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2012-03-31

旬のハマグリを満喫するならこれ。
「ハマグリの湯豆腐」




今の時期は、アサリだけではなく、ハマグリも旬に入っているんですね。

スーパーなどで売ってるハマグリは中国産なので、中国のハマグリが日本とおなじ時期に旬をむかえるのかどうか、確かなことはわかりませんが、まあでも中国は、日本からはそう遠くないのだから、べつにそう違わないと思ってもいいのでしょう。

ハマグリは縄文時代から食べられていたそうで、「貝塚」の貝はハマグリなんだそうです。

実際ハマグリのだしは、上品な、クセのない味で、だしの味を尊ぶ日本人にとっては、鯛とならんで、まさに王者といえる存在でしょう。

ただハマグリは、水質の汚染に弱く、現在日本では、漁獲が激減しているとのこと。

文明の進歩によって、こうしておいしいものが1つずつ姿を消していくのは、残念なことです。



ハマグリを食べようと思ったら、やはりシンプルな調理法が、一番おいしいのじゃないでしょうか。

潮汁とか、いいですよね。

網で焼いて、醤油をたらしただけのも、またおいしい。

ぬたなんかもいいですよね。

あとはやはり、ハマグリの湯豆腐。

ハマグリのだしが、豆腐にたっぷりとしみ込んだのは、もうたまりません。



ハマグリの湯豆腐は、池波正太郎「そうざい料理帖」にも出てきます。

池波は、ハマグリをむき身にして、うすく切った大根といっしょに豆腐を煮、醤油で食べるんですね。

大根といっしょに豆腐を煮ると、豆腐が白く、ふっくらと煮えるのだそうです。

醤油で食べるというのも、ストイックでかっこいいですよね。



湯豆腐といえば、やはり京都が本場でしょう。

京都の湯豆腐屋は、昆布だしで豆腐だけを煮て、濃いだし汁に青ねぎなどの薬味をいれて食べさせます。

でも先日、祇園にある食堂で湯豆腐を食べたときには、豆腐だけじゃなく青ねぎと春菊、葛きりが入っていて、だし汁で煮られ、青ねぎをきざみ込んだポン酢で食べるようになっていました。

