サザンがデビューしたのは、高校1年になった頃で、デビュー曲の「勝手にシンドバッド」およびデビューアルバム「熱い胸さわぎ」は衝撃だった。曲が洒落ているということはもちろんあるのだが、なにより歌詞がすごくて、日本語としてあまり意味が通っていなかったり、さらに二枚目のアルバムでは、日本語ですらなく、なんとなく日本語みたいな、また英語みたいでもある、適当な音が発音されていて、歌詞カードには「○▲※…」のような記号が書かれていたりしていたのだ。
日本のロックというものは、そのスタートから、アメリカやイギリスで生まれ、英語で歌われていた音楽に、どう日本語を乗せていくかということについての、苦心の歴史であったという気がする。英語の語調に合った音楽だから、そこにただ日本語を乗せてしまうと、ダサくなってしまうわけだ。歌詞に英語を混ぜてみたり、日本語を英語のような、巻き舌で発音してみたり、様々な試みがあったことと思うが、サザンにいたって遂に、歌詞が日本語であるということを放棄するということに相成ったわけだ。
サザンのリーダー桑田佳祐は、おそらく、歌の歌詞によって何か表現したいことがあったということは全くなく、洋楽風のメロディーに合った発音の日本語、そのメロディーで歌われるとかっこいい音をもつ日本語、そういうものの断片を選んで、歌詞を構成していったのだ。だから歌詞だけを取り出して、それを追っていっても、ある雰囲気は伝わってくるのだが、辻褄の合った内容を読み取ることはできない。そしてそのことが、僕、および僕らの世代には、強烈にかっこいいこととして映った。
僕よりふた世代上、今70代の人達は、演歌世代だっただろう。そしてひと世代上の人たちは、フォーク世代だった。どちらも歌詞が重要視され、歌詞によって表現される悲しみだったり、喜びだったりする世界に浸ることが、歌を楽しむということだったのだと思う。ところが僕らの世代というのは、子どもの頃から洋楽を楽しんでいた。僕が初めていいと思った音楽は、カーペンターズ。それから中学に入って、ビートルズ。そこのろ流行っていた、日本人のフォークやロックには、あまりピンと来ていなかった。
洋楽を楽しむということは、英語で歌われた歌を楽しむということだが、僕らより上の世代の人達は、ビートルズの歌詞の対訳を見たりして、その内容がどうのこうの、などと言う人もいたように思うが、僕の仲間で、ビートルズの歌詞の内容などに興味を持ったやつなど一人もいなかった。ただレコードを何度も聞いて、そこから聞こえてくる音楽そのものが、強烈にかっこいいと思っていたのだ。だからと言ってそれが単に表面的とも思わず、僕はビートルズの生き方に大きく影響を受けたつもりでいたりした。
歌詞の内容を理解せずに、何をそんなにいいと思っていたのか、不思議といえば不思議だが、もともとロックの歌詞など、大したことは言っていないということがあるだろう。ビートルズはその中で、例外的に歌詞が哲学的だと言われたりするが、たしかに僕は、歌詞のほとんどを作っていたと言われるジョンには興味がなく、ポールが好きだった。ビートルズをひと通り聞き倒したら、解散後のものを聞くようになったが、それはジョンではなく、ポールばかりだった。僕の仲間はみんなそうだった。
そういう僕たちにとって、サザンはまさにかっこよかった。自分たちがまさに求めていた音楽を、日本語でやってくれる、初めての存在だった。歌詞の内容にこだわらず、聞こえてくる音そのもののかっこよさを追求してくれる人たちだったのだ。
ちなみに、このサザンオールスターズとはまったく別に、かっこいいと思う音楽の、今に至る系列があって、その元祖は吉田拓郎だ。吉田拓郎はフォークだから、曲を作るときにも当然、まず歌詞が先にあるのだろうと思うが、その曲を、歌詞の日本語の流れにたいして素直に付けず、わざと引っかかるような、字余りになるような、そういう付け方をする。「僕の髪が」という日本語にたいして、「ぼくの、かみが」と素直に切れるように付けずに、「ぼくのか、みーが」と切るのだ。
これはべつに、洋楽や、英語とのかかわりのなかで生み出されたものというわけでもなく、日本語の歌詞をかっこよく聴かせるためのひとつの流儀なのだろうと思うのだけれど、吉田拓郎は自分で歌詞を書かないにもかかわらず、この作曲のセンスがあったために、歌詞が重視されるフォーク界において、ビッグネームになった。だからもしかしたら本当は、フォークだって歌詞はあまり関係ないのかも。この吉田拓郎の流儀を受け継いでいるのが、佐野元春、そしてミスター・チルドレンだと僕は思う。