昨日の京都は、暑くもなく、寒くもなく。
雨も降っていないが、かといって晴れてもいない。
昼前にブログを書き終え、ベランダで煙草を吸いながら空をながめて、こういう中途半端な天気の日にこそ、京都を見ておかなければいけないと急に思い立ち、嵐山へ出かけることにした。
いやまあ、それはただの取ってつけた理由であり、その実景色がよいところで昼酒をのみたくなっただけなのだ。
嵐山は観光地だから、飲食店はほとんどが観光客目当ての店となるわけなのだが、昼酒におすすめのスポットというものがないわけではない。
嵐電嵐山駅を降りたら前の通りを左へ行く。
この道沿いの店は、あまりロクなものがない。
渡月橋に出たら、これを渡らずに川沿いの道を右へ行く。
そうすると右手に吉兆などの料亭が見えてくるので、金を無駄づかいしたい人はそちらへ行ったらいい。
でもその向かいあたりに、川に突き出たオンボロな小屋みたいなお茶屋があったり、さらにその奥へ、山にむかって進んでいくと、山の木々に囲まれて、これまたオンボロな食堂があったりする。
どちらも川に面していて、窓にガラスはなく、というより窓というもの自体が存在しないオープンスペースになっているから、この時期桂川のゆるやかな流れをながめながら昼酒をのむというには、うってつけの場所となっている。
どちらもロクな料理はないが、この観光地らしからぬオンボロ具合は妙に落ち着くから、ぜひ行ってみることをおすすめするのだ。
昨日は川に突き出た小屋のほうで、おでんに冷や酒。
酒をのんだら、そのまま川沿いを歩いていくと、急な石段があるから、そこをずっと上がっていくと、亀山公園の展望台にたどりつく。
普段はビルの中で暮らしているから、やはりどうしても時々は、こういう景色を眺めたくなる。
京都は市内から30分もかからずにこういう場所に来られるということが、東京とはえらく違うところだ。
僕はだいたいいつも、ここから歩くコースが決まっていて、まず竹林。
このあたりの竹林はかなり広大で、いちど抜けたと思ったら、また新たな竹林が現れる。
中はひんやりとしていて気持ちがいい。
それから野宮神社に抜けて、お賽銭をあげてお参り。
ここから線路を渡って、ずっと上がっていくと、二尊院だの何だの、見るところもたくさんある。
二尊院から祇王寺へむかう道の途中に「お食事処こみち」という店があり、ここは僕の行きつけだ。
行きつけと言ってもまだこれで2回目。
ハンサムなマスターと美人の女将さんが、僕よりちょっと年下だと思うんだがすごくいい人たちで、こちらがひとりで酒をのみに入るといろいろと話し相手になってくれる。
前回も森嘉で豆腐を買うつもりだと言ったら、時間が微妙でなくなるといけないから電話しておいてあげると言って、わざわざ豆腐一丁を予約してくれた。
こちらもそのお礼をしなくちゃと思って行ったのだが、相手も覚えていてくれたみたいで、帰り際には「いつもありがとうございます」とも言われたから、これはもう立派に行きつけというものなのだ。
食ったのはニシンそばに冷や酒。
そばはちゃんとコシがあってきちんとうまい。
七味にくわえて山椒もかける。
そこからちょっと戻って、清凉寺をぬけて森嘉。
ここは嵯峨豆腐の代表店で、嵐山のめぼしい湯豆腐店ではここの豆腐を使っている。
檀一雄の「美味放浪記」でも、ここの豆腐を絶賛している。
昨日は豆腐にくわえてひろうずを3個買った。
晩めしは、この森嘉のひろうずをだしで炊いたのと、豆腐はそのまま冷奴にした。
ひろうずの中身はぎんなんと百合根、きくらげとにんじん。
だしをうどんのだし程度の濃さにしたのだけれど、それだとちょっと薄すぎたのが残念だった。
この写真ではわからないが、森嘉の豆腐はふつうの2丁分ほどもある巨大なもので、これはその3分の2の量。
「できれば今日中にお召し上がり下さい」と言われ、絶対にそれは無理だろうと思ったけれど、結局全部ぺろりと食べた。
絹ごしよりちょっと硬いかなというくらいの食べ応えなのだが、ひとことで言うと、これといって特徴がない。
だから、なんだ、ふつうじゃん、と思って食べ進むのだけれど、食べれば食べるほどうまくなってくるのだ。
味は濃すぎず薄すぎずで、変なクセのようなものが皆無。
いくら食べても食べ飽きないといった風情で、さすが王道とは、まさにこういうものなのだろうな。
ひろうずも同様。
3個はぺろりといけた。
2011-06-20
2011-05-22
岡崎観光
きのうは安城へ知人を訪ねていった。岡崎城を案内してくれるということだったのだが、その前に八丁味噌の製造元、「カクキュー」へ連れていってくれ、見学ツアーに参加することができた。僕は戦後になって建て直された城よりも、八丁味噌が現に仕込まれている、味噌蔵を見物するほうが興味がある。八丁味噌は名古屋料理の中心なのだから、まさにここは、名古屋にとってのひとつの聖地と言ってもいいのじゃないか。
