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2012-08-01

なすと鶏の蒸し物

今日のおっさんひとり晩酌は・・・。
なすと鶏の蒸し物。昨日のササゲの煮物に焼きとうがらし、冷奴。
これを僕は、ちびちびと酒を飲みながら、1時間半くらいかけてちんたら食べます。



今日のなすと鶏の蒸し物も、「3分クッキング8月号 とことんなすおかず!」より作りました。

書店の料理雑誌のコーナーには、他にもいろんなのが置いてありましたけど、テーマを「なす」にしぼり込んでくるというのはうまいですよね。

夏野菜といえば、おいしいものは山ほどあるけれど、使える料理のバラエティーの広さからいえば、やはりなす。

そのなすの料理を、炒め物、揚げ物、蒸し物、煮物とひと通り紹介するというのだから、保存本としても価値があります。

さらにこの本、第2特集が「あじ、いわし」。

あじといわしも、夏が旬で、今最も安く手にはいる食材ですから、僕などはツボを両側からギューと押されてしまった感じです。



なすの特集は、飛田和緒という女性が担当しているんですが、わりと定番の、なすとピーマンのみそ炒めとか、麻婆なす、田舎煮、なすカレーなどがおさえてある一方、ちょっと意外な、なすのじゃこ炒め、なすのトマト炒め、蒸しなす、なすのラタトゥイユなどもあり、さらに「干しナス」というあまり思い付かないものまで載っていて、バランスがいいと感じます。

それに対して、あじ・いわし特集は、ちょっと残念。

伊藤朗子という人が担当していますが、「あじやいわしが少し苦手という人でも食べやすいレシピを紹介します」とのことで、ポキ風、エスニック風、バルサミコソテー、オイスターかば焼きなど、ちょっと変わった路線に振っていて、和食好き、青魚大好きな僕にとっては、あまり作りたくなるものはありませんでした。



というわけで、今日はなすと鶏の蒸し物を作ってみますが、食事の準備を始めようかという段になり、レシピに載っていたザーサイを買い忘れていたことが発覚。

仕方がないので、鯛の酒蒸しの要領で、ポン酢につけて食べることにしました。



早速やってみよう!



まずなす3本は、ヘタを落として皮をむき、やや小さめの乱切りにして、5分ほど水にひたしてアク抜きする。
アク抜きしたら、水を切り、塩小さじ4分の1をすり込んで、下味を付ける。



鶏もも肉2分の1枚は、ひと口大に切り、塩小さじ2分の1と酒大さじ1をもみ込み、片栗粉大さじ1をまぶす。




レシピでは、このなすと鶏肉を耐熱皿にのせ、味付きザーサイ20gをちらし、ラップをふんわりとかけ、電子レンジ(500W)で7~8分加熱することになっています。

でも電子レンジのない僕は、鍋で蒸す。
蒸し時間は15分。






でき上がりました・・・。
鶏の脂がたっぷりと出て、それになすがひたっているのが、なんともうまそう。



ポン酢で食べます。
これはうまい・・・。なすと油の相性がいいのは、先刻ご承知なわけですけれど、やわらかく、ぷりんとしたなすに、鶏のうまみがしっかりしみ込み、これは絶品。

またポン酢も、問題なく、バッチリ合いました。



鶏肉・・・。
これもうまい。考えてみたら鶏肉を蒸すのは、定番のやり方ですもんね。






あとは焼きとうがらし。今日は伏見とうがらしを買ってきました。
とうがらしを丸のまま焼き網で焼いて、削り節とポン酢しょうゆをかけるだけの話ですけれど、これがおいしいんですよね。






冷奴。
今日はちょっと趣向を変えて、ネギではなく大葉とみょうがを薬味にし、薬味は別盛りにしてしょうゆも小皿にいれ、色々に組み合わせて食べ比べました。






酒は今日も、焼酎水割り。
たっぷり飲んで、満足っす。




2012-06-17

鯛あらの酒蒸し


鯛あらの酒蒸し。

鯛のあらは養殖物なら年中安く売ってるし、今季は天然物もたいへん安く出ているけれど、骨の近くの肉はプリプリして味がいいし、第一目玉やら口やらが付いている頭の部分は、皿に盛ったとき豪華に見える。

