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2009-08-15

DVD 「仁義なき戦い」


一年前広島に来た時から、広島に来た以上、「仁義なき戦い」は見ないといけないだろうと思っていて、近所にTSUTAYAがあるのでそこで何度かチェックしたりしていたのだが、結構人気なんだな、そのたびに借り出し中だったりとかして、これまで果たせなかったのだ。今回お盆休みということで、再びTSUTAYAに見に行ったら、シリーズ5部作全部が揃っていたので早速借りてきて、昨日と今日で全部見てしまった。

1952年から72年にかけて呉と広島を舞台に実際に起こった、暴力団の抗争事件を元に作られた映画で、暴力団の抗争というと何となく、広島が本場というイメージがあるが、抗争自体は何も広島に限らず、全国色々な場所で起こっているわけで、ところが広島の抗争の場合、その中心人物の一人が獄中で、原稿用紙700枚に及ぶ手記を書き、その手記を元にこの映画が作られ、大ヒットしてしまったということで、そういうイメージが何となく、定着してしまったのだろうと思う。

僕はもう広島に1年以上住んでいるから、菅原文太初め役者の全員が広島弁を喋っていることや、ロケで広島本通や新天地、流川などがちょこちょこっと出てきたりすることが何となく嬉しく、ただ暴力団の映画ということではなく、ちょっとした思い入れを持って、見ることができた。


主人公は菅原文太扮する、広能(ひろの)昌三。これが手記を書いた美能幸三という人をモデルとしているのだが、彼が戦争が終わって呉に復員してきて、ヤクザ同士のトラブルを自ら相手を殺して解決してやることをきっかけに、ヤクザ渡世を渡っていく有様を、ただ広能本人の周りで起きたことだけではなく、様々な親分や子分たちの詳細な振る舞いを含めて描いていく。手記がどの程度のものであったのか詳しくは知らないし、映画化するにあたっての取材もかなりされたのだろうが、でもたぶん、この元々の手記が、大したものだったのだろうと思う。ただ出来事が羅列されるに留まらず、どうしてその事件は起きたのか、なぜその人は死なねばならなかったのか、ということについて、分析され、考えが述べられている。それがある思想の表現というところまで達していて、それはひと言で言うと、「親分がダメだから、若い人たちがああまでたくさん、死んでいったのだ」ということ。優柔不断で決断力はないが、政治力に長け、子分連中を分断し、互いに反目させることで、自らの立場を確保していく。若い子分を甘い言葉でかどわかし、死地に追いやることで、自分の身を守る。そういうヤクザの親分の姿は、何もヤクザに限ったことではなく、専制的な独裁者に常に見られることであり、日本の会社にでも、そういう上司や社長はいくらでもいることだろう。親分の下にいて、なんとか親分の優柔不断を正し、組を立て直そうとする子分が、逆に親分の陰謀にかかり、自らが死んでいく。政治的な駆け引きをし、なんとか親分を窮地に追い込もうとするが、逆に自分が窮地に追い込まれる。この映画が公開されたのは昭和48年、日本は高度経済成長をひた走っている時代だ。「会社のため」と言われながら、結局は使い捨てにされていく自分を、この映画の登場人物に重ね合わせたサラリーマンも、多かったのではないかと想像する。それがこの映画が、ただヤクザ好きのための映画ということに留まらず、大ヒットした理由だったのではないかと思う。


出演するのは、菅原文太を初めとして、松方弘樹、梅宮辰夫、小林旭、北大路欣也、金子信雄、成田三樹夫、田中邦衛、渡瀬恒彦、川谷拓三、などなど錚々たる男優陣。日本のめぼしい、硬派な男優は、全員ここに出ているんじゃないか、と思うほどだ。第一作で、すでにあまりに錚々たるメンバーが出演し、それが全員死んでしまうものだから、第二作以降、出演する人がいるのかと心配したが、やはり思った通り、松方弘樹や梅宮辰夫など、死んだはずの役者が、何人も、別役で復活してくるのには笑えた。川谷拓三などは三度くらい、無残に殺されるチンピラを演じていた。


菅原文太が落ち着いたいい味を出しているのは当然として、あとは北大路欣也が特にいい。第2作と第5作の二本に別役で出ているのだが、ギラギラと野心を燃やす若いヤクザの有り様が、胸に迫る。若い頃は良かったんだな、北大路。逆にダメなのは小林旭。なんとも目が死んでいる。後半はずっとサングラスをかけるようになっているのだが、あまりに目が死んでいて、監督が仕方なくそうさせたんじゃないかと想像する。それから憎まれ役の親分を演ずる、金子信雄もいい。はまり役だったんだろうな。金子信雄が俳優だったことは、この映画を見て初めて認識した。

2009-04-21

DVD 「イーグル・アイ」

スピルバーグ学園の秀才たちが腕によりを掛けて作った卒業制作、という感じ。
まあ実際の所は知らないが。
まずストーリーが、根本のアイディアに関して、有名な映画の二番煎じ。
カーチェイスや爆破のシーン等々については迫力満点なのだが、人間が描かれていないので、というか、描いているつもりなのだろうが全くありきたりな描き方しかされていないので、感動がない。
とにかく一から十まで、どこかで見たことがあるようなシーンの連続。
若いんだから、そんなに手堅く行かないで、もっと誰もやったことがないようなことに挑戦してくれ。

