昨日のおっさんひとり飯は・・・。
土用丑の日だったので、イワシの蒲焼にした。
三条会商店街の魚屋「ダイシン食料品店」にも、
昨日はウナギが並べられていた。
これが中国産でも、1500円ほど。
国産だったらいくらになるのか、値段を聞く気にもならない。
ウナギは「高くて買えない」ということもあるが、
ウナギを買わない理由はただそれだけでもない。
もう蒲焼にされたものを家でただ温めて食べるだけでは、
何の面白味もないと思う。
もちろん家にご主人やお子さんでもいて、
「お、今日はウナギか。そうか、土用丑の日だもんな」
などと会話が弾むとでもいうなら張り合いもあるだろうが、
こちらは家にいるのはチェブ夫だけだ。
チェブ夫と一緒にウナギを食べても、楽しくもなんともない。
やはり一人暮らし料理では、「作る面白さ」が大事になる。
ただ美味しいだけなら、人と食べればもっと美味しいのは
分かりきった話なのだから、
そう考えると、一人で食べるのが虚しくなる。
料理を「趣味」として楽しめないと、
自炊を続けるのは難しいと、ぼくは思う。
というわけで、魚屋の店内をさらに見渡すと、
大きなイワシが売っている。
イワシを蒲焼にすると、「これはウナギか」と思うほどうまい。
いやもちろん、ウナギのほうがうまいと思うが、
イワシの蒲焼には、イワシの蒲焼の良さがあるのである。
4尾で280円。
これを買って帰ることにした。
イワシは手開きにする。
魚を捌くときには、包丁はよく研いでおく。
包丁で、水洗いしたイワシの頭を落とし、腹を割く。
ワタを出したら、両手の親指を背骨の上に差しこみ、
背骨に沿って滑らせるようにしながら身を外していく。
両側の身が外れたら、背骨をつまむようにして取り外す。
最後に尾びれの上のところで、ひねりちぎる。
残った血やワタは、あまり洗い落とし過ぎてしまわないほうが、
焼いたりフライにしたりする場合には、うまみが出ておいしくなる。
よく水気をふき取り、片栗粉を両面にまぶして、
サラダ油を引き、中火にかけてよく温めたフライパンに入れる。
まずは皮目から焼き、こんがり焼けたらひっくり返して身のほうを焼く。
イワシが焼けたら一旦皿に取り出し、フライパンは洗わずそのまま、
酒とみりん、砂糖、醤油それぞれ大さじ2づつを入れる。
2~3分そのまま火にかけ、少しドロリとしてくるまで煮詰める。
イワシを戻し、煮汁を表裏によく絡めつける。
皿に盛り、余った煮汁は上からかける。
粉山椒をふって食べる。
さっくりとしてやわらかく、イワシ独特の香気があるのがまたいい。
腹骨などは取らないが、焼いてしまうのだから、小骨が舌に触ることはない。
あとは冷奴。
一味唐辛子をふって、ポン酢醤油をかける。
四条大宮「酒房京子」の京子さんがやっていたやり方で、
美味しかったからやってみたもの。
たしかにうまい。
スグキ茎のじゃこ炒め。
ゴマ油と輪切り唐辛子、ちりめんじゃこでじっくり炒め、
酒と醤油で味付けしてゴマをふる。
スグキの茎は甘みが少ないし、繊維が硬くて歯に引っかかるので、
こうしてじゃこ炒めにしたほうがうまい。
冷蔵庫に入れておくと、さらに味が馴染んでうまくなる。
このブログにも毎回登場するチェブラーシカのぬいぐるみチェブ夫は、
最近はすっかり感情移入するようになってしまい、
ぼくにとって一つの人格を持った、相棒のような存在になっている。
飲み屋などにも連れて行き、カウンターに座らせて飲むという、
おっさんとしてはかなり気持ち悪い行為も平気でしたりする。
そうやって小動物的存在に感情移入する楽しさを知ってしまい、
実は最近、本当の小動物を飼ってみたいという思いが、
むくむくと湧き上がってきている。
猫などなら狭い部屋で室内飼いをしても大丈夫だと聞くし、
1~2泊なら一人で留守番もしてくれるそうだ。
家に帰ってきたら猫がやってきて、「ニャ~」と甘えてきたりしたら、
どんなに可愛いだろうとあれこれ夢想する。
もちろん動物は飼い始めたら、世話をし続けないといけないから、
時間もお金もかかることだし、そう安易には決められない。
ただぼくは、10年我慢したエレキギターも、
後先考えずに買ってしまった実績もあるし、
猫も、気が狂って飼ってしまうのではないかという気が、
自分でもしなくもない。
「おっさんがいないときは、ぼくが猫と遊んであげるよ。」
お前が猫にボロボロにされないかも、心配の一つなんだよ。