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2010-01-31

晩酌 鶏手羽元煮

この頃煮物シリーズが続いているのだが、煮物はうまいし、作るのも、ただ火を付けて放っておけばいいから、わりと簡単だし、しかも多めに作れば、次の日に、さらにおいしく食べられるしで、三拍子そろっているのだな。
今日はマダムジョイで広告の品だった、手羽元を買ってきて、作り方はいつもとまったく同じ、手羽元は熱湯にさっと通して、大根といっしょに鍋に入れ、水5、酒3、醤油と本みりん各1、砂糖0.5の煮汁をたっぷりと満たし、初めアクを取ったら、あとは落し蓋をして、40~50分、コトコト煮るだけ。火を止めたら、そのまましばらく置いて、味をしみさせる。

毎度のことながら、大変美味しくできました。ただ上の調味料の割合は、鶏肉を煮るには、ちょっと甘すぎかもな。
昨日恵美で食べたぶり大根、僕がいつも作るものより、かなり甘みが抑えめだったから、そう考えると、上の砂糖の分量は、もっと少なくてもいいのかもな。まあ好みだが。

熱燗は千福。不思議だよな、グラスで飲んでたときには、福美人が一番だと思っていたが、萩焼のぐい呑で飲むと、こちらの方がおいしい。酒は奥が深い。


2010-01-30

晩酌 鶏もも塩焼き

スパークで買った、100グラム68円の、ブラジル産鶏もも肉、いやしかし、いつ見てもすごい値段だよな、これに今日も塩コショウして、魚焼きグリルでこんがり焼いて、レモン汁を振りかける。簡単なのだが、うまいのだ。飽きないし。

それに今日は、ホウレン草じゃなく、ブロッコリー、で、これにかけるマヨネーズを、自分で作ってみたのだ。

前にも一度やったことはあったのだが、作り方は超簡単。
卵黄に、酢大さじ1と、塩コショウ適当な量を入れ、よくかき混ぜる。
サラダ油3/4カップを、よくかき混ぜながら、ちょっぴりずつ足していく。
好みの固さになったら出来上がり。

簡単すぎて、こんな、写真を載せるまでもないのだが。
ボールはないので、ラーメンどんぶりを使用。泡立て器は、わざわざこのために、スパークで買ってみた。

味はさすが、市販のものより、ぷりんぷりんして、クリーミーで、全然うまいな。ただコップ1杯くらいの量ができるので、食べ切れるかどうかが問題だけど。
これは酢や油の種類は、自分で好きなのを選べばいいらしいので、今度はレモン汁とオリーブオイルでやってみたいな。


朝酒

スーパー銭湯で朝風呂の後は、草津港の御食事処「恵美」で朝酒。彫刻家の友人と合流し、楽しい時間を過ごした。

いやしかし恵美はうまいな、ほんと。特別変わったものは一つもないのだが、全てきちんと手が掛かっていて、しみじみとうまい。家庭料理みたいなものとも言えるが、家庭に寿司やラーメンはないからな。やはりプロなのだ。

恵美の後は、ポカポカと暖かい川っぺりで、しばし昼寝、帰ってから、暗くなるまで爆睡。いや極楽極楽。


2010-01-29

晩酌 角煮2日目

言うまでもなく、2日目の角煮は、味がしみて、とくに大根、死ぬかと思うくらいうまいのである。


横川町 「グリル みき」

広島には、飲食店のメニューにラーメンがあることがとても多く、東京育ちの僕からすると、びっくりすることが多い。
食堂にラーメン、これはまだギリギリ、理解できる。居酒屋にラーメン、この頃は僕も慣れてしまったが、初めは驚いた。焼肉屋にラーメン、冷麺ならわかるが。さらには、喫茶店にラーメン、洋食屋にラーメン、寿司屋にラーメン、となると、これはもう、想像を絶する世界だ。
これは地方都市では、当たり前のことなのか。メニューが幅広い方が、お客を拾いやすいということだとは思うが、ラーメンは仕込みも時間がかかるし、大変じゃないのか。
このことが意味するところは、広島の人がラーメンが好きだということなのか。それとも、あまり好きではないから、ラーメン専門店としてやっていけるだけ、お客が集まらないということなのか。
と疑問は多々、浮かぶのだが、それはいいとして、この「グリル みき」。洋食屋なのに、ラーメンを出す店。横川駅から東へちょっと行ったガード下、ラーメンの名店「高砂屋」の真ん前にあって、行ってみなくちゃなと、前から思っていたのだ。