案内のお姉さんは名札に「研修中」となっていたが、滑舌よくきちんきちんと説明してくれて、聞いているのも心地よかった。新入社員なのだろうが、こうやって小さなことでも、気合を入れて全力で取り組んでいくというのは、仕事をしていく上で大切なことだ。居酒屋にしても店などにしても、名古屋の若い人たちは、自分の気持ちをきちんと込めて仕事をしていると見受けられることが多く、それはほんとに良いことだ。
八丁味噌は、蒸して塩と水で練りこんだ大豆を大きな大きな桶に詰め、その上から重石をのせて仕込まれる。ふつうの米こうじ味噌は半年から1年ほどで熟成するのに対して、八丁味噌は「二夏二冬」、2年以上の時間をかけて仕込まれる。半年で熟成させる白味噌が、まだ白い色をしているのに対して、時間がたつにつれて、色が濃くなっていくのだそうだ。桶は開け放しの蔵に、そのまま並べられている。空調による温度管理などは一切せず、天然の気候そのもので仕込まれるというのは、当たり前のことなのだがちょっとびっくり。
ここでしか売っていない「味噌ソフト」。ほんのりと味噌の風味がする。味噌にソフトクリームとはどうなのかと、メロンやいちご、チョコなどと比べると、思ってしまうところだけれど、抹茶ソフトがあるのだから、味噌ソフトだってあって悪くない道理だ。みやげ物用の八丁味噌もいろいろ売っていたが、それはパッケージに凝っている分ちょっと高かったので、帰りにスーパーへ寄ってもらい、そこで買った。名古屋のスーパーにはどこへ行っても、当然八丁味噌が売っている。
カクキューのすぐ近くにある岡崎城。ここは言わずと知れた、といっても僕は知らなかったのだが、徳川家康の生誕地。岡崎市はカクキューはあるし、家康の生誕地はあるし、まさに名古屋にとって大事な場所なのだな。
一帯は岡崎公園といって、広い公園になっている。今の季節は松ばかりが目立ったが、春には桜、秋にはもみじが、きれいに色付くのだそうだ。
案内のお姉さんは名札に「研修中」となっていたが、滑舌よくきちんきちんと説明してくれて、聞いているのも心地よかった。新入社員なのだろうが、こうやって小さなことでも、気合を入れて全力で取り組んでいくというのは、仕事をしていく上で大切なことだ。居酒屋にしても店などにしても、名古屋の若い人たちは、自分の気持ちをきちんと込めて仕事をしていると見受けられることが多く、それはほんとに良いことだ。
八丁味噌は、蒸して塩と水で練りこんだ大豆を大きな大きな桶に詰め、その上から重石をのせて仕込まれる。ふつうの米こうじ味噌は半年から1年ほどで熟成するのに対して、八丁味噌は「二夏二冬」、2年以上の時間をかけて仕込まれる。半年で熟成させる白味噌が、まだ白い色をしているのに対して、時間がたつにつれて、色が濃くなっていくのだそうだ。桶は開け放しの蔵に、そのまま並べられている。空調による温度管理などは一切せず、天然の気候そのもので仕込まれるというのは、当たり前のことなのだがちょっとびっくり。
ここでしか売っていない「味噌ソフト」。ほんのりと味噌の風味がする。味噌にソフトクリームとはどうなのかと、メロンやいちご、チョコなどと比べると、思ってしまうところだけれど、抹茶ソフトがあるのだから、味噌ソフトだってあって悪くない道理だ。みやげ物用の八丁味噌もいろいろ売っていたが、それはパッケージに凝っている分ちょっと高かったので、帰りにスーパーへ寄ってもらい、そこで買った。名古屋のスーパーにはどこへ行っても、当然八丁味噌が売っている。
カクキューのすぐ近くにある岡崎城。ここは言わずと知れた、といっても僕は知らなかったのだが、徳川家康の生誕地。岡崎市はカクキューはあるし、家康の生誕地はあるし、まさに名古屋にとって大事な場所なのだな。
一帯は岡崎公園といって、広い公園になっている。今の季節は松ばかりが目立ったが、春には桜、秋にはもみじが、きれいに色付くのだそうだ。
2011-04-23
吉 野
おとといから昨日にかけて、またよく遊んだのだ。
仕事もしておらず、金にも限りがあるのに、よくそんなノンキに遊んでられるねと言われそうだが、まあたしかにその通り。
でも遊びというのも、人生にとっては非常に大事なことだとおもうので、こういうことをあまりケチってはいけないのだ。
おとといの晩は、家からわりかし近くにある「啓ちゃんのスタンドバー」で外飲み。
ママである啓ちゃんから、メールをもらったので出かけてきた。
いやバーのママがメールを寄こすというのは、疑いようもなく単なる営業なのだけれど、営業であっても、メールをくれたことには変わりがないわけだ。
それでさらに、それが嬉しかったりするのだったら、素直に喜べばいいというだけの話なのである。
僕が飲みにいく店は例外なく安くて、この店も酒は400円から500円、つまみも200円から400円で、それでやさしいママと、べちゃべちゃ話をしながら飲めるのだから、これは言うことない。
