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2010-04-18

マイケル・ポランニー 「暗黙知の次元」(6)


もうこの「マイケル・ポランニー」のシリーズを読んでくれてる人は、とうにご承知のことと思うが、僕はこれを自分の勉強のために書いていて、マイケル・ポランニーのこの「暗黙知の次元」という本を、すこしでもはっきり理解したいと思ってのことであって、ここに何か新しいことを付け加えたいなどということでは、さらさらない。


なのでこのまま、だらだらとした要約が続いてしまうことになるかもしれないが、かといって僕はべつに、この本の要約をしたいと思っているわけでもなくて、この本を読み、それを踏まえながら、何らかの自分の言葉にしてみるということが、この本を理解する一番の近道であると思っているということなのだ。それが結果として、だらだらとした要約になっているということなのだが、しかし考えてみれば、これはまさに、ポランニーの暗黙的認識を実践しようとしていることではあるな。

これまでは、そしてもしかしたらこれからも、書きながらどうしてもポランニーの本を参照してしまい、そうするとポランニー自身の言葉にとらわれてしまって、ただそれをひたすら要約する、ということになってしまうのだ。料理なんかでも、料理の本を見ながらやってしまうと、最悪につまらないのだよな。料理の本は僕も好きだし、本屋で立ち読みしたりして、って買わないわけだが、よく読むのだが、それはあくまで読書として楽しむようにして、料理をするときにはそれを全部忘れて、自分で思ったように料理するということでないと、生き生きとした料理にならないのだ。でも不思議と、本で読んだことは、とりたててそれを記憶しようとしたということでなくても、からだのどこかが憶えていて、料理をしながら、その忘れていたはずの知識が、うまいこと思い出されたりして、組み合わさっていったりするから面白い。

だからポラニーのこの本を、もし自分の言葉にしてみたいと思うのだったら、書こうとするときには、それを見ないでやらないと、全然ダメだってことだ。なるほどな。