速してしまうところがある。
「煙草と酒はそうやって、人間の精神活動と
つながってしまっているところがあるから、
なかなかやめられないんじゃないかという気がするんですよ・・・」
なるほど、言われてみればたしかにその通りだ。
だからぼくは食事と違い、煙草や酒を吸い過ぎ、飲み過ぎてしまうのか・・・。
「それただの言い訳だから。」
そうだよな。
2013-07-26
イカめしを食べてスピナーズ、さらに京子
昨日のおっさんひとり飯は・・・。
イカめし。
魚屋へ行ったらうまそうなスルメイカが出ていて、
その時までは鯛のアラを炊き込みご飯にしようと思っていたのだが、
気が変わり、イカを炊き込むことにした。
イカを和風の炊き込みご飯にしてもいいものか自信がなかったので、
魚屋のおばさんに聞いてみると、
「イカの胴にお米を詰めて炊いたりもするから美味しいでしょう」
との答え。
個人商店で買い物をすると、こうやってちょっと聞いたりできるのが
いいとこなのだ。
まずはイカをさばく。
イカをさばけない人は、スーパーでさばいたのを買っても問題はないが、
イカをさばくのはすごく簡単だから、ぜひやってみたらいいと思う。
胴に手を突っ込み、胴と中身がくっついている部分を
指がとどく範囲で外し、中身を引きぬく。
中身は目から上を切り落とす。
生ゴミは、冷凍しておくと臭わない。
堂にタテに入っている軟骨を折らないよう気をつけながら抜き、
足の根元にある一対のクチバシを取り外す。
胴は輪切りに、足はぶつ切りにする。
鍋にだし昆布を敷き、研いでザルに15分ほど上げておいた1カップの米、
刻んだ油揚げ、ささがきにして水にさらしたゴボウ、うすく切った竹輪、イカ、
それに水1カップ、酒とみりん、うすくち醤油各大さじ1、塩小さじ1/2を入れる。
フタをして、中火にかけ、湯気が勢いよく出てきたら弱火に落として10分炊く。
そのあと火を弱めて5分、さらに火を止めて5分蒸らす。
ご飯は、鍋で炊くほうが、工夫の余地があれこれあるから楽しい。
土鍋でなく、普通の片手鍋でもおいしく炊ける。
刻んだ大葉をのせて食べる。
イカの香りがふわっと広がり、最高にうまい。
晩酌の支度をしていたら、いつも行くバー[スピナーズ]のマスター
キム君から電話が入った。
「イタリアから、高野さんのブログを見たという女性がいらしてるんですが・・・」
昨日は家で晩酌するつもりにしていたが、
イタリアから京都へ来て、貴重な一晩を四条大宮で過ごそうと考えるのは
ただ事ではない。
晩酌を早めに終わらせ、スピナーズへ出かけることにした。
スピナーズへ行くと、女性はぼくの顔を見るなり叫び出した。
「わ、本物の高野さんだ、わ、どうしよう・・・」
松下由樹に似た40代のその女性は、イタリア人のご主人とイタリアに住み、
ぼくのブログをもう数年にわたり、毎日見てくれているのだそうだ。
檀一雄が好きで、そこからぼくのブログに辿り着いたそうだが、
「高野さんは現代の檀一雄ですよ・・・」
身に余る褒め言葉をいう。
「いやぼくなんか、まだモロボシ・ダンくらいなものですから・・・」
ぼくは意味の分からない謙遜をした。
「私、今日はぜひ高野さんに言いたいことがあるんですよ・・・」
松下由樹は、こちらを向き直り、身を正した。
「高野さんは『パリで死にたい』と言っていますけど、
パリよりは四条大宮のほうが、よっぽどいい街ですよ。
ぜひ大宮で死んでください!」
海外に住む松下由樹は、日本は世界のどこよりもいい国なのに、
日本人が外国にたいしてコンプレックスを持っているのが
もどかしくて仕方がないのだそうだ。
「日本人には、ぜひもっと自信を持って欲しいんです。」
松下由樹は、熱く語る。
たしかにぼくは、フランスへ移住したいと考えたとき、
まだ四条大宮に、今ほど愛着を感じていなかった。
今では大宮の街は、ぼくにとって自分の家のようになりつつあるから、
「そこで死ぬのも悪くはないかもしれないな」