★★☆☆☆

2009-04-12

DVD 「ダークナイト」

今更なのだが、バットマン、「ダークナイト」。
ダークナイトというのは、「暗い夜」かと思ったら、そうではなく、「暗黒の騎士」なのだ。
ゴッサム・シティーというアメリカ東海岸の架空の都市で、蔓延する犯罪と戦う、正義のヒーロー、バットマン、その正体は、大企業の若きオーナー、ブルース・ウェイン。
これが原作の元々の設定なわけだが、まあ僕は前作も前々作も見ていないので、詳しい所はわからないが、さすがに大都市の凶悪犯罪に、警官でもない一民間人が一人で立ち向かい、企業オーナーとしての財力と最先端の科学技術の助けを借りるとはいえ成果を挙げ、警察もバットマンを頼り、市民の尊敬を集め、しかもマスクを付けているとはいえ正体がばれない、というのは、あまりに現実味に欠けて、これ以上面白い映画を作るのは難しいと、映画を作るほうとしても思ったのだろう。
そのあたりの無理な設定を今回、全部覆し、バットマンの正義の名の下に行われる法を無視した数々の活動に市民が反感を抱き、バットマンは自らマスクを取り、正体を明かし、バットマンとしての活動を引退しなければならない、という所に追い詰められる。
それが暗黒の騎士としてのバットマンなのだ。
そういう話の舞台回しとして、バットマンに協力する若き新任検事、バービー・デントや、恋人レイチェル・ドーズ、そして楽しみながら暴虐の限りを尽くし、町を混乱の極に陥れる悪役、ジョーカー等が登場する。


さすがにハリウッドの超大作、迫力は満点で、カーチェイスから、巨大な建物が爆破されて崩れ落ちるシーンから、CGも駆使したのだろうが、アメリカのどこかの都市が、撮影に実際に、かなり踏み込んで協力したのだろうなと思わせる凄さだが、基本のストーリーとしては陳腐、要は楽屋落ち、元々有り得なかった設定を、ただ実際に有り得ないとしてみただけ、それを人間の狂気などというもっともらしいテーマ、英雄とは何ぞやという、何やら哲学的な論理や言葉、恋人との確執と別れというお涙頂戴、等々で飾り立てている。

まあこの映画を作ったハリウッドの人たち、人間とは何か、等ということを本当に真剣に考えているのではなく、ただ映画が成功し、お金が儲かれば良いのだろうから、そんなこといちいち指摘するのは意味がないことだが、しかし実際、この映画はアメリカで莫大な興行実績を上げたのだそうで、それっていうのはアメリカ人が、バットマンをほんとに好きだということなのだろうな。
ミッキーマウスが極悪非道の悪人になって、凶悪犯罪を繰り返す、なんて映画を作ったら、やはりものすごくヒットするんじゃないかと思う。
ミッキーが今までの人気者としての自分を、哲学的に振り返るとか、面白そう。
しかしディズニーはやらないよな、そんなこと、だってそうやってミッキーを地に落としてしまったら、ミッキーはそれで終わってしまうから。
今回はバットマン、完全に地には落ちずに、次への希望を抱かせる形で終わっているはいるが、しかし次はあるのか。

今回の成功は、ただ上にあったものを下に降ろしたときに、開放されるエネルギーによって得られたものだ。
何らかの、本質的な意味での創造活動が行われたわけではない。
次にはそのエネルギーは、もう残っていないわけだから、まあ、難しいんじゃないかな。
終わったな、バットマンも。
ロビンとかが出てくるのかな、今回出番なかったし。

あ、わかった、そうじゃなくて、今回は悪役として名を馳せたジョーカーが、今度は最後にはバットマンに協力し、いい者になって死んで終わる、ということで、次は行くんだな。
バットマンを下げることによって得られたエネルギーは、ジョーカーに充填されているんだ。
そうやって、キャラクターを上げたり下げたりして、金を稼いでいくわけだ。
さすが名作は、使い回しが利くんだな。

2008-08-17

DVD 『グラインドハウス』 (プラネット・テラー、デス・プルーフ)

※以下はネタバレしていますので、ご注意ください!

 

クェンティン・タランティーノとロバート・ロドリゲスの製作。
アメリカでの公開時には、二人がそれぞれ監督した作品を2本立てとしたが、日本での公開およびDVDは、それぞれが別々になっている。

「グラインドハウス」とは、アメリカの大都市周辺にあった、B級映画ばかりを2~3本立てで上映する映画館のことで、この作品はそのグラインドハウスの雰囲気を取り入れ、再現している。
画面にはフィルムの傷に模したノイズが全編に渡って挿入され、また画面自体も薄ぼんやりして昔のB旧映画の雰囲気を醸しだしている。
途中でフィルムが焼け切れる様子が挿入されたり、またわざと場面の前後の脈絡が通じないように編集されていたりする。
架空のB級映画の予告編が本編の前に上映され、またそれらしい館内告知も入っている。
映画の本編だけでなく、B級映画館の雰囲気も楽しんでもらいたいという、タランティーノらしいアイディアである。

そもそも実写の映画というものは、実際の人物や風景が映し込まれるわけだから、観る人にとっては強い現実感を呼び起こす。
もちろん実際には映画は現実ではないし、多くは現実からかけ離れたものである訳だが、観る人が本能的にそれを現実と感じてしまうということを大きな武器として、映画の表現は成立しているだろう。
演技だと分かっていても、主人公に感情移入して涙してしまったり、本当は死なないと分かっていても、登場人物が死んでしまうのではないかとハラハラしたり。
映画によって引き起こされるそのような感情の動きが、映画が娯楽であるということについてのキモとなっている訳である。

