リビアの動向から目が離せない。
中東の革命は、チュニジアから始まり、エジプトに飛び火をし、それがリビアにも飛んでいったということなわけだが、チュニジアやエジプトは、その独裁君主の顔をよく知らないということが、僕の場合あったのにたいして、カダフィは有名で、テレビや新聞で、顔をなんども見たことがあったからということかもしれないし、チュニジアやエジプトの場合は、「フェイスブック革命」などといわれ、IT機器の進歩が、革命をうながしたなどと言われるが、リビアの場合、あまりそういう様子が見えてこなくて、状況がよりシンプルで、民衆対カダフィという、対決の構図がわかりやすいからかもしれない。
カダフィはあくまで権力にしがみつく構えを見せ、デモの民衆にたいして空爆までし、千人以上を殺害したといわれているから、さすがにそれは、リビアの国民も、周辺国も、許すことはできず、もう勝敗は、ほとんど決したといえるのだろう。あとはカダフィが、どのような形で排除されるのか、亡命するのか、自決するのか、はたまた処刑されるのか、ということだけが、残された問題であるようにみえる。
しかしそれより、カダフィが排除されたあと、リビアがどのようになるのかということが、気がかりだ。
エジプトのように、軍がまとまって、国政にたいして影響力をもつようには見えないし、ほかにこれといって、民衆の意を汲みながら、カダフィ後の体制をつくりあげていけるような存在も、あるような話は聞こえてこない。アルカイダが支援を始めたという話もあるから、そうするとカダフィ後のリビアは、誰も統制をとるものがいない無秩序状態となり、テロリストが跋扈し、部族同士の内戦が頻発する、それだったら前の方がよかった、というようなことにもなりかねない。
実際、今の独裁政権だって、多くは、革命により、王政を打倒したあとにできたりしているわけだから、革命が、何でもいいものであるとは、到底いえないわけだ。
しかしいずれにせよ、独裁というものが、民衆によって明確に否定されるという世界の流れは、はっきりしたといえるのだろう。今度はそうすると、中国や北朝鮮など、アジアの独裁国家が、どういうことになるのかが、次の展開ということになるのかもしれない。
独裁の反対といえば、民主主義になるわけだけれど、この民主主義も、はなはだ危ういところにあるように思える。
民主主義国家の代表はアメリカだろうが、このアメリカも、経済は低迷し、格差が広がり、オバマ大統領の支持も凋落している。
日本もいちおうは、民主主義国家のはしくれだが、この体たらくはいうまでもない。
アメリカも日本も、独裁国家である中国に、今や追い抜かれようとすらしているわけだ。
そうやって世界では、独裁というトップダウンも、民主主義というボトムアップも、どちらもが否定されようとしているように見える。
日本においても、菅首相がなぜここまでダメなのかということについて、僕なりに想像力を働かせると、鳩山・小沢の時代に、民主党はトップダウンで、マニュフェストを実現させようとした。しかしそれが結果として、鳩山の宇宙人的発言やら、小沢の強圧的印象やらをうみ、民主党の支持率を低下させることにつながったから、菅は、自分はそういうトップダウンではなく、ボトムアップでやろうと、それなら国民に支持されるのではないかと考えたのではないかという気がする。
それで部下である官僚のいうことをよく聞き、また関係者である財界やマスコミのいうことを聞いたら、こんどはリーダーシップが感じられない、マニュフェスト無視、自民党時代へ逆もどりと言われることになってしまった。
ここでも、トップダウンもボトムアップも、両方がうまくいかない、ということが、同じようにあらわれているように見える。
要は今、トップダウンでも、ボトムアップでも、どちらでもない組織運営の仕方がもとめられている、ということなのだと思うのだ。
今生物学のことを、いろいろ勉強していて、ものすごく似たようなことがあると思っている。
生物の細胞にはすべて、その生物に固有の「DNA」がある。
DNAは以前は、「生物の設計図」だといわれ、DNAが、生物の形や機能の、すべてを決めるものだと思われていた。
しかし今や、DNAがそのようにトップダウン的に、物事を決めているとは、思われないようになっている。
DNAは「細胞」のなかにあり、その細胞には、莫大な数の、さまざまな分子があって、それがおたがいに、猛烈な数の関係性を、何十億年という時間のなかで、築くにいたっていて、生物の形を決めるためには、この細胞のなかの分子のすべてが、重要な役割をはたしていると考えられるようになってきている。DNAが重要な役割をはたすことは、それはまちがいがないことだが、同時に細胞のさまざまな分子の、ボトムアップ的な役割が、解明されなければいけないと考えられ始めているのだ。
おそらく生物は、このトップダウンとボトムアップの調和を、なんらかの形で実現しているのであって、それがどのようなものであるのかが、生物学の中心課題の一つとなっている。世界の情勢と、まさにリンクしているということなのだな。
しかし世界と日本、それに生物学が、そういうふうにリンクしているように見えるということは、なにも偶然ではなく、いずれも「組織運営」という共通の問いにたいする、同じ認識のあり方をしめすものなのだ。
それこそが、現代社会で最大の問いであると、僕は言えるのじゃないかと思っている。