「若気の至りで色がないと思っていたが、豆腐には色がある。形も味も匂いもあるのである。崩れそうで崩れない、やわらかな矜持がある。味噌にも醤油にも、油にも馴染む器量の大きさがあったのである」(霊長類ヒト化動物図鑑「豆腐」)
向田邦子の、今回は、「いり豆腐」。
豆腐1丁は、ふきんに包んでしばらくおき、水切りする。
鶏肉200グラムとニンジン1/2本、石づきを取った生シイタケ6枚は、それぞれ1センチ角くらいの大きさに切る。
鶏肉とニンジン、シイタケを、カップ1くらいのひたひたの出汁で、5分ほど下煮する。あとでさらに煮るから、完全にやわらかくしないでいい。
中火にかけたフライパンに、ごく少量のサラダ油をひき、豆腐をいれる。くずしながら、水気がなくなるまで炒る。
炒った豆腐に、鶏肉とニンジン、シイタケを、煮汁ごと加える。みりんと酒、それに醤油で味加減をし、汁気がなくなるまで煮詰める。
向田流「いり豆腐」の出来あがり。
向田邦子のレシピは、実際にその通り作ってみると、邦子のはっきりとした主張が込められているのが感じられ、なんとも可愛らしい。
いり豆腐はふつうなら、豆腐を肉や野菜といっしょに炒め、出汁で煮て出来あがりとなる。ところが邦子は、はじめにご丁寧に豆腐を炒り、そこにさらに、わざわざ下煮した肉と野菜を入れている。
また入れる野菜も、鶏肉にニンジン、シイタケとくれば、味や彩りのバランスからいって、ゴボウだの、絹さやだのを入れたくなるところだろう。しかし邦子は、それは入れない。
これは邦子の、「豆腐」にたいする理解を、はっきりとあらわしている。
邦子は豆腐を、
「どんな味でも受け入れる、器量の大きな存在」
と理解した。
だからまず、豆腐は徹底的に炒る。水気を飛ばし、豆腐が味を受け入れられる体勢をつくる。
そこへ下煮し、肉と野菜のうまみがたっぷりとでた煮汁を加える。
また肉と野菜は、あくまで豆腐に、味をわたすための存在だ。
だから味のでない、ゴボウや絹さやは加えない。
鶏肉にニンジン、シイタケという、おいしい出汁がでるものだけを使う。
邦子のいり豆腐では、あくまで豆腐が主役だ。
豆腐は脇役たちの味を一身にふくみこみ、はち切れんばかりになっている。
いかにも脚本家らしい、邦子の主張が、微笑ましく感じられる一品だ。
昨日の肴は、あとは「あさり汁」。
檀一雄が学生時代、親友の太宰治と、決まったように押しかけていく玉の井の一杯飲み屋で、コップ酒に添えられるお通しが、「アサリの塩汁」だったという。
檀と太宰は、このアサリの塩汁をすすりながら、大酒をくらうのが、「悲しいオキテ」となっていた。
檀と太宰のアサリの塩汁は、どんなものだったのか。
昨日のこのあさり汁は、昆布出汁を沸かして、砂出ししたあさりを入れ、アサリの口がひらいたら、塩とほんのすこしのうすくち醤油で味をつけたもの。
三条会商店街に露店をだす、上賀茂の農家のおばちゃんから買った、ナスの塩漬け。
3ヶ月漬け込まれ、強烈な発酵臭がするナスは、水にさらし、よくしぼり、生姜醤油であえる。
冷や酒を2合のみ、シメは白めし。