今日昼めしを食った、ディープ食堂「きたまち」で、おかずに鯛の頭を焼いたのがあって、それを食べようかと思ったら、鶏の脚を食べんさい、ということになったのだが、鯛の頭って、そういえば今まで焼いたことなかったなと思って、塩焼きにしてみたのだ。いやこれはうまいな。なぜもっと早くやらなかった、って感じ。
それからピーマンとなすの味噌炒め。これもきたまちで似たようなもの食べたのだが、自分でも作りたくなってしまった。なすとピーマンをごま油で炒め、最後に味噌ダレを入れるだけだが、しかもこの味噌ダレ、
「チゲの素」というのを使ったから、それを入れておしまい。これ、この程度の味噌ダレなら自分で調合できるようになったので、もう使わなくてもいいのだが、以前買い置きしてあるものがまだあって、賞味期限もすでに切れ、使い切ってしまわないといけないのだ。
あとは冷奴に梅干し。酒はアカプルコ。
2009-09-30
昼めし 庚午北「大衆食堂 きたまち」
朽ちかけたボロい外観、家から至近でもあり、いつも気になって、このあまりのボロさに、かなりの引力を感じてはいたのだが、これまで食堂にはあまり興味がなかったのと、勇気もなくて、入ったことがなかったのだ。しかしこのところ、恵美とか、味松とか、食堂に親しむようになったこともあり、行ってみようと思い立ったのだ。
引き戸を開けた瞬間、ちょっと後悔した。整理という観念の微塵も感じられない、物であふれ返った店内、4、5人が座れるテーブルが左右に2卓あるのだが、箸立てだの調味料置きだの皿だの雑誌だののあいだに、鯛の頭の焼いたのとか、さばやさんま、などなどのおかずが、無造作に並べられている。換気が悪いのだろう、そのおかずの臭いが混ざり合い、店内に充満している。お客は6人、ほぼ満員、おいちゃん5人におばちゃん1人、それが昼から、全員ビールを飲み、赤い顔をしていて、将棋なんか打ってる人もいる。僕が戸を開けると、全員こっちをぎょろっと見て、僕が「こんにちは」と言っても相手は無言。僕が何をしに来たのか、すぐにはわからなかったらしい。お客だとようやくわかると、奥にいたおばちゃんを呼んでくれて、なんとか席に座ることができた。
おばちゃんは、85歳、腰が90度に曲がっていて、絵に描いたようなおばあさんだ。もうこの店を始めて44年になると言う。半ばぼけているような感じもするのだが、毎日休みなしで、朝の8時から、夜は12時まで、途中の休憩もなしで営業しているのだそうだ。すごい元気だな。何を食べようか、置いてあるおかずを色々眺めていたら、鶏の脚を焼いたのがあるから、若い人はそれを食べろと言われて、そうすることにした。それに、なすの味噌炒め。
小皿のたけのこと豚肉の炒めたのは、お客のおばちゃんが、自分で作ったのを持ち込んできたのを、僕にもおすそ分けしてくれたのだ。ご飯は「中」というのを頼んだのだが、大きめのご飯茶碗に山盛りが出てきた。
お新香も出てきた。
あとは豆腐とわかめの味噌汁。出来立てでうまい。僕が注文してから作ったようだ。
これでなんと700円。鶏の脚は300円だそうだ。ほとんど原価だな。味はどれもおいしく、まあ完全に家庭の味だよな。これは食堂というより、おばちゃんの家で、お客は家族なんだな。
周りのお客さんはまた、当然僕を1人にしておくはずもなく、自分は昼から酒を飲んでいるが、ちゃんと朝の5時から10時まで仕事をして、それが終わって一杯飲んでるんだ、だの、俺は10代のころから酒を飲み始め、今じゃ毎日、朝から飲んでて、内臓がちゃんと酒を受け入れるように慣れてるから、いくら飲んでも大丈夫なんだ、だの、今の大相撲は八百長ばかりで、今回の朝青龍の優勝だって、そのうち11勝は八百長なんだから、こんな大相撲は俺はもう嫌いだ、だの、さんざん話の相手をさせられて、帰りはまた来てね、また来てね、と言われて店を出た。
いやー、すごいな。扉一枚を隔てた、あまりにディープな世界。まさか仕事の昼休みに、こんな世界を経験するとは思わなかった。今度休日の朝ビールに、ここに来てみるのも悪くないかもな。
きたまち食堂 (定食・食堂 / 東高須、高須、広電西広島(己斐))
★★★☆☆ 3.0
引き戸を開けた瞬間、ちょっと後悔した。整理という観念の微塵も感じられない、物であふれ返った店内、4、5人が座れるテーブルが左右に2卓あるのだが、箸立てだの調味料置きだの皿だの雑誌だののあいだに、鯛の頭の焼いたのとか、さばやさんま、などなどのおかずが、無造作に並べられている。換気が悪いのだろう、そのおかずの臭いが混ざり合い、店内に充満している。お客は6人、ほぼ満員、おいちゃん5人におばちゃん1人、それが昼から、全員ビールを飲み、赤い顔をしていて、将棋なんか打ってる人もいる。僕が戸を開けると、全員こっちをぎょろっと見て、僕が「こんにちは」と言っても相手は無言。僕が何をしに来たのか、すぐにはわからなかったらしい。お客だとようやくわかると、奥にいたおばちゃんを呼んでくれて、なんとか席に座ることができた。
