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2010-12-11

ノーベル平和賞

今日ノーベル平和賞の授賞式があるというので、オバマ大統領やらEU外相やらが劉暁波氏の釈放を求める声明を発表したり、オスロの中国大使館近くでもデモがあって同氏の釈放を求めたり、中国に対する風当たりが強くなっている。民主主義でない国に住むということは、民主主義の国に住む日本人にとって、なかなか想像しにくいものはあって、中国へ行ったこともない僕にとっても、実際のところどういう事なのか、よくはわからない。

よくはわからないが、こういう知らない物事を考えるとき、自分の知ってる物事に置き換えてみるというのは、外れることも多いにしても、自分なりの納得というものを得る近道であることは間違いなく、僕はよくやることなのだ。

中国はもしかしたら、会社に似ているのじゃないか。会社というものは、日本であれ、また他のどこの国のものであれ、民主的に運営されているところなど、ほとんどないだろう。社長や重役が絶大な権限を持ち、社員の意見が聞かれることなどほとんどなく、現場にいる人間からすると不条理なことがまかり通っていく。労働組合などで社員の待遇にかんする面については、交渉の余地はあっても、経営的な側面については、口を挟むことなど一切まかり通らない。

日本にいたって、僕たちはほとんどの場合、そういうところで働いていかなければならないのであって、それはもしかしたら中国にいるのと、それほど変わらないことなのじゃないか。たぶん中国どころか、北朝鮮みたいな会社だって、日本にはたくさんあることだろう。

ただ日本が中国と違うのは、会社を辞めて、違う会社へ行くとか、自営業をするとか、そういう生き方をすれば、少しはましな暮らし方ができる、可能性があると、そういうことだろう。中国や北朝鮮の場合、どこの会社も社長は全部胡錦濤だから、同じであるということだ。

でも今の会社の独裁的な体質が嫌だから、それが理由で会社を辞めたとして、新天地はあるのか。ふつう「ない」というのが答えだろう。どこの会社だって、大なり小なり独裁的であって、社員の批判を受け止める度量の大きな経営者などというものを聞いたことはない。不確実な世の中で、未来に向けて、収益が上がる行動を起こそうと思ったら、客観的に正しいやり方などというものは存在せず、主観的に、自分の信念において、どんなに他人が反対しても、やるときはやると、そういう風にしていかなければ、成功などおぼつかない。それがわからず、自分の目に見える狭い範囲から、批判ばかりしている人間は、どこに行ったってダメだというのが、世の中の常識であって、僕もそう思う。

ただ民主主義の国においては、自分が志を立て、起業する自由があるのであって、それが「自由」という言葉の意味だろう。中国でも起業の自由はもちろんあるだろうが、政府の方針によって一夜にして潰されるということも、覚悟しなければいけないということだ。

中国は今、独裁によって国の方針を統一し、とにもかくにも、経済的に成長するということを目指している。それによって、日本はほとんど追い抜かれようとしているくらいなのであって、そのやり方は実際に効果を上げている。それは後進国が成長しようとするときには、よくあることであって、韓国だってついこのあいだまで、独裁政権だったわけで、何もおかしいことではない。頑張ってやってもらいたい。日本だって、明治の時代は、同じようなものだっただろう。

今中国が叩かれているのは、人道的どうのこうのなどということより、国際的な政治の上での駆け引きなのであって、成長し、影響力を増す中国に対して、そうそう勝手なことはさせないぞと、牽制されているということだろう。出る杭が叩かれているのだ。独裁というのは、腐敗と裏腹だから、たしかに中国がこのまま独裁政治を続けていくことは、実際問題として難しいだろう。権力が腐敗し、実効的な政策を打ち出せなくなるだろうからだ。でもそれは中国が自分で考えてもらえばいいことであって、もし中国が将来、民主化を果たすことがあったとしたら、その時には、真の大国として生まれ変わるということなのだろう。

僕がどうも気に食わないのは、中国が民主主義でないという、ただそれだけの理由で、日本人の中に、中国を日本より低く見るという風潮があることだ。だいたい日本人は、民主主義を自分で勝ち取ったのではないのだ。そんな、番長に擦り寄って、一緒に石を投げるなんて真似をしている間に、日本はあっという間に中国に抜かれてしまって、もう一生追いつけないようになってしまうのだ。