それに対してこのグラインドハウスは、画面に傷を入れたり、架空の予告編を挿入したりすることにより、この映画が現実とははっきり切り離れた、あくまで昔のB級映画のパロディーなのだということを、観る人にあらかじめ伝える。
ダイ・ハード』がその題名で、「主人公が死なない」ということをあらかじめ伝えるのと、やろうとしていることは同じである。
ダイ・ハードがそれによって、「あまりに現実離れした内容を、白けるのではなく、笑えるものであると捉える」ことを、観る人と盟約を結ぶのと同じように、この映画は二つともホラー映画で、かなりの血しぶきが飛ぶのだが、それはあくまで記号であり、怖がるのではなく笑って観るものであることを、観客に伝えようとしている。

しかしもちろん、肉がちぎれ、血しぶきが飛ぶ場面を笑って観るだけでは、そういうことを観たい人にとっては良いが、それ以外の一般大衆にとってはお金を払って観るに値するものにはならない。
そこに一歩踏み込んだ何かがあって初めて、この映画は一つの作品たり得ることになる。
ロバート・ロドリゲスはそれに、かなり成功したと思う。

ロバート・ロドリゲスが監督した『プラネット・テラー』、まず主人公の、「片脚がマシンガンになっている美女」という設定が、たいへん良いと思う。


腕が機関銃であるというのはまだ分かるし、実際今までもそういう設定はあった訳だが、脚が機関銃といって、だいたいまず歩きにくそうだし、撃ちにくそうだし、いい所なさそうなのだけれど、何かその、間違ってしまったのかな、という感じが、笑いを誘うと思う。
おそらくロドリゲスは、まず初めにこのキャラクターを思いついたのだろう。
この美女がどのような悲劇の中で片脚を失うのか、何故失った片足にマシンガンが装着され、そしてどのような活躍をするのか、想像するだけで楽しくなるし、実際映画はその期待通りの荒唐無稽な内容になっている。

化学兵器の流出により大量のゾンビが生まれ、ゴーゴーダンサーであった主人公はそのゾンビにより、片脚を食いちぎられてしまう訳だが、失意の中、恋人の手厚い献身により新たな脚を得、生き残った人間たちとの新たな世界を担う中心人物に成長していく。
ストーリーは使い古された陳腐なものと言えるが、逆にこのパターンはディズニー映画も繰り返し使用する、感動に導くための黄金のストーリーとも言える。
辻褄が合わないところが多く、場面も「フィルムを一巻紛失しました、すみません。支配人」みたいな告知が表れ、ゾンビとの戦闘場面が丸々省略されて次へ行ったりするのだが、主人公の心の動きだけは、ていねいに省略なく描かれている。
というか、主人公の心の描写を厚くするために、ストーリー的に冗長になりそうなどうでもよい部分を、都合よくカットしている、という感じなのだ。
だから全くあり得ない設定の、馬鹿馬鹿しい内容なのだが、最後には妙な感動と爽快感がある。

またマシンガン女を演ずるローズ・マッゴーワンが、とてもとても良い。


監督ロバート・ロドリゲスと恋仲だそうだ。
もう35歳で、これまであまりぱっとしない映画にしか出ていない、ちょっとトウの立った女優という感じなのだと思うが、ロドリゲスによって発掘され、開花させられたのだろう。
ロドリゲスとの息もぴったりと合い、ロドリゲスがこの映画によって伝えたいことを、もれなく伝えているという感じがする。

さらに映像画面の一つひとつが良い。
やはり映画は、映像画面そのものもがどれだけ力を持てるのか、ということが、最終的には勝負なのだろうと思う。
黒澤明監督が、完璧な映像表現を得るため、カメラに映らないところににまで大道具、小道具を作り込んだり、自分の望む天候になるまで何日もスタッフや役者を待機させたり、ということは有名な話である。
ロドリゲスは、監督、そして脚本はもちろん、撮影も自分でやり、さらには最新設備のスタジオを自前で持って、そこで編集まで、自分でやるのだそうだが、場面の一つひとつに神経が行き届き、創意工夫がみなぎっていることを十分に感じさせる。
これまでのB級映画の様々な場面を、パロディーとして持ってきているのだろうなと思わせる場面も多いのだが、その一つひとつが決まっている。
エログロナンセンス全開なのだが、その一場面一場面にいちいちニヤリとさせられる。
そんな場面が絶妙のテンポで続いていくので、この映画を観ることそのものが快感なのである。

ロバート・ロドリゲス、これから楽しみにしたいと思う。


それに対して、クェンティン・タランティーノ
この人、映画監督にはあまり向いていないんじゃないかと思う。
いや僕が言うのも何だけど。
ひとことで言うと、マニアなのだ。
元々レンタルビデオ店の店員として働く傍ら、映画の脚本を書いたという苦労人だそうで、日本のエログロ、バイオレンス系の映画についてもたいへん造詣が深いそうだが、この『デス・プルーフ』を観て思うのは、タランティーノは、自分が興味があるマニア的なことについては異常な執着をもってこだわるのだが、それ以外のことについては全く興味が持てない、そういう人なんじゃないかということだ。

たぶんこのグラインドハウスという設定を考えたのは、タランティーノなのだろう。
ロバート・ロドリゲスはその設定をうまく生かし、安っぽい中に本物の感動がある、素晴らしい映画を作り上げたのだが、一方タランティーノはB級映画という設定を、「自分の趣味を徹底的に追求してよい」と理解してしまったのだと思う。
自分が考えた設定なのだけど。
それで、タランティーノは無類の足フェチ、拷問フェチとして知られるそうだが、この映画は自分のそうした性的嗜好を、真っ直ぐ追求してしまったのだと思う。


主人公である元スタントマンのマイクは変質者で、女の子同士の下卑た会話を盗み聞きするのが趣味。
そしてその女の子たちを無残に虐殺することで、性的興奮を得るのである。
それはそれでいい。
偉そうだけど。
ところがマイクが女の子を狙い、実際に自分の欲求を満たしていくというストーリー、十分に怖いホラー映画になり得るはずなのだが、この映画はそうなっていない。
女の子たちが延々と、意味のない無駄話を続けたかと思うと、唐突に無残に殺される、ということになってしまっている。

