東浩紀というのはれっきとした大学教授なのだが、「オタク文化」についての批評家で、この本は、「クール・ジャパノロジーの可能性」と題するシンポジウムの講演と討論を、文字に起こしたもの。
日本および海外の、現代日本文化についての研究者、芸術家、映画監督などが、アニメを中心とした現代日本文化の分析および、いま海外で日本のアニメが大流行しているという現象についての分析を語り合う。
僕は文化論などにはまったく疎いので、この本に書いてあることの受け売りをすれば、日本文化論はもともと、「西洋は罪の文化で、日本は恥の文化だ」みたいな、西洋を比較対象とした文脈のなかで論じられてきたものが、浅田彰らのポストモダン的批評、ってどんなものだかよく解らないが、を経ながら、2000年以降、東浩紀や宮台真司などの、「オタク文化」や「女子高生文化」など、具体的なフィールドワークを踏まえた、新しい批評が登場してきている。
様々な立場の人たちが話しあうことによって、この新たな批評の可能性について探る、ということが、このシンポジウムの目的だったらしい。
現代日本文化の特徴として、「かわいい」ということばに代表される、「未熟さ」を前面に押し出すということがあり、これが既存社会からの「大人になれ」という要請にたいする、防波堤のような役割を果たし、若者が自分の居場所を見つけるための、重要な役割を果たしている。
これはしかし、ただ日本でだけ求められるものではなく、世界中で、若者は、日本と同じような状況にいるわけだから、日本のオタク文化は、海外においても必要とされるものになりつつあるのであり、延長線上に、世界中のオタクが、トランスナショナルな連帯をし、ひとつの運動を形成するというようなこともあり得るのではないかという、かなり威勢のよい、オタク批評家の立場から見て、明るい未来を思い描いていたりする。
まあこれは、売り出し中の東浩紀が、大風呂敷を広げている、というものであると思うけれど、世の中には、どんなものでも、それを研究する人がいて、またそれが学問として成立したりするのだということに、けっこう驚く。
というか、オタク批評を学問として成立させようと、一生懸命がんばって、難しいことばを使い、批判を退け、偉そうにふるまうところが、批評というものが本来、一般人に開かれたものであるはずであるということを考えると、なんともイタイ。
★★☆☆☆ 2.0
日本的想像力の未来~クール・ジャパノロジーの可能性 (NHKブックス)