メニューを見ると、ラーメンだけじゃなく、基本の中華料理が一通りあるという感じだ。洋食のメニューより多いくらいだな。
1時過ぎに入った僕より後から来た、年配の男女3人連れは、チャンポンを頼んでいた。「おいしいからって言って、連れてきたのよ」とのことだったので、ここは中華屋として認知されているということか。

「すくなめの焼飯と中華そばのセット」という950円のメニューがあったので、それを頼んでみた。ラーメン単品だと、480円。
このラーメン、なかなかうまい。澄んだ鶏がらのだしに、薄めの醤油味で、麺も中細のちょっともそっとした感じ、「夜鳴きそば」とでもいいたくなるような風情だな。
チャーシューがまたうまくて、ロース肉を使っていると思うが、固さがちょうど良くて、味がきちんとしみていながら、肉の旨味も十分残っている。モソモソ感はまったくない。これは絶品だな。
チャーハンも、ハラリと仕上げられている。

店主はいかにも、実直な職人、という感じの人。洋食は当然、ホテルかどこかで修行するのだろうから、調理のたしかな技術を持っていて、それを中華料理に応用するというのも、それほど難しくないということなのだろうな。このラーメンもチャーハンも、細部にわたるまで、きちんとした仕事がされている、という感じがした。
だいたい鶏がらのだしは、ブイヨンというのか、洋食でも使うわけだから、同じことなのだろうしな。

この店はカレーもメニューにあったから、今度はこれを食べてみないといけないな。

みきグリル (レストラン(その他) / 横川、横川駅、横川一丁目)
★★★★ 4.0


2010-01-28

晩酌 角煮

スパークの、外国産肉による価格破壊戦略、これは禁断の木の実で、食べてしまうと日本の農業が危ないんだと思っていても、やはり買ってしまうな。今日は100グラム98円の、アメリカ産豚バラブロック。で今日は、チャーシューじゃなく、角煮にしてみた。

角煮って、色んな作り方があるのだよな。僕は料理をするようになったばかりの頃、角煮を作るのが好きで、料理の本を次々買い込んで、それらに載っている違った作り方をする角煮を、片っ端から作っていたことがあったのだが、要は煮るだけなのに、なぜそんなに作り方の違いがあるかというと、豚バラ肉は臭みがあるのと、あと煮ているうちに大量の脂が出るから、それをどうやって取り除くか、ということによるのだな。臭みはショウガと長ネギの青い所を入れて取るのが多いのだが、脂を取るのは、一晩置いて、冷えて固まった脂を取り除いたり、あとオカラを入れてそれに吸わせたりしているのもあった。

今回それをどうしようかと考えるわけだが、できるだけ単純なやり方をしたいのと、最近ぶり大根を作ったりして、きちんと下処理すると、ぶり大根ですら、ショウガを入れなくてもおいしくできることが、わかったりしたこともあり、ゆでこぼすことにした。豚肉を水で煮て、その汁を捨ててしまうわけだが、こうすると、豚肉のうまみも捨ててしまうことになり、出来上がりが、ちょっとコクが欠けた感じになるのだが、べつにいいのだ。だいたい最近の日本人は、コクだのうまみだのと、言いすぎなのだよな。すいません。

豚バラブロックを適当な大きさに切って、水で30分くらい煮て、汁は捨て、肉はぬるま湯でよく洗い、それを改めて、適当な大きさに切った大根といっしょに鍋に入れ、水5、酒3、醤油1、本みりん1、砂糖1、これは、いつものぶり大根の時の分量を、砂糖だけ、醤油と同量に増量したのだ、の汁が、肉の上1センチくらいのところまで、きちんとかぶるように調整し、火にかけ沸騰したら、あとは落としぶたをして、コトコト1時間。火を止めたら、最低30分、そのまま置いておく。