これもまた、家庭的でよかったです。



昨日はハマグリの湯豆腐、どうやって食べようか色々考えた結果、殻のままのハマグリと春菊をいれ、ポン酢で食べることにしました。

池波正太郎が、ハマグリをむき身にするのは、食べるのを楽にするという意味合いかと思うんですが、貝は殻ごと入っていたほうが豪華で派手だし、作るのも楽ですね。

何を食べるかを考えるのは、それなりの時間がかかるし、なかなか思い浮かばないときはイライラしますが、やはりこれこそ、料理の醍醐味だといえるのではないでしょうか。

池波正太郎も、毎日かなりの時間をかけ、その日に食べるものを考えていたと書いています。



湯豆腐は、どうやって作るかが決まってさえしまえば、作るのは非常に簡単。

ハマグリは塩水に1~2時間つけ、砂出しをしておきます。

塩水は水カップ1に対して、塩小さじ1がちょうどです。

海水とおなじ3%の塩水にするのですが、塩小さじ1は6gなので、200ccの水に対して、ちょうど3%ということになりますね。

でももちろん、そんなの適当でかまいません。



ハマグリは砂出ししたら、水でよく洗います。

殻の表面のヌルヌルしたのは、臭みの原因になるので、指でこすってていねいに落とします。



鍋に昆布をしき、豆腐とハマグリをいれ、豆腐がかぶるまで水を張り、酒を4分の1カップほどいれる。

豆腐は絹ごしでも木綿ごしでも、お好み次第ですね。

弱めの中火にかけ、鍋を煮立たせないようにしながら温める。

煮立ててしまうと、豆腐にスが入るんですね。

ハマグリからアクが出てきたら、とり除きながらしばらく煮る。

ハマグリの口が全部ひらいたら、春菊を入れて火を止めます。



これはですねえ、死にますよ。

ぷっくらとしたハマグリと、ハマグリのだしがしみにしみた豆腐。

春菊のアクセントも絶妙です。

「日本人に生まれてよかった」とつくづく思うことは、まちがいありません。



タレは、ポン酢に青ねぎをきざみ込む。

ポン酢は、市販のを使ってもかまいませんが、市販のポン酢は、ちょっとしたやつは値段も高いし、なかなか好みの味のが見つからないんですよね。

ですから自分で作ったほうが、まちがいのない味になります。

醤油と柑橘系のしぼり汁を同量程度に混ぜ、みりんを少したらします。

柑橘系のしぼり汁は、「ポッカレモン100」を使っていますが、それでも市販のポン酢よりおいしいです。



あとは前々日の肉豆腐とスグキで、日本酒を2合半。

肉豆腐は、湯豆腐とちょっとかぶってしまいましたが、仕方ありません。

前日の残り物を食べるときにも、下手に電子レンジで温めたりするのでなく、常温で食べたほうがおいしいですよね。

日本酒も、もう暖かいので常温です。



ハマグリのだしは、タレを割って飲んでもいいですが、残しておいて、翌日うどんを煮ても、大変おいしいです。





2012-03-30

韓国の代表的な牛肉料理。
「プルコギ」




ほかの国の料理を作ってみることは、「料理」というものを改めて知ることができるようなところがあり、またおもしろいんですね。

世界にはさまざまな人たちが、その土地でとれる材料を使いながら、自分たちなりのやり方で料理をしてそれを食べています。

海外を旅行したときの大きな楽しみは、その国の料理を実際に食べてみることにあるでしょう。

料理は、人間の生活の中核の一つだから、料理を知ることは、その国の人の暮らし方を知ることに、大いに役立つわけなんですよね。



しかしそこをさらに踏み込んで、料理を食べるだけでなく、自分で作ってみると、その国の生活のあり方について、さらに深く、感じることができるようになる。

それと同時に、「料理」そのものに対する理解も、また深まることになるんだと思うんです。



韓国は、これは「日本人にとって」ということなのだと思うのですが、とても不思議な感じのする国で、一見、日本とそっくりに見えながら、よく見てみると、じつはまったく違っていたりする。

人の顔立ちや、着ている服などは、日本人とそれほど変わらないんですよね。

風景も、都会にしても、田舎にしても、「日本とそっくり」と感じられるところも多い。

しかしそこに感じるわずかな違和感を、よくよく掘り下げていくと、日本との大きな違いを発見することになるわけですけれど、その代表が、料理だったりする。



韓国の料理は、よく知られている通り、日本とはまったく違って、とにかく辛い。おまけにニンニクが大量に入っている。

現在では日本でも、かなり韓国の料理が食べられるようにはなりましたけれど、日本の韓国料理屋で出されるものは、それでもずいぶん、日本人向けにアレンジされている。

韓国の料理をそのまま日本で出したら、その辛さとニンニクの量とで、多くの日本人は食べられないんじゃないでしょうか。

じっさい僕も、大学生のころ、初めて韓国へ行ったときには、食べ物でお腹をやられてしまい、滞在の後半は、ピザとかハンバーガーとか、日本でも食べられるようなものばかり食べていました。



飛行機で2時間もあれば到着する、日本からいちばん近い国である韓国の料理が、なぜこれほど違うのか、不思議になるわけなんですが、「料理法」という観点から見ると、なんとなくわかるような気がしてくるところがあるんです。

