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ラベル 81 レッド・ツェッペリン の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
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2010-09-17

ツェッペリン

昨夜は行きつけのバー「Kaju」へ出かけ、レッド・ツェッペリンDVDをマスターやお客さんと見た。
一人で見るのも、その世界に没入できていいのだが、マスターやお客さんと話しながら見るのも、また楽しい。
でそのDVD、けっきょくKajuへ置いてきた。
僕が行ったとき見るのと、僕が行かないときでも、かけてもらえたらいいと思って。
ツェッペリンにかんしては、前に買ったDVDも、息子にやってしまったし、僕はどうも、伝道師的な役割を果たしたくなってしまうのだな。
ですのでKajuへ行けば、レッド・ツェッペリンDVD、見られますので、よかったらどうぞ。

昨日「ツェッペリンは曲の途中で止まる」と書いたが、どういうことか、もう少し説明しておくと、ハードロック調の曲が、だーっと演奏されているわけだが、それがあるとき、ピタっと止まるのだ。
それで客としては当然、曲の途中なわけだから、あれ、とかいう感じがするわけだが、そうするとややあって、ロバート・プラントのささやくような声と、ジミー・ペイジの小さな音のギターが、お互いをまねしあう掛け合いを始めたり、ジミー・ペイジがバイオリンの弦でギターを掻き鳴らし、幻想的な音を響かせたり、とかいうことが始まったりする。
それがひとしきり終わると、また大音響のギターのフレーズを皮切りに、前のハードロックにもどったりするのだが、もうその、ハードロックにもどる部分が、静から動へのダイナミックな変化という感じで、あまりにかっこよくて、僕は家でひとりで見てたりすると、涙がどーっと、出てきたりしてしまうわけだ。
レッド・ツェッペリンDVDのディスク1は、そういうわけで5回は泣く。

そうやって「タメ」を入れるライブの構成、客を盛り上げるテクニックのひとつとして捉えることもできないことはないのだが、しかしただそういうことではなく、ツェッペリンが初めから、ただのハードロックとは違うものを志向していた、ということを意味するとも、考えることができるのじゃないかと思う。
ハードロックをパンだとすると、中にいろいろな、違うものをはさんで、サンドイッチにする、という構成法だとも考えられるわけで、けっきょくそのまっすぐな延長上に、「天国への階段」という、ハードロックとアコースティックサウンドをひとつに融合した、まったく新しい音楽があるとも言えるわけだ。
初めハードロックだったものが、時間を経るうちに、違った、新しい音楽が生み出された、ということではなく、初めから、その「器」みたいなものは、用意されていた、ということだよな。

2010-09-16

レッド・ツェッペリンDVD

僕はこのブログに、レッド・ツェッペリンについての中途半端な文章を、何度も書いていて、まあこんなのは、レッド・ツェッペリンを知らない人にとっては、あまり関係ないことだろうけれども、僕にとっては、ツェッペリンは神みたいな存在で、というのは、高校以来、今にいたるまで、聞き続けていて、いまだに最高にかっこいいと思ってしまう、なんでそんなにいいと思うのか、自分なりに解明したいと思うのだけれど、どう説明しても、汲み尽くされた感じがしない、そういうバンドなのだ。

レッド・ツェッペリンDVD」は、2003年、ツェッペリンが解散してから20年以上たってから発売された、ツェッペリンの最初期から、最後期までのライブの模様を網羅したDVDで、前に一度買ったのだが、バンドをやっている息子にやってしまって、でもやはりまた見たくなったので、あらためて買い直したのだ。
Amazonで買ったのだが、新品がもう売っていなくて、中古品だけだった。
でもDVDは、キズでもついていない限り、中古品でも画質は変わらないから、安い分よかったが。

2枚組になっていて、1枚目に、1970年という、ツェッペリン最初期のライブの模様が、登場からアンコール終了まで、全編にわたって収録されているのだが、何といってもこれが圧巻。
やはりツェッペリンは、僕は最初期が、一番いいと思うのだよな。
ロバート・プラントは、ある時期から喉を痛めてしまって、売り物だった高音が、まったく出なくなってしまったし、ビッグネームになって以降は、演奏が余裕をかましている、というところもあって、それはそれで、ファンとしては味わうべきところもあるのだが、それよりは、ほとんど世の中に挑戦しているかのような、ガリガリとした音をまっすぐぶつけてくる、デビューから2、3年くらいのあいだが、僕はやっぱり好きなのだ。

今回またこのDVD、最初期のライブの模様をあらためて見て、見ながらもう、あまりにかっこよくて、何度も泣いてしまうのだが、なんでそんなにかっこいいのかということについて、今までは気づかなかった、しかしとても重要なことに、気付いたのだな。
ツェッペリンは、演奏の途中で、何度も止まるのだ。
これがふつうのバンドとは、かなり違っていて、ふつう、曲と曲の間で止まるというなら、まあ当たり前のことで、べつに何ということもないんだが、ツェッペリンは、曲の途中で止まるのだ。
「タメ」みたいなものなのだな。
ガーっと、演奏していたかと思うと、ピタっと止まって、そこでギターのジミー・ペイジと、ヴォーカルのロバート・プラントが掛け合いをしたりして、そのうちまた猛然と走りだして、でもまた止まって、ということを繰り返している。
これはふつうのアルバムではわからないことで、ライブだからこそ、わかることなのだけれど、平たくいえば、「緩急」ということにはなるのだが、それがこうやって、ほんとに立ち止まってしまうというのが、だって目の前には、ホールいっぱいの観客がいるわけだから、それを前にして、立ち止まれるというのが、すごいことだと思うのだな。

ツェッペリンは、10年という活動全体の中でも、何度も、まさに立ち止まってしまうような期間があって、初めに2枚アルバムを出して、その前へ前への、ハードなサウンドが、大きな支持を受け、まさに人気が急上昇したときに、3枚目のアルバムとして、アコースティックギターを中心とした、まったく違った調子のアルバムを出してしまう。
その後人気の絶頂にあったころに、いろいろなアクシデントがあったということもあるが、2年間、活動を休止してしまう。
そうやって考えてみると、ツェッペリンは、「立ち止まる」ということを、まったく怖れておらず、また立ち止まることによって、また新たなエネルギーを獲得するという、そういうバンドなのだな。

