元旦のお膳は・・・。
芋棒とお雑煮、堀川ごぼうと紅白のカブ。あとはいつもの魚屋で買った、数の子やら黒豆やらの出来合いのもの。
芋棒は、棒ダラと海老芋を炊き合わせたもの。
棒ダラはタラをカチンコチンに干し上げたもので、1週間、毎日水を替えながら戻さないといけない。もちろんさすがにぼくは、そこまではできないから、魚屋で戻してくれたのを買ってくる。
戻したのを買ってきても、まださらにかなりの手間がかかる。
まず5分くらい煮てアクを出し、水を替えて5~8時間おく。
次に味を何もつけないだしで、4~5時間煮る。
これでやっと、味付けができるようになる。
酒とみりん、砂糖だけ入れ、海老芋と一緒にしばらく煮て・・・。
しょうゆを2回くらいに分けて入れ、さらに煮る。
芋棒の出来あがり~。
これはほんとに素朴な味。タラの独特の歯ごたえとうまみをたのしむ。鮮魚が手に入らなかった昔の京都では、これだけの手間をかけて魚を味わったということですよね。
お雑煮も京都風。
白みそ仕立てで、頭芋(かしらいも)と小芋、祝大根、金時人参を入れる。餅は入れない。
堀川ごぼう。
甘めの味つけにして炊く。
カブもちょうど、紅白になってめでたかった。
いつも一人で暮らしているのだから、正月だからといって食べ物さえあれば、一人で寂しいこともない。
ただ昼から家で酒を飲み、そのあと3時間も昼寝をし、家から一歩も出ずに夜になってみると、ちょっと物足りない気持ちもする。
そこで夜の散歩に出かけることにした。
今日はいつも行くKajuもスピナーズも開いていない。
どこか開いているバーが見つかれば、飛び込みで入ってみようと思った。
蛸薬師通から、大宮通を南に入る。
いつもは賑やかな大宮通も、今日は静まり返っている。
四条通を東へ行く。
駅の近くの飲み屋ビルを見上げると・・・。
バーの灯りが点いている・・・。
あまり行ったことがない店だけど、入ってみることにした。
エレベーターで4階に上がる。
ドアを開けると暗い店内には、マスターと女性客。
女性はカウンターの真ん中で、一人で静かに飲んでいる。
ぼくはカウンターの奥にすわり、芋焼酎のお湯割りをたのんだ。
女性は見たところ40歳前後。
黒く長い髪をまっすぐに垂らしている。
首まわりの大きくあいたピンク色のセーターに、黒いスカート。
黒のストッキングに黒いパンプスを履いている。
マスターと女性が話すのが聞こえる。
「お正月は、実家に帰ったりはしないんですか。」
「いつもは帰るんですけど、今年は仕事の休みが不規則で、こちらに残ることにしたんですよ。」
「べつにお正月だからといって、ただ日が替わるだけですからね。」
「そうそう、そう思えば、べつに寂しくもないわよね・・・」
カウンター奥のスクリーンにかけられている音楽ビデオを眺めながら焼酎を飲むぼくは、どうやって女性と話す糸口を見つけようか考えている。
あまりすぐに話しかけても、ガツガツしているように見られる。
ちょっとしてから話してみようか。
マスターがうまく、話の橋渡しをしてくれるといいんだけど・・・。
とそこへ、ドアが開き、九十九一が入ってきた。
スピナーズでよく顔を合わせる九十九一も、今日はスピナーズが休みだから、こちらへ流れてきたらしい。
「あ、高野さんもいたんですか。今日は行く場所ないですもんね。」
九十九一はぼくの隣の席にすわり、シーバスリーガルの水割りをたのんだ。
それからしばらく、ぼくは九十九一と話した。
九十九一は「おっさんひとり飯」を気に入ってくれ、取引先の人に配ってくれるという。
「年明けすぐに、編集の人に連絡とりますから。」
「お願いしますね。せっかくですから『おっさんひとり飯』、ぜひブレークさせましょう・・・」
九十九一と話し込んでいるうちに、ふと気づくと、女性がお勘定をしている。
白いダウンのコートを着込み、マスターに挨拶をして出ていった・・・。