「肉や魚の生臭みにどう対処するか」というおなじ問題にたいする、2つの答えなんだと思うんですよね。



肉や魚は、焼いてしまえば、塩だけふって食べてもおいしいわけですが、これを「煮る」ことになると、問題が生まれる。

そのままだと生臭いんですよね。

これを日本がどう解決したかといえば、その代表例が、「かつお節」だと思うんですが、魚を加工することで、生臭みを「消す」ようにした。

また魚を生のままで煮る場合にも、だしを味わうのは鯛など、もともと生臭みの少ないものだけで、あとの魚は煮付けたり焼いたりして、だしとしての利用はしないようにした。

肉についても、だしとして利用するのは、生臭みの少ない鶏だけで、生臭みの強い豚や牛は、使わない。

生臭いものは、「そもそも使わない」という形で、日本は肉や魚の生臭みに対処したのだと思うんですよね。



それに対して、韓国では生臭みを、

「強烈な味の調味料で中和する」

ことにしたのでしょう。

それが、唐辛子とニンニク、それにゴマだった。

ですから韓国では、豚肉や牛肉も、だしとして利用することができる。

醤油や酒だけでは消えてくれない豚肉や牛肉の生臭みも、これらの調味料を入れれば、うまく中和することができるんですね。



「生臭み」という問題に対して、対処の仕方は、生臭いものの存在をなくすか、生臭いものの存在は許して、それを中和する別のものを加えるか、2つに1つでしょう。

日本と韓国は、その2つのそれぞれを選んでいるというわけです。

表面的には、日本とは全くちがって見える、韓国の料理ですが、こうしてその背後にある、「共通した問題」が見えてくると、なんとなく身近に感じられてくるような気がする。

そうやって考えてみると、韓国のあの激しい国民性も、また同時に、日本の排他的な国民性も、なんとなく納得できるものがあるように思えてくるんですよね。



まあこのことが、どれだけ当たっているかは別として、すくなくとも、ほかの国の料理を作ってみると、日本の料理だけ作っていたときには考えもしないようなことを、あれこれ考えることになるのはたしかです。