ごぼうといっしょに煮付けるのは定番だし、汁の実にするのもうまいけれど、今日は酒蒸し。



養殖物の場合なら、まず塩をふって30分くらいおく。それから養殖物でも天然物でも、熱湯にちょっとひたして、そのあと水で、残っているうろこや血のかたまり、ぬめりなどをよく洗い落とす。

皿にだし昆布をひき、鯛あらと、豆腐やしめじなど好きな野菜を並べ、酒をふりかけ、蒸し器で15分くらい蒸す。

蒸し器がない場合は、水を入れた鍋の底にまず小皿をおき、その上に皿をおくようにする。

ポン酢しょうゆで食べる。

皿の底にたまった汁が絶品。



冷やした瓜の煮物

これもまたうまい。



キュウリの浅漬

2日目でまさに食べごろ。



あとは冷やしトマトで、芋焼酎の水割り。

4杯飲むクセは、もう直らない。






最近読んだ、オススメの料理本。



矢吹申彦「おとこ料理讀本



矢吹は1944年生まれというから今68歳の、デザイナー/イラストレーター。

僕が座右の書にしている池波正太郎「そうざい料理帖」「同 巻二」の料理イラストも担当している。

20代のころ伊丹十三の指南で京都有名料亭厨房のカウンターに出入りすることをおぼえ、そこで板前の仕事をながめるうちに、料理に目覚めたのだそうだ。

奥さんも料理をするけれど、自分が食べたいものは奥さんの分も一緒に、自分で料理をしているらしい。



素人が家で、自分のために作る料理の数々だから、必要以上に凝りすぎていないところがいい。

酒が好きな人のようだから、酒の肴のレシピも豊富。

といって酒の肴ばかりというわけでもなく、「もてなしの一品(妻への食卓)」と題してご飯物や麺類のメニューも数多い。

「文人ごはん」では池波正太郎、檀一雄、向田邦子、玉村豊男、内田百閒、水上勉などなどの著作に登場する料理も載せられている。



料理に趣味をもつ男性にはもちろん、婦人雑誌「パンプキン」に12年にわたって連載されたものだから、女性が見てもおもしろいはず。

僕がこの本を知ったのも、俵万智のツイートがきっかけだった。



紹介する料理の1品ごとに、まつわる思い出やらが短編のエッセイにまとめられていて、それもまた、いい。

レシピで一番気に入ったのは「油揚げのはさみ焼き」で、2つ切りにし袋にひらいた油揚げの中に、ねぎとかつお節をすこしのしょうゆで和えたのをつめ軽く焼くというもの。

僕も実際やってみたが、大変うまかった。







2011-12-28

「読んで楽しい料理本」
独断ランキング

このブログでは、料理本、料理エッセイをいろいろ取り上げてきていますが、これまで紹介していないものも含め、「読んで楽しい料理本」を、改めてまとめてみました。

順位もつけてみましたが、これは高野の独断と偏見により決められています。



第1位 「檀流クッキング」(檀一雄)

不動の1位。和食から中華、韓国、スペイン、ロシアなど、各国の料理を網羅。この1冊で、料理の基本がマスターできるのみならず、「料理の楽しさ」を実感できる。レシピを参考にするのもよし、ただ読んでみるのもよし。まさに座右の書となりうる一冊。実際にレシピ通りに作ってみると、檀一雄の人間性に、より肉迫できるのが魅力。分量などが細かく書いていないのもいい。



第2位 「食卓の情景」(池波正太郎)

池波正太郎は、それほど自分で料理をするわけではないが、池波の「食」についての考え方や感じ方が、風情があって非常にいい。10代のころ株屋で働き、相場で儲けていたため、感性の豊かな時期に遊びたおした池波は、「日本人の食」について確固たる考え方をもっている。古風ともいえるその考え方は、現代においては貴重。文章の、流れるようなリズム感が、またいい。



第3位 「向田邦子の手料理」(向田和子監修)