おばちゃんは、85歳、腰が90度に曲がっていて、絵に描いたようなおばあさんだ。もうこの店を始めて44年になると言う。半ばぼけているような感じもするのだが、毎日休みなしで、朝の8時から、夜は12時まで、途中の休憩もなしで営業しているのだそうだ。すごい元気だな。何を食べようか、置いてあるおかずを色々眺めていたら、鶏の脚を焼いたのがあるから、若い人はそれを食べろと言われて、そうすることにした。それに、なすの味噌炒め。
小皿のたけのこと豚肉の炒めたのは、お客のおばちゃんが、自分で作ったのを持ち込んできたのを、僕にもおすそ分けしてくれたのだ。ご飯は「中」というのを頼んだのだが、大きめのご飯茶碗に山盛りが出てきた。
お新香も出てきた。
あとは豆腐とわかめの味噌汁。出来立てでうまい。僕が注文してから作ったようだ。
これでなんと700円。鶏の脚は300円だそうだ。ほとんど原価だな。味はどれもおいしく、まあ完全に家庭の味だよな。これは食堂というより、おばちゃんの家で、お客は家族なんだな。
周りのお客さんはまた、当然僕を1人にしておくはずもなく、自分は昼から酒を飲んでいるが、ちゃんと朝の5時から10時まで仕事をして、それが終わって一杯飲んでるんだ、だの、俺は10代のころから酒を飲み始め、今じゃ毎日、朝から飲んでて、内臓がちゃんと酒を受け入れるように慣れてるから、いくら飲んでも大丈夫なんだ、だの、今の大相撲は八百長ばかりで、今回の朝青龍の優勝だって、そのうち11勝は八百長なんだから、こんな大相撲は俺はもう嫌いだ、だの、さんざん話の相手をさせられて、帰りはまた来てね、また来てね、と言われて店を出た。
いやー、すごいな。扉一枚を隔てた、あまりにディープな世界。まさか仕事の昼休みに、こんな世界を経験するとは思わなかった。今度休日の朝ビールに、ここに来てみるのも悪くないかもな。
きたまち食堂 (定食・食堂 / 東高須、高須、広電西広島(己斐))
★★★☆☆ 3.0
2009-09-29
晩めし さんま塩焼き
しかしさんまってのは、どうしてこうもうまいかな。さんまの歌とか、作りたくなるな。作れないけど。しかも塩焼き、さばは何度やっても失敗するのに、さんまはまだ失敗したことない。弱火で焼くという反則を犯していたにもかかわらず、うまかった。さんまは今のところ、いくらでも獲れるのだそうだ。生では消費しきれないから、塩漬けにしたりするのだとのこと。こんないいやつ、いないな。
であとは、ほうれん草のおしたし、ナスの塩もみ、冷奴、梅干し。酒はもちろん、アカプルコ、ブラックニッカの麦茶割りだ。
であとは、ほうれん草のおしたし、ナスの塩もみ、冷奴、梅干し。酒はもちろん、アカプルコ、ブラックニッカの麦茶割りだ。
2009-09-28
昼めし 本川町「かれえやばばじ」
昼はカレー屋、夜は有機野菜を中心とした定食とお酒の店になるこの「ばばじ」、とにかく洒落ているんだな。すべての物事が、「おしゃれ」というその一点に向けて、収束しているような感じだ。
ビルの半地下みたいな場所にあって、たぶんもともと倉庫として利用されていたりとかしたんじゃないか、中もコンクリート打ちっぱなしで、天井の配管なんかもむき出し、壁と床には水色のペンキが塗られているだけ、というところに、入り口の扉と中のテーブルや椅子は、こげ茶の渋いものが置かれていて、テーブルと椅子は、一卓一卓全部違う。照明や、皿やら器やらの調度品もこれまた渋い。
座った席の脇に、骨董の雑誌が積まれていたから、たぶん店主は思う存分、自分の趣味をここに注ぎ込んだのだろうなという感じだ。
昨日高速のサービスエリアで中途半端なカレーを食べてしまったおかげで、今日はちゃんとしたカレーが食べたくなってしまい、この店の「和風カレー」というのをまだ食べていなかったのを思い出して、来てみたわけなのだが、その和風カレー、ご飯多めで750円。カレーソースにはえのきとなすが一緒に煮込まれていて、ご飯には半熟のオムレツ、焼いたピーマンと海苔のトッピング、和風の漬物が添えられている。カレーの味は、たしかに和風、カレーうどんの汁みたいな感じで、和風だしに醤油とかみりんとかが加えられているんだろうな。たしかにおしゃれで、普通においしいのだけれど、まあしかし、それ以上の何かというものはない。麻生前総理が、達筆な毛筆で、廿日と書けばいいところ「廿十日」と書いてしまうような、ちょっとそんな感じかな。
ばばじ (カレーライス / 本川町、十日市町、原爆ドーム前)
★★★★☆ 4.0
ビルの半地下みたいな場所にあって、たぶんもともと倉庫として利用されていたりとかしたんじゃないか、中もコンクリート打ちっぱなしで、天井の配管なんかもむき出し、壁と床には水色のペンキが塗られているだけ、というところに、入り口の扉と中のテーブルや椅子は、こげ茶の渋いものが置かれていて、テーブルと椅子は、一卓一卓全部違う。照明や、皿やら器やらの調度品もこれまた渋い。
座った席の脇に、骨董の雑誌が積まれていたから、たぶん店主は思う存分、自分の趣味をここに注ぎ込んだのだろうなという感じだ。