そうすると、「料理」や「世界」について、改めて見えてくるものがあるような気がしてくるところが、たのしいところだと思うんですね。






「プルコギ」は、韓国の代表的な料理の1つだといえるでしょう。

「韓国風焼肉」と言われたりもしますけれど、焼肉とはだいぶ趣きがちがい、「すき焼き」に近いです。

味付けも、韓国料理には珍しく、唐辛子を入れない。

砂糖と醤油の甘辛い味に、ニンニクの風味がたっぷりします。



牛肉は、いいのを使えば、もちろんおいしいには違いないでしょうが、この料理はたっぷりの野菜が入りますから、高い肉である必要はありません。

スーパーの特売で、100グラム100円くらいで売っている、オーストラリア産ので十分です。



作り方も、たいへんシンプル。

フライパンや炒め鍋などに、材料をすべて入れていきます。

まず牛肉。コマ肉なら切らずにそのままでかまいません。好きなだけ入れます。

昨日は200グラムくらい使いました。

それから玉ねぎ。中ぐらいの大きさなら半分くらいを、繊維に垂直に、細く切って入れます。

ニンジン。これも細く切ったのを2分の1本くらい。

しいたけ。細く切ったのを2個分。

プルコギに入れる材料は、以上のものが、最低ラインとなるのじゃないかと思います。

あとは昨日は、もやし半袋とニラ半把を入れました。



調味料ですが、まずニンニク。

これは好みで、1~3かけをすりおろして入れます。

あとは、砂糖と酒、みりん、醤油。

これは別の器にあわせて、味見してから入れるようにしたらいいと思います。

砂糖大さじ1に、酒とみりん、醤油を8分の1カップでも入れて、甘ければ醤油、辛ければ砂糖やみりんを足す。



すべてをフライパンに入れ終わったら、これを手で、よくもみ込みます。

十分もみ込んで、肉や野菜に調味料がしみ込んだら、ごま油を大さじ1~2くらいたらして、さらに手で混ぜる。

こんな感じの状態になります。

このフライパンを、そのまま中火にかけます。



火にかけると、野菜やら調味料やらの水分が出てきて、「焼く」というよりは「蒸し焼き」のようになりますが、それでいいです。

箸で上下を返しながら火を通し、肉に火が通り、全体がしんなりとしたら、すりごまをふりかけて出来あがりです。



甘みのある、やさしい味。

これはニンニクが嫌いでなければ、2~3かけ、たっぷり入れたほうが、韓国らしくなりますね。

プルコギは、汁がまたうまいので、もしご飯があれば、かけて食べると最高です。



あとは、韓国風わかめスープ。

牛コマ肉のパックがけっこう大量で、プルコギだけでは使い切れないので、スープにも使いました。

韓国では、牛肉を使ったスープは、かなりポピュラーなんですね。



鍋に水を張り、牛コマ肉ひとつかみにニンニク1かけを入れます。

これを強火にかけ、煮立ったら弱火にし、ふつふつと沸騰するくらいにして、アクを取りながら10分くらい煮ます。

昨日は肉をとり出さなかったんですが、もうだしがらで、味が全然ありませんから、とり出してしまったほうがいいですね。

酒を半カップくらい入れ、乾燥わかめをそのまま入れて、さらに煮ます。

これは、わかめがクタクタになるまで、かなり煮込んでもおいしいです。

最後に塩と醤油で味付けしたら出来あがり。



器に盛り、すりごまをふる。

牛だしのやさしい味は、大変おいしいです。



あとはキムチで、酒は焼酎のお湯割り。

おかずは、何か一品でも韓国風にしたら、その他全部も韓国風にしないとダメですね。

韓国風の強烈な味の前には、和風の微妙な味は、消し飛んでしまいます。



スープには、うどんを入れても、もちろんおいしいです。




2012-03-29

自分で取っただしで作ると100倍うまい。
「肉豆腐」




「だし」を自分で取るようになると、料理は100倍は楽しくなリます。

僕自身、料理がほんとうに「おもしろい」と思えるようになったのは、自分でだしを取ってからのことでした。



