おととい鶏肉で、昨日魚だったから、今日は豚肉と、ローテーション的に決まっているのだ。
グルメシティでは、豚ロース肉、トンカツ用とはべつに、もう少し厚めに切った、「ステーキ用」というのを売っていて、いつもそれを買ってくるんだが、あ、もちろんアメリカ産、今日はほんとにステーキを焼くみたいに、初め強火でちょっと焼いて、それから弱火、裏返して強火、とやったら、まあこれは偶然なのだけれど、中がほんのりピンク色、最高の焼き加減で、モソモソすることが全然なく、噛みごたえ抜群だった。
焼くのって、煮るよりむずかしいと思うんだよな。
炒めるのも。
煮るのは、進み具合がゆっくりで、煮魚だって10分とかだし、煮込み料理はもっと長く煮るわけで、味加減だって、何度だって味見すればいいし、あとから何かを追加したりするのだって、自由自在なわけだ。
でも焼くとか炒めるとかは、火を通し始めてから、終了まで、数分とかいう感じだから、もたもたしているとあっという間に火が通りすぎてしまう。
場合によっては、秒単位で、おいしいポイントを通りすぎてしまうからな。
火の通り加減とか、味見とか、悠長にやっている場合じゃないのだ。
だからこの焼いたり煮たりする料理のおもしろさは、味見や火の通り加減なんか、確かめてみたりしないで、料理を外から見て、中がどうなっているのかを想像する、というところにあるのだな。
料理って、想像力を駆使するところが、一番のおもしろさであって、だいたいまず、どんな料理を作ろうかと、スーパーでいろいろ見たり、冷蔵庫に残っているものを思い出したりしながら、考えを巡らすところから始まるわけだが、料理をしている最中にしたって、ステーキ焼くなら、焼いてる肉を外から見て、中を想像して、肉がどんな色なのかを頭に思い描いて、今だというタイミングで火から下ろすわけだ。
もちろんそれは、当たるときもあれば、外れるときもけっこう多いのだが、それはいわば勝負なのであって、勝つときがあれば、負けるときもあるというのが、おもしろいところなのだ。
よく料理の本に、竹串をさして焼き加減を調べるとか書いてあるが、それは失敗が許されない、プロの料理人とかだったら、やらないといけないことだと思うが、こちら、成功するか失敗するかよりも、おもしろさを優先する立場としては、そんなことは、できるだけしないほうがいいのだ。
3ミリ厚くらいの半月に切ったナスに、塩をふってよく揉んで、手でよくしぼる。
すりゴマと醤油をかけて食べる。