ほんとはここはスタンドバーだから、短めにサッと切り上げるのが粋というものなのだけれど、おとといは2時間ほど長居して、10時半の閉店時間ギリギリになって店をでた。
ビール1本に冷や酒2合、それにサービスの冷酒1合くらいを飲んだから、けっこういい気持ちになり、帰って風呂に入って、そのまま朝まで熟睡した。
昨日は朝から吉野へ行った。
最近仲良くしてもらっている知人の女性がいて、年は僕より一回り上なのだけれど、わりと気が合う。
僕は自分が女性的だからなのだとおもうが、わりと男っぽい、さばけた女性が好きで、子供のころもよく女の子とゴム段したりしてた。
運動が得意な女の子の「手下」的な位置にいるのとかが、居心地がよかったりするのだ。
今でも「女の中に男がひとり」みたいな状況は、僕は最も落ち着ける。
それでその知人は、いろいろ話をして、僕が京都を褒めたりすると、どうも気に食わないようなのだ。
僕は世の中には、どうも「京都派」と「奈良派」があるのではないかという気がする。
それは「巨人と阪神」、「大鵬と柏戸」、「自民党と社会党」みたいな、ってどれも古いが、主流派びいきと反主流びいきとの対立の構図で、僕はわりと、言動は反主流的なことを言いながらも、根本的な趣味のところでは非常にミーハーなところがあって、アイドルは松田聖子、バンドはサザンオールスターズ、基本的に王道を歩いてきたものだから、「南禅寺の桜」とか、こけおどし的なところがあるのはわかっていても、すごくいいとおもってしまう。
ところがそういう話になると彼女は、
「いや奈良の桜だっていい」
と主張し、吉野の桜を見に連れていってあげるということになり、それで昨日、彼女と彼女の友人と3人で、出かけていったわけなのだ。
奈良というのは、基本は「廃墟」なのだよな。
いかにも「日本の田舎」という感じの風景のなかに、朽ちかけた寺や神社があったりして、京都の寺社は今でも現役バリバリで、そのほとんどが本山だったりするわけで、生々しい、宗教の臭いがプンプンするところが多いわけだが、奈良は枯れていて、いわゆる有名な観光地はべつとして、半ば朽ちながら、まわりの野生の自然と調和していたりするところがある。
それでそれが、打ち捨てられているというわけでもなく、地元の人の手によって手入れをされ、そのひとたちの信仰の対象になっているという、なんとも自然な様子が見られるのだ。
ああいう自然な良さというのは、たしかにハマると中毒になるところがあるのかもしれない。
志賀直哉をはじめとして、奈良に魅せられた文化人も多かったわけだしな。
僕はまだその境地には達しないが、たしかに奈良は、歩いていると、いちいち強く主張してくる京都とはちがって、心がほっと落ち着くところはある。
それで昨日は、吉野の桜は、残念ながらもうほとんど終わってしまっていて、ちゃんと見ることはできなかったのだけれど、奥深い青々とした山のなかに、絵の具ではたいたように、あそこここに桜のピンク色が、ぽわぽわと浮かんで見えるというのは、たしかに桜のきれいさの一つの大きなあり方であって、これが見ごろだったら、さぞすごかっただろうなとおもった。
帰り際に宇陀市にある小さな寺へ寄ったのだが、たまたま住職がいて、話す機会があったのがおもしろかった。
僕よりたぶん、すこし下くらいの年じゃないかとおもうのだが、もともと郵便局員をしていたのが、思い立って仏教系の大学でインド哲学を学び、それから出家して大きな寺で修行をし、次に今の寺へきて、先代の住職の教えをうけ、2年前からその跡目を継いだのだそうだ。
僕は今回の震災以降、近所の寺社をお参りし、被災したひとたちの多幸を祈るということをしていて、僕は以前には宗教にはまったく興味はなかったのだが、被災したひとたちに対して、ただお金をわたすというだけでない、なにか気持ちを込めたことがしたいとおもい、結果として「祈る」というところへ行き着いたわけなのだけれど、もしかしたら僕に限らず、時代がそういうところへ向かっているのじゃないかと、僕はちょっとおもったりするところもあるのだよな。
これまで日本は、宗教にほとんど関心をもたずに、数十年を過ごしてきたわけだけれど、それは世界的にみても珍しいことなわけで、ふつうはどこの国の、どんな地域の人たちだって、それなりの宗教というものをもっていて、信仰するということをしているのだとおもう。
日本が手本にしてきたアメリカだって、アメリカ人の多くは、キリスト教を熱烈に信仰しているのであって、文明が進歩すれば宗教は必要なくなるということではまったくないだろう。
僕は今回、祈りをするようになって、「天国」ということの意味もよくわかって、亡くなったひとのことをおもって祈りを捧げるというとき、やはりそのひとの「多幸」を願わずにはいられないわけで、そうするとどうしても、「亡くなったひとが幸せに暮らす場所」というものを考えることが必要になるのだよな。
