近所のスーパーは年中無休でやっているし、買い物に困るということはないわけで、雑煮だけ作って、あとはいつも通り、ふつうのものを食べるということも、余裕でできる。
または正月は料理をしないということが、おせちの意義であると考えると、角煮のような日持ちのするものを大量に作っておくというだけでも、目的はじゅうぶん果たせる。
実際だから、おでんは作っておいたわけだ。
でもやっぱり、生酢とか、煮しめとか、年に一度のことだから、食べたいのだよな。
縁起物でもあるし。
しかしそういうものを、チマチマ作る気はまったくしなかったので、今年も例年通り、おせちは買うことにしたというわけなのだ。
せっかく京都に住んでいるから、京都ならではのおせちとも考えないこともなかったが、やはりそういうものは高いのでパス。
家からいちばん近くのスーパー、グルメシティで予約をした。
いちばん安い二人用のやつで、9,800円。
ああこれで、せっかくの盛り付けが台無しだと思ったわけだが、箱を開けてみて、そんな心配いらなかったことがわかった。
僕はなにを隠そう、料理の中で、盛り付けがいちばん嫌いなのだ。
だいたいまず、僕はチマチマとした作業が嫌いだ。
それに鍋にあったものを皿に盛り付けたところで、味はなにも変わらないのに、それをわざわざきれいにやるというのは、「わ、おいしそう」とかいう、他人をびっくりさせるためにあるものなわけで、自分一人で食べるのに、それはほとんど必要ない。
鍋を多投するというのは、そういう無用なことが、最小限であるということもある。
しかしそれでも、盛り付けというものはどうしても発生してしまうわけで、仕方ないからやるわけだが、僕はまた日本式の、自然な盛り付けというものが大の苦手で、どうしても幾何学的な、外国式の盛り付けになってしまう。
その僕に、しかもすでに熱燗をつけてしまったあとになって、盛り付けをしろと言ってくるとはどういうことだと、かなり愕然としたのだが、しかしこうなってしまってはやるしかない。
40個近くの真空パックを開け、汁が入っていたらそれをわざわざ流しまで行って捨て、盛りつけ例を見ながら一つ一つ、所定の場所に、写真通りに盛り付けていく。
1時間ちかくかかって、何かを床に落としてしまうなどということもなく、できたときにはかなりの達成感があった。
もしかしたらこれはあれなのかな、僕の今年一年というものを、予言でもしているのかな。
しかしこのやり方は、いかにもダイエーらしいな。
去年は広島のスーパー、マダムジョイで買った、ほぼ同じ値段のおせちを食べたのだが、それにくらべて、品数は倍くらいはあり、しかもどれも、そこそこおいしい。
辻クッキングの監修なのだそうだ。
真空パックを使うことで、多少日持ちがするし、持ち運びもしやすいから、どこかの工場で集中的に作ったものを、全国配送することで、品質を一定にし、コストも抑えるとか、そういうことがあるのだろう。
一つ一つを盛り付けしなくていいということも、コストを抑えることになるのだろうし。
でも1時間もかけて盛り付けしないといけないのだったら、僕には無理だな。
来年はちがうのにしよう。
休日でも、こんなに飲んだことは、今までないな。
やはり正月というのは、日本人にとって、休日のなかの休日、タガが外れるものなのだな。