ぼくはそれを横目で見ながら、マスターに焼酎のお代りをたのんだ。
焼酎は結局5杯飲み、いい気分になって家に帰った。
「せっかくのチャンスだったのに残念だったね。」
チャンスはまたあるさ。
2013-01-02
2012-01-09
時間と手間をかけて仕上げる。
「豚の角煮」
豚の角煮は、手の込んだ料理の代表のようになっていますが、これは元々、中国の料理だそうです。
檀一雄が「檀流クッキング」で紹介していますが、「東坡肉(トンポウロウ)」という名前で、これが沖縄に伝わって「ラフテー」になったり、長崎のしっぽく料理「東坡煮」になったりしているとのこと。
東坡肉と呼ばれるのは、この料理が、中国は宋の時代の大詩人、蘇東坡により考えだされた料理だからです。
東坡は朝廷に重用されたり、そして権力闘争に巻き込まれて流されたり、また重用されたり、流されたり、ということを繰り返したそうですが、それでとくべつ腐ることもなく、流刑先で安い豚肉をたらふく食べて、悠々自適の生活を送ったのだとか。
この豚の角煮は、男性の作る料理として人気があり、僕が料理を始めたころに買った、いくつかの「男の料理」の本でも、巻頭か、またはそれに近い場所に掲載されていました。
脂身たっぷりの、一般にはあまり高級とはされない部分の肉を、時間をかけてごちそうに仕上げていくのは、テーマとして、魅力を感じるところですよね。
僕もこれまで、何度となく、豚の角煮は作ってきているんですが、今回のお正月、正月料理の一品として、土井善晴のレシピにそって、日本風の豚の角煮を、本格的に作ってみました。
もうお正月の松もとっくに取れてしまいましたが、これを今日は紹介しますね。
肉もお店によって、けっこう味がちがいますよね。
うちの近所では、スーパーよりも肉屋のほうが、おいしい日本産の豚肉が、安く買えます。
これはどういうわけなんでしょう。
檀一雄も、土井善晴も、豚のバラ肉(三枚肉)1キロを買ってくるとしていますが、僕はひとりなので、400グラム。
バラ肉を切らずにそのまま鍋に入れ、肉全体が、ゆっくり浸かる程度の量の水を入れる。
豆腐屋で買ってきたおからを入れ、トロ火で、決して沸騰させないようにしながら、1時間から1時間半ほど煮る。
肉は80度を超えると、タンパク質が変性して、固くなるわけですが、沸騰しないギリギリのところで煮ると、その温度を超えないため、肉がプリプリの、やわらかいまま煮えるんですね。
おからを入れるのは、おからが肉を、やわらかく、しっとりと煮上げる効果があるからだとのこと。
落しブタをして、肉が浮き上がらないようにとのことでしたが、落としブタはないので省略。
煮上げた肉を、今度は、煮汁にひたしたまま冷まします。
最低でも1時間半ほどの時間、冷ますといいとのこと。
これは、冷ますことにより、湯に溶け出した肉のうまみが、また肉に戻ってくるからなんだとか。
なるほどね。
今回は、一晩、ベランダに置いておきました。
固まった豚の脂は、ラードとして炒め物に使えるし、煮汁もおからを漉しとれば、上質な豚のスープになる。
捨ててしまう必要はありません。
といっても今回は、ラードはたくさんあるので捨て、スープだけを、鍋に使いました。
鍋から取り出した豚肉を、水洗いしておからを落とし、真四角に切り分けて、ボウルに入れる。
ボウルに、土井善晴のレシピによれば、昆布と削りぶしで取っただし3カップに、酒4分の3カップ、砂糖大さじ6、を鍋に入れ、ひと煮立ちさせた汁を加え、肉がきちんと浸るようにした上で、蒸し器にセットする。
僕は蒸し器をもっていないので、大鍋に、まず小皿を置いて、その上にボウルをセット。
これでけっこう、蒸し器の代用になりました。
それでまず、強火で20分蒸す。
さらにたまり醤油大さじ4と、ふつうの醤油大さじ1、塩小さじ2分の1を加えて、さらに40分間、強火で蒸す。