だから天国というものも、宗教団体が勝手に作ったということではなく、人間の思考のあり方の根本に位置するものなのだということを、あらためて感じたりしているわけで、僕は昨日、そうやってこのところ自分がおもっていることを、住職にぶつけてみたのだ。
そしたら住職も、やはりおもうところがあるみたいで、今ブログやツイッターを立ち上げつつあり、一般のひとに広く発信するということを始めようとしているのだそうだ。
住職の親類が何人も、今回の震災でなくなったとのことだし、また福島で被災者の救援にあたっている仲間の僧侶がいて、住職はそのひとと連絡をとりながら、物資を集めて送ったり、後方支援的な活動をしているそうなのだけれど、避難所の生活というのは、もうマスコミが話題にできないほど、ほんとうに悲惨なものなのだそうだ。
そういうことを見聞きしながら、宗教者として何ができるのかを、日々自問していると言っていた。
僕はいまこそ、伝統あるきちんとした宗教が、インターネットもふくめて、何らかの発信をしていくべき時じゃないかという気がするのだよな。
自分の心をどう落ち着けたらいいのかということを、考えている人は多いはずで、下手をすると悪質な新興宗教がそこで勢力を伸ばそうとしていくなんてことも起きるのじゃないかという気もするし、じっさいそういう話もあるらしい。
ぜひがんばってくださいという話をして、昨日は住職と別れた。
仕事もしておらず、金にも限りがあるのに、よくそんなノンキに遊んでられるねと言われそうだが、まあたしかにその通り。
でも遊びというのも、人生にとっては非常に大事なことだとおもうので、こういうことをあまりケチってはいけないのだ。
おとといの晩は、家からわりかし近くにある「啓ちゃんのスタンドバー」で外飲み。
ママである啓ちゃんから、メールをもらったので出かけてきた。
いやバーのママがメールを寄こすというのは、疑いようもなく単なる営業なのだけれど、営業であっても、メールをくれたことには変わりがないわけだ。
それでさらに、それが嬉しかったりするのだったら、素直に喜べばいいというだけの話なのである。
僕が飲みにいく店は例外なく安くて、この店も酒は400円から500円、つまみも200円から400円で、それでやさしいママと、べちゃべちゃ話をしながら飲めるのだから、これは言うことない。
ほんとはここはスタンドバーだから、短めにサッと切り上げるのが粋というものなのだけれど、おとといは2時間ほど長居して、10時半の閉店時間ギリギリになって店をでた。
ビール1本に冷や酒2合、それにサービスの冷酒1合くらいを飲んだから、けっこういい気持ちになり、帰って風呂に入って、そのまま朝まで熟睡した。
昨日は朝から吉野へ行った。
最近仲良くしてもらっている知人の女性がいて、年は僕より一回り上なのだけれど、わりと気が合う。
僕は自分が女性的だからなのだとおもうが、わりと男っぽい、さばけた女性が好きで、子供のころもよく女の子とゴム段したりしてた。
運動が得意な女の子の「手下」的な位置にいるのとかが、居心地がよかったりするのだ。
今でも「女の中に男がひとり」みたいな状況は、僕は最も落ち着ける。
それでその知人は、いろいろ話をして、僕が京都を褒めたりすると、どうも気に食わないようなのだ。
僕は世の中には、どうも「京都派」と「奈良派」があるのではないかという気がする。
それは「巨人と阪神」、「大鵬と柏戸」、「自民党と社会党」みたいな、ってどれも古いが、主流派びいきと反主流びいきとの対立の構図で、僕はわりと、言動は反主流的なことを言いながらも、根本的な趣味のところでは非常にミーハーなところがあって、アイドルは松田聖子、バンドはサザンオールスターズ、基本的に王道を歩いてきたものだから、「南禅寺の桜」とか、こけおどし的なところがあるのはわかっていても、すごくいいとおもってしまう。
ところがそういう話になると彼女は、
「いや奈良の桜だっていい」
と主張し、吉野の桜を見に連れていってあげるということになり、それで昨日、彼女と彼女の友人と3人で、出かけていったわけなのだ。
奈良というのは、基本は「廃墟」なのだよな。
いかにも「日本の田舎」という感じの風景のなかに、朽ちかけた寺や神社があったりして、京都の寺社は今でも現役バリバリで、そのほとんどが本山だったりするわけで、生々しい、宗教の臭いがプンプンするところが多いわけだが、奈良は枯れていて、いわゆる有名な観光地はべつとして、半ば朽ちながら、まわりの野生の自然と調和していたりするところがある。
それでそれが、打ち捨てられているというわけでもなく、地元の人の手によって手入れをされ、そのひとたちの信仰の対象になっているという、なんとも自然な様子が見られるのだ。
ああいう自然な良さというのは、たしかにハマると中毒になるところがあるのかもしれない。
志賀直哉をはじめとして、奈良に魅せられた文化人も多かったわけだしな。
