毎週土曜日は、「休日」と決めて、ブログを更新したあとはのんびり過ごすことにしています。
フリーで仕事をしているので、休日は自分で決めないといけないんですよね。
ほんとうなら、土曜や日曜などを休みにしないで、平日を休みにしたほうが、世の中はなにかと空いていたりするわけでしょう。
でも土曜日や日曜日の、車の音もあまり聞こえない、「いかにも休日」といった街の雰囲気を目の当たりにしてしまうと、仕事をする気にならなくなってしまうんですね。
もうこのブログにも、何万回となく書いているんですけど、休みの日には、まずスーパー銭湯へ行きます。
まっ昼間からのんびり風呂に入るというのは、最高の気分なんですよね。
サウナやら水風呂やら、露天風呂の温泉やらに取っかえ引っかえ浸かったり、露天風呂の脇の寝台で寝そべったりして、1週間の疲れを徹底的に追い出します。
世の中で、サウナほど疲れが取れるものは、ほかにはないんじゃないでしょうか。
サウナのあとは、言うまでもなくビール。
毎週欠かさず行っている、「新福菜館」の三条店へ移動します。
この店では、もう常連になっているので、席につき、「いっしょで」と言えば、いつもとおなじものを出してくれます。
まずキムチをアテに、ビールを一杯。
餃子が出てくるのを待ちます。
皮の厚さとアンの分量、肉と野菜の割合、ニンニクの利かせ具合、焼き加減、などなど、おいしい餃子に必要と思われる、あらゆるバランスが絶妙で、何度食べても飽きることがありません。
割り入れられている生卵は、しばらくはくずさずに、8割方食べたころになって初めて、麺にまぶしつけるようにしています。
こうすると、味の変化が楽しめるというわけなんですね。
このラーメンを食べて、あまりのうまさに死亡して、家に帰って2~3時間昼寝をするのが、休日の約束事になっているというわけです。
新福菜館三条店のラーメンは、ほんとうにおいしくて、もう100杯以上は食べていると思いますが、それでも新たな発見があるんです。
新福菜館は戦前の創業ですから、戦後に確立した現在のラーメンのスタイルとは、かなり違うところがあって、奥が深いんですよね。
新福菜館のラーメンは、スープに大きな特徴があって、まっ黒な色をしています。
「京都のラーメン」というと、なんとなくイメージとして、うす味の、淡い色のラーメンを想像するでしょう。
実際各地で、「京風ラーメン」と呼ばれるうす味のラーメンを出している店があったりします。
でもあれは、あくまで「外の人から見た京都」のイメージで、京都の地のラーメンは、そういうものはほとんどないんです。
京都発のラーメンとして、全国に知られているのは、「天下一品」です。
あのこってりとした天下一品のラーメンが、京都発だとは、思ってもみない人が多いんじゃないでしょうか。
「來來亭」という、関西・西日本を中心としたラーメンチェーン店があるんですが、それも京都発の「背脂醤油系」というラーメンを元にしていて、背脂がたっぷりとふり入れられ、かなりこってりしています。
京都の料理は、やはり「味付け」にこだわるところがあって、野菜などはうす味で炊くけれど、魚や肉はきちんとこってり炊くなど、素材によって味付けを使い分けますから、肉を中心としたラーメンは、やはりこってりとした味付けになるということなんだと思います。
新福菜館のラーメンスープがまっ黒い色をしているのは、「甘み」が入っているからです。
戦後のラーメンは、基本的に甘みを入れることがありませんが、これは当時、ライバルであった「そば」との、差別化をはかる意味だったのじゃないかと思うんですよね。
日本人にとっては、肉のだしを使ってそばを作るなら、「鴨南そば」に代表されるような、こってりと甘い味付けが王道になるでしょう。
でもそうしてしまったら、当時新興の食べ物であったラーメンは、そばに対抗できなくなるから、あえて味を変え、甘みを付けないようにしたというのが、僕の想像です。
ところが新福菜館は、戦前の創業だから、まだラーメン・そば戦争がそれほど激化していなかったということなんじゃないかと思うんですよね。
それで、日本人の王道である、「肉には甘辛いこってり味」ということを、そのままラーメンに持ち込んだのじゃないかと思うんです。
新福菜館のラーメンが、なんとも「ほっ」とする、やさしい味であるというのは、そこに理由があるのじゃないかと思っています。
ところで豚肉に醤油の味を合わせるのは、意外にむずかしいでしょう。
トンカツにただ醤油をかけても、あまりおいしくないことから分かる通り、豚肉と醤油とは、そのままではうまく合いません。