自分が自分であることというのは、たしかに走ってしまっている最中は、見えなくなってしまうものであって、立ち止まってみて初めて、自分のやりたい事というものが、見えてくるということもあるわけだ。
結局いちばん大事なことって、そういうことなのだろうなと、まあこれは、自分に引き寄せた考え方ではあろうけれど、思ってしまう、今日このごろ。

★★★★★ 5.0
レッド・ツェッペリン DVD(通常版)

2010-08-27

レッド・ツェッペリン



レッド・ツェッペリンのことについて、昨日中途半端な文をちょこっと書いたら、ツェッペリンのファンだという方からコメントをもらって、僕が「ツェッペリンの音楽が、『天国への階段』をもって完成した」と書いたことについて、それはちょっと違うのじゃないかということだった。
それはたしかにその通り、実はまったく違うのであって、世の中にあたえた音楽的な影響というところからだけみれば、「天国への階段」がひとつの高みであることは間違いないのだけれど、ツェッペリンの音楽が「完成した」ということばを使ってしまうと、ツェッペリンの魅力を、まるごと否定する、ということになってしまうのだな。

ツェッペリンが「とにかくかっこいい」というのが魅力だと、昨日も書いたのだが、このかっこよさのひとつの大きな側面が、「同じ場所にひと時たりとも留まっていない」ということがあるのだ。
これはビートルズにも同じように言えることだと思うけれど、アルバムごとに、基本的にまったく新たな、違った挑戦をしていくのだ。
それが「前向き」とか「進歩」とかいうことばがイメージするものとは、僕はちょっと違うと思うのだが、たとえばデビューのとき、これはあくまで僕の想像であり、事実がたしかにそうであるということではないのだが、リーダーでありギタリストのジミー・ペイジは、ジミ・ヘンドリックスをみて、音楽的には果てしなく新しいものがあるものの、「これじゃ売れないな」と思ったのじゃないかと思うのだ。
ビートルズがデビューするとき、マネージャーのブライアン・エプスタインが、それまでビートルズのメンバーたちが、革ジャンにジーンズ、リーゼントの髪という、そのへんの不良のような、小汚い格好をしていたのをやめさせて、襟なしのスーツにマッシュルームカットという、こざっぱりとした格好をさせたという話があるのだが、昨日の投稿に貼り付けた、ジミ・ヘンドリックスのビデオを見ても、ジミヘンは、やはり小汚い格好をして、態度も横柄な感じだし、さらに昨日のビデオには出ていないが、ジミヘンはあるコンサートで、イギリス国歌をギター一本で演奏するときに、爆撃機が爆弾を投下するときの音を入れ込んだりして、反戦的な主張もしていた。
ジミー・ペイジが、ベーシストのジョン・ポール・ジョーンズに、バンドの結成を持ちかけたとき、「いっしょに金を儲けようぜ」と言ったという有名な話があるのだが、ペイジはジミヘンを、冷徹な目で観察し、そこから売れない要素をすべて取り除き、売れる要素のみを思い切り増幅する、ということを、したのじゃないかと思うのだな。
それで格好も、音楽的にも、小汚い要素をすべてなくし、思想的な主張も一切しない、というスタイルを確立していく。
前向きというよりも、「否定力」とでもいうようなものが、ものすごく強いのじゃないかという気がするのだ。

デビューのときは、その否定力は、他者に向けられたものだったけれど、デビューして以後は、それを自分たちにも向けていく。
2枚目のアルバムは、大ブレークの最中に、ほんとに短い時間で録音したものだったそうで、そのころライブで演奏していた曲をそのまま入れて出したのだが、3枚目のアルバムになると、その路線をまったくやめてしまう。
たぶんそのころには、ツェッペリンのスタイルを真似た他のバンドも続々出現し、これをこのままやっていても、先がないな、と思ったのじゃないかと思う。
それで人気としては絶好調だったにもかかわらず、ハードロックの路線をやめてしまって、ペイジがもともと、ほんとは好きだった、アコースティックギターをふんだんに使った、イギリスの民族音楽のような曲が入ったアルバムを発売する。
この3枚目のアルバム自体は、売り上げはあまり良くなかったのだけれど、しかしけっきょくそうやって、アコースティックギターを使った音楽に取り組んだということが、ハードロックとアコースティックギターを融合させた、それまでにはどこにもなかった、完全に新しいスタイルのロックである、「天国への階段」を生み出すきっかけになったのだと思う。

ツェッペリンはそれ以後も、自分たちがつくり上げ、多くの追随者を生む新しいスタイルを、あるところで切り捨て、まったく新たな、次の挑戦をする、ということを繰り返す。
「天国への階段」の路線も、それが「プログレッシブ・ロック」のような、新しいジャンルすらつくり上げるだけの影響を、世の中に及ぼしたにもかかわらず、もう一枚アルバムを作ったら、惜しげもなくそのスタイルを捨ててしまう。
だからツェッペリンというのは、たくさんのジャンルをつくり出しながら、自分たちはそのどれにも属さない、「レッド・ツェッペリン」でしかない、という、なんともすごいことになっているというわけなのだ。

2010-08-26

レッド・ツェッペリン

レッド・ツェッペリンは僕は高校生のときにハマって、友達と競ってギターをコピーしたり、バンドでやったりしてたのだが、それから幾多のバンドを見ても、いまだにいちばん好きであることは、変わらないのだ。
ツェッペリンの魅力を語りだせば、それこそキリがないのだが、ひとことで言うならば、「かっこいい」のだな。
ツェッペリンのかっこよさが、いちばんストレートに出ている曲は、これだと思う。


「胸いっぱいの愛を」という曲名だが、ちなみにこのビデオ、音源はライブじゃなく、もともとのアルバムのやつを使っていて、そこに様々なライブ映像を、タイミングが合うようにはめ込んだという、なかなか凝ったつくり。

