きのうの昼めしは、おとといの石狩鍋の汁が残してあったので、それにうどんをいれて食べるつもりだった。ところが二日前の日曜日に、一週間ぶりの新福菜館三条店でラーメンを食べるはずが、北野天満宮で梅をみたついでに、近くのラーメン屋へいってしまったものだから、禁断症状がでてきた。僕は京都に住んでから、一週間以上、新福菜館三条店のラーメンを食べないと、もう食べずにはがまんできなくなるという、新福菜館中毒になってしまっているのだ。
しかしちゃんと食べるものが家にあるのに、わざわざ外食する必要もないわけだから、禁断症状などは無視して、うどんに発泡酒を、それなりにおいしく食べたのだが、それからしばらくして、買い物にいくことにして、ちょっと小腹が空いたなと思ったら、もういけない。頭が勝手に、新福菜館を経由して買い物へいくというルートを、綿密につくりあげてしまったのだ。それでもうあきらめて、ムダな抵抗はせず、新福菜館三条店へラーメンを食べにいくことにした。
なにぶんラーメンの中毒などというのは初めてのことなので、何が中毒の原因なのか、よくわからないし、またそれが毎日ではなく、一週間たつと食べたくなるというのも、どうしてなのかはわからない。ほんのりと獣臭がただよう豚骨スープに、こってりとした甘辛い味付け、それが僕の中枢神経を、なぜか刺激するということなのだろう。
この店ではお客は、カウンターに座っても、店の人と会話することがほとんどない。それはたぶん、ほかのお客さんも、この店のラーメンを積極的に食べたいと思うというよりも、禁断症状がでてしまって、それをしずめるために、仕方なくきているのだ。だからあれこれ話したくなるような、晴れがましい気持ちではないのだろう。
新福菜館は戦前の創業で、三条店ではおそらく、創業時の味を忠実に守りつづけている。いまあるふつうのラーメンとはだいぶ趣きがちがうので、これを初めて食べた人がおいしいと思うものなのかどうか、よくわからないのだが、歴史を守りつづける街、京都ならではの、ほかには類をみない、すごいラーメンであるということは、たしかにいえると思う。
晩酌は鶏の水炊き。
僕は池波正太郎「そうざい料理帖」を読んで以来、「小鍋だて」にハマってしまって、最近ではもう、それ以外に考えられなくなっている。
材料を小さな鍋でさっと煮て、煮えたそばから食べるというやり方だから、まずはほんとに手軽だし、ちょこちょこ箸をうごかして、材料を鍋にいれたりするのがまた楽しい。魚だろうが肉だろうが、どんな材料でも対応でき、それになによりうまい。
スーパーへいって、うまそうなものがあれば、それはだいたい、小鍋だてに仕立てられる。2品か3品に、材料をしぼるというのがポイントなので、材料の取合せを考えるのもまた楽しい。
鶏の水炊きというのは、そのなかでも、黄金なもののひとつだろう。さっと煮た鶏のぷりぷりとした食べごたえが、まずうまいし、食べ終わったあとの鶏のスープが、またたまらない。
鶏はあらかじめ湯通ししておく。
野菜は豆腐に長ねぎ、細切りにしたにんじんというのが、池波流。
だし昆布とたっぷりの酒を入れた水で、一回に食べる分だけ煮て、ポン酢で食べる。
ポン酢は醤油にレモン汁をたらすと、甘くならずにいい。
酒は家の近くにある酒蔵「佐々木酒造」で、こんどは「古都」というのを買ってみた。
純米だとちょっと高めだったので、これは「特選本醸造」。「聚楽菊」のやわらかな味わいにくらべて、こちらはきりっとした、辛めの飲みごたえ。
これを、きのうも常温で2合。
新福菜館 三条店
池波正太郎 「そうざい料理帖」
佐々木酒造
利行 土鍋志野 6号 径約19cm