と少し思った。
松下由樹は、スピナーズへ来る前に、
[酒房京子]へも立ち寄ったのだそうだ。
でも外から気配をうかがってみると、おっさんがカラオケを歌っていたので、
女性一人では入ることができなかったとのこと。
そこでスピナーズが昨日は1時で閉店になったのを機に、
酒房京子へ移動することにした。
せっかく大宮へ来たのだから、酒房京子へはぜひ行ってほしい。
酒房京子はおっさんの団体はもうとうに引けたようで、
お客さんは若めの男女3人組だけだった。
松下由樹は「ハモの炊き込みご飯」が食べてみたいとのことだったが、
昨日はハモはないとのこと。
でも京子さんは、代わりに別の炊き込みご飯を作ってくれた。
ナスとキュウリの炊き混ぜご飯。
これはとても手が込んでいて、作り方を聞いたら、
まず油揚げとゴボウを入れてしょうゆ味のご飯を炊き、
そこにちりめんじゃこと、塩もみしたナスとキュウリを混ぜ込んだという。
大変うまかった。
さらに早い時間に作り、余って冷えた炊き込みご飯に番茶をかけたもの。
ご飯は、サバ缶を炊き込んだのだそうだ。
これもすごくうまかった。
京子さんの出す料理を食べ、カラオケを歌って、
松下由樹は満足して帰って行った。
タクシー乗り場まで見送ったぼくが
「ぼくもこれで、そろそろ帰ろう」
と思って酒房京子へ戻ってみると、ダイニングバー[Kaju]のマスター
カジュさんと、熊の男性がいる。
言うまでもなく、「また飲み直そう」という話になり、
結局店を出たのは午前5時。
大宮の街は、すでに白み始めていた。
「相変わらずのお調子者だね。」
バカ者だよな。
イカめし。
魚屋へ行ったらうまそうなスルメイカが出ていて、
その時までは鯛のアラを炊き込みご飯にしようと思っていたのだが、
気が変わり、イカを炊き込むことにした。
イカを和風の炊き込みご飯にしてもいいものか自信がなかったので、
魚屋のおばさんに聞いてみると、
「イカの胴にお米を詰めて炊いたりもするから美味しいでしょう」
との答え。
個人商店で買い物をすると、こうやってちょっと聞いたりできるのが
いいとこなのだ。
まずはイカをさばく。
イカをさばけない人は、スーパーでさばいたのを買っても問題はないが、
イカをさばくのはすごく簡単だから、ぜひやってみたらいいと思う。
胴に手を突っ込み、胴と中身がくっついている部分を
指がとどく範囲で外し、中身を引きぬく。
中身は目から上を切り落とす。
生ゴミは、冷凍しておくと臭わない。
堂にタテに入っている軟骨を折らないよう気をつけながら抜き、
足の根元にある一対のクチバシを取り外す。
胴は輪切りに、足はぶつ切りにする。
鍋にだし昆布を敷き、研いでザルに15分ほど上げておいた1カップの米、
刻んだ油揚げ、ささがきにして水にさらしたゴボウ、うすく切った竹輪、イカ、
それに水1カップ、酒とみりん、うすくち醤油各大さじ1、塩小さじ1/2を入れる。
フタをして、中火にかけ、湯気が勢いよく出てきたら弱火に落として10分炊く。
そのあと火を弱めて5分、さらに火を止めて5分蒸らす。
ご飯は、鍋で炊くほうが、工夫の余地があれこれあるから楽しい。
土鍋でなく、普通の片手鍋でもおいしく炊ける。
刻んだ大葉をのせて食べる。
イカの香りがふわっと広がり、最高にうまい。
晩酌の支度をしていたら、いつも行くバー[スピナーズ]のマスター
キム君から電話が入った。
「イタリアから、高野さんのブログを見たという女性がいらしてるんですが・・・」
昨日は家で晩酌するつもりにしていたが、
イタリアから京都へ来て、貴重な一晩を四条大宮で過ごそうと考えるのは
ただ事ではない。
晩酌を早めに終わらせ、スピナーズへ出かけることにした。
スピナーズへ行くと、女性はぼくの顔を見るなり叫び出した。
「わ、本物の高野さんだ、わ、どうしよう・・・」
松下由樹に似た40代のその女性は、イタリア人のご主人とイタリアに住み、