ホラー映画の怖さというものを、観客の立場として言えば、まずは最悪の結末が待っているのだという、観客にだけに暗示される予感みたいなものがあり、そこに主人公が、心の弱さや、他人の余計なお世話など、観客にとってみればじれったくなる理由のため、じわりじわりと近づいていってしまう。
いや、そっちじゃないんだ、そっちにいってはいけないんだ、主人公は何故気がつかないんだ、と観客は思いながらも、さらに主人公は破滅に向けて歩を進めてしまい、そして最後に初めの予感どおりの、または予感を超える、最悪の結末が待っている。
そういう作者と観客との間の綿密な手続きの連続が、ホラー映画の怖さを生み出すのだと思うのだ。

しかしタランティーノ、そのような手続きは、全く無視。
会話は完全に無駄話、そしてあるとき唐突にどかんと惨殺。
だから残虐シーンが、怖いというよりただ不愉快になってしまう。
もちろん全く笑えもしない。

これはたぶん、タランティーノにとっては、観客が存在していないからなのだ。
自分が映画を撮る、ということだけがあって、それは自分自身の変質的欲求を満足させることなのだ。
女の子たちの会話を延々と撮るのも、自分がそういう世界が好きだから。
その女の子たちが残虐に殺されるのも、やはり自分が好きだから。
秋葉原のオタクが、アイドルの女の子を写真に撮ったり、また死刑になった宮崎勤が、幼女を殺す場面をビデオに撮ったりしたのと、程度は違うが、やっていることは変わらないのだと思う。
観客はいわば、タランティーノのマスターベーションに付き合わされているのであって、さすがにそこまで暇じゃない、と僕は言いたい。

タランティーノは今回のグラインドハウスという企画、それはすごくいいと思うし、また『プラネット・デラー』の方に変質的な軍人役で出演もしているのだが、それもとても良い。
監督はやめて、プロデューサーと役者、というところでやっていったら良いのではないかと僕は思う。
大きなお世話だけど。

評価:
プラネット・テラー ★★★★★ 5
デス・プルーフ ★☆☆☆☆ 1

GRINDHOUSE公式サイト


2008-08-15

DVD ザ・ヒットマン


レダはプロの殺し屋。老境にはいりアルツハイマーにおかされ引退をかんがえるも、新たな仕事をたのまれる。すると目の前にした標的は12歳の少女だった。政界の大物がからむ児童買春の証拠隠滅のためだったが、子どもは殺さないと決めているレダは仕事を断念。逆に子どもを食いものにし、容赦なく抹殺する巨悪に激しい怒りをおぼえ、組織を敵にまわし、若き刑事ヴィンケと協力し、ゆらぐ記憶とたたかいながら、黒幕を一歩一歩おいつめていく。

ベルギーの映画。1993年にベルギーで公開され大ヒット。2004年大阪ヨーロッパ映画際に出品、大阪市長賞を受賞。その他各国の映画祭で各賞受賞。日本の映画館での上映も検討されただろうが、買い手がつかなかったのだろう、今になってDVDを発売。主演はアカデミー賞受賞映画にも出演したベルギーの名優、ヤン・デクレール。監督のエリク・ヴァン・ローイはベストセラー小説をもとに、構想から10年の歳月をかけてこの作品を完成させた。


原題は「De Zaak Alzheimer」(Googleで翻訳すると「アルツハイマー病の場合」)、大阪ヨーロッパ映画際での邦題は「アルツハイマー・ケース」で、今回の「ザ・ヒットマン」という題名は、この春公開されたハリウッド映画「ヒットマン」に便乗して、そのDVDが出る前にこちらを売ろうとしたためだろう。ポスターの図柄が二丁拳銃になっているのも同様。この映画では主人公は二丁拳銃は使わない。TSUTAYAでもB級映画のコーナーに置いてあった。

しかしこの映画、けっこう楽しめる。まずヤン・デクレール演ずる老獪な殺し屋が、雰囲気があってたいへん良い。さすがベルギーの一流俳優なのだ。また映画全体としてもハリウッド映画にはない、ヨーロッパ映画独特の湿った空気があって、心地よい。言語はベルギーの公用語であるフラマン語(オランダ語)とワロン語(フランス語)の両方が使われていて、それを場合によって使い分けたりするシーンもあり、そういうベルギーの文化にひたれる、という意味での楽しみもある。

監督は僕と同い年。映画製作はこれが3作目だったようで、日本と同様、たぶん監督業だけでは食べられないのだろう、テレビのコメンテーターなどもしているようだ。ハリウッド映画とくらべると技巧的には落ちるが、想いをこめて一生懸命作っているのが伝わってきて、好感がもてる。若い刑事たちの人物設定のされかたや、演技の仕方なども、ちょっと時代遅れで少年探偵団みたいなのだが、それはそれでほほえましい。老いた殺し屋と若い刑事の友情、というテーマも泣かせる。

B級映画ではあるのだが、意外な掘り出し物、と言えると思う。

評価:★★★★☆ 4


公式サイト(オランダ語)
公式サイト(英語)

2008-08-13

DVD 『ノーカントリー』


ひとことで言うと、クソ映画である。アカデミー賞4部門を受賞し、そのほかにも信じられないくらい大量の賞を受賞している()のだが、だいたいそういうものに限って、ろくなものではない。