脚本家向田邦子の死後、妹さんの向田和子がまとめたもの。向田邦子も、毎日自分が食べるものについて、こだわり続けた人で、料理について様々なチャレンジをしている。一見それほど特別に思えないレシピも、実際にその通り作ってみると、脚本家らしい向田邦子のセンスが感じられるのが楽しい。「おきゃんな女性」向田邦子の、人間性に触れられる一冊。



第4位 「そうざい料理帖」(池波正太郎)

池波正太郎が書いたエッセイの中から、料理について書いたものだけを抜粋し、編集したもの。イラストに簡単なレシピも載っているから、自分で作って見ることで、池波正太郎の世界を体験できるのが魅力。



第5位 「わが百味真髄」(檀一雄)

「檀流クッキング」が「サンケイ新聞」に連載され、主婦向けに書かれたものであるのにたいし、こちらは初め「週刊現代」に連載され、男性読者を想定している。細かいレシピはそれほど多くないが、日本および世界の津々浦々の様々な料理を、軽妙な筆致で紹介している。



第6位 「御馳走帖」(内田百けん)

夏目漱石の弟子内田百けんが、「食」について書いたエッセイ。百けん自身は料理はしないが、食にたいして独自のこだわりがあり、それを「いじましい」とも感じられる書き方をしているのが微笑ましい。明治から昭和初期の食文化、生活風俗が感じられるのもいい。



第7位 「美味放浪記」(檀一雄)

日本および世界の料理を、土地ごとに紹介している。もともと旅行雑誌に連載されたものだから、旅のガイドブック的趣きがある。



第8位 「そうざい料理帖 巻二」(池波正太郎)

「そうざい料理帖」の続編で、読者が自分で作れる料理が少ないのが難点だが、端々に池波が家で食べてきた料理について書かれているのがいい。



第9位 「うまい!海軍めし」(海軍めし愛好会)

戦前・戦中の、男ばかりの世界である海軍で、どのような物が食べられていたのか垣間見ることができるのが魅力。家で自分で料理できるよう、詳しいレシピも載せられている。



第10位 「ごちそうちゃんこ」(中山暢子)

男ばかりの世界である、相撲部屋のちゃんこ料理を紹介。鍋料理が多いが、一品料理も多数掲載。詳しいレシピ付き。



番外1 「魯山人味道」(北大路魯山人)

伝説の料理人で陶芸家、魯山人のエッセイ。日本料理についてのうんちくは、大変参考になるが、ちょっと攻撃的で暗いのが難。



番外2 「食は広州に在り」(邱永漢)

作家であり、多数の会社の経営者でもあった、邱永漢の食についてのエッセイ。レシピも一部載っているが、邱永漢自身は、それほど料理したわけでもないらしい。何かというと中国料理の自慢話になるのが難。



番外3 「男のだいどこ」(荻昌弘)

映画評論家荻昌弘の、食に関するエッセイ。荻は休日になると、料理に腕を振るったようだが、すこしマニアックなところが難。



2011-03-09

「作家の口福」

「作家の口福」を読んだ。
朝日新聞の土曜版「be」に連載されたコラムをまとめたものなのだそうで、20人の作家が、「食」にまつわるわりと短めの文章を、それぞれ4本ずつ書いている。

僕はこれを、高校時代の友人にすすめられて読んだ。
つい先日、卒業以来30年ぶりに会ったその友人は、いっしょにバンドも組んでいた、「親友」ともいえる存在で、当時から「酒」と「文学」と「ロック」について造詣がふかく、僕は熱燗の飲み方も、トルストイも、レッド・ツェッペリンも、彼に教えてもらったものなのだ。
高校生なのに酒に詳しいというのもおかしな話だが、彼は小学生のころから、親父さんといっしょに酒をのんでいたらしい。
というよりも、もしかしたら、自分がちょっとでも知っていることを、さもものすごく詳しいかのようにひとに吹聴することについて、僕も人後におちないつもりでいるが、彼は僕をはるかに上回るということだったのかもしれない。

