一人暮らしが料理をするという時、一番の利点は、「誰にも文句を言われない」ということだろう。
主婦などが家族の料理を作るという場合、下手なものを出してしまうと、ご主人や子供に文句を言われるということもあるにちがいない。
でも一人暮らしの料理は、自分が満足すれば、それでいい。
自分の作ったものを誰にも食べてもらえないというのは、たしかにちょっと残念なことではあるけれど、一人暮らしの料理が非常に「自由」であるのは、間違いないことだ。
一人暮らしが、自炊に踏み出せない、また自炊を楽しめないという場合、
「料理の敷居を上げてしまっている」
ということが、少なくないのじゃないいか。
自分がお母さんに食べさせてもらったり、店で食べたりするものを、「料理」であると考える。
それらの「料理」と比べると、自分の作っているものは、到底「料理」とは呼べない簡単なものだということで、悲しくなってしまい、自炊をあきらめてしまうことは、けっこうあるのじゃないだろうか。
世の中で、「料理」と呼ばれるために、一定の基準が存在するのはたしかだ。
たとえば、一本丸のままのキュウリに、塩をつけて食べるのは、「料理」とは呼ばれないだろう。
キュウリをそれなりにきれいな形に切り、塩でなく味噌を添えたとしても、まだ「料理」にはならないのじゃないか。
ところがこの味噌が、「もろみ味噌」や「梅ペースト」になれば、それらは「もろきゅう」や「梅きゅう」と呼ばれる「料理」となる。
「鍋」も、「料理」と呼べるかどうかは微妙だ。
鍋に、何でもかんでも好きなものを入れて煮たものは、「ごった煮」であって「料理」ではないだろう。
鍋が「鍋料理」と呼ばれるためには、やはりそれなりに特徴があったり、手がかかっていたりする必要がある。
しかしキュウリに味噌をつけただけのものや、ごった煮など、「料理」とは呼ばれないものが、おいしくないのかといえば、必ずしもそうではない。
ご主人の食卓に出すものとしては不足かもしれないけれど、自分一人で食べるには、まったく問題ないわけだ。
問題がないばかりか、実はこの、「料理とは呼べない料理」の世界、たいへん深くて広いのだ。
多くの肉や魚は、塩だけふって焼いたものの方が、下手に凝って味付けしたものよりうまい。
ごった煮でも、材料の組み合わせや味付けをさまざまに変えれば、見た目はおなじようでも、味はまったくちがうものになる。
この「料理とは呼べない料理」の世界をウロウロするだけで、毎日飽きずに楽しめるのは、間違いないのである。
ただこの「料理とは呼べない料理」、レシピ本には決して載っていない。
僕が数ヶ月にわたり、楽しんできた「鍋」も、今度できる本にはほとんど載らない。
「料理」として切り出せるものでないと、「情報」にならないからだ。
それは「メディア」がもつ、原理的な限界なのではないかと思う。
だから一人暮らしで自炊しようと思う人は、レシピ本を参考にこそすれ、盲信しないようにする必要がある。
レシピ本に載っているものだけが、「料理」だと思ってしまうと、それを毎日作るのは疲れてしまう。
「自分が食べたいと思うものを、自分が好きなように食べる」
ことが、一人暮らし料理の基本だろう。
べつにそれが、人から「料理」と呼ばれようが、呼ばれなかろうが、一人暮らしにしてみれば、大きなお世話というものだ。
「身欠きにしん」は、ニシンをカチカチに干し上げたものだけれど、このソフトニシンは、ちょうど干物くらいの干し加減となっている。
鮮魚がなかなか手に入らなかった京都では、干物をよく食べる。
ニシンも京都の名物だけれど、身欠きにしんやソフトニシンは、魚屋や、京都の地元系スーパーなどには置いてあるけれど、グルメシティには置いてないから、京都以外では、それほど食べるものではないのだろう。
ソフトニシンは、蒲焼にしたり、焼きびたしにしたりもできるし、煮物に使ってもいい。
魚屋のおばちゃんは、ナスを一緒に炊くのが代表的だが、ジャガイモもおいしいと言っていたが、昨日はナスを炊くことにした。
ただ煮物に使うときは、アクをとるため、水でさっと煮て、煮汁は捨てる。
京都の人は、料理のやり方がほんとにていねいで、青菜を油揚げと炊くときも、青菜は下ゆですると教えてくれる。
ナスもやはり、下ゆでするのだそうだ。
ていねいに作れば、たしかにおいしいけれど、こうやってすこし雑に作っても、べつにまずいわけではない。
ニシンに山椒と七味を両方かけるのは、京都の食堂で習ったやり方。
山椒と七味が、ケンカしそうにも思うけれど、そんなことはなく、非常にうまい。
考えてみたら、広島で名物の激辛汁なし担々麺も、山椒と唐辛子が両方はいってる。
アサリや、ハマグリ、シジミなど貝の汁物は、作るのは簡単で、貝のいいだしが出るし、しかも安いから、つい多投してしまう。
ひと煮立ちさせれば出来あがり。
日本酒は、この頃は2合半くらい飲んでいる。
飲みながら、ネットを見たり、友達とチャットをしたりする。
下手な飲み屋で飲むよりは、こうして家で飲んだほうが、うまくて楽しく、しかもお金がかからない。
これがまたうまい。