どんなことでもそうですが、物事の、ただ周辺をウロウロしているだけでは、あまりおもしろ味がわからないということは、あるのじゃないかと思うんですよね。

やはり物事は、中核にいるからこそ、ほんとうのおもしろさが感じられる。

たとえば楽器を習いたいと思ったら、いくら基礎練習を繰り返しても、なかなかおもしろいと思えるようにはならないでしょう。

そうではなく、下手でもいいからバンドを組んで、できればライブの日取りでも決めてみる。

「他人といっしょに演奏するおもしろさ」を一度知ってしまったら、もう後戻りすることはありません。

日本人の多くがピアノを習うのに、ほとんどが途中で挫折してしまうのは、レッスンでひたすら基礎練習ばかりをさせるからなのではないでしょうか。



料理にとっての「中核」とは、それでは何なのかといえば、「煮物」だと思うんですよね。

それは、どのようなものが「料理」といわれるかを考えてみればわかります。



自然の材料を、人間が食べられる状態にする方法には、煮ることの他に焼く、蒸す、干す、漬ける、などなど、たくさんあります。

このうちまず「漬ける」と「干す」は、絶対に料理とはいわれないでしょう。

漬け物を、どんなに時間と手間をかけて漬けても、それは料理ではない。

「たくわん」は、料理ではありませんよね。

「干す」もおなじで、昆布や魚の干物は、そのままでは食べられないから、料理でないのはもちろんとして、干し柿や梅干しだって、料理とはいわれない。



「蒸す」は、酒蒸しのように、煮ることの代わりに行う場合は別として、たとえば肉まんやシュウマイは、中国では「点心」であって、「菜」とは区別されることになる。

「焼く」も、液体のソースや調味料をかけたものは「料理」といわれても、魚の塩焼きを「料理」と呼べるかといえば、微妙なところがあるでしょう。



このように、「料理」と「料理でないもの」とのあいだには、はっきりとした線引きがあって、それはかけた時間や手間によるものではない。

「煮る」という作業を含むか含まないかが、決めているのだと思うんですよね。

実際スペイン語で「料理」のことを、「コシード(cocido)」という。

ところがコシードは、同時に「煮込み料理」のことを指すことになっていて、これはスペインでは、「料理」と「煮込み料理」が同一視されていることを意味するのじゃないかと思うんです。



「料理」という言葉が、このような意味を持つことになっているのは、歴史にも関係するのでしょう。

大昔から、人間は、火で焼いたり、干したり漬けたりすることにより発酵させたりということは、ものを食べる方法として行ってきていたでしょう。

火で焼けてしまった動物の死骸を食べてみたらおいしかったり、塩をふった材料を置きっぱなしにしてしまったら発酵したりもしたでしょうから、「焼く」や「干す」「漬ける」は、偶然見つけることもできたでしょう。

ところが、「煮る」はそれとははっきり異なる。

煮るためには「鍋」がなければならず、鍋が世に現れるためには、人間の知的営為が必要だったでしょう。

鍋は偶然によっては生みだされ得ず、ある明確な意図をもち、「発明」されなければならなかった。



現在「料理」と呼ばれるものは、この「鍋」を使ったものに限られているということなのじゃないかと思うんです。

「料理」という言葉は、それが単なる偶然で生み出されたものではなく、人間が意図し、つくり出した「文化」であるという意味を、暗に含んでいるのじゃないかと思うんですよね。



鍋を発明し、肉や魚、野菜などを煮てみた時の、人間の感動は、いかばかりであったでしょうか。

それぞれの材料からしみ出してきた味が、渾然一体となっただしの味。

それ以前には、「肉の味」「ニンジンの味」など個別の味は存在したけれど、ここで人類は初めて、それら個別の味が混ぜ合わされた、大きな「統合」を経験することになる。

さらにそのだしの味は、ふたたび個別の材料に返り、それらの味を、煮る前とはまったく異なったものとしていくわけですから、「煮る」というやり方は、それが発明される以前のやり方とは、質的にまったく異なった、次元の違うものだといっていいでしょう。