久しぶりに再開した友人は、シワこそふえたが、高校時代とまったく変わらず、証券会社の「部長」なのだそうだが、とてもそのようには見えず、そしてあいかわらず、酒と文学とロックに詳しかった。
ワインをのみ、僕がきいたことがないような名前の、日本のあたらしいバンドを「いい」といい、僕が最近、作家が書いた食のエッセイを読みあさっているといったら、すすめてきたのが、池波正太郎「食卓の風景」と、この本だ。
いまでもやはり、僕の上手をいくやつなのだ。

友人はこの本について、
「男性作家より女性作家が書いたもののほうがおもしろい」
といっていた。
たしかにその通りで、僕はこの本のなかで、男性作家の書いたものについて、おもしろいとおもったものはひとつもなかった。
さらに女性作家のなかでも、とてもおもしろいものから、たいしておもしろくないものまである。

そのちがいは、僕はひとえに、「食にたいする関心の強弱」なのだとおもった。
人間は誰でも、1日に2回か3回は食事をするわけだから、もしそのことに強い関心をもち、あれこれと探求することがあるとすれば、長い年月がたつうちに、その厚みは莫大なものになる。それにたいしておなじことでも、関心をもたなければ、見つかることは何もないままだ。
男性はだいたいの場合、食事は母親か、奥さんかがつくってくれるか、または外食ということになりがちだから、「食べる」ということに、主体的な興味をむけないことが多い。
だからこの本に書いている男性作家の場合でも、たまたま食べた珍しいものの話とか、子供のころの思い出とか、食事の際のひととのやりとりとかいうところに話がむかってしまう。
それにたいして女性は、「料理もできない女」というのが、罵言となる世の中だから、料理をするにせよ、しないにせよ、なんらかの形で、それに向き合わざるをえないことになる。

僕がこの本のなかで、いちばんおもしろいとおもったのは、「村山由佳」。
まず「田んぼ」の話からはいる。
「肉をさばく」話とか。
田んぼにしても、肉をさばくことにしても、たしかにそれはまさに、現代人が忘れがちなことではあるが、「食の原点」であり、「食のエッセイ」という場面でそれを持ち出してくるというのは、スケールが大きいとおもった。

それから「恩田陸」。
このひとは「酒好き」のようで、
「旅の始まり。列車に乗って席に落ち着き、プシュっと缶ビールを開ける瞬間に優る幸福を、ちょっと思いつくことができない」
とのこと。
イチイチ共感することが多かった。

「内田春菊」。
自分が日常的に、家族のためにつくる、弁当やら食事やらのことを、ぶっきらぼうな、ブログのような文章で書いていて、そのかっこよさにしびれる。

「三浦しおん」。
「台所の流しのまえに漫画を積んでしまった」ために、自炊をしなくなり、「シンクに洗い物が溜まってしまった」ために、使える皿や器もひとつもなくなって、「レトルトのおかゆをヤカンに投じて温め、パックのままスプーンですくって食べる」という生活。
そのすさまじい様子を克明に描くというのは、たしかに文学的。



昨日の晩めし。

あさりの味噌汁。

酒の肴に「汁物が合う」ということに最近気付き、それならアサリを味噌汁にしたらいいだろうとおもってやってみた。
たしかに悪くなかったのだが、味噌汁はやはり、つくりばながうまいのだな。
時間がたつにつれて、味噌の風味が飛んでいってしまって、後半はちょっとイマイチな感じだった。
豚汁ではそんなことはなかったのだが、何がちがうのかな。
しかもみりんを入れてしまって、アサリの味噌汁にみりんは、入れないほうがよかった。

酒は「桃の滴」の冷やを2合。

今日の昼めし。

このところ前日夜の残りものを昼めしにすることがつづいて、日曜日も恒例の「新福菜館三条店」にいかなかったし、今日あたり新福菜館へいきたいところだったのだけれど、水曜は定休日。
それでは久しぶりに「だいこんのはな」の巨大とんかつを食べようと出掛けたら、やはり休みで、中途半端に外食するよりはと、今日も家で、「豚肉のうどんすき」を食べた。

