尖閣ビデオの流出について、茂木健一郎氏がその行為を礼讃するようなことをツイッターに投稿していたので、それに対して、海上保安庁という海上での逮捕権ももつ、「海の警察」とも呼ばれる国家権力の組織の一員が、法律や政府の指示を無視して機密のビデオを流出させるというのは、いくら政府の対応に対して、現場の人間として不満があったとしても、到底許されることではないという内容の投稿を書いたら、それに対してコメントが入っていて、それはもちろんその通りだが、それより何より、菅首相がダメなんだと、そういう内容だった。
菅首相がダメだというのは、僕もたしかにその通りだと思う。日本がこうすべきだということについての何らの考えもなく、ただ部下の言うことを追認して、部下の機嫌を取るだけのダメ上司、それが部長くらいならまだ社長がなんとかしようもあるが、社長がそれをやってしまったら、会社は潰れるしかないというそういう状況。それはたしかにそうなのだが、そう言っただけで終わってしまったら、何にもならない。「それじゃどうしたらいいのか」を考えなければ、そして自分がそれに基いて行動しなければ、物事は何も先に進まないじゃないか。
まず菅首相を誰かに取り替えたら、物事はどうにかなるのか考えてみるが、どうなのだろう。そうやってこれまで、1年ごとに首相を替えて、それじゃ足りずに政権まで替えてみて、良くなった感じがするのかと言えば、どうもそうは思えない。この先首相の座を虎視眈々とねらうロートル小沢一郎や、その息のかかった誰かが首相になったとしても、けっきょく自分の立場を守ることに汲々として、日本のことなどこれっぽっちも考えないに決まっているし、僕は岡田幹事長はけっこう好きなのだが、しかし彼とて今ひとつ暗い。「きまりですから」とか言っちゃって、それに縛られて、日本を大きな方向へ向けていくなどということが、どうもできそうにない。
たぶん何より問題は、日本がどこへ向かっていくべきなのかということについて、日本人の誰もがまったく見えなくなってしまっていることなのじゃないかと考え始めていたら、ツイッターに海外で日本人としては例外的に大きく評価されている芸術家、村上隆が、膨大な数の連続投稿をしていたので読んでみた。
http://togetter.com/li/66686
これはけっこう面白い。かなり長いが、もし時間があれば、ぜひ読んでみることをおすすめしたい。
村上は、戦後の日本が、国家としてどうあるべきなのかを全く考えずにここまで来てしまっている、そのツケを今まさに払っているのだという。国際社会が弱肉強食の、食うか食われるかが基本の世界であることを見ないふりをし、そこで国家が生きていくために当然必要な軍隊を持つことを、しないという選択を、しかも自らの主体的な意志ということではなく、アメリカが押し付けてきたものを受動的に受け入れるということによって行い、とにかくお金が儲かり、豊かな生活ができればそれでいいんだと、ひたすら邁進してきた、そのことの当然の帰結が今の事態なのであって、今必要なのは、ここでもう一度、日本人が、軍隊のこともきちんと含めて、日本という国家がどうあるべきかを考えることだと言う。
この連続投稿からは、内容どうのこうのという以前にまず、村上が日本人は今、本当に日本のことを真剣に考えなければ、日本の未来はないのだということを、切実な危機感をもって感じているということが、ひしひしと伝わってくる。
日本がこれからどうしていったらいいのか、僕にもよく解らない。しかしそれを考えようとしなければ始まらないということは、間違いのないことだと思う。
村上は、戦後の日本が、国家としてどうあるべきなのかを全く考えずにここまで来てしまっている、そのツケを今まさに払っているのだという。国際社会が弱肉強食の、食うか食われるかが基本の世界であることを見ないふりをし、そこで国家が生きていくために当然必要な軍隊を持つことを、しないという選択を、しかも自らの主体的な意志ということではなく、アメリカが押し付けてきたものを受動的に受け入れるということによって行い、とにかくお金が儲かり、豊かな生活ができればそれでいいんだと、ひたすら邁進してきた、そのことの当然の帰結が今の事態なのであって、今必要なのは、ここでもう一度、日本人が、軍隊のこともきちんと含めて、日本という国家がどうあるべきかを考えることだと言う。
ツイッターで村上がこの論を繰り広げているところに、大学生が横槍を入れてきて、その大学生の言いたいことを、僕が好意的に解釈すれば、そうやって暴力を肯定するのは、文化や芸術の敗北であると、そうではなく、文化的なやり方で、たとえば芸術の普遍性をもってして、世界の人が一つになれるような、そういうやり方を模索すべきではないのか、ということなのだ。
それに対して村上は、大学生の発言の仕方が、いわゆるインテリたちが、自分では大したことは何もしていないくせに、狭いタコツボに籠り、他人を軽蔑することで自分の立ち位置を確保するようなやり方の、しかもさらにただの口真似だったため、それを激烈な調子で糾弾し、連続投稿の後半は、お前はそんなことで、解ったような気になっているんじゃない、ということを延々と諭す、ということになっている。
この連続投稿からは、内容どうのこうのという以前にまず、村上が日本人は今、本当に日本のことを真剣に考えなければ、日本の未来はないのだということを、切実な危機感をもって感じているということが、ひしひしと伝わってくる。
たしかにその通りなのだと僕は思う。菅首相がダメであると、これを言うのは易しい。でも政治家は、どんなに優れた人だって、基本的に物事を調整するのが役目であって、何も無いところから何かを新たにつくり上げるわけではない。日本国民が何も考えていないところで、政治家が何かをしようにも、できるわけがない。政治家のダメさ加減は、国民のダメさ加減のそのままの反映であるということを、はっきりと知らなければいけない。もしそこで、国民が誰も考えていなかった、新たな素晴らしい道があるかのように言う政治家があったとしたら、それは間違いなく危険人物であって、そういう人に日本の主導権を握られてしまわないよう、徹底的に排除しなければならない。
日本がこれからどうしていったらいいのか、僕にもよく解らない。しかしそれを考えようとしなければ始まらないということは、間違いのないことだと思う。
※ この文章、村上隆さんにツイッターで連絡して、見て頂きましたら、次のようなコメントを頂きました。
え〜。俺、軍隊持てなんて言ってないよ。国家を形成する基盤となる思想を練り上げよ、と言ってるんです。だって、俺たち文化人は政治家じゃないからね。心を動かすに値する芸術を造って心を誘導するしかできない。その心得を侮るなと言ったのでした。村上さんの発言をもう一度読み直しましたら、たしかに村上さん、軍隊持てとはおっしゃってませんね。僕の文章に誤解を招くような表現がありましたことをお詫びいたします。