ぼくのブログをもう数年にわたり、毎日見てくれているのだそうだ。
檀一雄が好きで、そこからぼくのブログに辿り着いたそうだが、
「高野さんは現代の檀一雄ですよ・・・」
身に余る褒め言葉をいう。
「いやぼくなんか、まだモロボシ・ダンくらいなものですから・・・」
ぼくは意味の分からない謙遜をした。
「私、今日はぜひ高野さんに言いたいことがあるんですよ・・・」
松下由樹は、こちらを向き直り、身を正した。
「高野さんは『パリで死にたい』と言っていますけど、
パリよりは四条大宮のほうが、よっぽどいい街ですよ。
ぜひ大宮で死んでください!」
海外に住む松下由樹は、日本は世界のどこよりもいい国なのに、
日本人が外国にたいしてコンプレックスを持っているのが
もどかしくて仕方がないのだそうだ。
「日本人には、ぜひもっと自信を持って欲しいんです。」
松下由樹は、熱く語る。
たしかにぼくは、フランスへ移住したいと考えたとき、
まだ四条大宮に、今ほど愛着を感じていなかった。
今では大宮の街は、ぼくにとって自分の家のようになりつつあるから、
「そこで死ぬのも悪くはないかもしれないな」
と少し思った。
松下由樹は、スピナーズへ来る前に、
[酒房京子]へも立ち寄ったのだそうだ。
でも外から気配をうかがってみると、おっさんがカラオケを歌っていたので、
女性一人では入ることができなかったとのこと。
そこでスピナーズが昨日は1時で閉店になったのを機に、
酒房京子へ移動することにした。
せっかく大宮へ来たのだから、酒房京子へはぜひ行ってほしい。
酒房京子はおっさんの団体はもうとうに引けたようで、
お客さんは若めの男女3人組だけだった。
松下由樹は「ハモの炊き込みご飯」が食べてみたいとのことだったが、
昨日はハモはないとのこと。
でも京子さんは、代わりに別の炊き込みご飯を作ってくれた。
ナスとキュウリの炊き混ぜご飯。
これはとても手が込んでいて、作り方を聞いたら、
まず油揚げとゴボウを入れてしょうゆ味のご飯を炊き、
そこにちりめんじゃこと、塩もみしたナスとキュウリを混ぜ込んだという。
大変うまかった。
さらに早い時間に作り、余って冷えた炊き込みご飯に番茶をかけたもの。
ご飯は、サバ缶を炊き込んだのだそうだ。
これもすごくうまかった。
京子さんの出す料理を食べ、カラオケを歌って、
松下由樹は満足して帰って行った。
タクシー乗り場まで見送ったぼくが
「ぼくもこれで、そろそろ帰ろう」
と思って酒房京子へ戻ってみると、ダイニングバー[Kaju]のマスター
カジュさんと、熊の男性がいる。
言うまでもなく、「また飲み直そう」という話になり、
結局店を出たのは午前5時。
大宮の街は、すでに白み始めていた。
「相変わらずのお調子者だね。」
バカ者だよな。
2013-07-25
祇園祭還幸祭 みこし弁当とお神輿見物
昨日のおっさんひとり飯は・・・。
みこし弁当。
1ヶ月にわたって繰り広げられる祇園祭は、
24日に行われる還幸祭のお神輿をもってフィナーレとなる。
祇園祭は色々楽しいことがあるけれど、
やはりぼくは何と言っても、このお神輿が一番好きだ。
京都といえば、はんなりとしたやさしいイメージがあるけれど、
お神輿だけは、荒々しい。
3年前に初めて祇園祭のお神輿を見たときは、
京都のどこに、こんな荒くれ者が潜んでいるのかと思ったくらいだ。
お神輿のときには、お神輿を担ぐ人を含め、
関係者のために弁当が配られる。
「みこし弁当」と呼ばれ、お神輿当日の朝、
神輿会の男衆の手で作られるのだそうだ。
もちろん非売品で、京都の人でも、そう簡単には手に入らない。
ぼくはこれを去年から、三条会商店街でいつもお世話になっている
八百屋「玉弁」のご主人のご厚意で、分けてもらえるようになり、
これを食べるのを、まずはとても楽しみにしている。
笹の葉に包まれ、午前中に受け取るときにはまだ温かい。
驚いたことに、このみこし弁当は夏の暑い日でも、