アントン・シガーという殺人鬼にまつわる話である。シガーは、麻薬取引の金を偶然持ち逃げした男を殺して、金を取り返せと指令を受けるのだが、この男、一切の理屈が通じない、自分の論理だけで行動し、その論理の帰結はつねに、目の前の人間を殺すというところに行きついてしまう、生まれついての殺人鬼なのである。人を殺すということについて、何の必然性もない。出会った人間は誰でも、自分なりの理屈をつくり、とにかく殺してしまうような、そういう怪物なのである。

その怪物が、かわいそうにちょっとした欲を出し、麻薬取引の金を持ち逃げしてしまった小市民を追いかけ、金を取り戻そうとするのだが、それだけならこれまで五万と作られたホラー映画と何も変わらない。女の子とエッチしようと行った人気のない海岸で、ジェイソンに殺される哀れな高校生と同じである。しかしこの映画が最低なところは、この当たり前な、これまでいくらでもあったホラー映画の設定を、「アメリカという国のせい」にしてしまうことなのである。

監督はコーエン兄弟。インテリである。彼らはトミー・リー・ジョーンズ扮するベル保安官という役柄を話の引き回し役にし、おじいさんも、お父さんも保安官をしてきた古風な保安官である彼に、金と麻薬のために人が次々殺されるこの事件は、到底理解できない、と嘆かせるのである。終盤、保安官が叔父さんと交わす会話に、「この国は人に厳しすぎる。それはこれからも変わらないし、よりひどくなっていくだろう」というような台詞がある。この映画で主張したいのは、悪いのはアメリカだ、ということなのである。

アメリカはこのところ、低能なブッシュ大統領のもと、自らの訳の分からない論理で次々と戦争を始め、 人を殺しまくっている状況である。この映画はそれを皮肉っていることは明らかである。映画人のような芸術家はだいたい、政府には批判的な人間が多いし、歴史的に大国に弾圧され続けてきたユダヤ人も多い。芸術的な、華麗で深刻ぶったやり方で、そうとは分からぬよう、ブッシュ大統領およびアメリカの現状をを批判すれば、喝采を上げるのだと思う。それがこの映画があまりに多すぎる賞を受賞した理由なのだろう。

しかし殺人鬼はいつの世にも現れるものであって、それはべつに世の中が生み出したものではない。自らの論理のみで人を殺していくシガーは、 金と麻薬にまみれたアメリカによって生み出されたのではない。アメリカとは無関係な怪物なのである。それをあたかもアメリカの現状が反映されているかのように、意図的に、表現して見せるのである。しかもコーエン兄弟、インタビューに答えてくり返し、「この映画は原作に忠実に作った」とぬかしている()。自分たちの責任を、原作者に転嫁しているのである。どれほど最低なやつらなんだ、お前らは、と僕は聞きたい。

しかしまあ、アメリカという国はこのように、反体制のプロパガンダを、日本の地方都市の、街外れのしがないレンタルビデオ店までもが、協力させられてしまうような力を持っているのである。勝ち目がないとは、全くこのことである。

評価:☆☆☆☆☆ 0.0

ノーカントリー オフィシャルサイト


2008-08-03

DVD 『椿三十郎(リメイク)』


言わずと知れた黒澤映画の名作のリメイク。製作総指揮 角川春樹、監督 森田芳光、主演 織田裕二。藩の家老たちの不正を暴くため、立ち上がろうとする若き藩士たちが、たまたま出会った浪人、椿三十郎(織田)に、危ういところを助けられる。態度も口も悪いが、腕と頭はめっぽう切れる三十郎に、はじめは反発しながらも、徐々にひかれていく藩士たち。人質になった城代家老を助けるため、力を合わせ、困難に立ち向かっていく・・・。リメイク版の脚本は、黒澤監督が書いたオリジナル版のものをそのまま使用した。セットもオリジナル版と限りなく近いものが再現されている。

名作のリメイクだから、オリジナルより落ちることは分かっていた。しかもこの作品は、僕が今まで観た黒澤作品のなかでも、最も好きなものの一つなのだ。オリジナル版の主演はもちろん三船敏郎で、ぎらぎらし、「さやに収まらない抜き身の刀だ」と評される椿三十郎を豪快に演じている。織田裕二はそれをどのように演ずるのだろう、オリジナルと匹敵するのは無理としても、彼なりの工夫があるだろうから、それを楽しみたい、と思って観た。

しかしリメイク版、観終わってみて、映画を観て二時間がこんなに辛かったことは初めて、というくらいヒドイ出来だった。 抜き身の刀のようにぎらぎらしている剣の達人、そういう人間を演じるのは織田には無理だと、映画がはじまった瞬間にわかった。織田もたぶん、自分でも分かっていたのだろう、肩に思い切り力が入っていて、そんな織田を見ているだけで辛くなるのである。またその他の配役もいちいちヒドくて、多少良いと思ったのは、悪役の豊川悦司くらい。城代家老の奥方である中村玉緒と、城代家老の藤田まことは最悪だった。

その内容のとおり、興行成績もふるわなかったようで、製作の角川春樹は、キムタクの時代劇が40億円だったというので、それを上回る60億円、とぶち上げたらしいが、結果は惨敗、10億円ほどだったそうだ。

これはまず何より、角川春樹の企画が安易だったということだろう。過去の名作を現代風にアレンジすれば当たる、と思ったわけだが、その発想自体安易だが、さらに安易なのは、脚本をオリジナルのままにしたことだ。過去の名作を現代に蘇らせるためには、名作をきちんと咀嚼し、その上で改めて、新しい世界が生み出されなければならないだろう。映画で新しい世界を生み出すという際、脚本はその中核にあるはずだが、角川春樹にはそれが分からなかった。織田裕二を主演にすえるのなら、織田裕二なりの新しい椿三十郎を脚本から考えれば、まだもっとマシになったのかもしれない。しかしたぶん角川春樹にしてみたら、そんなことをしている暇はなかったのだ。単に手っ取り早くお金が儲けたかっただけなのだろうと思う。