この曲が収められたアルバム「レッド・ツェッペリンⅡ」が発売されたのは、1969年だが、当時の音楽状況を想像するに、まず1962年にビートルズがデビューして、60年代はビートルズと、ビートルズに刺激された、ロックンロールを原型とした多数のバンドが、全盛を誇っていたわけだ。
ビートルズが偉大であることは間違いなく、誰もそれは否定できないわけだが、これだけ人気だと、やはり「ビートルズみたいじゃない音楽」をやりたいと思う人たちも現われるわけで、そういう人たちは、「源流」に還ろうとしたんだな、たぶん。
で、行き当たったのは「ブルース」で、ブルースというのは、ビートルズが手本にしたロックンロールの、そのまたルーツだったりするのだ。

折しも電気技術の発達により、ギターアンプの大容量化がすすみ、さらにそれをオーバーロードさせて、ひずませた、迫力のあるギターの音が出せるようになってきた。
このひずんだギターを全面にだして、ブルースをやるというのが、一つの流れになってきて、その代表が、ジミ・ヘンドリックスだ。


ジミ・ヘンドリックスは「ギターの神様」と言われていて、今のロックギターの奏法の、基本的なものについてはすべて、この人が開発したと言っても過言じゃないのだ。

ところでこの、ジミ・ヘンドリックスのビデオは、上のレッド・ツェッペリンの「胸いっぱいの愛を」が発表されたのと同じ、1969年に撮影されているのだ。
ツェッペリンは、このジミ・ヘンドリックスに代表される人たちがつくり出していったロックに刺激されて、それを踏まえて、さらに新しいロックをつくり出したわけなので、ギターの感じとか、曲の感じとか、この二つはとてもよく似ている。
でも違いもあって、その違いこそが、ツェッペリンが果たしたことになるわけだが、要は、「ブルース臭さ」、もっといえば「黒人臭さ」を、完全に取り去ったのだな。
それによって、ツェッペリンは、空前の大ブレークをしていくことになる。

ツェッペリンはさらに、このブルースに起源をもつロックと、イギリスに昔からあったフォークソングとを融合させた、新しいロックの形を生み出していく。
それが結実したのが、「天国への階段」だ。


これでほぼ、ツェッペリンの音楽は、完成したのだな。

でも僕は、この曲よりも、もうちょっと後の、円熟期ともいえる時代の、「永遠の詩」という曲のほうが好きだ。



さらに、僕がツェッペリンの曲の中でいちばん好きなのは、「ブラックドッグ」という曲。
これは埋め込みできなかったので、リンクを見てください。
いやかっこいいわ。

2009-03-09

LED ZEPPELIN DVD

2003年に発売された、ロックバンド「レッド・ツェッペリン 」の2枚組DVD。
僕は最近購入し、時間が無くてなかなかきちんと見れなかったのだが、やっと見終わったという次第。
この6時間近くにもなるDVDを見て改めて思うのは、レッド・ツェッペリンというのは、何かの枠にはまってしまうのを極度に嫌う人たちなんだな、ということだ。

デビューしたレッド・ツェッペリンの何が画期的であったかというと、1960年代後半、ビートルズを中心としたボーカル中心のロックバンドが下火になり、それに代わって大音量の、歪んだギターの音を前面にすえた「ハードロック」のバンドが多数、台頭してくるのだが、その時彼らが基盤としていた「ブルース」という枠組みを、ツェッペリンが取っ払ってしまったところにあるのだと思う。
ツェッペリンが開拓した、ブルースとは全く異なる新たな地平に、後続は次々参入し、その延長に「ヘビー・メタル」という分野が確立していく。

しかしツェッペリンは、今、ヘビー・メタルのバンドではない。
何故なら彼らは、自分たちが固定したイメージで捉えられるのを拒否し、新たな挑戦を始めるからだ。
ビートルズのアルバム「アビー・ロード」を抜き、全英、全米ナンバーワンになった2枚目のアルバムに続いてリリースされた、アコースティックな音を前面に出した3枚目のアルバム、「LED ZEPPELIN Ⅲ」は、前作のような歪んだ、激しいギターサウンドを期待していたファンからは、非難ごうごうだった。
しかしツェッペリンは、次作、4枚目のアルバムの中の「天国への階段」という曲において、激しいギターとアコースティックな音調とを融合させた、全く新しい音楽を再び開拓し、それは後続のバンドにより「プログレッシブ・ロック」などという分野として確立されていく。

しかしまたしても、分野が確立される頃にはツェッペリンはそこにはおらず、新たな挑戦を始め、これから、というところでドラマーが死亡、解散するに至ってしまう。
だからツェッペリンは、「ロックバンド」ではあるが、それ以上の細かな分野分けは出来ない。
レッド・ツェッペリンは、レッド・ツェッペリンである、というより他に、呼びようがないのである。

ライブ演奏のスタイルもまた、おなじ考え方に貫かれている。
普通のロックバンドは、事前に曲の進行をメンバーと細かく確認し、ライブではその通り演奏するものだと思うが、ツェッペリンはそうではなかったということが、ライブ映像を見るとよく分かる。
ステージでのその場の即興で決められる部分が大きく、メンバー同士が目を合わせながら、主にはギターのジミー・ペイジだが、場合によっては他のメンバーが、次への展開を主導していく。
だからあのような、緊張感あふれる、生き生きとした演奏が可能なのだな。

「ロック」というのはたぶん、社会などによって押し付けられる枠組みに反抗し、本来の生き生きとした人間性を確認しよう、ということを目指した音楽なのだと思う。
であるならば、レッド・ツェッペリンこそはまさに、本当の意味でのロックバンドである、と言えるのだな。


2009-01-18

いよいよライブ Led Zeppelin、だね!

