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2010-10-09

ノーベル平和賞

今回のノーベル平和賞、中国の人権活動家に授与されたわけだが、どうなのだろう。
ネットなんかでは、鬼の首を取ったように、ノーベルよくやった、みたいな反応もあったりするのだが、少なくとも日本人としては、手放しで喜べるようなことではないのじゃないかと思うのだよな。
今ただでさえ、中国との関係が微妙で複雑なものになっていて、僕は近所づきあいというものは、何事にも白黒はっきりさせるとかいうことではなく、お互い考え方は違っても、仲良くしましょうよと、表面的であってもいいから大人の付き合いをすることが大事なのじゃないかと思うのだけれど、ああやって中国のいちばん痛いところを、グサッと刺激するようのことをされても、日本にとっては、物事がより複雑になるばかりで、いいことないのじゃないかと思うのだがな。

それにだいたい、人権と言うが、日本は人権というものを、自力で獲得した歴史というものは、ないのだよな。
江戸時代が専制国家であったとして、そこから少し民主的になるのだって、外国の圧力によるものなわけだし、さらに天皇主権が国民主権になったのだって、戦争に負けて、無理やり憲法を押し付けられたということによるわけだ。
ヨーロッパの国などでは、人権を得るために革命を起こして、血を流して、大変な思いをしてそれを手に入れるということをしてきているわけだけれど、日本はそんなことはひとつもせず、ただ外圧で、結果として人権が保証されるということになっているだけであって、その日本が、人権のない国を批判することって、どうなのかとも思ったりするわけだ。

北朝鮮とか見ていて、ああいう超独裁国家が、つぶれずに成立して、しかも世襲までやり遂げようとしているのを見ると、すごいことだなと、ちょっと感心する気持ちもある。
いやもちろん僕は、こう言いながらも、自分の人権が認められない国には、絶対住むことはできないのだが、北朝鮮がもし会社なら、とっくにつぶれているのじゃないのか。
あれだけ経済的に困窮して、国民はガンガン餓死したりしているにもかかわらず、国としては成立し続けるということは、独裁という国家の形が、じつはかなり安定した、人間の性質にそれなりに適ったものであるのだろうという気がしてしまう。

江戸時代が専制体制であって、今より不自由だったのかということについてだって、こういう本を読んだりすると、もしかしたら江戸時代というものは、今より全然いい時代だったのじゃないかと思えてきたりもする。
もちろん武士階級などは、絶対服従、主君に逆らうことは、すなわち死、みたいなことだっただろうけれど、一般大衆は、そんな専制体制とはまるで関係なく、のびのびと、自分たちが好きなように、暮らしていたらしいのだ。
こちらの本などを読むと、昔は階級制度や家父長制でがんじがらめで、窮屈な暮らしをしていたなどということは全くなく、村の寄り合いなどでも、身分に関係なく、皆が意見をいい、意見が一致するまで何日でも話し合いが続けられた、みたいなことが書いてあって、日本の場合、専制体制といっても、ごく上層部のことだけで、大衆のあいだには、今では想像もつかないような、自由な世界があったみたいなのだよな。

日本が外圧に負けて、それを終わりにしなければいけなかったのは、一にも二にも、軍事力がなかったためであり、それではあのとき、日本が西欧に対抗できるような軍事力を持っていたら、いまだに江戸時代のままでも良かったのだろうかと考えたりする。
北朝鮮や中国が、とにかく軍事力を徹底して増強して、ということを、ほかの何にも優先させてしているというのは、けっきょくそういうことだよな。
軍事力というものがあれば、外圧というものはとりあえず跳ね返すことができるからなわけだ。

だからといって僕は、日本がこれから核を持ったらいいと思っているわけではなく、今の日本が、アメリカの傘から離れ、中国や朝鮮と対峙しながら、軍事的に独立した一国になるということは、現実的になかなか考えにくいものであると思うし、日本は日本で、それとは違った、これからのあり方というものを考えていかないといけないものであると思うのだが、いずれにせよ、中国に人権がないということをいちいち批判しても、日本にとって明るい未来は描けない、ということは、あるのじゃないかと僕は思う。