昨日の晩酌は・・・。
鶏のトマト煮とアサリごはん。
これはどちらも、スペイン料理のレシピを参考にしているんです。
スペインって、ヨーロッパの中でも端っこにあり、海も近く気候も温暖で、日本と似ているところがあるんでしょうかね、
魚も米もよく食べるし、味つけもわりとシンプルでゴテゴテせず、
さらに小皿料理が色々あったりもします。
ぼくはスペインへは、長期で滞在してみたいんですよね。
一度数日間、スペインへ行ったことがあり、その時バルを覗いてみたら、
小皿料理がどれもほんとにおいしくて、
ヨーロッパの料理では、ぼくが食べた中では一番自分の口に合うと思いました。
またスペインでは、お昼ごはんで酒を飲み、昼寝までするところも、
自分に合うような気がします。
しかもさらに、女の子がすごくカワイイという・・・。
何言うとるの。
それで今回の鶏のトマト煮とアサリごはんですが、
作り方はとてもシンプル。
オリーブオイルとニンニクだけは、どうしても必要ですが、
塩味ベースで素材のうまみを活かすようになっていて、
特別な調味料は必要ありません。
パセリはあれば、最後にかけると、さらにおいしくなるんですが、
べつにこのためにわざわざ買う必要はありません。
ヨーロッパの料理は、ソースを作るのに小鍋が必要だったり、
手間がかかるのが多いですが、
これはどちらも鍋ひとつで出来、
煮込んだり炊いたりする時間は必要ですが、
それほど手間はかかりません。
それでは早速、作ってみたいと思います。
まずは鶏のトマト煮。
フライパンにオリーブオイルとみじん切りのニンニクを入れて中火で熱し・・・、
鶏肉、今回は安い手羽元を使いましたが、を軽く色づく程度に焼く。
さらに玉ねぎのみじん切りをしばらく炒め・・・、
フォークで穴を開けたウインナーと大きめに切ったジャガイモを入れて少し炒める。
カットトマト缶と水1カップくらいを入れ、塩小さじ1くらいとコショウ少々で味つけし・・・、
フタをして、弱火で30分くらい煮る。
最後は火加減を調整し、煮汁が「ドロリ」となるくらいまで煮詰めます。
次はアサリごはん。
鍋にオリーブオイルを引いて中火にかけ・・・、
ニンニクと玉ねぎ、ピーマンのみじん切りを炒める。
次に洗っていない生米1カップを入れ・・・。
さらに炒める。
砂出しし、よく洗ったアサリと熱湯1カップを入れ、塩小さじ1で味つけし・・・、
そのまま中火で煮立たせて、アサリの殻が開いたら弱火にする。
フタをして、25分炊いたら火を止める。
ワンプレートに盛り合わせる・・・。
これはそれぞれ単独でウマイのはもちろん、
混ぜて食べるとまたウマイです。
小鉢は、冷奴の生ピーマンのせ、マヨネーズと七味、醤油がけ。
油揚げと小松菜の赤だし。
だし昆布と油あげ、小松菜を水で煮て、赤だし味噌(豆味噌)を溶き入れる。
油揚げと赤だし味噌のコクがあるので、
だしはだし昆布だけでOKです。
この頃ツイッターやらバーやらで、30代くらいの若い人とやり取りしてて、
色々思うことがあるんですよね。
40代以降と30代以前では、生きている時代に大きな違いがある。
1991年にバブルが崩壊していますから、
40代の人は大人になってから、バブルの時代を経験しているのに対し、
30代の人は経験していない。
戦後の高度経済成長からバブルにかけてのイケイケドンドンの時代と、
その後の不景気の時代とでは、
世の中の状況や雰囲気がまったく違うわけですから、
社会人としての第一歩を踏み出したとき、そのどちらにいたかによって、
考え方に大きな違いが出てくるのは当然だと思うんですよね。
具体的にあげれば、色々な違いがあると思いますけど、
一つ大きいのではないかとぼくが思うのは、
「幸せとは何であるか」
が、バブル以前と以後で、大きく変化していることです。
バブル崩壊以前には、幸せとは多くの日本人にとって、
「いい大学へ入り、いい会社へ入り、いい結婚相手を見つけ、家を建て、家庭を築く」
という、ものすごく分かりやすい図式だったと思います。
実際ぼくの親は、そう信じて生きてきていますし、
また自分の子供にも、そのように教育してきています。
ぼくが大学を卒業する頃は、「就職率120%」という時代ですから、
その分かりやすい図式を信じることにも、
それなりのリアリティーがあったんですよね。
ところがバブルが崩壊すると、大学を卒業しても、
就職自体が難しいことになってしまう。
社会人の第一歩で、いきなりつまずいてしまうわけですよね。
職が不安定だから、男性も女性も、結婚に二の足を踏むようになる。
家を建てたり子供を作ったりなどということも、
「夢のまた夢」という話になってしまう・・・。
まあこれは、ちょっと極端な言い方をしているわけで、
もちろん若い世代でも、結婚をし、幸せな家庭を築いている人はたくさんいるでしょうけれど、
「幸せ」について、それまで日本人の多くが信じていたことが、
バブルの崩壊とともに、以前ほど信憑性のないものになったというのは、
確かなのではないかと思うんです。
もちろん古い考え方が、新しい時代に適合しなくなるということは、
何も珍しいことではないわけですけれど、
「それでは幸せとはなんなのか」が、
新たに見えているということも、今はないですよね。
ですから現代は、
「幸せが見えにくくなってしまっている時代」
なのではないかと思うんです。
やはり人間は、
「幸せになりたい」
と思うものなんだと思います。
「こうなりたい」と思い描けるものがあるからこそ、
そこへ向けて進んでいくことができるんですよね。
ところが今、若い人たちにとって、
進むべき方向が見えなくなっているところがあるのではないか。
何を大切にすればいいのか、分からなくなっているのではないだろうか。
ぼくはそういう風に思うわけなんですよね。
ぼくの場合、時代の一般的なコースとは全くちがう道を歩んでいて、
大学は出たものの、「いい会社」ではなく怪しげな中小企業へ就職し、
結婚はして子供もでき、マンションも買ったものの、
結局破綻して離婚し、マンションも売り払うということになっていますから、
元々バブル以前の「幸せ」について、あまり信じていなかったところがあります。
そのぼくに言わせれば、幸せとは簡単なことで、
「うまい飯を食い、酒を飲み、タバコを吸って、好きな女と過ごすこと」
となるわけですけれど、
それを若い人に押し付けるわけにもいかない。
若い人は若い人で、それぞれが、
「自分の幸せ」を見つけていかなくてはいけないんですよね。
でもぼくも、それを何らかの形で、
手助けできるようなことができればいいなと思っています。
それが、ぼくなどの世代が果たすべき責任ではないのかと・・・。
「若い人に説教しててもダメだと思うよ。」
そうだよな。