昨日高速のサービスエリアで中途半端なカレーを食べてしまったおかげで、今日はちゃんとしたカレーが食べたくなってしまい、この店の「和風カレー」というのをまだ食べていなかったのを思い出して、来てみたわけなのだが、その和風カレー、ご飯多めで750円。カレーソースにはえのきとなすが一緒に煮込まれていて、ご飯には半熟のオムレツ、焼いたピーマンと海苔のトッピング、和風の漬物が添えられている。カレーの味は、たしかに和風、カレーうどんの汁みたいな感じで、和風だしに醤油とかみりんとかが加えられているんだろうな。たしかにおしゃれで、普通においしいのだけれど、まあしかし、それ以上の何かというものはない。麻生前総理が、達筆な毛筆で、廿日と書けばいいところ「廿十日」と書いてしまうような、ちょっとそんな感じかな。
ばばじ (カレーライス / 本川町、十日市町、原爆ドーム前)
★★★★☆ 4.0
2009-09-26
晩めし さわらカマ塩焼き、玉ねぎ入りあげはん
今日は恵美でもらったさわらのカマを塩焼きしたのと、「中央大崎」で買った、玉ねぎ入りのあげはん。
さわらのやつ、焼いたら口を開いてガオーと、恐竜みたいな獰猛な感じになったのだが、味はさばを上品にしたような感じ。ごろっとした頭が丸ごとだったので、狭いグリルで焼くのはなかなか難しかったが、中火でじっくりやってみたら、そこそこうまく焼けたかな。恵美のおばちゃんは、魚はグリルで上から火を当てるより、網を買って下から火を当てたほうが、おいしく焼けると思うと言ってたから、今度試してみようかな。
あげはん。玉ねぎの香ばしい風味がして、酒のつまみにはもってこい。中央大崎のおすすめ品。
さわらのやつ、焼いたら口を開いてガオーと、恐竜みたいな獰猛な感じになったのだが、味はさばを上品にしたような感じ。ごろっとした頭が丸ごとだったので、狭いグリルで焼くのはなかなか難しかったが、中火でじっくりやってみたら、そこそこうまく焼けたかな。恵美のおばちゃんは、魚はグリルで上から火を当てるより、網を買って下から火を当てたほうが、おいしく焼けると思うと言ってたから、今度試してみようかな。
あげはん。玉ねぎの香ばしい風味がして、酒のつまみにはもってこい。中央大崎のおすすめ品。
朝ビール
恵美にて。今日は天気もいいし、ちんたらママチャリで、サイクリングを兼ねてやって来た。恵美は朝の4時から、午後3時までやってるが、午前中とか、午後1時以降とか、空いた時間だとおばちゃんも話し相手になってくれるし、居心地いいんだよな。でもどんな時間に行っても、お客が僕だけだったことはまずなくて、今日も赤ちゃん連れの夫婦が来たりしていた。
いやしかし、休日の朝ビール、これ程のものはなかなかないな。今日も朝いつもの時間に起きて、新聞読んで、二度寝して、恵美で朝ビール、それで帰って昼寝するわけだ。完璧な休日だな。
おかずを2、3品、出してくれ、と言ったら、出てきたのがこれ。上の小鉢は大根のなますに、さわらを焼いてほぐしたのが、皮と一緒に入っている。大根とさわら、よく合うんだな。それに焼きなすに、厚揚げや鶏肉の入った煮物。こういうものは、家じゃなかなか食べられないでしょう、と言って出してくれるのだが、その通り、絵に描いたようなおふくろの味、たしかに僕は、こういうものに飢えているということはあるな。
ビールを飲み終わったら、味噌汁。
そして寿司。この寿司は今日も、100ぺんは死んだな。左下からさわら、えび、いか、鯛、そしてサーモン、かんぱち、鯛。L字型になったカウンターの、手前の奥、カウンターの中がよく見える場所に座ったのだが、いや大したものなんだ、おばちゃんの包丁さばき。さわらも鯛も、一匹丸々のものを、その場であっという間に下ろしていた。見た目はただのおばちゃんなのだが、実はすごいのだ。
勘定は、ビール一本にこれだけ食べて、1,750円。塩をふって焼けと言ってさわらの頭をもらい、さらに同じ関連棟の中にある「中央大崎」であげはんを買い、晩めしの仕込みもばっちり。
帰りには海を眺めて、太陽も風も気持ちよくて、癒されるんだよな。今日はそのまま土手沿いに行ってみたら、家までまっすぐ帰れることがわかった。
いやしかし、休日の朝ビール、これ程のものはなかなかないな。今日も朝いつもの時間に起きて、新聞読んで、二度寝して、恵美で朝ビール、それで帰って昼寝するわけだ。完璧な休日だな。
おかずを2、3品、出してくれ、と言ったら、出てきたのがこれ。上の小鉢は大根のなますに、さわらを焼いてほぐしたのが、皮と一緒に入っている。大根とさわら、よく合うんだな。それに焼きなすに、厚揚げや鶏肉の入った煮物。こういうものは、家じゃなかなか食べられないでしょう、と言って出してくれるのだが、その通り、絵に描いたようなおふくろの味、たしかに僕は、こういうものに飢えているということはあるな。
ビールを飲み終わったら、味噌汁。