いつも自画自賛で申し訳ないが、これはウマイ。肉にも大根にも味がしみて、申し分ないっす。下ゆでの時間を、1時間くらい、とっても良かったかもな。そうすると、もっとトロトロになったんじゃないかと思う。

酒は福美人。甘いつまみに、甘い酒。これもなかなか、悪くないっす。


昼めし 草津港「恵美」

今日も寿司とラーメン、変わらずうまかったな。
というかこのところ、おばちゃんの実のお姉さんが、毎日手伝っていて、この人が、今は引退したが、元々自分でも食堂をやっていて、おばちゃんにとっては、食堂のやり方を色々学んだ、お師匠さんみたいな人で、仕事がスムーズに進むのだろう、おばちゃん、とても元気になって、おかずなんかも切れることなく、十分準備してあるし、さらに味もおいしくなっているような気がする。
前は、慣れない人を使わなくちゃいけなくて、それで神経使って、かえって疲れてしまって、それで倒れてしまったんだな。


2010-01-27

晩 酌

昨日とまったく同じなのだが、一晩おいた煮物は、味がなじんで、やはりうまい。
とくに大根。芯まで味がしみて、大根は2日目が本番だよな。

オクラ奴は、大変うまい。オクラと豆腐、こんなに合うとは思わなかったな。
オクラはゆでたりとか何もせず、ただ洗って刻むだけ。上から醤油をどぼどぼかけると、ちょうどいい固さになる。

小林秀雄全作品26 「信じることと知ること」

この小林秀雄の全集、第26巻には、1966年から1976年、小林秀雄が64歳から74歳までの10年余りに書いた文章が収められている。この期間はちょうど、小林秀雄が「本居宣長」を連載していた期間であって、だからこの巻には、小林秀雄が本居宣長以外に書いた文章が入っているということになる。10年分で1冊だから、いかに少ないか。ほとんどが、おそらく義理があって、断ることができなくて書いたものなのだろう、全集の序文やら、追悼の言葉やら、親しい人との対談やらで、小林秀雄がこの10年間、どんなに本居宣長に集中したのかがよくわかる。

そうしたもののなかで、異彩を放つのが、この巻の表題にもなっている、「信じることと知ること」である。昭和49年に鹿児島県の高校で講演したものを、小林秀雄が改めて、自分で手を入れたもので、この時の講演の録音は、CDになっていて、それは先日、僕が買ったものなのだが、講演と文章を見比べると、なかなか面白く、小林秀雄の創作の秘密に触れるような感じもする。
話の流れはだいたい一緒なのだが、一つ一つの文章は、ほとんどすべてと言っていいくらい、書き換えられている。書下ろしと言っても差し支えないんじゃないか。「魂はあるかないか、あるに決まってるじゃないですか」というような、断定的な表現は姿を消し、しかしそのことを、誰でもが受け入れることができるような、全編にわたる多数の表現として、置き直している。そうなんだよな、小林秀雄は、自分にとって一言で断定できること、自分自身は間違いなく信じていることを、世の中の人が受け入れられるような表現に、どう紡いでいくことができるかを、おそらく生涯をかけて問い続けた人なのだな。

この「信じることと知ること」にも変わらず流れている、小林秀雄が一貫して言い続けた内容は、自分自身が心を虚しくして、何かに向かい、そこで感じたり思ったりしたことは、自分自身という、誰に作られたものでもない、生命体、内なる自然の中で、たしかに起こった事実なのだから、それがどんなに、世の中で一般に言われていることと食い違っていたとしても、あわてて否定する必要はない、それをそのまま口にするかどうかは別としても、事実として受け止めることが大事なのだ、そこからしか、人間というものは、本当のスタートを切ることはできないのだ、ということだ。

猟師が山の中で、白い鹿を見た。白い鹿は山では、神様として崇められており、猟師はそれを撃ちとることは躊躇したが、しかし猟師としてのプライドにかけて、弾を発射した。たしかに命中したはずなのに、鹿は動かない。今度は魔除けとして身につけていた、金の弾にヨモギを巻いて、再び撃ったが、それでも鹿は動かない。そこで猟師は、おそるおそる白い鹿に近寄ってみると、それは白い岩だった。ここで猟師は、強い衝撃を受ける。数十年におよぶ猟師生活、自分は岩と鹿を、間違えるはずがない。これはまったく魔障のしわざに違いないと、この時ばかりはもう猟をやめようかと、真剣に考えた。