冷蔵庫に入れなくても3日くらいは腐らないのだそうだ。
笹の葉を開くと・・・。
中に入っているのは、ごま塩の振られた白めしと、梅干し、タクワン。
「これぞ日本の弁当だ!」と言いたくなる、何ともシンプルな構成だ。
まずは白めしを口に頬張る・・・。
これが、「死ぬほどうまい」という話なのである。
何でもきちんとお祓いをした専用の田んぼで作られた、
上等な米なのだそうだ。
さらに炊き加減も、かた過ぎもやわらか過ぎもせず丁度いい。
次に梅干し・・・。
これもまた、言うまでもなくうまい。
今時のふわふわに柔らかいタイプではなく、しっかりとした食べ応えがある。
味はいわゆる昔ながらの、酸味の強いもので、
ぼくが子供のころおばあちゃんの家で食べた梅干しが、
まさにこういう味だった。
そしてタクワン。
まったくクドいが、これもうまい。
きちんと漬かっていながら瑞々しく、
歯応えがありながら、かたくない。
味は濃く、やや甘みがあるが、甘すぎることはない。
このようにみこし弁当は超一級品で、
このようなものが食べられるのは、ほんとうにありがたいことだと思う。
さらにこのみこし弁当は、夜食べると一番おいしくなるよう調整されているというから、
何とも凄いことだ。
さてみこし弁当を食べ終わったら、
いよいよ神輿見物に出かけることにする。
いつも行くバー「スピナーズ」の前を通ると、
すでにマスターのキム君と、顔見知りのお客さんが待機している。
そこでまずはビールを一杯となるのは、当然の成り行きなのだ。
ビールを飲んでいるうちに、先行隊が前を通りがかる。
そのうちの一人も、スピナーズのお客さんだ。
祇園祭のお神輿は、中御座、東御座、西御座と3つある。
スサノオノミコトの御霊が乗せられ、3基のお神輿の筆頭となる中御座は、
ぼくがいつも買い物に行く三条会商店街を中心とした
エリアに住む人達によって結成される、「三若会」によって担がれる。
だから三条会商店街は、八坂神社前を除き唯一、
還幸祭のお神輿が、3基とも通るルートに当たっている。
観光客はほとんどいないので人もそれほど多くないし、
狭い商店街の中だからお神輿を間近で見られるし、
商店街内の数カ所では、お神輿を手を一杯にのばして持ち上げる
「担ぎ上げ」も行われるしで、
還幸祭のお神輿を見るには、三条会商店街は最高のスポットなのだ。
さていよいよ、中御座神輿が商店街に入ってきた。
「ほいっとお、ほいっとお」の掛け声とともに、膨大な人数の男衆が、
商店街の幅一杯に広がって歩いてくる。
お神輿は、ほかの場所を通るときには、車輪を付けることもある。
しかしここ三条会商店街を通るときは、3基とも車輪を外し、
男衆が実際に担いでいる。
お神輿は、やがて商店街内にある八坂神社御旅所の前に到着し、
いよいよ担ぎ上げとなる。
肩に担いでいたお神輿を手に持ち替えるわけだから、
リーダーの掛け声とともに、全員が、一致団結して動く。
そして担ぎ上げが始まった。
これを間近で見ると、ものすごい迫力なのである。
お神輿の見物を終えたら、松下奈緒似の女性、米倉涼子似(自称)の女性と共に、
四条大宮の居酒屋「ふる里」へ。
そのあとはさらにスピナーズへ行き、いつも通り、遅い時間まで飲んで帰った。
「おっさんもお神輿を担いだらいいのに。」
いやいや、軟弱なおれには絶対ムリだよ・・・。
みこし弁当。
1ヶ月にわたって繰り広げられる祇園祭は、
24日に行われる還幸祭のお神輿をもってフィナーレとなる。
祇園祭は色々楽しいことがあるけれど、
やはりぼくは何と言っても、このお神輿が一番好きだ。
京都といえば、はんなりとしたやさしいイメージがあるけれど、
お神輿だけは、荒々しい。
3年前に初めて祇園祭のお神輿を見たときは、
京都のどこに、こんな荒くれ者が潜んでいるのかと思ったくらいだ。
お神輿のときには、お神輿を担ぐ人を含め、
関係者のために弁当が配られる。
「みこし弁当」と呼ばれ、お神輿当日の朝、