そして寿司。この寿司は今日も、100ぺんは死んだな。左下からさわら、えび、いか、鯛、そしてサーモン、かんぱち、鯛。L字型になったカウンターの、手前の奥、カウンターの中がよく見える場所に座ったのだが、いや大したものなんだ、おばちゃんの包丁さばき。さわらも鯛も、一匹丸々のものを、その場であっという間に下ろしていた。見た目はただのおばちゃんなのだが、実はすごいのだ。
勘定は、ビール一本にこれだけ食べて、1,750円。塩をふって焼けと言ってさわらの頭をもらい、さらに同じ関連棟の中にある「中央大崎」であげはんを買い、晩めしの仕込みもばっちり。
帰りには海を眺めて、太陽も風も気持ちよくて、癒されるんだよな。今日はそのまま土手沿いに行ってみたら、家までまっすぐ帰れることがわかった。
2009-09-25
昼めし 庚午南「味松」
これまでこの店には何度か来て、それなりにおいしい店であることは間違いないのだが、所々に意味のよくわからないこだわりがあって、もしかしたらこの店は、意外に奥深い味わいがあるのかも知れないと思い、「恵美」の合間を縫って、通っているというわけなのだ。
今日は「豚ヒレカツカレー」、800円。普通のカレーは500円かな。カレーは一方の極に「おうちのカレー」があり、もう一方にはインド料理屋があって、中間には「インド風日本のカレー」というのもあったりして、そのどこに位置するのかで、その店のポリシーがわかるかなと思い、注文してみたのだ。この店のカレールーは、おうちのカレーと、インド風日本のカレーの、さらに中間、という感じ。ちょっとスパイスの効いた、おうちのカレーだ。普通だな、まあ。
しかしここで注目すべきなのは、べきなのか、豚ヒレカツだ。なぜヒレなのか、ということだな。この店は、トンカツ定食も、ヒレ肉しかないのだ。だいたいがこの店、基本は「量が勝負」と見た。このカレーもすごい量で、ヒレカツも薄いが8枚も入っていて、ご飯もルーも量が多く、朝うどんしか食べていない僕でも、最後は苦しくなるくらいだったのだが、だったらなぜロースにしないのか。ヒレ肉より安いから、量を増やせるだろう。何かあるんだな、ポリシーが。ロースではなくヒレでなければいけない、店主にしかわからない理由があるのだ。あまり知りたくもないが、そんな理由。
今日はこの店で女性を、初めて、二人も見た。どちらも僕と同い年か、ちょっと上くらいのおばさまだが。だが、は失礼だ。メニューによっては「少なめ」という表示がされているのがあって、値段が少し割引になっているから、そういうのを食べるんだろうな。基本は大盛りということだ。すごいな。
味松 (定食・食堂 / 古江、草津)
今日は「豚ヒレカツカレー」、800円。普通のカレーは500円かな。カレーは一方の極に「おうちのカレー」があり、もう一方にはインド料理屋があって、中間には「インド風日本のカレー」というのもあったりして、そのどこに位置するのかで、その店のポリシーがわかるかなと思い、注文してみたのだ。この店のカレールーは、おうちのカレーと、インド風日本のカレーの、さらに中間、という感じ。ちょっとスパイスの効いた、おうちのカレーだ。普通だな、まあ。
しかしここで注目すべきなのは、べきなのか、豚ヒレカツだ。なぜヒレなのか、ということだな。この店は、トンカツ定食も、ヒレ肉しかないのだ。だいたいがこの店、基本は「量が勝負」と見た。このカレーもすごい量で、ヒレカツも薄いが8枚も入っていて、ご飯もルーも量が多く、朝うどんしか食べていない僕でも、最後は苦しくなるくらいだったのだが、だったらなぜロースにしないのか。ヒレ肉より安いから、量を増やせるだろう。何かあるんだな、ポリシーが。ロースではなくヒレでなければいけない、店主にしかわからない理由があるのだ。あまり知りたくもないが、そんな理由。
今日はこの店で女性を、初めて、二人も見た。どちらも僕と同い年か、ちょっと上くらいのおばさまだが。だが、は失礼だ。メニューによっては「少なめ」という表示がされているのがあって、値段が少し割引になっているから、そういうのを食べるんだろうな。基本は大盛りということだ。すごいな。
味松 (定食・食堂 / 古江、草津)
2009-09-24
晩めし さんまの煮付け
さんまを煮付けてみたいとは前から思っていて、恵美でも食べたのだが、コトコト長い時間煮ると、さんまは骨まで食べられるようになるのだ。ってつい最近知ったことを、さも昔から知っているかのように知ったかぶりするのが、僕の癖なわけなのだが。恵美のおばちゃんも、それには1時間くらいは煮るのだと言っていたし、今日マダムジョイ鮮魚コーナーのおいちゃんに聞いたら、2時間と言っていて、圧力鍋を使えば短い時間で済むらしいが、僕はそのような文明の利器は持っていないし、なので普通にさっと、煮付けることにした。