しょうゆとみりんを、昆布だしに酒を入れ、豚肉を煮た汁で割ってタレにするから、考えてみたらこれは、家にいながらにして、新福菜館の味。
なかなかよかった。


もちろん発泡酒つき。


 

2011-03-05

「食卓の風景」、ユッケジャン、ハマグリの湯豆腐

池波正太郎「食卓の風景」を読んだ。

この人の本は、最近「そうざい料理帳」を読んだのが最初なのだが、これには食生活が一変するほどの影響をうけた。

まず池波正太郎の文章が、なんともいえぬ風情がある。

もともと新国劇の脚本を書き、演出をしていたという人だから、「人を惹きつけるセリフまわし」というものについて、実際の劇場での反応を目のあたりにしながら、研究に研究を重ねてきただろう。なんといっても時代劇というものは、口上やら、見栄やら、「気持ちのよいセリフ」というものが命だろうからだ。

そこで磨き上げられてきた、「職人技」ともいえる文章の技術に、一度とらえられてしまうともう離れることができない。内容がどうのこうのという以前に、この文章に身をまかせ、流れにしたがっていくことが心地いいのだ。「読書の快感」とは、こういうものを指すのだろうなとおもう。

それから池波正太郎は、中学をでて株屋になり、戦争までの10年ほど、「そのときの儲けを蓄えておけば、家の4、5軒でも建っただろう」というほどの金をかせぎ、それをすべて、「遊び」に費やしてきた人だ。池波のばあい遊びは、「飲食」が中心だ。仲間の「井上留吉」とともに各地のうまいものを食べ歩き、それらの味を、舌に記憶させている。

現代ではかぎりなく廃れてしまった、戦前の日本の文化。それを多感な時期に、舌で味わい尽くした経験が、おそらく、池波正太郎をささえていて、あくまでもぶれないその視点が、読者をして、日本が元々もっていた良さというものを、おもいださせることになるのである。

「食卓の風景」は、数ある池波正太郎の「食」にかんするエッセイのなかでも代表的なもので、「そうざい料理帖」へもここから幾篇もが、抜粋してのせられている。

自宅で食べる毎日の食事のこと、東京や京都、その他各地でたずねあるく名店のこと、そういった話の合間に、むかしの思い出やら、最近みた映画のこと、日々の自分の生活や仕事のこと、などなどの話がさしこまれ、さながらここには、池波の人生そのものが姿をあらわす。その達者な、しかし衒いのない筆にみちびかれて、読者はこの本のなかで、池波とともに人生を歩むことになるのだ。

そしてその、池波の人生の中心には、「食」がある。

明け方まで仕事をする池波は、昼ちかくになって起床し、まず第一食をたべる。そうしていながらすでに、夜食べるもののことを考えはじめている。午後に散歩に出かければ、商店街で鶏のコマ肉だの、魚介のうまそうなものだのを買ってきて、それを家人に料理させ、夜の食事にする。

男性にありがちな、食べるものはすべて家の者にまかせてしまうということは、池波は一切ない。

この本の冒頭、池波は家で自分が食べたいものをきちんと食べられるように、いかに家人と戦い、手なづけるのかということについて、事細かに書いている。老母と妻と、女二人に囲まれて、自分が服従するのでなく、相手を服従させるために、猛烈な努力をするのである。

結婚したばかりの若い友人が、「自分は本当は、朝は味噌汁が食べたいのに、妻がそんなものは下等だといって、コーヒーやトーストなどしか出してくれない」と嘆くくだりがある。そこで池波は、「そんなときは、お膳をひっくり返せ、そうしないと、自分が食べたいものなど、一生食べられやしないぞ」と啖呵を切る。

仲間たちと旅に出れば、目的はうまいものを食うことになる。訪れる店はどこも、池波自身の思い出と、深くつながりをもっている。「食べることが人生の最大の楽しみである」という池波の考えは、終始一貫、ゆらぐことがない。