神輿会の男衆の手で作られるのだそうだ。
もちろん非売品で、京都の人でも、そう簡単には手に入らない。
ぼくはこれを去年から、三条会商店街でいつもお世話になっている
八百屋「玉弁」のご主人のご厚意で、分けてもらえるようになり、
これを食べるのを、まずはとても楽しみにしている。
笹の葉に包まれ、午前中に受け取るときにはまだ温かい。
驚いたことに、このみこし弁当は夏の暑い日でも、
冷蔵庫に入れなくても3日くらいは腐らないのだそうだ。
笹の葉を開くと・・・。
中に入っているのは、ごま塩の振られた白めしと、梅干し、タクワン。
「これぞ日本の弁当だ!」と言いたくなる、何ともシンプルな構成だ。
まずは白めしを口に頬張る・・・。
これが、「死ぬほどうまい」という話なのである。
何でもきちんとお祓いをした専用の田んぼで作られた、
上等な米なのだそうだ。
さらに炊き加減も、かた過ぎもやわらか過ぎもせず丁度いい。
次に梅干し・・・。
これもまた、言うまでもなくうまい。
今時のふわふわに柔らかいタイプではなく、しっかりとした食べ応えがある。
味はいわゆる昔ながらの、酸味の強いもので、
ぼくが子供のころおばあちゃんの家で食べた梅干しが、
まさにこういう味だった。
そしてタクワン。
まったくクドいが、これもうまい。
きちんと漬かっていながら瑞々しく、
歯応えがありながら、かたくない。
味は濃く、やや甘みがあるが、甘すぎることはない。
このようにみこし弁当は超一級品で、
このようなものが食べられるのは、ほんとうにありがたいことだと思う。
さらにこのみこし弁当は、夜食べると一番おいしくなるよう調整されているというから、
何とも凄いことだ。
さてみこし弁当を食べ終わったら、
いよいよ神輿見物に出かけることにする。
いつも行くバー「スピナーズ」の前を通ると、
すでにマスターのキム君と、顔見知りのお客さんが待機している。
そこでまずはビールを一杯となるのは、当然の成り行きなのだ。
ビールを飲んでいるうちに、先行隊が前を通りがかる。
そのうちの一人も、スピナーズのお客さんだ。
祇園祭のお神輿は、中御座、東御座、西御座と3つある。
スサノオノミコトの御霊が乗せられ、3基のお神輿の筆頭となる中御座は、
ぼくがいつも買い物に行く三条会商店街を中心とした
エリアに住む人達によって結成される、「三若会」によって担がれる。
だから三条会商店街は、八坂神社前を除き唯一、
還幸祭のお神輿が、3基とも通るルートに当たっている。
観光客はほとんどいないので人もそれほど多くないし、
狭い商店街の中だからお神輿を間近で見られるし、
商店街内の数カ所では、お神輿を手を一杯にのばして持ち上げる
「担ぎ上げ」も行われるしで、
還幸祭のお神輿を見るには、三条会商店街は最高のスポットなのだ。
さていよいよ、中御座神輿が商店街に入ってきた。
「ほいっとお、ほいっとお」の掛け声とともに、膨大な人数の男衆が、
商店街の幅一杯に広がって歩いてくる。
お神輿は、ほかの場所を通るときには、車輪を付けることもある。
しかしここ三条会商店街を通るときは、3基とも車輪を外し、
男衆が実際に担いでいる。
お神輿は、やがて商店街内にある八坂神社御旅所の前に到着し、
いよいよ担ぎ上げとなる。
肩に担いでいたお神輿を手に持ち替えるわけだから、
リーダーの掛け声とともに、全員が、一致団結して動く。
そして担ぎ上げが始まった。
これを間近で見ると、ものすごい迫力なのである。
お神輿の見物を終えたら、松下奈緒似の女性、米倉涼子似(自称)の女性と共に、
四条大宮の居酒屋「ふる里」へ。
そのあとはさらにスピナーズへ行き、いつも通り、遅い時間まで飲んで帰った。
「おっさんもお神輿を担いだらいいのに。」
いやいや、軟弱なおれには絶対ムリだよ・・・。
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