こうやって考えてみると、料理の中核は、あきらかに「煮物」にある。

そして煮物の中心的な役割をはたすものが、「だし」であるということなんですね。



ですから料理を始めてみたら、ぜひだしを、自分で取ってみることをおすすめしたいんですね。

煮物を自分で取っただしで作ると、煮物が100倍、おいしくなります。

そうすると、いうまでもなく、料理をするのが100倍おもしろく、そして楽しくなるんですね。

それにだしを自分で取れば、多少失敗しても、十分おいしく食べられますから、新たなチャレンジをすることが、それほど怖くなくなります。



だしを取るのは、何も難しくないし、時間も10分程度、手間もたいしてかかりません。

使うのは、だし昆布と削りぶし。

だし昆布は、高いのでなく、いちばん安いので十分です。

削りぶしには、「かつお節」と、それから「混合ぶし」と呼ばれる、サバやイワシ、アジなどを使ったものとがあるんですが、煮物や味噌汁に使うのなら、混合ぶしの方が味がしっかりしているし、おまけに安いです。



だしを取るには、「一番だし」と「二番だし」というやり方があるんですが、煮物や味噌汁を作る場合には、二番だしを取るようにします。

鍋に水を張り、この水が1リットルくらいだとしたら、だし昆布を1枚と、削りぶしを大きくひとつかみ入れる。

中火にかけ、沸騰したら弱火、ふつふつ煮立つくらいの火加減にして、浮かんできたアクを取りながら3分くらい煮る。

これをザルにキッチンペーパーをしいて、漉しとれば出来あがり。

これだけのことで、大変おいしいだしが取れます。



昨日はこのだしで、「肉豆腐」を作りました。



鍋に焼き豆腐、豚こま肉、しらたきを入れ、だしをかぶるくらいに入れる。

酒、みりん、醤油で、味を見ながら好きなように味をつけ、キッチンペーパーなどの落としブタをして、弱火であまり煮立てないよう、10分くらい煮る。

最後に長ねぎをくわえ、長ねぎがしんなりしたら出来あがり。



ごくごく簡単な料理ですが、自分で取っただしを使うと、死ぬかと思うほどうまいです。



あとは大根と油揚げの味噌汁。

だしで大根と油揚げを煮て、大根がやわらかくなったら、味噌を溶き入れる。

これももちろん、うまいです。

だしを取るのは、たしかにほんのすこし手間がかかりますけれど、それで作ったものが100倍うまくなるのなら、十分見合うといえるでしょう。



昨日はそれから、山芋千切り。

刻みのりとわさびをのせるのは当然として、卵の黄身をのせるのは、祇園の食堂「山ふく」の流儀です。



あとはスグキで、お酒を1合半。

昨日もお酒を控えめにできたと思っていたら、結局このあと、飲みに出てしまったので、さらに2合、飲みました。



朝めしは、味噌玉子うどん。



今日は、まさに「春うらら」。

ほんとにいい天気です。



2012-03-28

思った通りに作ってみるのが料理の醍醐味。
「照り焼きチキン」




自炊はやはり、自分の作りたいものを作るのに限ります。

よく料理の本には、栄養のことをやかましく書いてあったりすることがあるわけですよね。

一人暮らしで外食ばかりしていると、栄養が偏りがちだから、あれを食べなきゃいけない、これを食べなきゃいけないと、ごていねいに忠告してくれる。

でも一人暮らしは、そんなこと百も承知で、外食しているわけでしょう。

外食が身体に悪いなど、今さらわかった事ではない。

身体にはよくないし、経済的な出費もかさむけれど、止むに止まれぬ理由があって外食している。

それを栄養だ、節約だと言われたって、悲しくなるだけなんですよね。



やはり自炊は、楽しくなくちゃいけない。

自分が、「作りたい・・・」と思ったものを作り、「食べたい・・・」と思ったものを食べる。

これが自炊の醍醐味というものでしょう。

べつに作ったものが、他人から見ればどんなにヘボくたって、栄養が偏っていたって、材料にお金がかかり過ぎていたって、かまわない。

とりあえず、「自炊をしている」というだけでオーライ、十分褒められるに値することでしょう。



自炊で何を作ろうか考えるとき、料理の本を見るのもいいけれど、それだとどうも、ピンと来ないことが多いんですよね。

料理の本には、良かれと思って、あれこれレシピが書かれているのだけれど、それがどうも、詳しすぎる。

細かいことがあれこれ書かれているものだから、「そんな面倒なことなら、やらなくていい」と思いたくなってしまう。

だから自炊を始めようと思ったら、料理の本は、あまり見ないほうがいいと思うんです。



それよりは、自分がこれまで食べて、おいしかったものを思い出すのがいいですよね。

お酒が好きな人だったら、居酒屋とかへはよく行くでしょう。

居酒屋の料理は、わりかし簡単に作れるし、酒のツマミにはなるし、自炊の手始めには、まさにうってつけです。



自分が食べたことがあるものなら、作り方もなんとなく、想像できたりするでしょう。

それを思った通りに、そのままやってみる。

料理の本は、絶対に見ないのがポイントです。

料理の本にはかならず、自分が思ったのと違うことが書いてあるから、やる気がなくなってしまいます。

料理の作り方に、「正しい」も「まちがっている」もないのだから、自分が「こうだろう」と頭に思い描いた、その通りにやってみる。

それで作ったものを食べてみれば、自分が思った通りの味になっていることもあるだろうし、そうでないこともあるでしょう。

もし思った通りの味になっていなかったら、その理由を考えて、次回にまた、新しいやり方でやってみる。

それこそが、「料理が上手くなっていくこと」の意味であり、料理の最も楽しいところであると思うんですよね。

この楽しさを、一度知ってしまったら、もう料理がやめられなくなることは、間違いありません。



野菜スティックとか、いいですよね。

冷やしトマト、冷奴、ほうれん草のおひたし、焼き魚。

サラダやら、山芋千切りやら、なめこおろしやら。

思い浮かぶものは、色々あるでしょう。

それを片っ端から作ってみる。

それをツマミに、自分の好きな酒を飲めば、まさに王国、これほどの幸せはないといってもいいのじゃないでしょうか。






居酒屋メニューの王道といえば、やはり焼き鳥。

香ばしく焼いた鶏のおいしさは、毎日食べても飽きないほどでしょう。

焼き鳥は、おなじ味がするものを、家でわりと簡単に、作ることができます。

要は鶏肉を、ただ「焼けばいい」というだけですからね。



鶏肉は、肉の中でいちばん安いので、経済的にもうれしいところです。

もも肉が一番おいしいですが、これは国産でも、100グラム100円くらいなものでしょう。

ブラジル産なら、70円くらいで売っている。

70円なら、たっぷり300グラム食べたとしても、200円そこそこです。



焼き鳥には「塩」と「タレ」があるわけですが、塩だったら、両面に塩をすり込む。

タレだったら、何もせずにそのままで、フライパンに、皮を下にしてのせて、火をつける。

火加減は、弱火でじっくりやると、皮がパリッとして中はモチモチ、最高においしく出来ますが、30分くらい時間がかかります。

時間をかけるのが面倒だったり、またタレでやるなら皮がパリッとしている必要はありませんから、すこし火を強くして、弱めの中火くらい、それでフタをして焼けば、早く仕上がります。