それから監督の人選も最悪。森田芳光はこれまで、時代劇も、アクション劇も、撮ったことがなかったそうだ。話に聞くと、これは森田が角川に、「織田主演でやらせてくれ」と売り込んだのだという。売り込むほうも売り込むほうだが、受けるほうも受けるほうだ。森田はむかし角川映画を撮ったことがあり、そういう関係で角川も森田が可愛かったりしたところがあるのかもしれない。ぼくは前から森田芳光は嫌いなのだが、好き嫌いは別としても、椿三十郎を撮影するには、もっとマシな監督がいくらでもいただろうと思う。

またこんなひどい企画を、なぜ織田裕二が受けたのかと思う。森田が織田を選んだ理由が、「オリジナル当時の三船敏郎に、人気として今匹敵するのは織田裕二だろう」というだけの理由で、この椿三十郎という映画の主役に誰がふさわしいのか、など考えてもいないのだ。そんな馬鹿げた話に乗ってしまう織田は、もしかしたら今、何か自分が見えなくなってしまっているような、そんな状態に陥ってしまっているのかなと思った。

いずれにしてもそういう滅茶苦茶な映画なので、織田裕二を死ぬほど愛しているという人以外は、観ないほうが身のためだと僕は思います。椿三十郎を観たい人は、黒澤明監督のオリジナル版を観てください。

評価:★☆☆☆☆


2008-08-02

DVD 『犯人に告ぐ』


豊川悦司主演。誘拐事件を担当した巻島(豊川)は、寸前のところで犯人を取り逃がし、誘拐された子供は殺される。さらに記者会見でも失態をおかした巻島は左遷されるが、六年後、新たな誘拐事件の捜査のために呼びもどされる。テレビのニュース番組で犯人に直接呼びかけることで、犯人逮捕につながる情報を視聴者から入手しようというのだ。巻島がテレビで犯人を挑発すると、犯人から手紙が送られてくる・・・。

まずおそらく原作がいいのだろう。主人公が、妻が出産するにあたって、妹からのたび重なる電話連絡がきっかけとなって捜査に失敗、記者会見で失態してしまうところから始まり、捜査の実力はないが政治力だけは強い県警本部長、父親の威光だけで出世している若い上司などに翻弄され、またテレビ局どうしの視聴率競争に巻き込まれながらも、自分をつらぬき、事件を解決していく。無理も矛盾もまったく感じられない自然な展開で、原作者はまだ四十にならない年だそうだが、たいしたものだと思う。題名もいい。

それから豊川悦司がいい。影の部分が多い役回りになるのだが、それを淡々とした生活の動作の中に埋め込んでいく。またそれだけでなく後半、「犯人に告ぐ」とそれまでの万感の思いを込めた大見栄をきるのだが、その爆発力も胸のつかえがすっと下りる快感がある。刑事役ははじめてだったそうだが、とても良いのではないかと思う。本部長役の石橋凌、若い上司役の小澤征悦の憎まれ役ぶりも、ああ、ああ、そうそう、こういう人いるよね、と膝を打ちたくなる。

四十もすぎるとただ企画ものの番組や映画は観たくない。やはりきちんと人間が描きこまれていてほしい。この映画は「劇場型捜査」などというキャッチフレーズもあったようだが、これが二作目の監督は、人間を描くことを目標に、出演者におさえた演技を求めたそうだ。予算はおそらくテレビのサスペンス劇場に毛が生えた程度のものだったのではないかという感じがするし、派手なアクションシーンも皆無なのだが、観おわったときの満足感はかなり高い。

評価:★★★★☆

犯人に告ぐ|WOWOW ONLINE

2008-07-31

DVD 『キングダム/見えざる敵』


サウジアラビアで爆弾テロが起きる。欧米人の居住区域が狙われたのだ。多数の死者の中にFBI捜査官が含まれていたことから、仲間のFBI捜査官四名が反対を押しきり、アメリカから現地にむかう。サウジアラビアは、アメリカの力を背景に自らの立場と権益を守る王室と、それに敵意をいだく一部過激派グループとがするどく対立し、FBI捜査官が入国することは彼らの命が狙われることを意味した。サウジアラビア警察の協力のもと捜査をはじめた彼らは、徐々に真相に近づいていくのだが・・・。

製作はマイケル・マン。テレビシリーズ『特捜刑事マイアミヴァイス』で監督として頭角をあらわし、『ラスト・オブ・モヒカン』で評価を確立。他に 『ヒート』『インサイダー』『ALIアリ』『コラテラル』など。男くさい映画を撮ることで有名で、ダンディズムや哀愁、渋さを徹底した作品は評価が高い。またガンアクションの演出に高い評価を得ており、生の銃声をわざわざ録音して映画に使用し、壁の弾痕にまでリアリティを追及するほどのこだわりを見せる。監督のビーター・バーグは、彼の弟子()。

この映画でも、マンは一貫してリアリティを追及する。ほとんどのシーンが手持ちカメラで撮影されているようで、つねに画面がゆらゆらと揺れ、ニュースかドキュメンタリー番組を見ているかのような気にさせられる。テロリストの背後にある家族や、地域社会や、国家の複雑な状況をていねいに描きこむことで、善か悪かというアメリカが有しがちな素朴な視点では、問題は解決しないということを伝えている。映画の終わり方は、ちょっと衝撃的。