煮るのでなく、蒸すというのは、だしの濃さを変えずに、長時間火を通すことができるからだとのこと。
檀一雄は、蒸すのはまる1日やってもいいと書いています。
分量は、土井善晴のレシピをそのまま引き写しましたが、要は、甘辛く、こってりした煮汁にするということで、僕は別に、分量を細かく計ったりはしませんでした。
たまり醤油も、そのほうが色がきれいに付きますが、ふつうの醤油を使っても、問題ありません。
トロトロに、やわらかく煮上がった角煮。
からしを添えて食べると、最高ですね。
ただこれは、冷えたのを食べるとまずいので、保存する場合には、煮汁に浸したまま冷蔵庫に入れ、食べる時、ふたたび煮汁ごと温める必要があるでしょう。
この再加熱の時、沸騰させてしまうと、これまでの苦労が、すべて水の泡になってしまいますので、注意が必要です。
昨日は、行きつけの飲み屋の新年会。
常連さんばかりが、なんと50人ほども集まり、たのしい時間を過ごしました。
2012-01-03
「京都風お雑煮」
「堀川ゴボウの炊いたん」
今年のお正月料理、あと作ってみたのは、京都風のお雑煮。
京都のお雑煮が、白味噌だというのは聞いていましたが、実際に食べたことはなかったんですね。
八百屋の若旦那に聞いたら、入れるのは、まず頭芋。これは写真中央の、巨大な里芋です。それから小芋。これは小さな里芋。それに祝大根。頭芋の上に乗っけてあります。
祝大根は、小さな大根のことで、正月にしか売っていません。たぶん正月のお雑煮に入れるためだけの大根なんじゃないでしょうか。
「お金」を意味するとのことで、縁起がいいのだそうです。
これを、八百屋の若旦那によれば、「透けるくらい」に薄く切ります。
昆布とかつお節のだしに白味噌を溶かし、祝大根をいれ温めて火を通したら、下ゆでした頭芋と小芋をいれたお椀に、その汁を大根ごと注ぐ。それで出来あがりです。
まずお餅を入れないのかと、不思議になるでしょう。きいたら、まず頭芋を食べ、その後に、お餅を入れるのだとか。お餅は焼くのと茹でるのが、人によって半々くらいだろうと、八百屋の若旦那は言っていましたが、白味噌の汁で煮てしまうことはないそうです。
それから「金時人参」という、オレンジじゃなく、紅色のニンジンも、京都のお雑煮に欠かせないものかと思っていたら、
「彩りで入れる人もいるけれど、別に入れなくてもいい」
とのこと。あくまで頭芋、小芋、そして祝大根が、京都のお雑煮には欠かせないものだということでした。
肝心のお味ですが、これがうまかった。
京都風のお雑煮はもちろん、白味噌の汁自体、初めての経験だったんですが、まずこれがうまい。
ひと言でたとえるなら、「クリームスープ」の味。
スープ皿に入れて出したら、まちがえる人もいるのじゃないかと思うほど。
このまろやかでクリーミーな汁に、ねっとりと柔らかくて甘い、頭芋と小芋が、またなんとも、いい。
いかにも上品な、上流階級の味、という感じでした。
京都はじつは、パン屋が日本で一番多いのだそうです。
京都といえば、和食のイメージなのに、それがパンとは、どういうことなのか、よくわからないところがあったのですが、このクリームスープの味がするお雑煮を食べて、はじめて納得がいきました。
京都はもともと、洋食みたいな、甘く、まろやかな味が、伝統的に好まれていたということなんですね。
しかし日本食というのは、すごいですよね。
クリームスープを作るために、玉ネギやら小麦粉やらを炒めたり、ブイヨンをとったり、自分でやろうとすると、ものすごい手間がかかります。
でも日本食なら、ひょいひょいとだしを取り、味噌を溶かして出来あがってしまうわけですからね。
京都の正月料理、あとは「堀川ゴボウの炊いたん」も作りました。
堀川ゴボウは、極太のゴボウのことで、これも八百屋さんにはお正月だけ、出てきます。
