2012-06-25
あさりとジャガイモのスペイン風
昼にたらふく食べた日の晩酌は軽いもの。
あさりとジャガイモのスペイン風と、ブロッコリーのサラダ。
あさりとジャガイモのスペイン風。
魚介とジャガイモを、オリーブオイルとニンニク、パセリに塩だけで味付けするのはしみじみとうまい。
あさりは1時間ほど塩水につけ砂出しし、殻をこすり合わせてよく洗う。
フライパンに多めのオリーブオイルをひき中火で熱し、みじん切りのニンニク、つづいて2センチ角ほどに切ったジャガイモを炒める。
あさりを入れ白ワインをまわしかけ、フライパンのふたをして、あさりの殻がひらくまで蒸し焼きにする。
殻がひらいたあさりは一旦とり出し、水2分の1カップほどを入れ、味見して塩ほんのひとつまみを入れる。
フライパンのふたをして、ジャガイモを7~8分蒸し焼きにする。
火をつよめて残っている水気を飛ばし、あさりを戻し入れれば出来あがり。
みじん切りにしたパセリをふる。
ブロッコリーのサラダ。
ブロッコリーはさっと塩ゆでする。
ツナとうす切りにした玉ねぎ、みじん切りにしたニンニクと合わせ、たっぷりのオリーブオイルとレモン汁、塩少々で和える。
みじん切りにしたパセリをふる。
酒は芋焼酎の水割り。
「立ち飲み屋で楽しくすごすには、まわりのお客さんと『友達』として飲むこと・・・」
この発見は僕にとっては、初めて自転車に乗れるようになったことにも匹敵する、大きな出来事であるようにおもえる。
立ち飲み屋でその場に居合わせる人は、全員が、
「すでに友達である」
ということだ。
だとするとその人達とは、まだ立ち飲み屋で居合わせる前から、友達だったことになる。
そう考えると、世界中のすべての人が、四条大宮の立ち飲み屋へくる可能性がある以上、僕はすでに、世界中のすべての人と友達であることになる。
なんという大きな世界観の転換だろう。
僕はこれまで、世界中のすべての人は、少数の「友達」を除いて「他人」であると思っていた。
他人は自分に、足を引っ張ったり、危害を加えたり、あまりよくないことをする。
そういう「他人」にかこまれて、僕はがんばって、世の中を渡っていかなければならないとおもっていた。
ところがそうではなく、世界中のすべての人は、すでに「友達」だった・・・。
これまではくすんだ灰色だった世界が、まさにバラ色に見えてくる。
「つらい」とおもっていた世の中で、これからいくらでも、楽しいことが起こる気がする。
晩酌をすませた僕は、まず立ち飲み屋へ出かけた。
立ち飲み屋は今日も満員。
カウンターで隣の人とひっつくように立っているところへ、さらに後から人が入ってくる。
僕はもちろん、もうお客さんに話しかけるのに躊躇したりはしない。
初めて会ったお客さんと10年来の友達のように、楽しく話せるようになっている。
大将に、昨夜の報告をした。
お店の常連の女性、しかも人妻と、2人で店を出たのだから、大将も気にしているだろうとおもったのだ。
すくなくとも東京の居酒屋なら、お店で出会った男性と人妻が2人で店を出ていけば、その店の大将はあまりいい気はしないか、または冷やかすような態度をとるとおもう。
しかし立ち飲み屋の大将は、女性と僕のその後のなりゆきには、さして興味もないようで、事務的に話を聞くだけだった。
お店で知り合った人がお店の外で何をしようが、それはお客さん同士のことで、自分には関係がないということだろう。
立ち飲み屋を出た僕は、ホームグラウンドのバーへ向かった。
マスターに、この一連の立ち飲み屋体験について、報告しておかなくてはいけない。
マスターは、お客さんが自分の店以外の飲み屋へ行くことを、とがめ立てすることが一切ない。
マスター自身、飲食店をたずね歩くのが好きな人で、お客さんが他の店のことを話すのを、心底興味深そうに聞く。
僕が立ち飲み屋の話をするのを聞いたマスターは、
「それはあの立ち飲み屋の大将の、人柄によるところも大きいかもしれないですね」
と言った。
四条大宮界隈にもいくつか立ち飲み屋があるけれど、全部が全部、あの立ち飲み屋とおなじように、誰でもが友達付き合いできるとは限らない。
あの立ち飲み屋がそういう雰囲気を持っているのは、大将の人柄と、努力の賜物であるような気がする・・・。
マスターは言う。
「僕は自分の店で、お客さんが『ほっこり』できるために、僕が一番しないといけないと思っていることは、
『雰囲気をこわす人を排除する』
ことなんです・・・」
お客さんは、お店でもし他のお客さんが不愉快な行動をとったとしても、それを表立って抗議することはなかなかできない。
「べつにいいんですよ・・・」と水に流そうとする。
「だから不愉快な行為については、店主である自分が、きちんと注意しないといけないと思っているんです・・・」
たとえばお店で、他のお客さんを「おまえ」よばわりすること。
同伴の女性の、それが恋人や夫婦であっても、頭をたたくこと。
そのような行為をするお客さんには、店を出ていってもらうそうだ。
お店の外で、出てもらったお客さんから50センチの距離でにらみ付けられたことも、1度や2度ではないという。
マスターの店の平和な雰囲気は、マスターのそのような考え方と努力により保たれている。
たしかに立ち飲み屋の大将も、お客さんとべったり付き合うというよりも、ある距離を保っているように感じる。
僕なども、まだ完全に受け入れてもらっているというよりむしろ、
「この男は店の雰囲気をこわさないか」
を、疑いの目で値踏みされているようにもおもう。
マスターの話を聞き、飲み屋の世界も奥が深いとおもうと同時に、いい飲み屋が近くにあるのは幸せなことだとおもった。
マスターに別れを告げ、家に帰った僕だったが、新しい世界の発見に興奮し、布団にはいっても寝られない。
仕方ないから起きだして、ふたたび千円をポケットに入れ、昨夜最後に女性と行った居酒屋へ行った。
大将に昨夜あれからどうなったのかを聞いた。
結局女性は、川口君とは飲むことなく、僕が帰ったあとすぐタクシーで帰宅したそうだ。
まったく女心のわからぬ川口君とおもうけれども、女性も結婚しているのだから、これでよかったのかもしれない。
大将とあれこれ話して店を出ると、もう明るくなっていた。
しかし僕の目はパッチリと冴え、眠くなる気配がない。
飲み屋街を歩いてみても、ホームグラウンドのバーも、鉄板焼屋も、すべて営業を終了している。
大宮通を北へ上がっていくと、キム君の店の看板の灯りがついているのが見えてきた。
僕はキム君の店で、あと1杯飲むことにした。
ふらふらと歩いて行くと、たしかにまだ営業しているようだ。
店の前まで来ると、ちょうどキム君が店から出てきた・・・。
「閉店です、ごめんなさい・・・」
家に帰った僕は、まだ寝られない。
1時間ほどかけブログを書き上げ、ようやく眠くなって布団に入った。