ライブは、「レッド・ツェッペリン」の「なりきりバンド」(業界では、「トリビュート・バンド」と言うそうだ)、「ミスター・ヘンリー(MR. HENRY) 」のギタリストである「ジミー・トガワ」さんに誘われたもので、僕は出張の予定だったのが、それが急になくなり、来られることになったのだ。
夏の終わりに初めて行って 、今回で2回目。

場所は前回と同じ、岩国の「ロック・カントリー 」。
岩国駅から3分、繁華街のど真ん中にあり、こういう場所で、「ハード・ロック」という、あまり時流に沿ってるわけでもない音楽のためのライブハウスを維持するとは、ここのオーナー、かなり腹が据わっている。
話を聞いたら、
「いや、儲からんですよ、全然」
とのことだった。
頑張ってほしい。

今回のお目当ては、ミスター・ヘンリー。

今回は多数の新曲に挑戦したそうだが、演奏も危なげなく、きちんとこなしていた。

ジミーさんは、ギターを、上のレスポールから、

このギター、何ていうんだっけな、さらに

ダブルネック、と3本も持ち替え、大健闘。
これらのギター、どれも目が飛び出るくらい、高いのだそうだ。
たぶんジミーさん、自分の給料、全部ここにつぎ込んでるんだろうな。

ボーカルのロバート君は、他のメンバーにくらべると若いのだが、

今回は、彼女にばっちりメイクまでしてもらって、気合十分。
歌がきちんとしていたことはもちろんだが、曲のあいだの「しゃべり」もちゃんと頑張っていて、客の笑いを取っていた。
エライ。

ジミーさんとのコンビネーションプレイも、息がぴったり合っていた。

ベースの、ジョン・ポール・ジョーンズさん。

キーボードはまだ、あまり慣れないようだが、真面目に頑張っていて、好感がもてるな。
本家のジョン・ポール・ジョーンズは、ベースに、キーボードに、ほんとに多才で有能な人だし、ライブではキーボード弾きながら、足ではベースを踏まないといけないから、なりきるのも大変なのだ。

ドラマー、ジョン・ボーナム。
後ろのドラや、そのほかにティンパニを2つ、本家と同じようにきちんと設置しているのだが、全部自前。
ジョン・ボーナムになるのも、ラクじゃないのだ。
しかもこのボンゾ(ジョン・ボーナムの愛称です)さん、ちょっと外人みたいな顔立ちをしていて、付け髭とかつらをつけると、本家

にそっくりなのだ。
そこまでなりきれる人は、なかなかいないな。

「テルミン」という、あれどういう仕組みなんだろう、たぶん周りの電磁波の変化を感知して、手や身体を近づけたり離したりすると音が変わるという、そういう楽器、それも本家と同じように忠実に再現していたし、

アンコールは、「コミュニケーション・ブレークダウン 」、これは僕がツェッペリンの中でいちばん好きな曲なのだけれど、ジミーさん、客席に乱入の大サービス。
ツェッペリン・ファンとしては、泣けました。

今回は「ミスター・ヘンリー」の良さが、大変よく出ていたと思うのだが、ツェッペリンの「なりきりバンド」を見に来る客の気持ちとしては、「ツェッペリンを見たい」のだ。
もちろん目の前にいるのは、ツェッペリンとは似ても似つかぬ日本人、なわけだが、それでも、ツェッペリンの演奏をこと細かくコピーして再現し、同じ楽器を買い、かつらを付け、同じ衣装を着、「少しでもツェッペリンに近づきたい」という気持ちが、こちらの感動を誘うのである。
こういう言葉を使うのは気恥ずかしいが、「愛」なんだな、やはり、ツェッペリンに対する。
ミスター・ヘンリーは、まだまだ色々課題はあることと思うけれど、この「愛」が、それこそ「胸一杯に」(あ、これ、ツェッペリンの曲の名前と重ねて、洒落てみました)感じられるところが、嬉しいのである。
これからどんどん進化していくことと思うけれど、この「ツェッペリンに対する愛」だけは、忘れないでほしいなと思う。
忘れるわけないね。

同じ意味なのだが、最近のギタリストはふつう、「エフェクター」という、ギターの音を歪ませたり、伸ばしたり、色々に変化させる機器を、いくつも使い、それを切り替えながら演奏するものなのだが、ジミーさんのエフェクター、

これだけなのだ。
比べるための写真を撮らなかったので、分かりにくいかも知れないが、こういう世界の相場としては、驚くぐらいに少ない。
でもこれは多分、本家ジミー・ページが使っていたのと、同じエフェクターなのだと思う。
なりきりジミーさんは、ギターだけでなく、アンプも、本家が使っていたのと同じものを、大枚はたいて手に入れているから、こういうことが可能なのだな。
実際、今どきのギターの音でよくある、均一に「ザー」と歪んだものとは全くちがい、生のギターの、ちょっとペナペナした感じが残りながら、大音量の部分では迫力をもって歪むという、なんともいい音がした。
これはジミーさんの身を削るような出費(あはは)によって、可能となっていることなのである。
こういうところに感動するんだよな、ツェッペリン・ファンは。

最後はカーテン・コール、客も大満足、いい時間だった。

2008-08-31

レッド・ツェッペリン !!

先日、広島パルコの新館に行ったら、8階に楽器屋があって、そうすると当然、エレキギターとかも置いてあるわけだ。
ちらちら眺めていると、なんと最近は、フェンダーというエレキギター界では老舗の会社の、テレキャスターというギターが、5万円ほどで売っているのである。これは僕が好きなロックグループであるレッド・ツェッペリンのギタリスト、ジミー・ペイジが、デビューのころ使っていたものだ。


思わず身体がカーッと熱くなり、店員に頼んでアンプにつないで弾かせてもらったりすると、またこれがいい音がするわけで、欲しくて欲しくて仕方なくなった訳だが、渾身の力をふりしぼって冷静さを取り戻し、よくよく考えてみれば、というか、それは考えなくても自ずと明らかなことなのだが、ギターを買えば当然ひと前で弾きたくなり、そうするとバンドを組んだり、練習してライブをしたり、ということに発展していくに決まってる。でも今の僕にはそこまで時間はさけないな、ということで、熱くなった身体をなんとか冷まし、あきらめた、ということがあった。

僕はそうやって橋の手前で踏みとどまったわけだが、世の中には橋を渡ってしまう人も多いのだろう。
オヤジバンドが盛り上がっているらしい。

学生時代のバンド仲間とは縁を切り、かたぎになって就職し、がむしゃらに働いてきたのだけれど、四十をすぎてそろそろ定年が視野に入ってくると、自分の人生、何なのだろうと考えはじめる。ふと気づくと、昔は高嶺の花だったエレキギターや色んな機材が、酒を飲んだり車を買ったりするのをちょっと我慢すれば、手の届くところにある。なんだ、そうだったのか、それでは夢をもう一度、とばかりにバンドを始める、といったところなのではないかと思う。