いったん育った普通のゴボウを、翌年また植えなおして、2年越しで育てるのだとか。
太閤秀吉の聚楽第が、秀吉亡き後、京都住民のゴミ捨て場となっていたそうです。そこに捨てられたゴボウが、年を越えて極太に育っているのを見て、それから京都では、ゴボウを2年越しで育てるようになったとのこと。
三条会商店街の八百屋で売っているものは、比較的細めのものなので、このまま炊いてしまったほうがいいと、八百屋が教えてくれましたが、堀川ゴボウには、大人の腕ほどもある、さらに極太のものもあります。その場合には、中が空洞になっているので、そこに鶏のすり身などを入れたりもするようです。
堀川ゴボウは、皮をむかず、たわしで洗います。
太い輪切りにする。
まず下ゆでしてから、だしに砂糖、みりん、酒、醤油で味付けし、わりとこってり炊き上げます。
味はゴボウとまったくおなじなのですが、やわらかいので、味がよくしみ、大変うまいです。
2012-01-02
京都に残る、昔ながらの味。
「芋棒」
京都の正月料理で、絶対に作ってみたいと思ったのが、「芋棒」。棒ダラと海老芋を煮込んだもので、檀一雄の著書に出てくるんです。
檀一雄はちょくちょく京都へ来ていたみたいで、梅雨の頃、ある日ふらりと京都へ来て、そのまま年が明けるまで、家に帰らなかったことがあるとのこと。麻の背広一着を着ただけで来てしまったので、夏になればアロハシャツでよかったけれど、冬は寒くて、東映の岡田社長からオーバーを借りたのだとか。
大学生の頃にも、檀は東京から九州へ帰省する折、京都で途中下車しては、祇園や島原に泊まっていく。そういう時、円山公園で食べたのが、「芋棒」だというんですね。貧乏学生の身分でも食べられたものだから、ラーメンくらいの手頃な値段だっただろう、という。
棒ダラは、なにも京都だけで食べられていたわけではなく、九州でも、檀のおばあさんが、1週間に1~2度は、棒ダラを冬瓜やジャガイモ、玉ネギなどといっしょに、トロトロ煮込んでくれた。
家の近くの魚屋で、秋口だったかに、「棒ダラはあるか」と聞いたら、「正月にむけ出てくるから、楽しみにしてなさい」とのこと。それ以来、棒ダラを今か今かと、首を長くして待っていたところ、年末になり、とうとう棒ダラが、魚屋の店頭にお目見えしたという次第。
棒ダラは、タラを天日で干し上げたもので、カチンコチンになっている。アジの干物などとはケタ違いに硬く、これで人を殴り殺そうと思えば、できるのじゃないかと思うくらい。
檀一雄のおばあさんは、これを木槌でトントンたたき、それから水に浸してふやかしていたそうだけれど、水に浸す時間は、週に1~2度は棒ダラの煮付けを作っていたというのだから、1日か、せいぜい2日くらいなものなのでしょう。
ところが京都はちがう。これを一週間にわたり、毎日水をとりかえながら、水に浸しつづけることをする。それだけ長く水に浸すことに、どういう意味があるのかわからないけれど、毎日水をとりかえるというのだから、ただやわらかくするだけのことではなく、アク抜きの意味もあるのかもしれないですよね。
これを家で自分でやる人が、どれだけいるのか知らないけれど、これはもちろん、魚屋でやってくれて、正月直前になると、もう棒ダラは水に浸し終わったやつしか売ってない。
1週間水にひたした棒ダラは、ふやけた、やわらかい状態になっていて、丸ごと買っていく人も見かけたけれど、ほとんどの人はパックに小分けにされたのを買っていく。
パックはひとつ900円。5~6切れが入っている。
しかし棒ダラは、まだこの先に、かなり長い道のりが待っているんです。
まず5分ほど水で煮て、しばらくおいて冷まして湯を捨てる。
そしてふたたび、新しい水に浸して、5~8時間おく。
そしてようやく、昆布とかつお節のだしで煮る。その時間、3~4時間。
