昨日のおっさんひとり飯は・・・。
牛肉とゴボウのきんぴら大葉のせ。
昨日は冷蔵庫にゴボウがたくさん残っていたから、
これを使って何か作りたいと思っていたら、
スーパーへ行ったら、国産牛肉肩ロースの切り落としが、
100グラム100円で売っていた。
牛肉は高いし、さほど好きというわけでもないから、
滅多に食べたいぼくだけれど、
これはさすがに見逃すわけにはいかない。
そこでこれを、ゴボウと合わせてきんぴらにすることにした。
牛肉とゴボウのきんぴらは、もちろん定番中の定番だけど、
それに大葉を混ぜ込むというのは、向田邦子のアイディアだ。
向田邦子は香味野菜好きで、コリアンダーは常備されていたそうだ。
ぼくは以前は香味野菜や薬味、香辛料などにほとんど興味が湧かず、
「だしが旨ければそれでいい」と思っていたクチなのだけれど、
最近では薬味や香辛料をあれこれ使うことの面白さが、
少しずつ分かってきた。
これはやはり、京都の影響が大きい。
京都の人は、ショウガやわさび、七味や一味、ゆずやらゆず胡椒やらの
薬味や香辛料を、実にうまく使うと思う。
材料や味付けによって、「その場合はこれ」というのがそれぞれあり、
それを見たり聞いたりするたびに、「なるほどな」と思う。
薬味や香辛料をあれこれ使って見るようになり、
ぼくは薬味や香辛料は、「服でいえばアクセサリーのようなものかな」
と思うようになった。
アクセサリー一つによって、服が見事に引き立つことがあるように、
薬味や香辛料をほんの少し入れることで、
料理の味が驚くほど変わることを実感している。
向田邦子レシピのこのきんぴらも、大葉を混ぜ込むことで、
牛肉のくどさがなくなり、実にさわやかな味になる。
きんぴらなら、七味やゴマをふるのが定番だと思うけれど、
これが大葉だというところに、向田邦子の主張を感じる。
大葉は、少量ではなく、ドカンと入れるのがいい。
昨日は牛肉200グラム、ゴボウ1本に対し、大葉5枚を使ったけれど、
もっと入れても良かったなと食べてみて思った。
ゴボウはよく洗って太めのささがきにし、水にさらす。
ゴボウは、このたわしでゴシゴシ洗って泥を落とさなければいけないのが、
何とも面倒くさいのだけれど、それによって辛うじて、
農家の人がゴボウを育てる、そのことに思いを馳せることもできるのだから、
あまり文句を言ってはいけないのである。
フライパンにサラダ油を引き、ゴボウを中火でよく炒める。
2~3分炒めてゴボウに火が通ったら、牛肉を入れてさらに炒め、
牛肉の色が変わってきたら、酒と砂糖、みりん、醤油各大さじ1、
それに塩少々を入れ、汁気がなくなるまで炒める。
大葉は細切りにし、フライパンの火を止めてから混ぜ込んでもいいし、
上にのせて、食べるときに混ぜてもいい。
向田邦子はそうはしていないのだけれど、これはさらにゴマを振っても
いいのではないかとも思った。
あとは万願寺の焼いたの。
万願寺をかるく焦げめがつくまで焼き、かつお節とポン酢醤油をかける。
このやり方は、甘長とうがらしの最も簡単で、おいしい食べ方ではないかと思う。
種やヘタも、そのままバリバリ食べられる。
みょうがの冷奴。
これはおとといの、京子さんの冷奴の応用編。
冷奴に刻んだみょうがと一味、それにポン酢醤油をかける。
みょうがが一味とポン酢醤油に合うというのは、
八百屋「玉弁」の亡くなったおじいさんに聞いたもので、
これがまた実にうまい。
梅干しととろろ昆布のにゅうめん。
ぼくはこのところこれにハマって、ほとんど毎日のように食べている。
異常に簡単にできる上、さっぱりとし、かつ優しい味もいい。
器に固めにゆでて水で洗い、熱湯で温めたそうめん、かつお節、とろろ昆布、
梅干しと青ねぎを入れ、熱湯を注いでうすくち醤油で味つけする。
昨日とおとといは、仕事に非常に頑張った。
ぼくも生活して行かないといけないのだから、
遊んでばかりではいけないのは言うまでもない話だ。
それに今日は、お神輿がある。
祇園祭の中で、ぼくはお神輿が一番好きで、
毎年三条会商店街で見物する。
お神輿はやはり、山鉾のあのはんなりとした感じとは大きく違い、
荒々しいのがいい。
ぼくは京都へ来て、初めて祇園祭のお神輿を見たとき、
京都のどこに、あんな荒くれた男達がいるのだろうと思ったくらいだ。
さらに去年に続いて、今年はみこし弁当を食べることになっている。
お御輿を担ぐ男衆や、そのお手伝いをする女性陣が食べるものを、
八百屋のご主人のご厚意で特別に分けてもらうというもので、もちろん非売品。
去年初めて食べたが、これが死ぬかと思うくらい、うまいのだ。
「またすぐ遊びのことで頭が一杯になるんだね。」
頭の性能が低いんだよな。