これは「信じることと知ること」に引用された、柳田国男という民俗学者の文章だが、白い岩を見て、単なる自分の間違いと思うのでなく、魔障の仕業と信じること、そしてその信じたことに、自分が責任をもつということ、人間が生きるということは、本来、そういうものじゃなかったのかと、小林秀雄は繰り返し、僕らに語ってくれているのだ。


2010-01-26

猿猴橋町 「らーめん かばちや」


今日も、「TJ Hiroshima」のラーメン半額クーポンを、あ、なんと今思い出したのだが、使おうと思って行ったのに、使うのを忘れた。
広島駅から程近いこの店、けっこうな人気で、午後1時過ぎに着いたら、7、8人が並んでいて、1時15分には、昼の部の入店が締め切られ、入ったのは1時半近く、そうやって並んで待っているうちに、クーポンのことを忘れてしまったのだな。待っている間って、余計なこと色々考えるからな。これは新手のクーポン封じか。なわけない。

店の名前は「かばちや」というのだが、東京の人間である僕は意味がよくわからず、野菜の「カボチャ」かと思って、ずいぶん素朴な名前のラーメン屋だなと思っていたのだが、ぜんぜん違う。「かばち」というのは、広島弁で、Wikipediaによると、「文句。屁理屈や生意気であるというニュアンスをふくむ」のだそうだ。
たしかに店主らしき人の顔は、矢沢顔、典型的な広島人という見た目なのだが、この店主が作るラーメンもまた、かなりかばちなラーメンなのだ。この使い方、あってるか。

スープは、典型的な豚骨スープ、広島の醤油豚骨じゃなく、九州の豚骨ラーメンの、あのスープだ。醤油豚骨王国の広島で、九州の豚骨スープというのが、まずすでに十分かばちなわけだが、これはいいのか、で、これに普通にチャーシューやきくらげ、青ねぎをトッピングして、紅しょうがをかけて食べてもらうのでは、当然面白くないから、豚の角煮と、半熟煮玉子を載っけて、九州ラーメンのようなのだが、それとも違う、無国籍風の、って九州は国じゃないが、「かばちらーめん」の出来上がり、というわけだ。
しかしただ、変わってるってだけじゃなく、この角煮と煮玉子、客の主力であろう、メタボなサラリーマンにとっては、必須アイテムとも言えそうな、魅力ある代物だろうから、この店主、ただかばちなだけじゃなく、商売人としても、なかなかのものだよな。

麺は九州ラーメンによくある、極細麺なのだが、これがまた、やわらかくゆでられて出てくる。世の固麺指向に、わざと逆を行ってるんだな。
値段は750円、ちょっと高いが、角煮と煮玉子がついて、高菜取り放題、さらに夜は100円のごはんが、ランチはサービスとくれば、客も納得するだろう。
店主もまだ若そうだから、これからだろう。逆に行きすぎて、後ろを振り向いたら、誰もついてこなかった、ということだけ気をつけて、頑張ってほしい。

かばちや (ラーメン / 猿猴橋町、広島駅、的場町)
★★★★ 4.0

2010-01-25

晩酌 若イカ煮付け

今日は「若イカ」と書いてあったが、7、8センチの小さなイカが安く出ていたので、それを煮付けてみることにした。イカはすぐ火が通るからな、さっと煮たら引き上げて、その後汁だけ煮詰める。とこれは、ネットで調べたらそう書いてあったので、その通りにしたら、おいしくできました。

下処理は何もせず、水で洗うだけだが、若イカとはその名の通り、子どものイカのようで、見ると「くるりんぼうず」とでも呼びたくなるような感じ、大きな帽子をかぶって、眼がでかくて、手脚は短くて、なんとも可愛いんだな。イカでも子どもは可愛いんだ。
しかしこれを、食べてしまうわけだ。気持ちとしてはちっとも矛盾せず、「食べてしまいたいほど可愛い」というが、まさにその通り。
食べるってのはやはり、一つの愛情の表現だよな。自然界の、食べたり食べられたりという関係を、弱肉強食とか、生存競争とか、人間の争いごとに例えて考える傾向、いや傾向どころじゃないな、実際、普通そう考えられていると思うが、僕は全然違うのじゃないかと思う。むしろ恋愛に近いよな、これは。