そんな池波が書くからこそこの本は、たんなる「食のエッセイ」ではなく、「食をとおして人生を語る本」になりえたのであるとおもう。

◇ ◇ ◇

おととい煮込んでおいた牛肉に、昨日の昼はコチュジャンとしょうゆ、みりん、ゴマ油で味を付け、ユッケジャンにした。

野菜はおとといの晩と同じだが、やはりこうやってきちんと味を付けたほうが、全体のまとまりはよくなる。

ただどうも、本場韓国で食べるのとは、根本的に味がちがうような感じがするから、これはきちんと誰かにきかないと、これ以上先へは進めないのかもしれない。

◇ ◇ ◇

ひな祭り用のハマグリが、グルメシティで大量に余ったみたいで、昨日は半額で出ていたから、それを湯豆腐に入れた。

ハマグリ入の湯豆腐は、池波正太郎の本で見たもので、池波はこれを、どこぞの旅館の朝めしで食べたのだそうだ。ハマグリと豆腐は、じっさい実によく合って大変うまい。

食べおわったら、この汁に、タレにしたしょうゆとおかかを入れ、吸物にする。

あとはホッケの焼いたの。大根おろしをたっぷりと添える。

酒は佐々木酒造「古都」の冷やを2合。


 

2011-03-02

豚汁で冷や酒

このごろ

「池波正太郎」

に、僕はほんとにハマってしまっていて、いままた新しい本も読んでいるのだけれど、まあそのことは、読み終わったら書くつもりだが、いろいろなことに、すごく影響をうけてしまっている。

池波の独特な文体が、「魔術」かと思うような吸引力があるのと、あとは池波は、若いころとにかく、遊びたおした人だから、遊び方、というのはすなわち、飲み食いの仕方を、「知っている」ということだとおもうのだよな。

それで池波がする飲み食いを、自分もしてみたいと強烈におもってしまうというわけで、なんだか中学生にもどって、ショーケンの真似をして、「給食の牛乳の栓を口であけてしまう」というような、そんな気分なのだ。

「そうざい料理帖」にも出てくるのだけれど、池波はけっこう、「汁物」をさかなに酒をのむということをしていて、どこだかの料理屋で、ふところがさびしかったので、

「鯛の刺身と蛤の吸物」

で酒を一本のみ、そのあと半分残しておいた刺身で、ごはんを一ぜん食べるという、なんともしゃれた光景も登場するし、「三井老人」の家に、「井上留吉」と遊びにいったとき、酒といっしょに

「軍鶏鍋」

がでたというはなしもある。

僕はいままで、汁物というのは、酒をのみ終わってから、「シメ」として食すものであると、なんとなく勝手におもっていたのだが、何もそうでなくたっていいわけだ。

これはいわば、

「ラーメンを食べながら、ビールをのむ」

というような話で、ビールの友は、「キムチとギョウザ」と決め付けずに、ラーメンも仲間に入れてやるというところに、なんとはなしにふところの深い、大人の風情を感じるというわけなのだよな。

というわけで昨日は、グルメシティへ買い物にいって、なにか汁物をつくろうとおもい、いろいろ考えたのだが、どうも

「豚汁」

の気分だったのだ。しかもゴマ油やニンニク、玉ネギなどをつかった、こってりとしたものではなく、いやこちらは池波正太郎なわけだから、だしがしっかりときいた、端正な豚汁が食べてみたいとおもった。

豚肉は、池波正太郎は

「コマ肉」

なのだ。昨日のグルメシティは「一の市」で、京都産の豚バラ肉も、かなり安くでていたのだけれど、ここはあえて、コマ肉をえらんでみた。

野菜をどうするか、これはかなり考えて、まず「ニンジン」は、はやばやと確定。端正な味というと、やはり「大根」もほしいところだ。

豚肉に味噌味というと、黄金の力を発揮する「玉ネギ」は、端正でなくなるから、後ろ髪をひかれながらもパス。そのかわり「長ネギ」。

それに加えて、「ジャガイモ」を入れようかどうしようか、これを入れると、端正さからはちょっとはずれることになるし、かなり悩んだのだが、やはり豚汁に、「ホクホクの」ジャガイモははずせない。