しかし味はこってりめ。煮汁はカップ1の水に酒1/2カップ、砂糖大さじ3、みりん大さじ3、ちなみにこの大さじというのは、計量スプーンじゃなく、普通のカレーとかを食べるスプーンです、それに薄切りのショウガ一かけ分、強火の中火にかけて沸騰したら、頭を落として半分に切って、はわわたをかき出したさんまと、軽く下ゆでしたごぼうを入れ、落し蓋をして5分、醤油大さじ2を入れて、さらに3分、でまた醤油大さじ2を入れ、最後は強火にして煮汁を煮詰めて、計12~13分。さんまはふっくら、ごぼうにも芯まで味がしみて、なかなかおいしくできましたとさ。
しかし味はこってりめ。煮汁はカップ1の水に酒1/2カップ、砂糖大さじ3、みりん大さじ3、ちなみにこの大さじというのは、計量スプーンじゃなく、普通のカレーとかを食べるスプーンです、それに薄切りのショウガ一かけ分、強火の中火にかけて沸騰したら、頭を落として半分に切って、はわわたをかき出したさんまと、軽く下ゆでしたごぼうを入れ、落し蓋をして5分、醤油大さじ2を入れて、さらに3分、でまた醤油大さじ2を入れ、最後は強火にして煮汁を煮詰めて、計12~13分。さんまはふっくら、ごぼうにも芯まで味がしみて、なかなかおいしくできましたとさ。
昼めし 「恵美」
連休明け、これは言うまでもなく恵美なわけだ。休み明けだと、時々さらに休みだったり、仕込が不調だったり、することもあるのだが、今日はそのようなことはなく、すべて大丈夫みたいだった。今女将のお姉さんが、手伝いに来ているからな。お姉さんは女将のお師匠さんなのだそうだ。ラーメンの仕込み方も、このお姉さんが色んな人に教えを乞い、試行錯誤しながら確立したやり方を、女将はレシピとして受け継いだ。次女っていうのはそうだよな、要領良く育つのだ。で、今はそのお姉さんと二人で店を回しているから、片付け物が残ったままになることもなく、混んだ時間に行っても気持ちよく座れる。まあしかし僕は、片付け物が残ったままになっていても、別にいいんだが。
今日は僕のブログを見てこの店に来たという、小さな子供と、ご主人らしき男性を連れた女性と、偶然出くわした。「ファンなんです、頑張ってください」とか言ってもらって、僕はこのブログは、自分が日常的に文章を書くきっかけにしたいと思ってやっていて、このブログを通して人と出会うということは、それほど重視していないのだけれど、やはり素直に嬉しかった。ランキングも、それを上げることは目的にはしていないけど、やはり上がると嬉しいし、下がるとがっかりするしな。だいたい文章を書くということが、それを読んでくれる人がいて初めて、成立することだからな。人間は一人じゃ生きられない、ってこった。
で、もちろんのこと、今日は基本のラーメン。
それに寿司。
ラーメンはこのところ、けっこう安定している。「陽気」とかでも感じる、広島ラーメン独特のすえた風味、ちょっと酸っぱいというか、味噌みたいな感じというか、またそれは、いわゆる豚骨の臭みとはちょっと違うわけだが、それが毎回変わらずに出ていて、僕はこの味は好きだな。
寿司は白子のあぶったの、かんぱち、アジ、そしてウニ、ねぎトロ、アジ。いつも何かかにか、アピールがあるんだよな。今日の場合は白子だが。店の味がうまいかまずいかというのは、やっぱり作る人が、食べる人に対して、自分の真心、ってちょっとクサい言葉だが、そういうものを伝えようとしているかどうか、ってことに、全てがかかっているんだということを、改めて感じるよな。
そして帰りは、アルパークの無印良品に寄って、ポットの下に敷くプレート、やっと購入。これで雑誌の上にポットを載せたりしなくて済むようになったというわけだ。
今日は僕のブログを見てこの店に来たという、小さな子供と、ご主人らしき男性を連れた女性と、偶然出くわした。「ファンなんです、頑張ってください」とか言ってもらって、僕はこのブログは、自分が日常的に文章を書くきっかけにしたいと思ってやっていて、このブログを通して人と出会うということは、それほど重視していないのだけれど、やはり素直に嬉しかった。ランキングも、それを上げることは目的にはしていないけど、やはり上がると嬉しいし、下がるとがっかりするしな。だいたい文章を書くということが、それを読んでくれる人がいて初めて、成立することだからな。人間は一人じゃ生きられない、ってこった。
で、もちろんのこと、今日は基本のラーメン。
それに寿司。
ラーメンはこのところ、けっこう安定している。「陽気」とかでも感じる、広島ラーメン独特のすえた風味、ちょっと酸っぱいというか、味噌みたいな感じというか、またそれは、いわゆる豚骨の臭みとはちょっと違うわけだが、それが毎回変わらずに出ていて、僕はこの味は好きだな。
寿司は白子のあぶったの、かんぱち、アジ、そしてウニ、ねぎトロ、アジ。いつも何かかにか、アピールがあるんだよな。今日の場合は白子だが。店の味がうまいかまずいかというのは、やっぱり作る人が、食べる人に対して、自分の真心、ってちょっとクサい言葉だが、そういうものを伝えようとしているかどうか、ってことに、全てがかかっているんだということを、改めて感じるよな。
そして帰りは、アルパークの無印良品に寄って、ポットの下に敷くプレート、やっと購入。これで雑誌の上にポットを載せたりしなくて済むようになったというわけだ。