僕はまだその境地には達しないが、たしかに奈良は、歩いていると、いちいち強く主張してくる京都とはちがって、心がほっと落ち着くところはある。
それで昨日は、吉野の桜は、残念ながらもうほとんど終わってしまっていて、ちゃんと見ることはできなかったのだけれど、奥深い青々とした山のなかに、絵の具ではたいたように、あそこここに桜のピンク色が、ぽわぽわと浮かんで見えるというのは、たしかに桜のきれいさの一つの大きなあり方であって、これが見ごろだったら、さぞすごかっただろうなとおもった。
帰り際に宇陀市にある小さな寺へ寄ったのだが、たまたま住職がいて、話す機会があったのがおもしろかった。
僕よりたぶん、すこし下くらいの年じゃないかとおもうのだが、もともと郵便局員をしていたのが、思い立って仏教系の大学でインド哲学を学び、それから出家して大きな寺で修行をし、次に今の寺へきて、先代の住職の教えをうけ、2年前からその跡目を継いだのだそうだ。
僕は今回の震災以降、近所の寺社をお参りし、被災したひとたちの多幸を祈るということをしていて、僕は以前には宗教にはまったく興味はなかったのだが、被災したひとたちに対して、ただお金をわたすというだけでない、なにか気持ちを込めたことがしたいとおもい、結果として「祈る」というところへ行き着いたわけなのだけれど、もしかしたら僕に限らず、時代がそういうところへ向かっているのじゃないかと、僕はちょっとおもったりするところもあるのだよな。
これまで日本は、宗教にほとんど関心をもたずに、数十年を過ごしてきたわけだけれど、それは世界的にみても珍しいことなわけで、ふつうはどこの国の、どんな地域の人たちだって、それなりの宗教というものをもっていて、信仰するということをしているのだとおもう。
日本が手本にしてきたアメリカだって、アメリカ人の多くは、キリスト教を熱烈に信仰しているのであって、文明が進歩すれば宗教は必要なくなるということではまったくないだろう。
僕は今回、祈りをするようになって、「天国」ということの意味もよくわかって、亡くなったひとのことをおもって祈りを捧げるというとき、やはりそのひとの「多幸」を願わずにはいられないわけで、そうするとどうしても、「亡くなったひとが幸せに暮らす場所」というものを考えることが必要になるのだよな。
だから天国というものも、宗教団体が勝手に作ったということではなく、人間の思考のあり方の根本に位置するものなのだということを、あらためて感じたりしているわけで、僕は昨日、そうやってこのところ自分がおもっていることを、住職にぶつけてみたのだ。
そしたら住職も、やはりおもうところがあるみたいで、今ブログやツイッターを立ち上げつつあり、一般のひとに広く発信するということを始めようとしているのだそうだ。
住職の親類が何人も、今回の震災でなくなったとのことだし、また福島で被災者の救援にあたっている仲間の僧侶がいて、住職はそのひとと連絡をとりながら、物資を集めて送ったり、後方支援的な活動をしているそうなのだけれど、避難所の生活というのは、もうマスコミが話題にできないほど、ほんとうに悲惨なものなのだそうだ。
そういうことを見聞きしながら、宗教者として何ができるのかを、日々自問していると言っていた。
僕はいまこそ、伝統あるきちんとした宗教が、インターネットもふくめて、何らかの発信をしていくべき時じゃないかという気がするのだよな。
自分の心をどう落ち着けたらいいのかということを、考えている人は多いはずで、下手をすると悪質な新興宗教がそこで勢力を伸ばそうとしていくなんてことも起きるのじゃないかという気もするし、じっさいそういう話もあるらしい。
ぜひがんばってくださいという話をして、昨日は住職と別れた。
2011-03-20
奈良西ノ京
今日は奈良へいってきた。
寒いときはどこへも出かける気がせず、近所のすし屋に熱燗をのみにいくくらいの僕だったが、こうして暖かくなってくると、出かけたい場所はいくらでもあるのだ。
おまけに僕は、1年のなかで春がいちばん好きときていて、これからは桜も咲きはじめるし、しばらくは浮かれがちになってしまうな。
奈良はまずはめぼしいところをまわろうということで、去年から大阪の知人に付き合ってもらって、ちょこちょこ出かけていて、あと残っていたのは薬師寺と唐招提寺。平城京跡もついでだからいっしょに見てきた。
平城京跡はただひたすらだだっ広い、造りかけの公園のような場所に、いまは本殿である大極殿と朱雀門だけが、再建された真新しい、極彩色の姿をさらしてそびえ立っているわけなのだが、タクシーの運転手にきいたこの平城京跡の歴史と未来というのが、なんともすごい話だった。
都が京都へ移ってしまった後、残された平城京のあとには新しい建物が建てられるということもなく、寂れるままに田畑になっていたのを、明治に入ってから、名前はわすれたが民間の一個人が、「それではいけない」と自力で買い戻しをはじめ、そこに県が乗っかるかたちで発掘調査なども行われていったのだそうだ。