僕はMixiにもちょこっと顔を出していて、そしたら広島在住のレッド・ツェッペリン好き、ということでだろう、レッド・ツェッペリンのトリビューンバンドをやっているという、40歳の人から連絡があって、ライブをやるので来ませんか、と誘われた。
「トリビューンバンド」という言葉は初めて聞いたのだが、あるバンドの、曲をただコピーするというだけにとどまらず、姿かたちから、使う楽器や機材まで、すべてを丸ごと真似してしまうバンド、という意味らしい。

名古屋にレッド・ツェッペリンの、今思えばトリビューンバンドなわけだが、CINNAMONという、その世界では有名な人たちがいて、これはオヤジバンドではなく、というか年齢的にはオヤジなわけだが、最近ぽっと始めたのではなく、もう30年以上活動している大御所なのだけど、ライブが大須であったので見に行ったら、とても面白かった。
だいたい僕もツェッペリン好きなので、ツェッペリンの曲がライブで聴ける、というだけで、他愛もなくワクワクしてしまうのだ。
ということで今回も、広島からJRで40分、山口県の岩国へライブを見に行ってきたというわけだ。

岩国はすごいところで、米軍基地があることも関係するのだろうか、岩国Rock Countryというのだが、ロック専門のライブハウスが、駅から5分ほどの繁華街のど真ん中、福屋の隣にある。話はしなかったが、スタッフ席にミッキーカーチス


みたいな見た目の、かなり気合がはいった人がいたので、おそらくその人がオーナーなのだろう。
今どきロック一本のライブハウスを、地方都市とはいえ街のど真ん中で経営していくというのは、よほどの信念を持っていないかぎり出来ないことだと思う。

ライブのタイトルは「Legendary Rock Fest」だから、「伝説のロック祭」だろう、伝説のロックと呼ばれるにふさわしい、エリック・クラプトン



やジェフ・ベック、ジミ・ヘンドリックス、ホワイト・スネイク、そしてレッド・ツェッペリン、などをやるバンド、4グループが競演するという企画だった。
それほど広くはない会場ではあるが、超満員で、立ち見も出るほどの盛況ぶりだった。
客はほとんどが、出演バンドのメンバーの家族や友人など関係者だったようだったが、飛び込みで来た人も何人かいたようだ。

初っ端はエリック・クラプトンのコピーバンド。
2ヶ月前に結成した岩国の地元のバンドだそうだが、絵に描いたようなオヤジバンドで、演奏も歌もびっくりするほどしっかりしているのだが、「え、この人がクラプトン?」


という意表をついたキャラクターや、全体として何となく、「オヤジのカラオケ」チックな雰囲気をかもし出しているところに、ほのぼのとするものがあった。

二番手はジェフ・ベックとジミ・ヘンドリックス担当だが、ギタリストは日本のトップギタリスト、チャーにそっくりで、


チャーの曲も2曲やってくれたが、かなりのテクを披露してくれた。

さて次がいよいよレッド・ツェッペリン。
MR. HENRYというバンド名で、去年の11月に結成されたそうだが、これはすごかった。
まずすごいのは、ツェッペリンのドラマー、ジョン・ボーナムが使っていたドラムセットを再現し、直径1メートルはあろうかというドラから、ティンパニまで、全部持ち込んでいたこと。

 

アンプなどほかの機材も大量に持ち込んでいたから、金もかかっているだろう、しかしやはり、すべてを真似るトリビューンバンドとしては、この意気込みは大切だと思う。

メンバーは全員、普段はかたぎの仕事をしているアマチュアなので、髪の毛は当然短髪なのだが、この日は長髪、アンド、金髪のズラで登場。


ちょっと文化祭チックな感じだが、そこまでする、という心意気が、またなかなか良かった。

演奏はかなりすごくて、ツェッペリンはメンバーが全員、演奏がうまい、というだけでなく、それぞれとても特徴的で、その個々の特徴が全体として大きく融合されて、ツェッペリン独特の迫力あるサウンドを生み出すのだが、このMR. HENRY、メンバーがそれぞれ、そういう特徴の細部を再現しようという意気込みにあふれていて、見ていて爽快だった。

演奏のポーズももちろん、忠実に再現されている。

本家との比較編、2例。

ジミー・ペイジの演奏のポーズ。
MR. HENRY:


本家:


ジミー・ペイジとロバート・プラントのからみ。
MR. HENRY:


本家:


1時間のステージだったが、時間のたつのが早く、あっという間に終わってしまった。

最後に登場したのは、ホワイト・スネイクをやるバンドだが、この人たちはほとんどプロに近いのだろう、長髪もズラではなく地毛で、演奏や、ステージ上での客のあしらい方も、ほんとに達者だった。


ライブハウス側としては、やはり素人だけに任せるのは怖いので、最後におさえとして、きちんとプロを配置する、ということだったのだと思う。
しかしまあ、伝説のロックを今に再現する、という今回の趣旨で考えると、演奏のうまさはもちろん必要だが、うまいだけでは意味がない、そうではなく、やはり本家をどこまで愛情をもって忠実に再現するのか、というところが重要なポイントになるのだと思う。
そういう意味で今回、MR. HENRYは、本家、レッド・ツェッペリンへの愛にあふれており、会場がたいへん盛り上がったのはそういう所だったと思う。

MR. HENRY、9月20日には、五日市のMOTOR BREATHで、あの日本語直訳ロック「王様」の前座をつとめるそうです。


2008-05-28

レッド・ツェッペリン



レッド・ツェッペリンというロックバンドが好きなのだ。1980年に解散したのだが、去年の暮れに復活コンサートがロンドンであって、それにタレントの江尻エリカが行ったというので、ちょっと話題になった。未だにすごい人気で、チケットには巨額のプレミアがついたそうだ。

