ツイッター、僕もけっこうアクティブに活用していて、今では生活の中に、なくてはならない存在となっているのだ。ってもちろん、なくなったらなくなったで、何とかするとは思うけど。
ツイッターがどんなものか、知らない人のために説明しておくと、ひとことで言うと、メールとブログとチャットの、おいしいところだけを取り出し、ひとつにまとめたものだ。これまでの、ネットにおける三大コミュニケーションツールを、ひとつにまとめてしまったようなものだから、そりゃ人気になるのも当然なのだ。
ネットを使っている人は、まずは最低限、メールは使っているのだろうが、自分が具体的な誰かに向けて、その誰かというのは、一人である場合もあるし、複数である場合もあるわけだが、言いたいことを送ったり、誰かが送ってきたメールに返信したり、それを人に転送したり、ということをする。ツイッターも、それと同じものであるという側面もあるのだが、違うのは、メールの場合、やり取りする相手というのはあくまで、自分が実際にメールアドレスを聞いた人か、または誰かが送り先として指定してきたか、というものに限られるのであって、あくまで閉じられている。メールを実際にやり取りしている人たち以外の人は、そのやり取りを知ることはできないわけだ。
ところがツイッターの場合、やり取りは基本的に開かれた場の中で行われていて、メールを送ったり、受け取ったりする相手に相当する「フォロワー」は、もちろん自分が直接、相手に知らせることもできるのだが、それ以外に、登録したメールアドレスを頼りに、自分の知り合いが、勝手に自分を見つけてくる場合もあるし、さらには検索機能を使って、自分の発言に興味を持った、見ず知らずの人が、自分をフォローしてくる場合もある。だからひとつの言い方としては、ツイッターとは、知り合い以外の開かれた人たちと、メールのやり取りをするものであると、そう考えることもできる。
ツイッターの場合、その「開かれている」というのが、全世界に向けて完全にオープンになっているので、自分の発言を、世界のとんでもないところにいる人が見るという可能性もあって、実際面白いツイートは、皆が転送することによってどんどん広まっていくし、そういう広がりの規模が大きいところが、ツイッターの楽しみであるとも言われている。
またツイッターが、そうやって不特定多数に向けて開かれたものであるという性質上、誰かとやり取りをするということではなく、自分のメッセージを発信するという、簡単なブログのようなものとして使うこともできる。字数が140文字までに限定されているので、逆に発信するのも手軽だし、読むのも手軽だ。だからやり取りではなく、発信だけのためにツイッターを使っている人も多い。
またツイッターが、そうやって不特定多数に向けて開かれたものであるという性質上、誰かとやり取りをするということではなく、自分のメッセージを発信するという、簡単なブログのようなものとして使うこともできる。字数が140文字までに限定されているので、逆に発信するのも手軽だし、読むのも手軽だ。だからやり取りではなく、発信だけのためにツイッターを使っている人も多い。
さらにツイッターは、ある人数の人を登録してあれば、誰かはかならず、同じ時刻に発言していたりするわけで、それに対して返信をし合うということになると、リアルタイムでのやり取り、チャットと同じようなことになる。でもチャットの場合は、リアルタイムでのやり取りが目的だから、そこに集中していないと、会話がすぐ解らなくなってしまうのに対して、ツイッターの場合は、やり取りがもう少しゆるいので、そこまで集中しなくても、話の流れはきちんと解るようになっている。
ネット上には、色々おかしい人もたくさんいて、ブログに対するコメントや、掲示板やチャットなどは、めちゃくちゃなことが書き込まれることも多いわけだが、ツイッターは基本的に、自分の発言の履歴を誰でもが見られるようになっているから、いつもは大人しいのに、その時だけ凶悪なことを書く、ということは、できにくいようになっているし、また「ブロック」してしまえば、その人の発言は、二度とこちらに届かないようになるから、おかしな人によって多大な迷惑を蒙るということは、少ないような仕掛けになっている。
とまあ、僕のブログを見てくれている人でも、ツイッターをやっていない人は多いので、長々と説明してしまったわけなのだが、僕はツイッターを、まったく価値はないけれど、誰かに言わずにはおられないことを言う場として使っている。
僕はひとりで住んでいるから、家の中には話し相手がいない。ひとりで暮らし始めた頃、いちばん困ったのは、たとえばテレビを見ていて、思わず笑ってしまった場合など、そのおかしさを誰かに言いたいのだが、言う相手がいないものだから、ひとりである自分を思い出すことになってしまって、そうすると今度は急に寂しく、悲しくなってしまうということが、よくあった。最近は、まさにそういうとき、ツイッターに書き込むようにしている。べつに返事が欲しいわけではないのだが、もしかしたら誰かが見てくれるかもしれない、という場所にそれを書き込むことで、十分満足するのだ。
読むのも同じで、僕は情報として価値があるものよりも、完全に自己満足でやっている人のものを読むほうが楽しい。色々な情報を送ってくる人が、次々とフォローしてきたりするのだが、そういう人をこちらからフォローするのは、もうやめてしまった。ツイッターを通して、情報など欲しくないのだ。あとやけに礼儀正しい人もいて、朝起きると「おはよう」とか言ってくる人がいるのだが、そういうものも全部切ってしまった。べつにツイッターに、人間関係はいらないのだ。
最近は、朝起きたり、夜寝る前とかに、ベッドの中にノートパソコンを持ち込んで、ツイッターを見るのが楽しみになっていて、訳の解らないつぶやきを見たり、自分で訳の解らないことをつぶやいてみたりするのが、睡眠と覚醒のあいだのぼうっとした頭には、なんとも心地良い。