そうしてようやく、味付けしていくことになるわけです。
このまま普通は、棒ダラだけで煮付けてしまうみたいだけれど、今回の目標は、芋棒。
使うのは、「頭芋」。海老芋と頭芋は、八百屋によれば、「味はいっしょで形がちがうだけ」とのこと。「大きさあたりの値段は頭芋のほうが安いから、そっちにすれば」と言われて、そうしたのだけれど、食べてみてわかったのは、これは要は里芋の巨大なもの。
京都の八百屋には、正月前になると、ふつうの里芋が売っていなくて、この巨大な頭芋か、海老の形をした海老芋か、または小型の里芋で、「小芋」と呼ばれるものしかない。味は全部おんなじ。
この頭芋の、上下を落とし、皮を分厚くむく。
これを細かく切り分け、下茹でしてもよかったけれど、もうそのまま入れてしまって、砂糖を入れて15分、さらに酒とみりん、醤油で味付けして15分。
コトコト炊いたら、火を止めそのまま冷まして味をふくませる。
そしてついに完成した芋棒。
憧れの味だったということも、加味されているのかもしれないけれど、これは非常にうまいです。
魚は生のものを煮付けるのも、もちろん柔らかくておいしいけれど、棒ダラは、一旦干し上げて、カチンコチンにしているから、そのあいだに熟成されて、生魚とはまったくちがう、しっかりとした味が出てくる。肉でも、生肉を煮込むのと、ベーコンやハムを煮込むのとではちがうのと、おなじようなことじゃないかと思うんですよね。
食べ応えもしっかりとしている棒ダラに、またねっとりした頭芋が、最高ともいえる取合せ。今では棒ダラは、正月にしか手に入らないけれど、たしかに身近にあれば、週に1度でも2度でも、食べたくなるのは間違いないです。
2012-01-01
明けましておめでとうございます。
明けましておめでとうございます。
去年は、大変な天災があり、何万人もの人が亡くなりましたよね。さらにそれだけではなく、人災によって、これまでの生活を破壊され、いまだに先の見えない生活を余儀なくされている人達がいる。
それまでも、日本は何かおかしいのじゃないかと、漠然と思うところはあったけれど、去年の震災と、その後の一連の動きから、何がおかしいのかが、はっきりと見えてきた。多くの日本の人達にとって、去年はそんな1年だったのじゃないかと思います。
それを踏まえて、今年の1年を想像してみると、日本が良くなるとは、とうてい思えない。あれだけのことがあったのに、日本の中枢を動かしている人たちは、何ひとつ変わっていない。自分たちの権益を守り、責任を逃れることしか考えていない。世界経済も激動するなか、日本はこれから、もっと悪くなる。震災を、太平洋戦争の終戦と例える人がいるけれど、そんなものじゃない。あえて例えるとすれば、震災は、太平洋戦争の開戦であり、これからもっと悲惨な破綻が待ち受けているのじゃないか。そんな風にすら、思ってしまうところがあるわけです。
しかし、そういう中でも、一人ひとりは生活していかなくちゃいけない。ものを食べ、ことばをしゃべり、人とのつながりをつくっていく。そこで少しでも、生き生きとしたものを見つけ出そうとしていく。人間は、そうするよりほか、生きる道がないのじゃないか。どんな状況になっても、前を向き、たくましく生きていきたいと思うんですよね。
このブログが、衰退していく日本で、たくましく生きていく生き方を、ともに考え、見つけていけるものであったらと、非力ながらも願っています。人間が、生きる上でまず初めにしなければならない、「ものを食う」ということを、真剣に捉え直してみることは、決して無駄ではないだろうと思います。
相も変わらず、ヘボい料理ばかりが登場してくることになると思いますが、今年もどうぞ、よろしくお願いいたします。
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