レッド・ツェッペリンといっても、知らない人も多いかもしれない。デビュー以来の世界でのレコード・CDの売り上げの累計は、あのエルビス・プレスリーやビートルズと、肩を並べる。ツェッペリンより有名な感じもするローリング・ストーンズやマイケル・ジャクソンと比べると、2倍ほどにもなるという。3年ほど前、イギリスのラジオ局が、過去のすべてのロックバンドの中から、ボーカルやギターなどそれぞれのパートで、いちばん人気のあるプレーヤーを視聴者の投票によって選び、架空の究極のロック・バンドを決めようという企画を行ったそうだ。結果は各パートの一番人気がすべてツェッペリンのメンバーとなってしまい、「究極のロック・バンドはレッド・ツェッペリンだった」という結論になったという。

デビューは1969年。ぼくは7歳だったのでリアルタイムでは経験していない。高校に入りバンドを始めてから、知るようになった。その頃校内で、ギタリストとして一人前とみなされる基準のようなものが何となくあって、それがディープ・パープルというバンドの、「ハイウェイ・スター」か、ツェッペリンの「天国への階段」を弾けるということだった。ぼくはツェッペリンのほうにハマり、それから色んなバンドも聞いたのだが、結局これがいちばん好きだということは、今に至るまで変わりがない。

ひとことで言うと、「かっこいい」のだ。たとえばこれ。40年前の映像で、日本でのプロモーションのために作られたもののようだが、冒頭の紹介部分が時代を感じさせるのにたいして、曲と演奏がまったく古臭くなく、今でも新鮮なエネルギーに満ちあふれていることを感じてもらえるだろうか?このように歪んだ音のギターが前面に出てフレーズを刻み、ボーカルがシャウトするスタイルのロックを「ハードロック」と呼ぶが、これを確立したのが彼らだと言って良い。ツェッペリンは、音楽の一つのジャンルを生み出した存在なのである。

1960年代の音楽シーンは、ビートルズの登場によって幕を開けた。50年代にアメリカで、エルビス・プレスリーが一大ムーブメントを巻き起こし、イギリスの片田舎に住んでいた彼らは、これに感化されてバンド活動を始めたのだが、バンドのメンバーが自ら曲を作るというのは、ビートルズから始まったことだった。彼らの成功によって、ローリング・ストーンズや、ザ・フー、モンキーズなど、新たなバンドが続々デビューしていき、またバンドを生み出す土壌というものも、これをきっかけにイギリスを中心としながら、熟成されていったと思う。

プレスリーは、アメリカの黒人音楽であった、ロックンロールに影響されたのだったのだが、ロックンロールのルーツは、アメリカに連れてこられた黒人達が、自らの悲しみを歌に込めた、ブルースという音楽だ。ビートルズの成功で、世の中には明るい、健康的なロックがあふれていただろう。しかし次を目指す若者達は、何かもっと違ったものを探してもいたと思う。そういう中、ロックのルーツであるブルースを、自分達なりに再解釈して演奏しようという動きが、イギリスで始まる。折りしも電子技術の発達で、ギターアンプの大容量化が進み、大きな音の出るアンプを、さらにボリュームを目いっぱいに上げて使うことで、大音量で歪んだギターの音が出るようになった。それがかっこいいということで、その音を使ったギターの演奏技術もつぎつぎ開発され、それを前面に出してブルースを演奏するという、エリック・クラプトン率いるクリームや、ジミ・ヘンドリックスなどが生まれていく。

このような状況の中、レッド・ツェッペリンのリーダーである、ギタリストのジミー・ペイジは、元はスタジオミュージシャンをしていたが、乞われてヤードバーズというバンドのメンバーとなる。メンバーの入れ替わりが激しく、ギタリストはジミー・ペイジで三人目だった。それほど人気のバンドでもなかったが、ペイジは演奏を楽しんでいたらしい。しかししばらくするうちに、ペイジ以外のメンバーが全員、それぞれの事情で脱退し、一人残されたペイジは、新たにボーカルにロバート・プラント、ドラマーに、プラントのバンド仲間だったジョン・ボーナム、ベースにペイジとはスタジオミュージシャン仲間だったジョン・ポール・ジョーンズを誘い、しばらくはニュー・ヤードバーズという名前で活動するが、その後同じメンバーで、レッド・ツェッペリンとして、再スタートを切ることになる。

ここで何が起こったのか、ぼくはとても知りたいのだ。それほど冴えないブルース・ロックのバンドが、どのようにして、新たなジャンルを切り開くような巨大な存在になりえたのか。おそらく何らかの、大きな発想の転換があったのだろう。それはどのようなものだったのか?

ツェッペリンの音楽のかっこよさは、一つには歪んだ音のギターが奏でるフレーズに負うところが大きい。しかしそれ自体については、とくべつ新しくはなかった。当時あまたのバンドが、取り入れていたものだったのだ。そのような状況を横目で見ながら、次の一歩をペイジはどのように踏み出そうとしたのか。

それは、「ブルースという枠組みからの脱却」ではなかったかと思う。

当時歪んだ音のギターを取り入れたバンドの多くは、迫力あるギターの音や、それから生み出される新たな演奏技術によって、新たな表現を得てはいたが、それはあくまでギターというパートについてのみ言えることで、曲全体、バンドのあり方全体としては、依然としてブルースのままだった。しかしペイジはおそらく、この新しいギターの音と演奏技術が、新しい曲のあり方、バンドのあり方を生み出しうることを感じたのだ。

その代表的な曲が、Dazed And Confusedだろう。これはヤードバーズ時代に演奏を始め、後にツェッペリンの柱となった曲の一つだが、ここではブルースらしさというものが完全に解体され、あと方もなく消え去っている。ブルースには定型のコード(和音)進行のパターンというものがあるのだが、この曲にはコード自体がほとんど使われない。ギターとベースが同じ旋律を奏でる(ユニゾン)部分と、ペイジのギターソロの部分は、コードは一つだけ、展開しない。決めのフレーズにいくつかコードが使われるが、あとは伴奏もなく、ペイジがバイオリンの弓で、おどろおどろしいギターの音をひたすら聞かせている。この曲は、技術革新により新たな表現を得たギターによって、ブルースという形式に代り、新たに曲を形づくるということについての、ペイジの挑戦なのだ。ギターとベースがユニゾンで旋律を奏でることにより曲を展開していくというのは、これ以降のハードロックの曲の、定石的なあり方の一つとなっている。

