最近「エロ」ということに興味があって、これってまったくオヤジだなと、我ながら思うのだが、京都というのは、表面上、エロが徹底的に排除されているという感じがするのだ。
街を歩いている女の子が、東京や、高槻などとくらべても、エロい子がほんとにいない。
名古屋や広島では、そういう視点で女の子を眺めていなかったので、どうだったかよく覚えていないのけれど、京都よりは多かったのじゃないかと思うのだがな。
京都には、これは観光都市としてという意味だと思うが、さびれた遊郭はあるが、ソープ街がない。
それから京都の女の子は、「エロオヤジ」的ふるまいに、とても厳しいような気がする。
そうやって考えてみると、名古屋というのは、エロオヤジに対して寛大だったなと思うのだ。
というよりエロオヤジというものが、名古屋では、文化の欠かせぬ一輪として、組み込まれているとすら思うのだ。
たとえば居酒屋や、喫茶店でもいいのだが、二十歳くらいのバイトの女の子に、エロオヤジ的ふるまい、これは罪はないが、会社でやると一発でセクハラになる、という類のやつだ、で話しかけるとすると、これはほんとに例外がないのだが、相手の女の子はかならず、それをうまいこと受けて、話を盛り上げてくる。
東京の下手なキャバクラよりよっぽど楽しいくらいで、だから名古屋のキャバクラは、どこへ行っても異常に盛り上がる。
さすが名古屋、キャバクラ発祥の地だけのことはあるのだが、これはたぶん、名古屋の女の子が、お父さんは違うと思うが、親戚のおじさんなどが、エロオヤジ的ふるまいをするのを、うまいことあしらうのに、小さなころから慣れている、ということなのじゃないかと思うのだよな。京都では、まだ僕は、エロオヤジ的ふるまいを実践していないのだが、ふつうの飲み屋や喫茶店などでは一発でアウト、場合によっては出入り禁止にすらなることがあるのじゃないかと想像する。
しかしやはり、「エロ保存の法則」というものが、あるのじゃないかと思うのだな、僕は。
だから、京都にもどこかにエロが、隠れているのじゃないかと思うのだが、あまりに奥深そうで、行き着けないような気がするな、ちょっと。
なにくだらないこと書いてんだか。