今日はホウレン草を買い忘れたのだ。明日の朝のオレンジジュースも、再び忘れた。普段あまり行かないフレスタへ行ったから、店内の行動パターンが確立していなくて、忘れやすいのだよな。
フレスタへは、福美人の酒パックを買いに行ったのだ。酒は今まで、近所にある酒のディスカウントストア「カクヤス」で買っていたのだけれど、酒パックに関しては、フレスタの方が安いのだ。意外だな。他の酒は比べていないので、わからないが、スーパーは競争が激しいから、そういうことになるのだろうな。

あとフレスタでは、トマトがうまい。僕はいつも、一個売りのトマトを買うのだが、これはマダムジョイより、スパークより、フレスタが圧倒的にうまいのだ。
今のトマトは、季節が外れてるから、ちょっと固いか、または熟しすぎているか、ということが多いと思うが、フレスタのは全然ちがって、やわらかくて、甘いのだ。
熊本産と書いてあったと思ったが、何が違うのかな。

あと今日は、昼に「きよちゃん」へ行ったついでに、福屋へ行って、徳利と盃を買ったのですねえ。
僕はこういう物にあまり趣味はないし、べつに無印良品のタンブラーで良かったのだが、またしても小林秀雄、秀雄は骨董に一時ハマって、それからもちょこちょこ買ったりしていて、毎晩の晩酌で使う盃も、自分の好きなものをずっと愛用しているのだ。影響されやすい僕は、朝めしの紅茶とトーストに続いて、またしても、秀雄の真似をして、自分でもお気に入りの盃で酒を飲みたいと、思ってしまったというわけだ。

瀬戸物は初めて買ったが、高いのは何万円もするのだな。
もちろんそんなものは、買うわけもなく、ってもしかしたらそのうち、買うようになってしまうのかも知れないが、とりあえず普及品、福美人の甘ったるい味に合いそうな、萩焼を選んだ。
今それで、ちびちび飲んでるわけだが、どうだろう、無印良品のタンブラーの方が、うまかったような気がするな。口が安いのだよな、だいたい僕は。

立町 「中華そば ワンタン きよちゃん」

雑誌「TJ Hiroshima」のラーメン半額クーポン、完全に元をとって、お釣りが来る状態になっているのだが、今日は立町にある「きよちゃん」。国際ホテルのすぐそばの、飲食店が密集する地帯にあって、この辺はラーメン屋も大変多いのだが、7、8人入れば満員の小さな店ながら、長年にわたって人気を集め、今は先代の娘さんが、ご主人と一緒にやっている。
今日も1時過ぎに行ったのだが、店内は満員で、人が出るたびに、また新しく入ってきた。

中華そばとごはんを注文。ごはんには自家製の白菜漬けが付いてくる。

このラーメン、うまかったな。前に2度ほど来たときには、それほどとは思わなかった。
醤油味の勝った、ちょっとコクの足りないスープ、とも言える味なのだが、しかしこれは、コクが足りないのじゃなくて、現代の日本人の味覚、すなわち僕の味覚が、ハンバーグやらスパゲティーやらに毒されて、脂っこいコッテリしたものしか、おいしいと感じなくなっているということなのだな。このきよちゃんのラーメンの味が、本来のラーメンの味なのだ。
あまり自分を主張するのでなく、控えめに、一歩下がってそばにいるのが、日本人の良さだよな。そう思うと、このまさに日本人的なラーメン、そうそうどこでも食べられるわけじゃないな。

麺も同じで、主張しない。今のラーメンの常識からいうと、ちょっとやわらかめにゆでられているが、だからこそ、スープがよく絡んで、それがうまいということなのだ。
1年前は、それほどうまいとも思わなかったこのラーメンが、今回とてもうまかったということは、僕の味覚が、変わってきたということかもな。年とともに、魚の塩焼きとか、煮付けとか、以前は見向きもしなかったものを好むようになっているからな。