このようなあり方はしかし、西洋の伝統的な音楽では珍しくなかったかもしれない。いくつものパートがユニゾンで旋律を奏でるということは、ぼくは詳しくないが、クラッシックなどではいくらでもありそうな気がする。そう考えるとペイジが踏み出した一歩は、アフリカの黒人の音楽性と、西洋の白人の音楽性との調和のあり方の一つであるとも言えるのかも知れない。

このDazed And Confusedのビデオだが、もう一つ面白いのは、観客だ。皆ぽかんとしている。1969年3月、デンマークでの、スタジオライブなのだろう。ツェッペリンの初めてのアルバムが発売されたのが、アメリカで1969年1月、イギリスでは3月だから、ここのお客さんたちは、ツェッペリンの音楽を今日初めて聴いたに違いない。これまでのロックとあまりに違いすぎて、どう反応して良いか分からず、戸惑っていたのだろうと思う。

ペイジが目指したものは、そのくらい革新的なスタイルだったから、それを観客以前に、どう自身のバンドのメンバーに伝えるか、ということが、大きな課題だったに違いない。ベースのジョン・ポール・ジョーンズは同じスタジオミュージシャン仲間だから、たぶん理論的に説明してある程度理解させることができただろう。しかしボーカルのロバート・プラントと、プラントのバンド仲間だったドラムのジョン・ボーナムは、明らかに肉体派、感覚派である。そのような人たちに新しい内容を伝えるには、口で説明するだけでは難しい。そうではなく、実際に一緒にやりながら、共に見つけていくということが、絶対に欠かせない。

ページはDazed And Confusedを、ヤードバーズの時に演奏している。ペイジのギター演奏自体は、その後のツェッペリンの時とほぼ変わらないのだが、ボーカルがまったく違う。違う歌を歌っている。おそらくペイジは、ギターとベースについてはきちんと考えてあったが、ドラムとボーカルについては、あまりちゃんと考えておらず、たぶん「適当にメロディー付けて、歌ってみてくれない?」みたいな感じだったのだ。だからヤードバーズとツェッペリンでボーカルが違えば、もちろんのこと違う歌になるのである。

ヤードバースのボーカルはキース・レルフという人だが、たしかにロバート・プラント彼とを比べれば、大音量のギターアンプの前で歌うボーカリストとしての素質は、天と地ほどの違いがあるだろう。しかし素質だけの問題ではない。プラントやボーナムにたいして譜面を書いて渡すわけではないのだから、彼らには演奏を、自分自身で生き生きと、生み出してもらわなければならない。そのために必要なのは、バンドが生き生きとした、創造的な場、そのようなメンバー同士の関係性、そういう状態にあることである。

ヤードバーズはメンバーの入れ替えが多く、マネージャーも3回変わったそうだが、それはメンバー同士の関係性が最悪だったからだそうだ。ペイジはそれを身近に、後半は自身がメンバーとして、目の当たりにしてきた。一人目のギタリストであるエリック・クラプトンが、ヤードバーズを脱退したのは、ブルース・ロックを志向していたクラプトンが、マネージャーと他のメンバーから、シングルレコードをヒットさせるために、より一般受けしそうなポップな曲を強制されたからだという。このことから推し測れば、ヤードバーズのメンバー間のいざこざは、収益の機会をどのように得るのかという問題と、おそらく無縁ではなかっただろう。

ツェッペリンは、シングルレコードをほとんど作らなかった。テレビにも、雑誌その他のマスコミにも、ほとんど登場しなかった。それは当時の音楽業界の常識とはかけ離れたものだったが、ライブの迫力の物凄さが口コミで伝わることによって、シングルレコードよりもはるかに高価なアルバムが、爆発的に売れていったという。ペイジはなぜ、そのようなやり方を選んだのか。おそらくメンバー同士のいざこざを避けるためではなかっただろうか。営業のあり方で意見が対立するくらいなら、いくら常識に反したとしても、そのようなことはまったくしないほうが良い、そういうことだったのではないかと思う。実際ツェッペリンのメンバーが仲違いしたという話は聞かない。80年に解散したのも、そのような類の理由ではなく、ドラムのジョン・ボーナムが、酒の飲みすぎで、寝ているうちに吐いた物が気管につまり、死んでしまったためだった。

ペイジは、少年時代の映像(いちばん左のギターを演奏する少年がペイジ)を見ても、わりと最近のインタビューを見ても、いわゆるロックと言うとイメージされる、不良っぽさとか、暴力的な感じとか、そういうものとはまったく無縁な、おそらくイギリスのそこそこ良い家庭で育った、きちんとした紳士である。彼はロックを、自分の趣味の追求や、欲求不満のはけ口、また社会にたいする批判の表明の場として位置づけることはなく、きちんと収益を得るビジネスとしてとらえた。そして、それが成功するための戦略を描き、それを勇気を持って実行したのである。ロック評論家の渋谷陽一氏によれば、ペイジがベースのジョーンズを誘った時の台詞が、「どうだい、金を儲けようぜ」というものだったという。さもありなんと思う。

名古屋に一年半ほどいたことがある。名古屋にはシナモンという、知る人ぞ知る、ツェッペリンのコピーバンドがあって、ギターやボーカルなど各パートが、微に入り細にわたって、ツェッペリンをコピーしており、ギタリストなぞは、姿かたちまでもが、ジミー・ペイジにそっくりなのだが、ちょうど名古屋市大須のライブハウスで公演があったので、観に行ってみた。


シナモン

演奏を満喫したのはもちろんだが、面白かったのは来ていたお客さん。50~60人くらいだろうか、そのほとんどが、50代前半くらいの、大企業の部長か、または小さめの会社の重役か社長、という感じの人たちだったのだ。それが皆、嬉々として、ツェッペリンの曲を聴いている。年代的に50歳からちょっと上くらいの人たちが、ツェッペリンをリアルタイムで体験しているということはあるだろうが、それだけではないだろう。ツェッペリンというバンドのあり方自体が、部長や社長が自分の人生を投影できるような、そんな存在なのだと思うのである。