しかしマイケル・マンのリアリティ、浪花節的リアリティなのだ。この世のつらさ、はかなさを嘆いてはみせるが、だからといってどうということもない。嘆いておしまい。社会的な問題を扱ってはいるが、それについて何らかの主張をしたいのではない。社会問題は、うんうん、そうそう、現実は複雑で、そう簡単に解決ってできないよね、みんなそうだよ、わかるわかる、という肯きのための素材にすぎない。なのでこの映画、そういう浪花節の世界に浸りたい人にはおすすめ。

評価:★★★☆☆


Yahoo!映画 - キングダム 見えざる敵


2008-07-30

ダイ・ハード4.0


※以下はダイ・ハード4.0の結末について、ちょっとだけ触れています。まあダイ・ハードの場合、結末が分かったからといって楽しみはそれほど減らないと思いますが、これからこれを見ようと思っていて、結末を知りたくないという人は、読まないようにしてくださいね!

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鉄砲は、最後の武器だ。あ、これ、忍者部隊月光という、古い古い日本のテレビ番組のセリフなのだけれど、アクション映画の王道は、これに尽きるのだと思う。

アクション映画の効用は、誰の中にもある暴力衝動を、解放してやるというところにあるだろう。しかしただ人を殺す場面を延々と見せられても、やはりそこには共感できないわけで、暴力を使うそれなりの理由があることを観客に納得させて初めて、アクション映画はその効用を実際に果たすことができる。だからまず、敵が絶対的に悪でなければならない。

ここしばらく、もしかしたらこれはダイ・ハードの第一作以来なのかもしれないが、テロリストというのは悪役として不動の地位を占めていると言えるかもしれない。今回このダイ・ハード4.0でも、もと国防総省の情報保安責任者が、屈折してテロリストとなり、国防総省時代の自分の知識をフルに活用するという設定になっている。

しかしいかに相手が悪だからといって、それだけで人を殺してしまっては、共感や感動までもっていくのは難しい。日本では昔から、相手にやられてやられて、これ以上は我慢できないというところでやり返す、というのが、アクション活劇の基本的なパターンとしてあると思う。上の忍者部隊月光もそうだったし、古くは忠臣蔵、またウルトラマン、プロレスなどなど、当てはまるものはたくさんある。まあこれは日本に限らず、どこでもそうなのかもしれないが。

ダイ・ハードの場合ももちろん同じで、 ジョン・マクレーンは常に警官としての仕事の行きがかり上、仕方なく事件にかかわり、だんだん深みにはまっていく。あくまで消極的なのだ。自分の不運をぼやきながらも果敢に前に進んでいくマクレーンの姿は、やりたくなくてもやらなければいけない、仕事というものが大きな比重を占めつつある現代の人間にとって、共感できる一つのあり方なのかもしれない。

しかしそれだけでなく、ダイ・ハードがこれまでのアクション映画とくらべて決定的に新しいのは、主人公は死なない、ということを、これまでもそれはもちろん、暗黙の了解ではだったわけだが、それを題名、ダイ・ハード=なかなか死なない、にはっきり謳っている、というところにあるのだと思う。画面の背景で、これは当然死ぬでしょ、と思うような大爆発が起き、そこからマクレーンが間一髪、命からがら逃げ出してくるシーンは、ダイ・ハードを象徴していると思うが、今回ももちろん、ツボはきっちり押さえられている。あまりに現実的離れしていて笑える、というところに、ダイ・ハードのキモがあるのだと思う。

ところで今回のダイ・ハード4.0、前作ダイ・ハード3から10年以上が経っているわけだが、その間にあの9.11があった。テロリストと戦い、絶対に死なないマクレーンの現実離れした姿をみな楽しんでいたところに、世界貿易センタービルにテロリストによって乗っ取られた民間航空機が突っ込むという、映画でも思いつけなかったようなあまりに現実離れしたことが現実に起き、多数の人が亡くなった。おそらくそのことで、アメリカ人はダイ・ハードの現実離れを笑えなくなってしまったのだ。それが人気シリーズであったはずのダイ・ハードの続編が10年以上にわたって作られなかった、一つの理由としてあったのではなかったかと想像する。

ダイ・ハード4.0の監督は、レン・ワイズマン、若干35歳。ダイ・ハード4の企画はこれまでも何度も検討されたそうだが、すべてお蔵入りになってきた。今回ワイズマンが持ち込んだ企画を、製作者でもあるブルース・ウィルスが、これだ、受け入れたのだという。ワイズマンはまずジョン・マクレーンに「父親」としての性格を持たせることにした。実の娘との葛藤、息子ほど年の離れた若者との出会い。娘と和解し、ひ弱だった若者が成長していくことが、物語の中核にすえられる。ダイ・ハードをただ荒唐無稽で笑えて痛快、というだけのものとしてではなく、きちんと人間のドラマを描くものとして位置づけなおした。

またうまいのは、今回のテロリスト、サイバーテロを仕掛けるのだが、テロの基本的な設定としては、人質は取らない。人の命を担保にするのではなく、アメリカのコンピュータネットワークを崩壊させることにより、ある場所に隠されている金融情報をまるごと横取りしようとするのだ。テロにより人の命が危険にさらされるということは、アメリカ人にとってまさに今、現実に起こっていることであり、それを安易に映画の題材にするということにはならないのだろう。サイバーテロという現代風の設定が、うまくそうした困難をも避けることになり、なかなか考えているなと思わせる。

ダイ・ハード4.0、なぜ今頃とも思ったが、ブルース・ウィルスはこの10年、シックス・センスやアルマゲドンなどホラーやアクションの映画にも出演して演技の幅を広げており、なにも落ち目になったから二匹目のどじょうを捕まえようとした、ということではなかった。世の中を見、自分を見、人と対話しながら、タイミングを計っていたのだ。そして今だ、というタイミングで果敢に踏み出し、シリーズ四作中、全米、全世界とも最高の興行収入という結果。ブルース・ウィルス、たいした人だなと思う。

評価:★★★★☆

2008-07-28

DVD 『アイ・アム・レジェンド』 (超ネタバレ)


※以下は映画『アイ・アム・レジェンド』の結末をばっちり明かしています。これからDVDを見ようと思っていて、結末を知りたくないという人は、決して読まないで下さいね!

