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2010-04-22

男・津田一郎



このところ生命誌研究館へ通って、中村桂子先生の蔵書を読ませてもらっているわけだ。



大きな一室に、ものすごい数の本があって、僕が興味をもっている生命関係のものは言うまでもなく充実してて、いつでも自由に来て活用していいと言ってもらっているので、ほんとにありがたい。小林秀雄の全集をひたすら読んでいたときには、とにかく時間がかかってもいいから、味わって読むということを心掛けていたのだけれど、これだけ本があるとそれは無理。とりあえず面白そうなやつを抜き出して、まずは一回ざっとページをめくって、そうするとそれでだいたい、どんなことが書いてあるかは大まかには分かるから、さらに詳しく読みたいと思ったら、家で読むように借りて帰るか、またはアマゾンで注文し、そうでないやつは書棚に戻す、という風にしている。速読法というのはこれなのか、一行一行読むのではなく、ページを全体として眺めるようにするだけで、けっこうなことは分かるのだよな。

ほんとはこのブログに、読んだ本のことを、ラーメン屋の報告をするみたいに、逐次アップしていこうと思っていたのだが、ラーメンの場合はうまくてもまずくても、どうであれ最後まで食べるわけだが、本の場合はざっと読んでそれで終わりとか、小説とかでつまらなければ途中でやめるとか、そういうものも多く、また面白いのは何回も読んだりするので、頻繁にアップするというのは、なかなか難しい。それでマイケル・ポランニーみたいにほんとに面白い本が見つかったら、それを何度もしつこくアップするという手に出ているというわけだ。「暗黙知の次元」はほんとに面白くて、分量がそれほどないということもあって、もう4回目を読んでいる。出会った感じがするな、ポランニーとは。

昨日もそれで、生命誌研究館で本を読んでいたら、中村先生から、午後から津田一郎さんが、対談の収録のために来るということを聞いたのだ。津田さんは北海道大学の数学者で、以前は東京にいらして、もう20年以上前になるが、ちょこちょこお会いして、お話させてもらったりしていたことがあるのだ。お久しぶりなので中村先生にお願いして、対談を傍聴させてもらって、そのあと一緒に大阪で食事して、いや昨日はほんとに充実した。

津田さんはその風貌もしゃべりかたも、見るからに切れるという感じの人で、カオスの数学が専門だ。物理学というのは湯川秀樹の時代には、紙と鉛筆があればできると言われたもので、実際の作業は、方程式をひたすら解いていくということになるわけだが、1970年代頃からコンピュータが進歩して、複雑な、人間が紙と鉛筆で解くことはできないような方程式を、ガンガン解くことができるようになって、するとその答から、それまでは思ってもみなかったような複雑な、しかも興味深い内容が見えてくることが分かって、それが「カオス」と呼ばれるものなのだが、このカオスって、ギャオスみたいでなんだかコワイよな、それはいいが、生きもののふるまいもカオスの数学で、たくさんのことが説明できることがわかり、それを目標として「複雑系」という学問分野もでき、大きく発展して現在に至っているのだ。文が長いな。

物理学者は数学を、現象を説明するための道具としてつかうわけだが、数学者は数学そのものが専門なわけで、昨日は津田さんから、「数学者の数学観」というものをたっぷり聞くことができて、それがほんとに面白かった。

料理人で言うと、って僕は料理のたとえが多いよな、料理人は包丁を、材料を切って、料理を作るために使うわけだが、数学者は包丁を作ること自体が仕事だから、とにかく切れ味のいい包丁ができれば、それでいいのだ。いかに切れるかということに心血を注ぐのであって、その包丁で何を切るかとか、どういう料理を作るかとか、そこには興味がない。いい料理ができると思いますので、あとはどうぞやってください、ってなもんなのだな。普通は、物事ってのは、「何の役にたつのか」を考えることが、社会人としては重要だろうと言われたりするわけだが、そんなこと微塵も考えない。いやちょっとは考えるかもしれないが。それがまことに男らしい感じがして、津田さんの話を聞いていて、ほんとに痛快だった。

しかも津田さんは、津田さん自身「意識と物質のかかわり」という、ある意味究極のテーマに興味があるのだが、ほんとに切れ味のよい数学は、そのことをすぱっと説明するということに、確信を持っているのだ。その理由がすごい。「なぜなら数学は、人間の意識がつくりだしたものであって、数学の構造は、人間の意識の構造そのものであると言ってもよいから」なのだ。くー、かっちょいい。僕もそんなこと言ってみたい。津田さんはその確信があるから、できた数学を何に使うかなんてことに神経を使わなくても、泰然と構えていられるのだ。

数学以外の話にももちろんなって、津田さんは一貫して男らしいのだが、例えば研究費。今研究費をいかに分捕るかということが、多くの研究者の中心課題になってしまっているわけだが、津田さんはこの状況についても憂いていて、それでどうしたかというと、自分の研究費を申請するときに、後で削られるからと水増しするのが普通のところ、学生(※)が申請したものを見直して、あらかじめ不必要分をばっさり削った上で、申請したのだそうだ。もちろん予算が認可されると、役所がさらに削ってくるわけだが、もし不当に削られたのなら、事前に削ってあればきちんと喧嘩できるし、学生にもそういう姿勢をきちんと示して教えておくことが重要だと。国民の税金をつかって研究をするわけだから、それは当然のことだと津田さんは言うが、そうやって削った分は、誰かが水増しした予算にまわって、そちらが得をするということになるわけで、それを分かっていながら、自分は自分の分を守るということは、それほど簡単なことじゃない。さすがだな。

僕の今回の、仕事をやめる決断についても、色々話を聞いてもらって、それはいい、頑張れと応援してもらったし、マイケル・ポランニーのことについても、たくさん話しができたし、さらに茂木健一郎の奥さんが、僕も知ってる女性だってことが分かったりもして、ほんとに楽しく、充実した夜になりました。


※津田さん、早速このブログを見てくれたとのこと、連絡をいただいて、とても嬉しく思っているのですが、上の件について訂正があるということです。津田さんがカットしたのは「学生」の予算申請ではなく、津田さんが元締めをするあるプロジェクトのメンバーの予算で、その方々はみな、教授だったり主任研究員だったりするのだそうです。すごいな。津田さんは、行政刷新会議の事業仕分けについて、重要な予算を削らないでくれという、研究者88名からなる要望書に名を連ねているのですが、自分のところの予算について、きちんと無駄を削って申請しているので、このことについては、モノが言える立場にあるとのこと。そうだよな、そうやって戦うんだよな。津田さんのホームページから、このプロジェクトのホームページへも飛べるようになっていて、要望書もそこから見ることができます。