レッド・ツェッペリンのCD。入門として一枚買うならこれ。


レッド・ツェッペリンII

ツェッペリンのかっこよさが、いちばんストレートに出ている。1969年10月発売。ビートルズのアルバム「アビー・ロード」をおさえて、全米、全英ともにチャート一位となった。

もう一枚買うなら、次はこれ。


レッド・ツェッペリンIV

「天国への階段」もここに収録されており、一般にはいちばん人気がある。ジミー・ペイジはイギリスの民俗音楽にも大変造詣が深く、IやIIIにはそういう曲も多数収録されている。ペイジはたぶん本当は、そういうもののほうが好きなのだと思う。天国への階段は、そのイギリス民俗音楽と、黒人由来のハードロックとが初めて融合されたもので、ツェッペリン音楽がここで完成した、と言ってもいい。しかしその分、初期の荒削りな魅力は影をひそめ、シンプルな分かりやすさには欠けるところがあると思う。

あと二枚選ぶならこれ。


レッド・ツェッペリン

デビューアルバム。個人的にはこれがいちばん好き。


聖なる館

前作(Led Zeppelin IV)で自分達なりにスタイルを完成させ、ここではそれを展開させながらも、力を抜いて色々なチャレンジをしている。ツェッペリンのCDの中では唯一、BGMとしても聞ける。

2008-05-13

イギリス

イギリスというのは、面白い国だなと思う。

レッド・ツェッペリンというイギリスのロックバンドがあって、これがぼくは死ぬほど好きなのだが、(あ、うそ、死にはしませんが)、元々アメリカで、アフリカから奴隷として連れて来られた黒人たちの生み出した音楽であるブルースというものがあって、そこからジャズが生まれたり、またロックンロールロカビリーというものが生まれたりしていく、という状況の中、もう一度ブルースを再評価し、それを白人である自分たちなりに咀嚼してみようという動きが、イギリス人であるエリック・クラプトンジェフ・ベックや、またアメリカからイギリスに渡ったジミ・ヘンドリックスなどという人たちを中心として始まる。でもその人たちがあくまで、ブルースという土俵の中で、「白人のブルース」というものを模索していたのに対して、レッド・ツェッペリンは、もちろんそういう動きの中から生まれ、ブルースを下敷きにしてはいたけれども、ブルースとははっきり違う、新しい音楽である、ハードロックというものを生み出したのだった。

ツェッペリンの影響を受けて、その後膨大な数のハードロックのバンドと楽曲が生み出されていき、さらにそこからヘビーメタルとか、プログレシブロックとか、ツェッペリンの持っていた色々な要素を推し進める形で、新たなジャンルが生み出されても行った。ツェッペリンはそういう意味で、新しい文化の誕生の原点になっているのだ。

ツェッペリンのリーダーは、ギタリストであるジミー・ペイジという人だが、この人がツェッペリンの前に属していたバンドでヤードバーズというのがあって、そのアルバムを今聞くと、その時代にありがちな、ビートルズチックなぺなぺなしたサウンドに、その後のツェッペリンを髣髴とさせる、ギンギンと唸るジミー・ペイジのギターが暴れまくっているという、そういう印象だ。その時すでに、ジミーペイジの頭の中には、新しいバンドのイメージがふつふつと浮かんでいたのだろうなと思う。

そういう文化が新しく生み出される原点のようなもの、それがイギリスで生まれているという例が、いくつもあると思うのだ。

考えてみればビートルズだってそうで、ビートルズはツェッペリンの少し前にデビューしたバンドだが、やはりアメリカで当時流行っていたロックンロールやロカビリーを、自分たちなりに解釈した結果、リバプールサウンドという独自の音楽を生み出し、さらに彼らが歩んでいった道筋は、そのまま現在のポップミュージックの基盤となっている。そう考えるとイギリスはロックという分野を確立するに当たって、元々の母体はアメリカにあったにもかかわらず、決定的な大ホームランを二発、放っていることになる。

似たような例がちょっと昔にあったなと思ったのだが、それは科学という分野が確立していくプロセスだ。まぁこれは詳しいことを知らないので、適当なことを言ってしまうことになるとは思うが、元々中世のヨーロッパにおいては、真理の探究ということについてはキリスト教がその中心を担っており、だから多分、神聖ローマ帝国とか、その辺りが活動の中心だったのだろう。一発目の大ホームランを放ったのはニュートンだったわけだが、それに先立って研究を積み重ねた人たちとして知られている、ガリレオはイタリア、ティコ・ブラーエはデンマーク、ケプラーはドイツだから、だいたいその辺りだ。そうやってそちらで物事が熟成されていたものを、当時はまだ周辺国であったと言ってもいいのだろう、イギリスの、しかも20歳そこそこの若造が、決定的な手柄をかっさらっていったのだ。

ニュートンは、物体の運動ということについて、すべてをそこから導き出すことができる、法則というものを確立したわけだが、次の大ホームランはそれから200年後、生物および人間について、やはりイギリス人である、チャールズ・ダーウィンによって、進化論というものが確立される。ニュートンとダーウィンによって、物質から生物、人間までの一通りについて、真理を探究する基盤が整ったということで、科学という分野が確立し、科学者という人たちが収入を得ることができるようになり、それまでキリスト教が担っていた真理の探究の役割のかなりの部分を、科学が担うようになった。そういう大きな、世界の中心軸の変動ということについて、たぶんかなり重要な役割を、イギリスが担っていたのではないかと思ったりする。

イギリスは大航海時代、世界中を侵略し、七つの海を征服したわけだが、ただ武力だけを行使していたのでは、それはうまく行かなかっただろう。やはりきちんとした文化、基本的な考え方、そういう背景がなければならないと思うのだが、そういう意味でイギリスは巧いと言うか、何と言うか、大したものだと思うのである。第二次世界大戦後は、世界の主導権はイギリスからアメリカに移ったと言われているそうだが、いやいやどうして、イギリスもまだまだ体力を温存しているのかもしれない。