端正さという意味では、ほんとは「豆腐」だが、しかしやはり、汁をたっぷりと吸いこむ「油揚げ」。「ゴボウ」も入れたいところだったが、一本まるごとは多すぎるので、今回はあきらめた。

まず昆布とだしパックで、かなりしっかりと「だし」をとる。

そこに酒とみりん、隠し味ていどの淡口しょうゆ、それにチューブのショウガで味をつけ、まず豚肉、それからニンジン、大根、ジャガイモ。

アクは、海軍にならって取らない。アクを取るというのは、肉のばあい、ほとんどは見た目の問題であって、

「アクも味のうち・・・・・・」

おいしい肉汁がしみ出してきて、それが煮汁によって凝固したのがアクなのだから、味噌味のようなコッテリとした味付けの場合、取ってしまわないほうがうまいのだ。

5分ほど煮たら、そこに油揚げと長ネギ。

ひと煮して、味噌を溶き入れて出来上がり。

これは、マジで、「劇ウマ」だったです。

酒は佐々木酒造「古都」の冷やを2合半。

「汁物をさかなに日本酒」

これはカナリの新境地を開拓したと、僕は思いました。


 


ショーケンが、牛乳の栓を口であける現場です。

2011-02-26

「男の手料理」、豚肉のうどん好き、アラ大根

池田満寿夫の「男の手料理」という本を読んだ。

このごろ僕は、料理にまつわるエッセイを、いろいろと読み漁っている。とくに男性の、作家が書いたもの。

ものを食べるということは、人間誰にとっても、最大の楽しみになりうるものであるというのは、まちがいのないことだろう。人間食べるということは、生きていく上で第一に必要なことなのだから、そういうものは神様が、きちんと楽しいようにしてくれて、無理なくできるようになっているのだ。

いや自分は、お金がないから、うまいものが食べられないので、べつに食べることは、とくに楽しくないという人が、もしかしたらいるかもしれないが、僕に言わせれば、その人は、ただ楽しむための努力をしていないだけなのだ。

お金をだせば、うまいものが食べられるというのは、これはまったく、誤解も甚だしいのであって、高くたってまずいものは、いくらでもある。世の中には、人から金をかすめ取ろうとする、よからぬ輩が、はいて捨てるほどいるのであって、そういうのに引っかかってしまった日には、どんなに金を払ったって、うまいものなど食えやしない。

また、うまいものを食えば、それがすなわち、楽しいのかというと、そうとは限らない。高い金を払って、うまいものを食べられたとしても、それは当たり前のことなのであって、何のおもしろさも、楽しさもない。死ぬほどうまいものが、まじ、というくらい安いというときに、楽しい気持ちというものは、わきあがってくるものじゃないのだろうか。

そのためにはやはり、脚なり、頭なりを使って、探すなり、考えるなり、しないといけないわけで、それをただ、何も考えずに、近場のコンビニで、添加物のたっぷりはいった冷えた弁当を買っているようでは、食べることを楽しむなどということは、とうてい覚束ないのである。

食に関するエッセイは、そういう食べるということの楽しみについて、あ、こんなやり方、こんな考え方があるのかと、目を見開かせてくれるようなところがある。今まで読んだ中では、やはり檀一雄と池波正太郎の書いたものがおもしろい。

「男の手料理」は、池田満寿夫がサンケイ新聞に、1年以上にわたって連載したのをまとめたもので、池田氏はこれを、とくに男性が、「こんなに簡単なら自分にもできる」と思ってもらいたいと思って、書いたと書いている。

池田氏の定義によれば、「男の手料理」というものは、まず第一に、「材料にこらない」こと。冷蔵庫を開けたときに何があるかによって、それを使って手早く料理する。第二に「手抜きであること」。なのだそうだ。

実際笑える料理がいろいろあって、第一回は「コロンブスの卵丼」。これはごはんに目玉焼きをのせ、ウスターソースをぶっかけて食べるのだそうだ。

「トウフ丼」というのもある。熱いごはんに冷奴をのせ、おかかときざみネギ、それにしょうゆをかけて食べるというだけのもの。

一事が万事、その調子で、これが料理かと思うようなものばかりなのだが、池田氏はそこで、いやこれも十分料理なのだと主張するための理屈をこね、それが楽しい食事の時間を演出することに役立ったという実例をあげる。

