この頃にわかに、ワンプレートにハマり出したぼく。
昨日はわざわざ、ワンプレートに向く大きめの皿と、
その上にのせるガラスの小鉢まで買ってきた。
ワンプレートは、上にのせる小鉢は別として、皿の中に仕切りがないから、
皿に盛るおかずや炭水化物を、重ねてしまうこともできるし、別々に配置することもできる。
別々に配置しても、初めははっきりしていたそれぞれの境界線が、
食べ進むにつれぼんやりし、混ざり合ってくることにもなる。
そのあたりのおかず同士の距離感が、別皿に盛るのとまったく違うところがあって、面白い。
それで昨日の晩酌の肴は、
イサキの唐揚げ甘酢あんかけと焼きソバのワンプレート。それに小松菜と油揚げの吸い物。
ワンプレートは、唐揚げにかけた甘酢あんを、焼きソバにもつけて食べるという企画。
焼きソバは、下に敷いてもいいかと思ったけれど、
カレーライスと同じで、分けて盛ったほうが見た目もいいし、
焼きソバにあんを、自分でつけて食べるのも楽しい。
イサキは塩コショウと片栗粉をふり、カラリと揚げる。
あんは、ピーマンと玉ねぎ、ニンジンをゴマ油に輪切り唐辛子で炒め、
水1カップ、酒とうすくち醤油大さじ1、砂糖と醤油小さじ1を注ぐ。
2~3分煮たらしめじを入れ、水溶き片栗粉でトロミを付けて、大さじ1の酢を入れる。
焼きソバは、塩コショウと酒をふって炒める。
小鉢はわかめとキュウリの酢の物。
ちりめんじゃこと一緒に三杯酢で和え、おろしショウガをのせる。
吸い物は、だしを別に取らずに作った。
水にだし昆布を入れて火にかけて、沸騰したら、酒とうすくち醤油、それに塩で味付けする。
油揚げと小松菜を煮て、お椀によそったら削りぶしをかける。
昨日だったか、ツイッターで、30代半ばの女性が、
「何もかも嫌になった」
と嘆いていた。
ずいぶん仕事が出来る人のようで、最近になって大抜擢され、派遣から社員になり、
かなり忙しくしていたらしい。
仕事はやり甲斐があるけれど、熱中しすぎた反動なのか、体調をくずしているようだ。
自分の昔からの写真やら、人からもらった手紙やらを、全部捨てたくなる衝動に駆られているというから、
「一呼吸おいて考えたらどうか」
とメッセージを送ったけれど、
この女性に限らず、今の若い人の中には、
バランスをくずしている人が少なくないようにぼくには見える。
バブルが崩壊し、経済が停滞するようになってから仕事を始めた世代だから、
ぼく達の世代のように、何でも自分の欲求の赴くままに行動するということにはならない。
よく考え、自分の身の丈にあった居場所を探そうとするのだろう。
それはもちろん大事なことで、「考えなくてもいい」ということにはならないけれど、
考えすぎて、かえって自分が見えなくなってしまうことも、あるのではないかという気がする。
「考え」は、どうしたって「理屈」で進んでいく。
何かの結果があれば、原因がある。
目的があるから、手段を選ぶことができる・・・。
でも人生や世の中は、理屈だけでは動かない。
理屈で考えると到底起こりそうにもないことが、平気で何度でも起きる世界だ。
そこで大事なのは、「感じる心」だとぼくは思う。
「自分が何を感じているか」を常に意識していることが、
人生を、そして世の中を、切り開くことにつながるのではないか。
考えるのは「頭」の役目だけれども、感じるのは「体」の役目だ。
頭が考えることと体が感じることは、往々にして食い違う。
でもそれを、どう重ねていけるのかというところに、
人生の醍醐味があるとぼくは思う。
「感じること」からスタートして考えようとするときに初めて、
「運」を味方につけられるようになるのではないだろうか。
「だからといって酒ばかり飲んでいていいとはならないよ。」
オレもちゃんと考えなくちゃな。