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2012-03-08

「料理と呼ばれない料理」の世界。
「ニシンとナスの炊いたん」「アサリの赤だし」


一人暮らしが料理をするという時、一番の利点は、「誰にも文句を言われない」ということだろう。

主婦などが家族の料理を作るという場合、下手なものを出してしまうと、ご主人や子供に文句を言われるということもあるにちがいない。

でも一人暮らしの料理は、自分が満足すれば、それでいい。

自分の作ったものを誰にも食べてもらえないというのは、たしかにちょっと残念なことではあるけれど、一人暮らしの料理が非常に「自由」であるのは、間違いないことだ。



一人暮らしが、自炊に踏み出せない、また自炊を楽しめないという場合、

「料理の敷居を上げてしまっている」

ということが、少なくないのじゃないいか。

自分がお母さんに食べさせてもらったり、店で食べたりするものを、「料理」であると考える。

それらの「料理」と比べると、自分の作っているものは、到底「料理」とは呼べない簡単なものだということで、悲しくなってしまい、自炊をあきらめてしまうことは、けっこうあるのじゃないだろうか。



世の中で、「料理」と呼ばれるために、一定の基準が存在するのはたしかだ。

たとえば、一本丸のままのキュウリに、塩をつけて食べるのは、「料理」とは呼ばれないだろう。

キュウリをそれなりにきれいな形に切り、塩でなく味噌を添えたとしても、まだ「料理」にはならないのじゃないか。

ところがこの味噌が、「もろみ味噌」や「梅ペースト」になれば、それらは「もろきゅう」や「梅きゅう」と呼ばれる「料理」となる。



「鍋」も、「料理」と呼べるかどうかは微妙だ。

鍋に、何でもかんでも好きなものを入れて煮たものは、「ごった煮」であって「料理」ではないだろう。

鍋が「鍋料理」と呼ばれるためには、やはりそれなりに特徴があったり、手がかかっていたりする必要がある。



しかしキュウリに味噌をつけただけのものや、ごった煮など、「料理」とは呼ばれないものが、おいしくないのかといえば、必ずしもそうではない。

ご主人の食卓に出すものとしては不足かもしれないけれど、自分一人で食べるには、まったく問題ないわけだ。



問題がないばかりか、実はこの、「料理とは呼べない料理」の世界、たいへん深くて広いのだ。

多くの肉や魚は、塩だけふって焼いたものの方が、下手に凝って味付けしたものよりうまい。

ごった煮でも、材料の組み合わせや味付けをさまざまに変えれば、見た目はおなじようでも、味はまったくちがうものになる。

この「料理とは呼べない料理」の世界をウロウロするだけで、毎日飽きずに楽しめるのは、間違いないのである。



ただこの「料理とは呼べない料理」、レシピ本には決して載っていない。

僕が数ヶ月にわたり、楽しんできた「鍋」も、今度できる本にはほとんど載らない。

「料理」として切り出せるものでないと、「情報」にならないからだ。

それは「メディア」がもつ、原理的な限界なのではないかと思う。



だから一人暮らしで自炊しようと思う人は、レシピ本を参考にこそすれ、盲信しないようにする必要がある。

レシピ本に載っているものだけが、「料理」だと思ってしまうと、それを毎日作るのは疲れてしまう。

「自分が食べたいと思うものを、自分が好きなように食べる」

ことが、一人暮らし料理の基本だろう。

べつにそれが、人から「料理」と呼ばれようが、呼ばれなかろうが、一人暮らしにしてみれば、大きなお世話というものだ。






昨日は魚屋で、「ソフトニシン」を買った。

「身欠きにしん」は、ニシンをカチカチに干し上げたものだけれど、このソフトニシンは、ちょうど干物くらいの干し加減となっている。

鮮魚がなかなか手に入らなかった京都では、干物をよく食べる。

ニシンも京都の名物だけれど、身欠きにしんやソフトニシンは、魚屋や、京都の地元系スーパーなどには置いてあるけれど、グルメシティには置いてないから、京都以外では、それほど食べるものではないのだろう。



ソフトニシンは、蒲焼にしたり、焼きびたしにしたりもできるし、煮物に使ってもいい。

魚屋のおばちゃんは、ナスを一緒に炊くのが代表的だが、ジャガイモもおいしいと言っていたが、昨日はナスを炊くことにした。



身欠きにしんは、丸一日水につけて戻さないといけないのだが、ソフトニシンは、そのまま使うことができる。

ただ煮物に使うときは、アクをとるため、水でさっと煮て、煮汁は捨てる。



昆布だしに、たっぷりの酒と砂糖、みりん、しょうゆで味をつけ、アクを取りながら、まずニシンだけをすこし煮る。



魚屋のおばちゃんは、このだしを取り分けて、別鍋でナスをサッと煮て、ニシンはこってりと煮詰めるのだと教えてくれるのだけれど、昨日はそれを忘れて、水に浸したナスをいっしょに煮た。

京都の人は、料理のやり方がほんとにていねいで、青菜を油揚げと炊くときも、青菜は下ゆですると教えてくれる。

ナスもやはり、下ゆでするのだそうだ。

ていねいに作れば、たしかにおいしいけれど、こうやってすこし雑に作っても、べつにまずいわけではない。



山椒と七味唐辛子をかけて食べる。

ニシンに山椒と七味を両方かけるのは、京都の食堂で習ったやり方。

山椒と七味が、ケンカしそうにも思うけれど、そんなことはなく、非常にうまい。

考えてみたら、広島で名物の激辛汁なし担々麺も、山椒と唐辛子が両方はいってる。



アサリの赤だし。

アサリや、ハマグリ、シジミなど貝の汁物は、作るのは簡単で、貝のいいだしが出るし、しかも安いから、つい多投してしまう。



鍋に水を張り、砂出ししたアサリと昆布を入れ、酒をたっぷりふり込んで、火にかける。

鍋が沸いてきたら油揚げでも放り込み、アクを取り、貝がぜんぶ開いたら、火を止め、味噌を溶き入れる。

ひと煮立ちさせれば出来あがり。



あとは昨日の水菜とお揚げの炊いたんに、上賀茂の農家のおばちゃんから買うスグキで日本酒。

日本酒は、この頃は2合半くらい飲んでいる。

飲みながら、ネットを見たり、友達とチャットをしたりする。

下手な飲み屋で飲むよりは、こうして家で飲んだほうが、うまくて楽しく、しかもお金がかからない。



朝めしは、アサリの赤だしでうどんを煮る。

これがまたうまい。