2009-09-23
昼めし 「与壱」のラーメン
久しぶりに横川方面へ遠征。こちらにはうまい店が色々あるが、昼に一軒選ぶなら、やはりここだよな。
当然まずビール。
おつまみチャーシュー、300円。ここのチャーシューは、ぷりぷりしていてうまい。
らーめん、580円。豚骨だしのコクを前面に出したスープ。でもまったく臭みはない。僕はこのタイプの広島ラーメン、どちらかというとあまり好みではなくて、鶏がらとかが色々、混ざっているほうが好きなのだが、ここのは丁寧に作っている感じがして、好感が持てるよな。
麺は、原田製麺というところのものらしい。広島ラーメンでよく使われる麺なのだが、これがちょっとごわっとした感じがして、うまいんだよな、なんとも。
らーめん与壱 (ラーメン / 横川、横川駅、三滝)
当然まずビール。
おつまみチャーシュー、300円。ここのチャーシューは、ぷりぷりしていてうまい。
らーめん、580円。豚骨だしのコクを前面に出したスープ。でもまったく臭みはない。僕はこのタイプの広島ラーメン、どちらかというとあまり好みではなくて、鶏がらとかが色々、混ざっているほうが好きなのだが、ここのは丁寧に作っている感じがして、好感が持てるよな。
麺は、原田製麺というところのものらしい。広島ラーメンでよく使われる麺なのだが、これがちょっとごわっとした感じがして、うまいんだよな、なんとも。
らーめん与壱 (ラーメン / 横川、横川駅、三滝)
小林秀雄全作品17 私の人生観
小林秀雄全作品、今回は面白かった。昭和24年だから、戦後4年目、小林秀雄47歳、僕と同い年だな、の作品が収められているのだが、戦争が終わってこれまで3年は、小林秀雄、解説を見ると戦後すぐ、お母さんが亡くなったり、あと小林秀雄は戦時の翼賛体制に協力したと中傷を浴びたりもしたようで、そういうことも関係あるのかも知れない、なんとなく気が抜けたようなというか、山に籠ってモーツアルトとか、ドストエフスキーとか、自分の好きなことばかりしていた、という感じがしてたんだな。ところが今回やっと、里に下りてきて、僕たちの前に現れ、すっくと二本の足で立ち上がってくれた、という感じがしたのだ。
圧巻なのは、この巻の表題にもなっている、「私の人生観」。これは雑誌に発表したのではなく、単行本として出したらしい。文庫本で読んだ時も大変面白かった記憶があるのだが、今回読み始めたら釘付けになって、昼めしを食うのも忘れ、最後まで目を離すことができなかった。
講演を文字に起こしたという体裁になっていて、そういう形自体はこれ以前にもあるのだが、違いは、おそらく講演の内容の間あいだに、圧倒的な量の加筆がされているのだ。それで講演の部分の「です、ます」調と、加筆部分のものだろう、「だ、である」調が交互に現れるという、独特の変体な文体になっていて、これは「考えるヒント」の中の文章なんかでもお馴染みのものなのだが、それが緊張と弛緩を繰り返す、何とも言えぬ迫力のあるリズムを生み出すのだ。これはここから始まったということなんだな。
講演は専門家に対してでなく、一般の人に対して行われていて、「です、ます」調というのも、そのことを示しているわけだが、だから、この文章は文芸の専門家や、それに興味がある特別な人ではなく、一般の人、つまり僕、に向けられて書かれている。主題も「私の人生観」だから、モーツアルトとかドフトエフスキーとかいうより、全然一般的だよな。待ってたよ、秀雄、って感じだ。
内容だが、それはここでかいつまんで言うことはできない。読んでくれ、としか言えないな。ただ言えるとしたら、小林秀雄は自分のあらゆる背景、若いころ学んだフランスの文学や哲学から、ここ10数年で学び始めた日本の古典まで、そのすべてを動員して、現代の日本の持つ問題点、この「現代」は60年前だが、今と根本的には変わっていないと思うし、たぶん問題はより深刻になっているんじゃないかと思う、を鋭く指摘し、さらにそれだけでなく、それを乗り越えて未来に向かう方向までを、はっきりと示している、ということなのだ。それを単行本にまでして出しているのだから、これは単に批評家ではない、思想家としての小林秀雄誕生の、決意表明とも言えるものだな。
ちなみに、この「私の人生観」の前後に発表されている、いくつかの短編も興味深くて、まず「中原中也の思い出」。小林秀雄は二十歳頃、友達だった中原中也の恋人を奪い取ってしまって、その彼女と2年くらい、一緒に暮らしていたのだが、その事はこれまで、中原中也については何度か書いてはいるものの、一切触れてはいなかったのだが、ここで初めて、詳しく書かれている。何らかの大きな心境の変化があったのだろうと思うのだが、でもそれがただ告白ということに留まっておらず、小林秀雄が言う、「中原中也の心の底にいつもあった悲しみ」というものを、小林秀雄自身を媒介としながら、読者に切ないまでに伝えるという、小林秀雄の文章としてはこれまで、あまり見たことがない深みに進めることに成功している。小林秀雄はこれまで、なんだかんだ言っても、書こうとする対象の外側に、自分を置いていたと思うのだ。それが批評家の死守すべき位置だということなのだと思うのだが、思想家たらんとした時には、書こうとする対象が、モーツアルト、とか、ドストエフスキーとかいうように明確ではないわけだから、自分自身を対象の側にも、置かなくてはいけないことになるわけだよな。この「中原中也の思い出」は、文庫で読んだ時には、鮮烈な印象があったものの、なんとなく偽善的な感じもしたとこがあったのだが、今回全集という、小林秀雄の人生の文脈に置いて再読してみると、その意味がよくわかった。