それから100年以上がたった今になってようやく、大極殿と朱雀門が再建されたわけだが、これからまだ、ほかの建物も建て、さらに敷地内に走っている鉄道と道路も移動させということが計画されているとのことで、それにはまたこれから、何十年という時間がかかることになる。
東京の人間の感覚からいうと、西大寺の駅からも近く、宅地として開発でもすればけっこうな儲けになるのではないかと思えるあのような広大な場所を、なんとも中途半端なかたちのままで何十年も置いておくというのはまったく考えられないことであるわけなのだが、古都に住むひとびとの時間の感覚は、それとはまったくちがうのだな。
京都のひとが「このあいだの戦争は」というとき、日本全国京都以外の場所ではそれが「太平洋戦争」を指すのにたいして、京都だけは「応仁の乱」を指すという笑い話があって、しかしたしかに京都に住んでみて、多くの寺社が応仁の乱ののちに再建されて以来、いまの威容を保ちつづけているということを見ると、それはあながち嘘ではないのかもしれないと思ったりするのだが、もしかしたら奈良の時間は、それ以上にゆったりと流れているのかもしれない。
唐招提寺と薬師寺は、やはり来てみてほんとによかった。
唐招提寺はなんといっても、「金堂」のあの姿。
「天平の甍」ということばを彷彿とさせる、すこし深めで、左右になだらかに落ちていく古風な屋根のスタイルは、なんとも美しい。
「宝蔵」や「経蔵」が高床式になっていたり、また逆に全体に低めにつくられた建物があったりするのが、日本というよりはインドネシアかどこかのような、外国の感覚を思わせるところがあり、それがまた風情がある。
やはり天平時代につくられたという仏像も、またなかなかよい。
薬師寺は建物のほうは、「東塔」を除いて新しく再建されたものなのだが、仏像が凄い。
とくに「金堂」に収められている「薬師三尊像」は、白鳳時代の昔につくられたとは思えないリアルさで、まず銅製だからピカピカと磨き上げられてまったく古びていないし、顔はどれも気品があり、中央の「薬師如来」はどっしりと安定していて、左右の「日光菩薩」と「月光菩薩」はからだをすこしくねらせた優美な姿で、「奈良時代の作品のなかでも最高傑作として古来より名高い」のだそうだが、まさにそのとおり、僕がいままでに見たすべての仏像のなかで一番よかった。
今回唐招提寺金堂の仏像3体と、薬師寺金堂の3体とには、100円ずつお賽銭をあげ、東北太平洋沖地震の被災者の冥福と無事を祈った。
おなじ場所に「募金箱」もあり、そちらに入れたお金は被災者に届くが、お賽銭は寺のものになる。どちらに入れたらいいかすこし考えたが、募金としてはあまりに少額だということはあるけれど、お賽銭にして祈りを捧げたほうが、被災者の幸せにつながるような気が、今日の僕にはした。
何よりこれらの仏像はほんとによく出来ていて、目を閉じ手を合わせて祈りを捧げると、瞼にうかぶ仏像の姿が、いかにもほんとに願いを聞き届けてくれそうな感じがするのだ。
これがたんに、被災して今まさに苦しんでいるひとがいるのに、自分は楽しく奈良を見物しているということにたいする罪悪感を払拭するための、自己満足に過ぎないという見方も、今の時代にはふつうにあり得ると思うのだが、人間はおそらく、いわゆる「宗教」などというものが生まれる遙か以前から、こうやって祈りを捧げてきたのであり、またこれらの仏像にたいしても、ひとびとは千年以上にわたって手を合わせてきたのであって、もちろん僕もさすがに、それですべてが解決されるとは思わないが、前近代的であると哂うこともできないということを、今回おもった。
寒いときはどこへも出かける気がせず、近所のすし屋に熱燗をのみにいくくらいの僕だったが、こうして暖かくなってくると、出かけたい場所はいくらでもあるのだ。
おまけに僕は、1年のなかで春がいちばん好きときていて、これからは桜も咲きはじめるし、しばらくは浮かれがちになってしまうな。
奈良はまずはめぼしいところをまわろうということで、去年から大阪の知人に付き合ってもらって、ちょこちょこ出かけていて、あと残っていたのは薬師寺と唐招提寺。平城京跡もついでだからいっしょに見てきた。
平城京跡はただひたすらだだっ広い、造りかけの公園のような場所に、いまは本殿である大極殿と朱雀門だけが、再建された真新しい、極彩色の姿をさらしてそびえ立っているわけなのだが、タクシーの運転手にきいたこの平城京跡の歴史と未来というのが、なんともすごい話だった。
都が京都へ移ってしまった後、残された平城京のあとには新しい建物が建てられるということもなく、寂れるままに田畑になっていたのを、明治に入ってから、名前はわすれたが民間の一個人が、「それではいけない」と自力で買い戻しをはじめ、そこに県が乗っかるかたちで発掘調査なども行われていったのだそうだ。