そのあたりのところ、僕のこのブログの料理と、共通するところもあって、まあ男というのは、けっきょくそういうものなのだなと、ちょっと微笑ましい気持ちになる。

しかし池田氏の料理、その前提において、「冷蔵庫にものが入っている」ということがあるわけなので、きちんと奥さんやら親やらがいて、冷蔵庫にものを入れておいてくれるという人にとっては、かなり参考になるのだろうとは思うのだが、上手に買い物することが、料理をする上で一番だいじなことになってくる、僕のような一人暮らしの人間にとっては、ちょっとあまり、参考にならない。

また男の料理が「手抜き料理である」ということも、僕にはちょっと異議があって、これは奥さんがいて、自分の作ったものを見せ、「どうだ、これはおもしろいだろう」などという場合には、それはそれで存在意義もあると思うが、根本的には、かけるべき手間はきちんとかけたほうが、料理するのは楽しいと思うのだ。

僕がいう「ミニマル料理」は、手抜き料理とはちがう。不必要な手間、たとえばわざわざ調味料をカップやスプーンで計ったり、材料を何種類も組み合わせたり、みたいなことはしないが、必要な手間は惜しまない。そうして、料理をつくり、食べることを楽しもうという趣旨である。



昨日の昼めし。

豚肉のうどんすき。

これは池波正太郎の「そうざい料理帖」に出ていた料理で、このところ何度も作っているのだが、ほんとに簡単にできて、おまけに安いし、しかも死ぬほどうまい。

だし昆布とたっぷりの酒をいれた水で、豚コマ肉を煮て、そこにうどんを入れるというだけの話。

しょうゆとみりんを、出来上がった鍋の汁で割り、タレにする。

豚コマ肉というのは、炒め物に使ったりすることが多いと思うが、こうやって煮て食べても、非常にうまい。



晩めしは、アラ大根。

スーパーへ行ったら、けっこううまそうな、いい色をしたカンパチのアラ、150円で売ってるのだ。

コマ肉と同じ話で、切り落とされる部分だから、値段が安くなるというわけだが、味はまずいどころか、骨の近くだから、脂がのっててプリプリとして、切り身よりよっぽどおいしい。

それが150円だというのだから、僕はスーパーでこれを見かけると、矢も盾もたまらず買ってしまう。

ぶり大根のつくり方は、今日はもう、長くなるから書かないが、こういう安い材料を、手をかけてごちそうにするというのが、料理のかなり大きな楽しみであると僕は思う。

ポイントは、アラを湯通しして、そのあと水でよく洗うこと。それからアクをきちんと取ること。それだけ忘れなければ、あとはどういうやり方をしても、それなりにおいしくできる。

今日はたっぷりの酒に、しょうゆと砂糖、みりんで味付けした汁を、強火で煮詰めてみたのだが、いやこれは、ほくほくのアラに、コッテリとしたタレがまとわりついて、大根にもきちんと味がしみ、死ぬかと思うくらいうまかった。

あとはハマグリの湯豆腐。

これは単に、湯豆腐にハマグリを入れるというだけ。火にかけて、ハマグリのフタが開いたら出来上がり。

これはもちろん、昆布とハマグリのだしがたっぷりとでた、汁がうまいわけで、中身を食べてから、塩で味をつけ、しょうゆをたらし、うどんを入れた。

これもまた、死ねましたです。

酒は、近所の酒蔵「佐々木酒造 古都」の冷や酒。

古都はなんと、川端康成が愛した酒で、このラベルも、川端康成の揮毫だそうだ。

いろいろランクがあるが、これはいちばん下の一級酒タイプ、ふだんの晩酌用。元からある甘いものと、新しく作られた辛いものとがあるのだが、これは甘いほう。

甘いなかに、はんなりとした風味があって、広島賀茂鶴の落ち着いた感じとか、福美人・白牡丹のやさしい感じとはまた違う、いかにも京都という味。

いいですな。