それから「私の人生観」に続いて発表された、「秋」と「酔漢」という短編も、奈良東大寺での秋の風景や、泥酔した友人と汽車で旅をするという、日常の風景を描きながら、その中に、小林秀雄自身が、考えようとしていること、それはフランス文学のことだったり、モーツアルトのことだったりするのだが、そういうものが盛り込まれている。こういうスタイルの、日常の風景に自分の思想を盛り込んだり、しかもその思想が、自分なりに完結したものではなく、発展途上のものだったりすることは、これまであまりなかった。大きな変化なんだよな、やっぱり。
小林秀雄全作品〈17〉私の人生観
考えるヒント (文春文庫)
私の人生観 (角川文庫)
圧巻なのは、この巻の表題にもなっている、「私の人生観」。これは雑誌に発表したのではなく、単行本として出したらしい。文庫本で読んだ時も大変面白かった記憶があるのだが、今回読み始めたら釘付けになって、昼めしを食うのも忘れ、最後まで目を離すことができなかった。
講演を文字に起こしたという体裁になっていて、そういう形自体はこれ以前にもあるのだが、違いは、おそらく講演の内容の間あいだに、圧倒的な量の加筆がされているのだ。それで講演の部分の「です、ます」調と、加筆部分のものだろう、「だ、である」調が交互に現れるという、独特の変体な文体になっていて、これは「考えるヒント」の中の文章なんかでもお馴染みのものなのだが、それが緊張と弛緩を繰り返す、何とも言えぬ迫力のあるリズムを生み出すのだ。これはここから始まったということなんだな。
講演は専門家に対してでなく、一般の人に対して行われていて、「です、ます」調というのも、そのことを示しているわけだが、だから、この文章は文芸の専門家や、それに興味がある特別な人ではなく、一般の人、つまり僕、に向けられて書かれている。主題も「私の人生観」だから、モーツアルトとかドフトエフスキーとかいうより、全然一般的だよな。待ってたよ、秀雄、って感じだ。
内容だが、それはここでかいつまんで言うことはできない。読んでくれ、としか言えないな。ただ言えるとしたら、小林秀雄は自分のあらゆる背景、若いころ学んだフランスの文学や哲学から、ここ10数年で学び始めた日本の古典まで、そのすべてを動員して、現代の日本の持つ問題点、この「現代」は60年前だが、今と根本的には変わっていないと思うし、たぶん問題はより深刻になっているんじゃないかと思う、を鋭く指摘し、さらにそれだけでなく、それを乗り越えて未来に向かう方向までを、はっきりと示している、ということなのだ。それを単行本にまでして出しているのだから、これは単に批評家ではない、思想家としての小林秀雄誕生の、決意表明とも言えるものだな。
ちなみに、この「私の人生観」の前後に発表されている、いくつかの短編も興味深くて、まず「中原中也の思い出」。小林秀雄は二十歳頃、友達だった中原中也の恋人を奪い取ってしまって、その彼女と2年くらい、一緒に暮らしていたのだが、その事はこれまで、中原中也については何度か書いてはいるものの、一切触れてはいなかったのだが、ここで初めて、詳しく書かれている。何らかの大きな心境の変化があったのだろうと思うのだが、でもそれがただ告白ということに留まっておらず、小林秀雄が言う、「中原中也の心の底にいつもあった悲しみ」というものを、小林秀雄自身を媒介としながら、読者に切ないまでに伝えるという、小林秀雄の文章としてはこれまで、あまり見たことがない深みに進めることに成功している。小林秀雄はこれまで、なんだかんだ言っても、書こうとする対象の外側に、自分を置いていたと思うのだ。それが批評家の死守すべき位置だということなのだと思うのだが、思想家たらんとした時には、書こうとする対象が、モーツアルト、とか、ドストエフスキーとかいうように明確ではないわけだから、自分自身を対象の側にも、置かなくてはいけないことになるわけだよな。この「中原中也の思い出」は、文庫で読んだ時には、鮮烈な印象があったものの、なんとなく偽善的な感じもしたとこがあったのだが、今回全集という、小林秀雄の人生の文脈に置いて再読してみると、その意味がよくわかった。