焼きながら、ときどき肉を持ち上げて焼き加減を見て、皮にこんがりと焦げ目がついたらひっくり返す。

それで反対側にも、こんがりと焦げ目がついたら焼き上がりですが、フタをして弱めの中火で焼いた場合には、時間にして、皮目10分、裏側7~8分という感じでしょうか。



肉でも魚でも、焼き物の場合、意外にこの焼き加減がむずかしいのは確かです。

焼き過ぎの場合は、そのまま食べても問題ないとして、焼き足りなくて、切ってみたらまだ赤かったということもあるでしょう。

その場合、焼き直すのも1つの方法ですが、ちょっとくらい赤くても、食べて死ぬことはありません。

むしろ焼き足りないくらいの方が、肉の場合には、味としてはいいわけで、気にせずそのまま食べてしまうのをおすすめしたいです。



肉が焼き上がるすこし前に、ぶつ切りにした長ねぎを、フライパンでいっしょに焼きます。

鶏の脂が、あまりにもたくさん出ている時には、キッチンペーパーですこし拭きとるようにしてもいいかもしれません。



「塩」の場合には、以上で出来あがりですが、タレの場合は、ここでタレを調合し、フライパンに注ぎ込みます。

タレは、酒とみりん、それに醤油、各カップ8分の1に、砂糖を大さじ1。

これをよくかき混ぜ、味を見て、甘いようなら醤油を、辛いようならみりんを、すこし足します。

味付けは、レシピの分量を信じるのでなく、自分の舌を信じることが、料理するには大切ですね。



はじめは中火くらい、徐々に火加減を弱くして、焦げ付かないよう気を付けながら、タレを煮詰めていきます。

トロトロに、粘りが出てくるくらいまで、煮詰めていくのがポイントです。

これを鶏肉をひっくり返しながら、よくなすり付ければ出来あがりです。



適当な大きさに切って器に盛り、フライパンに余っているタレをかけ、見栄えをよくしたければ、青ねぎでもふります。

七味唐辛子や山椒をふりながら食べれば、焼き鳥屋に決して負けない味がしますよ。



あとはアサリと大根の味噌汁。

今はアサリをはじめ、貝類が旬ですから、毎日でも食べたいところです。



アサリは塩水に浸け、砂出しをしておきます。

カップ1の水に、大さじ1くらいの塩を入れ、そこにアサリを1~2時間入れておくと、アサリが砂を吐き出してくれるんですね。

ただスーパーで売っているアサリの場合は、もう砂出しされていて、そのまま料理に使えるものも少なくありません。

砂出ししたら、アサリを両手で受けて、殻をこすり合わせるようにしながらよく洗います。



鍋に水を張り、好きな形に切った大根と、昆布を入れる。

水の量は、アサリからたっぷりのだしが出ますから、たとえばアサリの量が150グラムくらいだったとして、水を500ccくらい入れても、まったく問題ありません。

この量だと、夜の味噌汁にくわえ、朝のうどんにも、十分足ります。



大根がやわらかくなるまで煮たら、昆布は捨て、アサリを入れる。

すぐにアサリの殻が開いてきますから、アクを取り、火を止めて、味噌を溶き入れる。

もう一回火をつけて、ひと煮立ちしたら出来あがり。

これはくれぐれも、アサリを煮すぎないのがポイントです。



今のアサリは、身がいっぱいに詰まっていて、大変うまいです。

アサリと大根も、いい取り合わせですよね。



あとは昨日の残りのほうれん草のナムルと、スグキ。

酒は日本酒。

昨日はなんと、酒は1合半ほどで済みました。

やればできる。

といっても、べつに長生きしたいというわけではありません。



夜、酒を飲むなら、ご飯はいらないでしょう。

残しておいた汁物で、冷凍うどんを煮て朝めしにするのが、最も手軽な自炊の仕方だと思います。




2012-03-27

万能調味料キムチをつかった簡単料理。
「豚キムチ」




キムチはほんとに便利な食材で、常備しておくと重宝しますよね。

そのまま食べてもうまいのはもちろん、さまざまな料理に、半ば調味料のように使うことができる。



韓国人の友人が教えてくれた、「韓国の貧乏人の料理」として、「キムチクッパ」というのがあります。

これは要は、キムチを水で煮ただけの汁にご飯を入れて食べるもので、日本の食べ物でたとえるならば、「お茶漬け」とか「日の丸弁当」とかに当たるようなものなのでしょう。

韓国でも食堂などには、もちろん置いていないメニューですが、韓国はキムチが安いから、貧乏人はそれしか食べられないということなのですね。

しかしこれは、キムチがそれだけを汁の材料にしても、とりあえず食べられる味になるということを意味しているといえるでしょう。



キムチを冷奴にのせたり、ちくわと和えたりするのはおいしいですね。

豚肉といっしょに炒めれば、豚キムチ。

豚キムチに水を足して煮、豆腐を入れればキムチチゲ。

豚キムチといっしょにご飯を炒め、玉子をのせればキムチチャーハン。

鍋に入れるのも、もちろんよし。

キムチがあれば、どんなスタイルの料理でも、できてしまうのではないかと思えるほどです。



キムチを料理につかう場合は、1ヶ月くらいたって、酸っぱくなったものの方がおいしいです。

いちおう賞味期限は書いてありますが、キムチの場合、それはほとんど関係ありません。

発酵食品ですから、冷蔵庫に入れておけば、そうそう簡単には腐らないんですね。

ですからキムチが古くなり、賞味期限を過ぎてしまっても、絶対に捨てないで、「これからが本番」だと思って、どしどし料理に使うのが正しいです。






というわけで、昨日は豚キムチ。

キムチはスーパーでも買えるんですが、それよりやはり、韓国食材店や韓国料理屋で売っているもののほうが、安いしおいしいです。

キムチを料理に使おうとする場合、汁が味出しのポイントになりますが、韓国食材店や料理屋のキムチのほうが、汁がたっぷり入っていることが多いです。



豚キムチは、ふつうに豚肉とキムチを炒め、調味料を入れ、野菜を炒め、というようにして作っても、何も問題ありませんが、昨日はちょっと変わった作り方をしてみました。

「もみ込み式・・・」

これは僕が以前、韓国でホームステイしていた時に、当時64歳だったホストのお母さんが、やっていたやり方を応用したもので、豚肉とキムチを炒める時に、あらかじめ豚肉に、キムチの味をしみ込ませておくというものです。

