「学者」と名のつく人のほとんどがクズだということは、
福島第一原発事故が起こってよく分かったことだったと思うが、
中には少数ながら例外もいる。
その少ない例外の一人として、G.D グリーンバーグがあげられることを、
ぼくは今回、彼の著書 『日本は、』 を読んではっきりと思った。
グリーンバーグ氏を知ったのは、ツイッターで誰かが引用していたのが
きっかけだったと思う。
一日に数本が投稿される氏のツイートは、内容はひどくキツイのに、
アメリカ人らしいウィットやユーモアに包まれていて、
いつも「クスリ」と笑わされた。
そのうちグリーンバーグ氏は著書の宣伝ツイートを始めた。
出版社があまり宣伝してくれないので、自分で宣伝しなければ
いけないのだそうだ。
その宣伝ツイートにまんまと引っかかり、
ぼくはこの 『日本へ、』 をアマゾンで買った。
『日本へ、』 は、グリーンバーグ氏が自身のツイートをまとめたものだ。
出版は1年前だから、それ以前のものということになるのだと思う。
ツイートだから、全編が140文字以下の短文で構成されている。
ストーリーや論理的なつながりはなく、脈絡なくあれこれの話題が出てくるから、
「コラージュのようだ」とぼくは思った。
冒頭は、
「新自由主義」とは「自由に人を不自由にする経済」。さらに言えば「アメリカが他の国を不自由にする経済」というものから始まる。
さらに、
つまるところ、日本は歩行者が奥ゆかしすぎるのである。歩行者が車を尊重しすぎている図式。その最たるものが、車を優先させるために、子供や老人にまで階段の上り下りの苦しみを強いる謎の装置、歩道橋。とつづく。
ぼくは迂闊にも、この本を夜中の3時に、睡眠薬の代わりと思って読みはじめた。
しかしこの本が睡眠薬の代わりにならないことは、ぼくが朝の7時までかかって、
この本を読破してしまったことから証明済みだ。
この本の中には、数々の珠玉の短文が収められている。
ぼくが「最も重要だ」と思うものだけに付箋を付けていっても、
優に50は超えてしまった。
短文同士に脈絡はなくても、一つ一つの短文が面白いから、
グイグイ読み進むことができる。
短文のテーマも、政治経済から日本のミュージックシーン、
勉強や仕事をする上でのハウトゥー、日本の芸能界、日本の野球など幅広く、
途中で飽きることはない。
しかしもちろん、この本は単に短文を脈絡なく寄せ集めたものではない。
全体として読者に伝えたいことをはっきりと持っている。
それを著者は、[はじめに]で
「差別や貧困や原発や戦争をなくす叡智」
と表現し、
(特に震災以降、はぐらかされ、見えない形で温存されることが多い問題の本質を)、私は、むき出しにしたい。卵の殻を割り、その中にある問題の本質という名の黄身を世の中にさらしたいのだ。と語る。
その「問題の本質」がどのようなものなのかは、
実際にこの本を読んで自分で感じてもらうこととして、
ぼくはこの本の[おわりに]を読み終わったとき、涙が出た。
グリーンバーグ氏の日本に対する深い愛情と、日本の若い人を
応援したいと思う強い気持ちを感じたからだ。
氏はこの本の中で、実に流暢な日本語をあやつる。
もうそれだけで、氏がどれだけ日本に愛着を感じているかは
十分に示されていると思う。
ぼくは学者には、「愛」が必要だと思う。
愛のない学者が作った最たるものが、原子爆弾だ。
グリーンバーグ氏はその愛を、惜しみなく日本へ、
そして日本人へ注いでいる。
ぼくはこの本を読んで、グリーンバーグ氏が大好きになった。
「おっさんも頑張らなくちゃね。」
まだまだやることは残っているよ。
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