久しぶりのDVD。ていうか、7、8年前、家のビデオが壊れて以来、レンタルビデオは観ていなかったのだ。もちろんDVDははじめて。この1年、家にはテレビも置いてなくて、You Tube以外の映像には縁遠い生活をしていたのだが、久しぶりにリアルな映像が見たくなり、家から50メートルほどのところにTSUTAYAがあるのをこれ幸いとレンタルし、PCで観たのだった。

2009年というから、来年ですね、はしかのウィルスを遺伝子操作することにより、癌の特効薬が開発された。1万9人の癌患者に試したところ、全員が完治したという奇跡の新薬だったのだが、このウィルスがじつは人類を全滅に至らしめる恐ろしいものだったという設定で、映画の冒頭は主人公であるウィル・スミスが2012年、廃墟と化したニューヨークで、愛犬とともに気ままに鹿狩りをするところから始まる。

はじめはウィル・スミスがただ一人生き残ったのかと思うのだが、じつはそうではなく、ごく少数、ウィルのように免疫があり生き残った人間がいたのと、それ以外に世界で1,000万人ほどが、ゾンビのように変わりはてた姿で生き残っていたのだった。ゾンビは光が嫌いで、日中は暗い建物の中で大人しくしているのだが、夜になると活動を開始し、ものすごいスピードで走り、ビルの壁をも駆け上がり、生き残った人間を見つけては襲い、食べてしまうのだった。ウィルは科学者で、使命感から一人ニューヨークに残り、動物実験や、またゾンビを捕獲しては人体実験をくりかえし、ゾンビを元の人間に戻すためのワクチンを何とか開発しようと努力を重ねていたのだった。

話は中盤から、ウィルとゾンビの戦いとなっていく。どうやらゾンビには親玉がいて、けっこうな知恵がある。あるときウィルはゾンビの罠にはまり、命からがら逃げ出すも愛犬を失い、逆上したウィルは捨て身で復讐にむかう。殺しても殺しても、次から次からうじゃうじゃ出てくるゾンビに攻撃され、 とうとう車もひっくり返され、もうダメ、絶体絶命、というところで危機一髪、突然あらわれた女性に助けられ、九死に一生を得て家に帰る。女性はやはり免疫をもった生き残りで、どこだかにある生存者のコロニーに向かおうとしていたのだった。

3年ぶりに人間らしい心の交流をしたウィルだったが、その夜ゾンビの総攻撃をうける。ゾンビは家の壁をも突きやぶり、防弾ガラスも体当たりで壊してしまう凄いやつらなのだが、最後の攻撃をうける直前、ウィルはとうとうワクチンが完成したことを知る。そこで血清を女性に託し、命をかけて女性と血清を守り、その血清によって人類は未来を得て、ウィルは伝説となった、というストーリー。徹底的にネタバレですみません。

ところでじつはこの結末、公開の一ヶ月前に本来の結末から差し替えられたものだそうだ。本来の結末とは、それは原作どおりのものだったというが、最後にゾンビの攻撃をうけ、ゾンビに処刑されようとするその瞬間、ウィルはゾンビにとってみれば自分こそが、ゾンビが寝静まったあと街を徘徊し、寝ているゾンビをつかまえては人体実験をして殺し、いわば極悪非道をくりかえす怪物であったことに気づく、というものだったという。この結末は公開の一ヶ月前にボツになり、主人公はあくまでヒーローとして伝説になる、という結末に変更されたのだそうだ。

それはそうだろう。この映画はニューヨーク州、アメリカ合衆国、アメリカ陸軍の全面的な協力を得て撮影されたそうだ。廃墟になったニューヨークの光景は、ただのCGなのかと思ったら、なんとニューヨークの5番街を200日間、全面封鎖して撮影されたのだそうだ。すごい。また兵隊もたくさん出てくるのだが、これが全部本物で、しかも10ヶ月前にイラクから帰国したばかりの人たちだったりしたらしい。それだけ国に協力してもらってしまっては、そのアメリカがじつは世界の怪物だった、みたいなことを言わんとする結末が、許されるわけはない。そうだったら面白かったと思うけど。なのでゾンビに親玉がいて、全員が統制の取れた行動をすることや、知恵ばかりでなく感情までありそうだということ、またウィルがたくさんのゾンビを人体実験したことなどが、伏線として張られていたようなのだが、それらは最後まで拾われず、そのまま放置されて終わっている。

監督はオーストリア出身で、もともとはエアロスミスなど多数のミュージックビデオを手がけており、映画はこれが二作目なのだそうだ。世界の真実を告発する希望に燃えて頑張ったのかもしれないが、所詮ハリウッドで作られる映画、監督なのか、プロデューサーなのか、ちょっと甘かったか、何か勘違いしてしまったか、だったのだろう。おそらく口八丁のプロデューサーが、いや、原作どおりで行くから、でもいちおう、別の結末も用意しておこう、などと言って、若い監督はそれを信じたのだけれど、けっきょくは最後にはしごを外されてしまった、という感じだったのではないでしょうか。残念!

評価:★★☆☆☆