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2010-04-16

中村桂子先生インタビュー(8) 「科学を踏まえながら見えてくるもの」


高野 それでそのときに、僕はもう一つ、お伺いしたいことがあるのですが、中村先生はそうやっていく時、同時に、ただ文学や哲学としてではなく、「科学というものを踏まえながらやる」ってことをおっしゃるわけですよね。 

中村 それは私のスタートが科学だから、そこを離れられないというだけの話で、私がもし宗教学か何かから入っていたら、全然違うことを言っているかもしれません。 

ただ私が大事にしたいことはやっぱり、「現実にあるものを見る」ということ。それがサイエンスというものの根本じゃないかと思うのだけど、ところが、そこから見えてくるもの、その先に見えてくるものは、何も現実に実際に、目に見えるものとは限らなくて、ある種のイメージまでふくめて、見えてくるものがあるわけなのです。体験から、それがあるわけです。それはだから、万人が見えているもの、「ここに茶碗があります」というような見え方じゃなくて、この茶碗の向こうがわに何を見るのか、という問題になってくる。 

数学者である私のお友達も、「N次元が見える」とはっきり言う。しかも「Nは大きければ大きいほど、よく見える」って。いちばん見えないのは4次元なんだって。3次元はふつうにね、誰でも見えるでしょう。だからそれに近い、Nが小さな次元のほうが見えやすいのかと思ったら、まったく逆で、大きなN次元はとってもよく見えるのに、「いちばん見えないのは、4次元だよ」って言われて。そうなんだろうなと思うわけ。同じように、物理をやってる人たちは量子が見える。我々生物学者は、明らかに、DNAが見えるんですよ。それは、分子がこういうふうに並んでますとか、二重らせんの形をしてますというのとは違う、DNAというものの持っている、非常に本質的なものが、DNAって言葉を聞いたとたんに向こうがわに見えてくる。それはだから、DNAについて自分が今まで勉強してきたこと全部をふくめて、できあがってくるイメージなんですね。そういうものがなかったら、次のことを考えられない。 

高野 でもたしかにおっしゃるとおり、ただ現実に、実際に見えることだけではなく、そういうイメージもふくめた全体を、いかに言葉にできるか、ってことですもんね。 

中村 しかも、そういうイメージの中には、言葉にはできないものがある。語れることしか語れない、語れないことは語れないのであって、この世の中のもの全部が語り尽くせるとは思っていません。ただ「専門家」のやらなければならないことは、それを言葉にすることですよね。ただ見えますよ、って言っていてもしょうがないわけだから、それを言葉にしていくんですよね。 

その中のある部分は、数式にしてみせることで、たしかにこれはいい。ガリレオの時代には、世の中はすべて数式にしてみせられるよ、って言ったけど、それは無理、と私は思っている。やっぱり「物語る」ということでしか伝えられないことは、たくさんある。しかし、それでもなおかつ、全部が語れるってことはないと思っていないといけない。 

今の科学の矮小化されてしまっているところは、ある人たちは、数式ですべてが説明できる思っている。別の人たちは、そこまで行かなくても、すべてが物語れると思ってる。科学者の多くはそういうふうに思っている。そうじゃなく、「すべては語れない」ことを前提にしながら、しかし語れるところは語っていきたいという感じを持っている人は、そんなに多くはないですね。 

高野 中村先生が「科学を踏まえて」とおっしゃるときの、その内容の中に、ただ分子の構造や、数学的な形式や、というものだけでない、それだけの深い意味合いがふくまれているということなのですね。よくわかりました。 

(つづく)

中村桂子先生インタビュー(1) 「分子生物学の始まり」
中村桂子先生インタビュー(2) 「分子生物学の流れ」