ごはんに付いてくる醤油のかけられた白菜漬けが、これがまたうまくて、こういうものでごはんを食べるというのは、子どもの頃婆ちゃんちで食べた食事を思い出す。

ラーメンは500円。ごはんは2時までは半額の50円。青ねぎがたっぷりとかけられてくるのも、たまらない。

きよちゃん (ラーメン / 立町、紙屋町東、本通)
★★★★★ 5.0

2010-01-24

晩 酌

昨日のチャーシュー、これは一晩置いて味もしみて、さらに今日ちょっと煮直したからやわらかくなって、なかなかだな。
ねこおやじさん、昨日の投稿にコメントをくれて、あの煮汁の配合だと、肉を煮るには砂糖が足りないんじゃないかと、心配してくれたのだが、これは角煮じゃなく、チャーシューだから、こんなものでも悪くないのじゃないかと思う。
普通のチャーシューは、もっと甘みが少ないよな。

それにあとは、毎度おなじみの、サバの塩焼き。うまいわ、これは。


2010-01-23

晩酌 チャーシュー

今日もスパークで、激安100グラム98円の豚バラ肉ブロックを買って、チャーシューを作ってみた。
熱湯にさっと通した塊のままの豚バラ肉を、いつもの煮汁、水5、酒3、醤油と本みりん各1、砂糖0.5でしばらく煮て、そのあとしらばく置く。
ちなみにこの、最近いつも同じな煮汁の配合は、ねこおやじさんという方のブログを見たのです。

ほんとは30分煮て、30分置く、と思っていたのだけど、煮汁をケチって、たっぷり入れなかったものだから、火も強かったのか、あっという間に煮詰まってしまって、まあいいかと思って20分ほどで火を止めたのだが、やっぱり煮時間、足りなかった。ちょっと固い。
まあでも、これはこれで、こういうモノだと思えば、悪くはないですけどね。

小林秀雄全作品25 「人間の建設」

小林秀雄の全集も、読み続けてかれこれ10か月、全33巻中、別冊2巻を先に読んだから、27巻まで来たことになる。最後の2巻は、小林秀雄が書いたものじゃなく、まわりの人が小林秀雄について書いたものだったり、年表などの資料だったりするから、実質あと3巻。もうちょっとだな。

この25巻「人間の建設」は、小林秀雄が1958年から1963年まで取り組んだ、ベルグソンについての連載が中断し、それから2年弱、次の本居宣長についての連載が始まったあたりまでの文章が集められている。
小林秀雄62歳、そろそろ人生も、終わりへ向かって、下り坂に入る頃かと思うが、まだまだまったく、引退するとか、そういうつもりはないのだな。ベルグソンの連載で、未完に終わったとはいえ、はっきりと明確になったテーマがあって、それは一言でいうと、「精神と物質が、どう折り合いをつけられるのか」ということなのだが、未完になっただけに、心の炎がより強く、燃え上がったのだろう、なんとか自分なりの答えを見つけたいと、思い続けているのだ。

ちょっと前に雑誌で、立花隆が書いたものの中に、東大だかの脳科学者が、「脳の研究が発展すれば、そのうち心理学とか、言語学とか、そういう人間の精神に関することはすべて、脳という物質の振る舞いで言い表すことができるようになる、そういう学問は、遠くない将来になくなるだろう」なんてことを言ってるのを見たことがあるが、小林秀雄がいちばん強く批判するのは、そういう考え方だ。
現代科学の発展により、天体の運行とか、原子や電子の振る舞いとか、そしてその延長に、生物の身体の中における、タンパク質とか、核酸とか、そういう分子の振る舞いも、ずいぶん詳しくわかるようになり、それによってたしかに、生物や、そして人間の色々なことが、説明できるようになっている。しかし、そういう、物質が客観的にどんな振る舞いをするのか、ということ、それもたしかに、一つの実在に違いないが、もう一つ、それとはまったく別個に、人間の精神という、これは決して客観的に見ることはできず、自分自身が、主観的に、見るより他ないものなのだが、それももう一方で、はっきりとした実在、たしかに存在するものなのだ。そういう、人間の主観的な側面を忘れ去って、すべてが客観的に言い表されるという幻想を抱いてしまうことが、現代の文明における最大の間違いであると、小林秀雄はデビュー以来、強く主張してきたのだったが、さらにここに来て、ただ間違いであると指摘するだけにとどまらず、それではその、物質と精神という、相異なる、しかしたしかに存在する二つのものが、それではどうしたら、折り合いをつけて、一つの体系としてまとめることができるのか、現代科学という、物質のふるまいのみを扱ったものだけが、体系化されていて、もう一方の、欠かすことができない、精神というものが置き去りにされているから、現代の様々な問題が生まれているのであり、きちんと精神というものが含まれた、より大きな一つの体系、そういうものを、自分自身がすべてを見つけることはできないにしても、その方向くらいは指し示したい、そう思っているのだな、小林秀雄は。