それから「私の人生観」に続いて発表された、「秋」と「酔漢」という短編も、奈良東大寺での秋の風景や、泥酔した友人と汽車で旅をするという、日常の風景を描きながら、その中に、小林秀雄自身が、考えようとしていること、それはフランス文学のことだったり、モーツアルトのことだったりするのだが、そういうものが盛り込まれている。こういうスタイルの、日常の風景に自分の思想を盛り込んだり、しかもその思想が、自分なりに完結したものではなく、発展途上のものだったりすることは、これまであまりなかった。大きな変化なんだよな、やっぱり。
小林秀雄全作品〈17〉私の人生観
考えるヒント (文春文庫)
私の人生観 (角川文庫)
2009-09-21
つまみ さんま塩焼き
魚の焼き方に関して、新境地を開拓したので、って今まで弱火でやってしまっていたのを、常識通り強火で焼くようになったというだけだが、今日はなんとしても魚を焼こうと思って行ったマダムジョイ、さばもうまそうなのが安く出ていたのだけれども、やはり生さんま、今までうまいうまいと食っていたのは幻だったのか、強火で焼くとあれよりうまくなるのか、確かめてみずばなるまいということ、そしてさんまもそろそろ旬が終わるということで、あれだけの楽しみと喜びを与えてもらったさんまに、お礼とお別れを言わなければならないだろうということで、こちらを選ぶことにしたというわけなのだ。
それで塩を振って強火で焼いてみたところ、あー、なるほど、まず初めに食べるはらわたや、脂がこってりのった腹の部分の肉などは、その濃厚な、まろやかな味わい、前と区別は付かないのだけれど、背中とか尻尾の部分、とくに冷えてから食べたりすると、前はやはりちょっと、パサパサ感があったのだな。だから前のうまさも幻ではなかったが、強火でやったほうが断然うまい、ということだ。
あとは小松菜の煮浸し、冷奴、冷やしトマト、梅干。酒はアカプルコ、ブラックニッカの麦茶わり。今宵も気持ちよく、夜はふけていくわけだ。
それで塩を振って強火で焼いてみたところ、あー、なるほど、まず初めに食べるはらわたや、脂がこってりのった腹の部分の肉などは、その濃厚な、まろやかな味わい、前と区別は付かないのだけれど、背中とか尻尾の部分、とくに冷えてから食べたりすると、前はやはりちょっと、パサパサ感があったのだな。だから前のうまさも幻ではなかったが、強火でやったほうが断然うまい、ということだ。
あとは小松菜の煮浸し、冷奴、冷やしトマト、梅干。酒はアカプルコ、ブラックニッカの麦茶わり。今宵も気持ちよく、夜はふけていくわけだ。
2009-09-20
つまみ 鶏塩焼き
今日はおととい特売で買っておいた鶏もも肉が冷蔵庫に入っていて、昨日は食べなかったものだから、今日こそは食べないといけないということで、例のごとくチキンソテー・サラダにしようかと思ったのだが、もう涼しくなってきたし、生野菜にのせてレモンの味で、あっさり食べるのではなく、何かちょっと違う食べ方がしたいなと思ったのだ。で照り焼きにしようかと思ったのだが、僕は昔、行きつけの焼き鳥屋に、ほとんど毎日のように通っていたことがあって、今でも僕が鶏の焼いたのが好きなのは、焼き鳥の姿を追い求めているのではないかと、前から薄々思っていたこともあり、焼き鳥は僕は、タレをつけたものではなく、塩だけ振ったのが好きなのだ。そこで今回、鶏もも肉に塩だけ振って、焼いてみることにしたというわけだ。もちろん付け合せは白ねぎのブツ切り。
もも肉と白ねぎに塩を振って、グリルで焼いてみたのだが、いやけっこうバッチリ、まさに焼き鳥、カッコ塩、の味。コショウを振らなくても、臭みがあるとか、そういうことは全然ないっす。焼き鳥カッコ塩の好きな方には、かなりいいんじゃないでしょうか。
あとはいつも通りの、切るだけ、のせるだけ、並べるだけの居酒屋メニュー。酒はいつも通りアカプルコ、ブラックニッカの麦茶割り。
ちなみに夕方、涼しくなってから、また川べりに行ってみたのだ。そしたらなんと、ここは川だけど下流だから、潮が引くんだな、朝は水がかぶって見えなかった川原が、黒々と姿を現していた。
小さな巻貝なんかも、砂の上に大量に取り残されていて、家から1、2分の場所に、けっこうな自然があるんだな、なんだかちょっと嬉しくなった。
もも肉と白ねぎに塩を振って、グリルで焼いてみたのだが、いやけっこうバッチリ、まさに焼き鳥、カッコ塩、の味。コショウを振らなくても、臭みがあるとか、そういうことは全然ないっす。焼き鳥カッコ塩の好きな方には、かなりいいんじゃないでしょうか。
あとはいつも通りの、切るだけ、のせるだけ、並べるだけの居酒屋メニュー。酒はいつも通りアカプルコ、ブラックニッカの麦茶割り。
ちなみに夕方、涼しくなってから、また川べりに行ってみたのだ。そしたらなんと、ここは川だけど下流だから、潮が引くんだな、朝は水がかぶって見えなかった川原が、黒々と姿を現していた。
小さな巻貝なんかも、砂の上に大量に取り残されていて、家から1、2分の場所に、けっこうな自然があるんだな、なんだかちょっと嬉しくなった。
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