焼肉やホルモン焼きの肉を、あらかじめタレに漬け込んでおくというのと、おなじ考え方ですね。

豚肉を単独で炒めたときの、香ばしい風味はなくなりますが、漬け込むことで豚肉とキムチが渾然一体となり、これはこれで、また別のおいしさがあります。



豚コマ肉と、キムチを汁ごとたっぷり、それに酒とみりん、醤油を各大さじ1くらい、それにおろしニンニク1かけ分を器に入れ、手で混ぜ、調味料を肉にもみ込みます。

韓国では、調味料と材料を和えるとき、手でやることが多いんですね。

料理の味を、「オモニ(お母さん)の手の味」と表現したりもするそうです。

べつにここは韓国ではありませんから、箸でやってもかまわないわけですが、他の国の料理をつくるとき、その国の気分を味わってみることも、料理の楽しみ方の1つでしょう。



ゴマ油をひいたプライパンを強火で熱し、もみ込んだ豚肉とキムチを炒めます。

もみ込みをしないのならば、まず豚肉、それからキムチを炒め、調味料を入れるということでもかまいません。

豚肉にキムチの赤い色が付いているので、火が通っているかどうか、ちょっとわかりにくいでしょう。

生焼けにならないよう、よく炒めます。



豚肉とキムチに火が通ったら、野菜を炒めます。

野菜は、キャベツなどではなく、水が出ず、香りが強いものを入れるのがいいと思います。

昨日は長ねぎとしめじを入れました。

玉ねぎやシシトウ、ニラとかでもいいと思います。

上下を返しながらさらに炒め、キムチや調味料の汁気が飛んだら、炒め終わり。

最後にすりゴマをふって、出来あがりです。



これはうまいですよ。

ほっくりとした、やさしい味がします。

調味料をまったく入れずに、キムチだけの味で作ってしまうのも、もちろんまた悪くありませんが、調味料を入れると、コクと深みが出てきます。

さらに砂糖を入れ、すこし甘くしてしまうのも、悪くないかと思います。



あとは、ほうれん草のナムル。

せっかく韓国式のおかずですから、付け合わせも韓国式がいいでしょう。



ほうれん草は、おひたしを作るのと全くおなじ要領で、ふつうにゆでます。

おひたしの時もそうですが、ほうれん草は面倒でも、1株ずつゆでるようにした方が、ゆで湯の温度が下がらず、アクがきちんと抜け、しゃっきりとゆで上がります。

ゆで上がったほうれん草は、水に取って冷やし、よくしぼります。

これを3~4センチくらいの、食べやすい長さに切っておきます。



器にほうれん草、それに塩少々、醤油大さじ半分、おろしニンニク半かけ分、すりゴマ大さじ1、ゴマ油大さじ1、それぞれ「くらい」を入れ、手でよくもみ込みます。

これも圧倒的に手でやった方が、味がよく入ります。



ほうれん草の食べ方として、これもかなりイケるものの1つですね。



それにアサリの潮汁。

酒半カップほどを入れた水で、砂出ししてよく洗ったアサリを煮、殻がひらいたら塩と醤油で味付けし、器に入れたら、とろろ昆布を添える。



これは、単品としてはいいんですが、じつは献立としては、大失敗でした。

豚キムチとほうれん草のナムルの、ニンニクやゴマ、唐辛子の強烈な味にやられてしまい、アサリや昆布の微妙な味が、完全に消し飛んでしまったんです。

食べていても、うまいのか、まずいのかすら、わからない。

やはり韓国風のおかずには、韓国風の汁物にしないとダメですね。



酒は、焼酎のお湯割り。

スグキに日の菜も、ぜんぜん合わなかったです。



アサリの吸い物は、今朝うどんにして食べてみましたが、これだけだと、非常にうまかったです。