2010-04-30
柳田国男 「遠野物語・山の人生」
この本は小林秀雄が書いたものの中で紹介されていて、文庫本の表に「数千年来の常民の習慣・伝説には必ずや深い人間的意味があるはずである。それが記録・攻究されてこなかったのは不当ではないか。柳田国男の学問的出発点はここにあった」と書いてあり、小林秀雄もわりかしそういう趣旨で書いていたし、解説の人も同じような感じで言っていたから、この本について、そういう解釈が定番になっているのだと思うが、僕がこの本を読んで、ちょっと意外で、そして面白いと思ったのは、そういう人間的な深い意味ではなく、柳田国男という人が、かなり実証的に、学者らしく、古い伝説を踏まえながらも、新しい解釈を提出しているというところにあった。
どういうことかと言うと、神隠しとか、天狗の話とか、山に関して大量の伝説があるわけだが、昔、といっても明治の初め頃まではそうだったと著者は見ているのだが、実際に山に、日本の先住民を起源とした、「山人」がいたのではないか、と言うのだ。天狗などというのは彼らのことをそのまま言い表したものだろうし、神隠しなどというのも、特に女性などの場合は、山人がさらっていったものだと考えられるという。日本に古代から住んでいたところに、今の日本人の起源ともなる民族が後から入ってきて、住み分けをしたのではないかと。「国津神」などというのも、彼らのことを呼んだものではないかと言っている。
山地が徐々に開発されるようになって、山人は住む場所がなくなり、絶滅したり、また平地の人に同化したりして、もう今ではいなくなってしまったのだが、昔は実際にそういう人がいたのだという考えは、とても興味深く、それが証明されたらどんなにすごいだろうと思うが、どうなのかな、柳田国男もそれを証明するというところまではいかなかったみたいだし、今となっては真偽はつかないというところなのだろうな。
小林秀雄も、解説の桑原武夫という人も、文学者で、柳田国男の文学的な側面にばかり着目しているように思うが、わざとなのか、気付かなかったのか、まあそういうこともあると思うが、それより古文書から「山人が実際にいた」という仮説を導きだし、それを実証的に確かめようとすることの方が、よっぽど面白いと思うがな。
この岩波文庫版には、「遠野物語」と「山の人生」という2篇が収められていて、遠野物語は佐々木という人が語った遠野郷の伝説が文語体で書かれていて、解釈もまったくないから、僕なぞははいそうですか、というだけだったのだが、「山の人生」の方に、そういう山人についての実証的な研究が書かれていて、当然こちらが面白い。
誰かこの研究をまともに取り上げて、その後発展させた人というのは、いたのかな。折口信夫とかそうなのか。全く知らんが。
遠野物語・山の人生 (岩波文庫)