それから100年以上がたった今になってようやく、大極殿と朱雀門が再建されたわけだが、これからまだ、ほかの建物も建て、さらに敷地内に走っている鉄道と道路も移動させということが計画されているとのことで、それにはまたこれから、何十年という時間がかかることになる。
東京の人間の感覚からいうと、西大寺の駅からも近く、宅地として開発でもすればけっこうな儲けになるのではないかと思えるあのような広大な場所を、なんとも中途半端なかたちのままで何十年も置いておくというのはまったく考えられないことであるわけなのだが、古都に住むひとびとの時間の感覚は、それとはまったくちがうのだな。
京都のひとが「このあいだの戦争は」というとき、日本全国京都以外の場所ではそれが「太平洋戦争」を指すのにたいして、京都だけは「応仁の乱」を指すという笑い話があって、しかしたしかに京都に住んでみて、多くの寺社が応仁の乱ののちに再建されて以来、いまの威容を保ちつづけているということを見ると、それはあながち嘘ではないのかもしれないと思ったりするのだが、もしかしたら奈良の時間は、それ以上にゆったりと流れているのかもしれない。
唐招提寺と薬師寺は、やはり来てみてほんとによかった。
唐招提寺はなんといっても、「金堂」のあの姿。
「天平の甍」ということばを彷彿とさせる、すこし深めで、左右になだらかに落ちていく古風な屋根のスタイルは、なんとも美しい。
「宝蔵」や「経蔵」が高床式になっていたり、また逆に全体に低めにつくられた建物があったりするのが、日本というよりはインドネシアかどこかのような、外国の感覚を思わせるところがあり、それがまた風情がある。
やはり天平時代につくられたという仏像も、またなかなかよい。
薬師寺は建物のほうは、「東塔」を除いて新しく再建されたものなのだが、仏像が凄い。
とくに「金堂」に収められている「薬師三尊像」は、白鳳時代の昔につくられたとは思えないリアルさで、まず銅製だからピカピカと磨き上げられてまったく古びていないし、顔はどれも気品があり、中央の「薬師如来」はどっしりと安定していて、左右の「日光菩薩」と「月光菩薩」はからだをすこしくねらせた優美な姿で、「奈良時代の作品のなかでも最高傑作として古来より名高い」のだそうだが、まさにそのとおり、僕がいままでに見たすべての仏像のなかで一番よかった。
今回唐招提寺金堂の仏像3体と、薬師寺金堂の3体とには、100円ずつお賽銭をあげ、東北太平洋沖地震の被災者の冥福と無事を祈った。
おなじ場所に「募金箱」もあり、そちらに入れたお金は被災者に届くが、お賽銭は寺のものになる。どちらに入れたらいいかすこし考えたが、募金としてはあまりに少額だということはあるけれど、お賽銭にして祈りを捧げたほうが、被災者の幸せにつながるような気が、今日の僕にはした。
何よりこれらの仏像はほんとによく出来ていて、目を閉じ手を合わせて祈りを捧げると、瞼にうかぶ仏像の姿が、いかにもほんとに願いを聞き届けてくれそうな感じがするのだ。
これがたんに、被災して今まさに苦しんでいるひとがいるのに、自分は楽しく奈良を見物しているということにたいする罪悪感を払拭するための、自己満足に過ぎないという見方も、今の時代にはふつうにあり得ると思うのだが、人間はおそらく、いわゆる「宗教」などというものが生まれる遙か以前から、こうやって祈りを捧げてきたのであり、またこれらの仏像にたいしても、ひとびとは千年以上にわたって手を合わせてきたのであって、もちろん僕もさすがに、それですべてが解決されるとは思わないが、前近代的であると哂うこともできないということを、今回おもった。
2010-11-21
飛鳥
ここから5、6キロを歩いて明日香村まで行くとのことで、意味がわからなかったのだが、なんと半分以上が、けっこうな山道。下りだったからまだ良かったけれど、僕は昨日3時まで飲んでいて、3時間ほど寝て、朝はまだふつうに気持よく酔っ払っている状態だったので、千鳥足に山道、これがまったく似合わないということを、身をもって確認した。
2010-10-11
奈 良
奈良と言ってもほんとに広いわけで、こないだ奈良駅近辺をちょこちょこ回ったので、今回は法隆寺。
やはり奈良といえば、まず東大寺、次法隆寺、その次薬師寺に唐招提寺、がベストスリーじゃないのか、やはり。
と言っても僕は奈良について詳しいわけでもなく、とくべつ興味があるというわけでもないのだが、せっかく近くに住んでいるうちに、やはり見るべきものは見ておかないとな。
物事見てみないと、実際のことっていうのは、解らないものだ。
ラーメン屋でも、見かけはボロくて、どう考えてもうまいとは思えない店が、死ぬほどうまいラーメン出すということ多いからな。
ていうかそれは、広島のラーメン屋の場合だけど。
広島のラーメン屋は、うまい店は必ずと言っていいほどボロいのだ。
前回東大寺その他を見た時も思ったことだが、遺跡的だよな、奈良っていうのは。