ですから豚肉でだしを取るラーメンは、醤油の味にするために、いろいろな工夫をしているんですね。
まず代表的なのは、「ニンニク」でしょう。
豚肉のだしに、ニンニクを入れると、嘘みたいに醤油味に合うようになりますよね。
戦後のラーメンは、基本的にニンニクを入れることで、醤油味に合わせているのだと思います。
それからもうひとつ、「和風だし」もありますよね。
豚の角煮を作るとき、和風に作ろうと思うと、ニンニクを入れるわけにはいきません。
そのかわり、昆布やかつお節の和風だしを使うんですよね。
以前のラーメンは、これを「味の素」が担っていたと思いますが、30年くらい前に登場した、「和風ラーメン」とか、「ダブルスープ」のラーメンとかは、実際に昆布やかつお節でだしを取っていますよね。
ところが新福菜館のラーメンには、ニンニクはあまり入っていないし、味の素もあまり使っていない。
スープを仕込みするところをちょくちょく見ていますけれど、大きな雪平鍋いっぱいのスープにたいして、ニンニクや味の素と思われるものは、ほんとに小さじ1杯くらいしか入れていません。
ニンニクは、まだ戦前には、日本人には馴染みがなかったんだろうと思うんですね。
味の素も、本格的に使われるようになったのは、戦後なのではないでしょうか。
和風だしも使われていません。
和風だしは、使おうと思えば使えたのかもしれないけれど、経費がかかることになってしまうでしょう。
それでは、新福菜館では、どうやって豚のだしと醤油を合わせているのだろうと考えたんですが、それが昨日、わかったんですね。
「酸味」なんです。
ニンニクと和風だしの他に、豚肉と醤油を合わせるための方法が、もう1つあって、それは酸味を加えることでしょう。
トンカツに、醤油だけかけてもおいしくないけれど、これをぽん酢にすれば、おいしく食べられるということなんですね。
それで、そう思って新福菜館のラーメンを食べてみると、ほのかな酸味が感じられる・・・、気がする。
いやたしかに、新福菜館のスープが、こってりとしていながらも、「さわやか」であるのは間違いないんです。
こってりと甘辛い味のラーメン自体が、まず世の中にあまりないものなわけですけれど、さらに酸味の入った、さわやかな味のラーメンも、ほかにはそれほどないでしょう。
新福菜館のラーメンの、僕は中毒に、完全になってしまっているんですけれど、なぜ新福菜館のラーメンが、これほどまでに人を惹き付けるかということの秘密が、この「甘み」と「酸味」にあるのかと、昨日思ったというわけなんです。
ただこれは、お店の人に確かめてはいないです。
お店の人に、味付けの秘密をとやかく聞くのは、あまり品がいいものじゃありませんよね。
あくまで「自分の納得」のために、考えたというものです。
あと新福菜館の、ほんとにおいしい味を味わいたいと思ったら、三条店じゃないとダメです。
このブログを見て、新福菜館のラーメンが食べてみたいと思った人は、ぜひ三条店へ行ってくださいね。
というわけで、今日も前置きがたいへん長くなってしまい、申し訳ない次第なんですが、晩酌は、「ぶりカマの塩焼き」にしました。
昼間にお腹いっぱい食べたから、軽いものにしたいと思ったんですが、食べてみたらけっこうなボリュームで、そう軽くもなかったです。
料理法は、なんといっても塩焼き。
焼いてしまいますから、それほど鮮度にこだわらなくても、見切り品で十分です。
ただおもてうらに塩をパラパラとふって、弱いめの火でじっくり焼くだけ。
カマは分厚いし、中に骨もあるので、なかなか火が通りにくいから、ちょっと焦げるくらいまで焼くのがポイントなのではないでしょうか。
ぶりカマは、脂が乗っているので、多少焼き過ぎてもだいじょうぶだけれど、生焼けだとおいしくありません。
脂の乗った、ホクホクのぶりカマは、酒のつまみには最高ですね。
漬けた当日は、まだちょっと浅漬かりでしたが、昨日はいい感じになっていました。
置き過ぎると今度はかたくなってくるので、2~3日目あたりが食べ頃ですね。
鍋に水を張り、砂出ししてよく洗ったシジミとだし昆布を入れ、シジミの殻が開くまで、アクを取りながら煮るだけ。
あっという間にできるのに、しみじみとおいしく、肝臓にもやさしいんですから、言うことありません。
燗の温度は、好みがあるとは思いますが、人肌くらいの、熱くも冷たくもない、まったく刺激のないくらいのところが、日本酒の風味も飛ばないし、飲み口もやさしいです。
味噌は、ふつうの麹味噌だと、翌日はあまりおいしくありませんが、赤だし味噌なら、翌日になっても味が変わりません。