この25巻の中でも、随所にそういうことを、小林秀雄は書いているのだが、中でも圧倒的に面白いのは、この25巻の表題にもなっている、「人間の建設」という、これはもう亡くなった数学者である岡潔という人との対談。
小林秀雄は、ずいぶん色々な人と対談してるのだが、ほとんどはあまり面白くなくて、ずいぶん前の、坂口安吾との対談、これまでは面白いのはこれくらいしかなく、物理学者湯川秀樹との対談も、話がぜんぜん噛み合わず、つまらなかったのだが、今回の岡潔との対談、これはすごい。
岡潔という人は、僕は今回初めて知ったが、かなりの人物なんだな、言うことがいちいち面白いし、さらに小林秀雄と、息がぴったりと合って、お互いに共鳴しあって、お互いの話が、次々と引き出されていくのだ。

小林秀雄は、そしていよいよ、上の問いをもって、本居宣長に挑んでいくわけだ。10年に及ぶ連載だから、すごいよな。小林秀雄の人生の、最終幕が、これから始まるってわけだ。




朝ビール

草津港の食堂「恵美」で朝ビール。
今日はおばちゃん、僕が昨日、来ると言ってあったから、エビを用意して待っていてくれて、素揚げにしてくれた。味付けはただ塩を振るだけだが、さっきまで生きてたやつだから、なんとも味があってうまいんだな。僕が今まで食べたエビの中で、一番うまいんじゃないかな。

それに寿司は、はまち、エビ、さより、はまち、ミル貝、サーモン、しめサバ。ここの寿司は、素朴で、とくべつどうってことはないんだが、ネタはすべて、目の前の市場からその日に仕入れるやつだから、言うまでもなく新鮮で、結局寿司ってのは、新鮮なのが一番なんだよな。
味噌汁には、アラが入っていた。

帰りの太田川河口。雲が幾重にも列をなしてたなびいていて、いかにも絵に描いたみたいで、なんともきれいだった。


2010-01-22

晩酌 チキン照り焼き

昨日ぶりの照り焼きがうまくいったのに気を良くして、今日はチキン照り焼き。
鶏肉を買いに行くのは、スパークなのだ。ここはいつ見ても、ブラジル産の激安鶏肉が置いてある。100グラム68円。鶏もも肉1枚で170円。
買っておいてこんなこと言うのは、まったくナンなのだが、この辺のスーパーじゃ、スパークがいちばん節操がないな、外国産の肉を置くことについて。豚肉も、いつもアメリカ産が置いてある。台湾産の鴨肉とか。
マダムジョイは、ほとんど外国産は置いてないし、フレスタもこないだ行ったら、それほど置いてなかった。
こうやって安い外国産を買うたびに、日本の農家が危機に瀕することに、手を貸すことになるわけだが、しかし鶏もも肉1枚170円、しかも味も、下手すると日本産よりうまいときては、わかってはいても、なかなか誘惑に勝てないな。

それはいいとして、照り焼き、昨日と同じタレを、塩と、迷ったがコショウ、焼き鳥屋はコショウは振らないと思うが、ラーメンにはコショウを振るもんな、をして、魚焼き用のグリルで表裏、中火で焼いた鶏肉に、焦げないように火を弱めてから、スプーンでかけて、ちょいと焼いたら出来上がり。

なかなかいいが、鶏肉はぶりとはちがって味が濃いから、もう1回か2回、タレをつけても良かったかもな。塩辛くなるのを恐れたのだが、心配することもなかった。

酒は、福美人の熱燗。