という言い方は、京都と比べているわけだけれど、京都の寺や神社へ行って、まず最初に感じたことが、「これは現役なんだ」ということ。
京都の寺や神社は、多くがその宗派の総本山で、今も宗教法人として機能している団体の中枢だったりするわけだ。
だからただ観光名所ということではなく、宗教の臭いがぷんぷんとする所が多い。
とくに西本願寺とか、いちおう世界遺産なのだが、新興宗教かと思うくらいの現役感があるからな。
それに比べると、まあ東大寺や法隆寺の信者がどのくらいいるものなのか、僕は全然知らないが、雰囲気としてはすっかり枯れていて、太古の遺跡を見ているという感じがする。
奈良に都があったのも、100年くらいなわけで、それからすぐ京都へ移ってしまったから、中心からは外れてしまったわけだものな。
しかしもちろん、それが奈良の良さでもあるわけであって、ある意味京都のように、すべてが計算され尽くした美しさ、というものではなく、大地に素朴に塀や建物が建っているという、そういうところに癒されるというところもあるのだと思う。
法隆寺は日本最古の木造建築だからな、どう考えても見ておかなければいけないのだ。
見ると第一印象として、意外に小さい。
これは法隆寺に限らず、古いと言われる建物は、皆そういうところがあると思うのだが、建物も室町時代を超えて、江戸時代とか、もっと下って昭和とか、新しいものになると、全体として重厚な、どっしりとした印象をたたえるようになると思うのだが、古いものは意外に小さく、華奢というか、細工が細かいというか、そういうところがあるのだよな。
時代を下るにしたがって、それが重厚になっていくという、そういう変化があるのだろう。
いかにも重厚好きな日本らしいと思うのだよな。
今書いてること、前にも同じこと書いているとは思うのだが、まあ気にせず書くと、僕は台湾で煮物を食べたとき、って例えばそれが豚の角煮だったりして、かなりシャバシャバした感じなのだ。
日本の場合だったら、もっとこってり煮詰めるのじゃないかと思うところ、そういうことはあまり考えないらしい。
おしるこも、やはりシャバシャバだった。
日本人って、「コク」とか、「まろやか」とか、好きだもんな。
そういうことと、建築がだんだん重厚になっていくこととが、なんとなく重なるように思えたというわけだ。
全体としてギクシャクしているというか、体の線に勢いがないというか、そんな感じがする。
そんな中で時々例外的に、ほかの仏像とはレベルが格段に違うものがあったりするのだけれど、そういうのは、日本人ではなく、渡来人が作ったのだろうなと思ってしまう。
法隆寺中門にある、金剛力士像とか、ほかの仏像と時代は同じ頃なのに、異常にリアルだったりするのだが、どう考えてもあまりにも、技術力に差がありすぎるからな。
奈良の名物なのだそうだ。
おいしいはおいしいが、いかにも素朴だよな。
2010-08-21
興福寺
「国宝館」という建物が新たに建てられていて、めぼしい仏像は、そこに一堂に集められている。
これなんか特にそうだが、完全に中国人とか、朝鮮系の人たちの顔をしている。
そのころは実際に、そういう渡来系の人たちが、仏像をつくったりしていたわけだからな。
胴体は華奢で、大したことがないのだが、この顔は魅力あるな。
いくら眺めても見飽きることがなかった。
なんとか感想をことばにしたいと思うのだが、1時間くらい見ていても、何も浮かばなかった。
すごいな、これは。
興福寺はたしかに、これを見るためだけにでも、来る価値があるな。
春日大社
この春日大社も、境内はおどろくほど広くて、それほど時間の余裕がなかったので、早足で歩いたのだが、それでも境内の端から本殿までは、20分ほどの時間がかかる。
木々が鬱蒼と生い茂り、太古の昔にもどったよう。
全部で3,000あるそうだが、これは伏見稲荷の鳥居とおなじで、寄進されたものなのだ。
伏見稲荷の鳥居は木製だから、20年かそこらで腐ってしまい、そうするとまた新たな寄進により新しい鳥居がたてられるのだが、こちらは石だから、昔のがそのまま残っている。
でも収入という意味じゃ、伏見稲荷の方が賢いな。
建物はすべて、鮮やかな朱に塗られているのだが、これは、今は古びて茶色くなっている寺などでも、創建当時は極彩色で彩られていた、なんてのも多いわけで、そういう意味じゃ、これこそが昔のままの姿なわけだ。
今回は駆け足で通りすぎてしまったのだが、次回はもう少し、ゆっくり歩いてみたいかな。
2010-08-19
志賀直哉旧居
小林秀雄を師と、勝手にあおぐ僕としては、当然行ってみないといけないわけだ。
暗い中、手元だけが明るいという方が集中できた直哉は、もともとこちらを書斎としていたのだが、そのうち二階の南向きの部屋へ移ったのだそうだ。
ここに当然、小林秀雄もいたのだな。
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