2012-06-12
ナスとイカの煮付け
夏に向かうにあたり、ナスが食べたくなった。
夏まっ盛りの旬のナスは、そのまま塩もみするだけで、しょうゆも何もかけなくても甘くてみずみずしく、これほどうまいものはないとおもえるけれど、さすがにまだ今は、それほどでもないから、ニシンとでもいっしょに煮付けようかとおもって魚屋へ出かけたら、市場から入荷したばかりの新鮮なスルメイカが180円で売っていたから、それをナスと煮付けることにした。
ただ新鮮なスルメイカは、ただ煮付けだけに使ってワタを捨ててしまってはもったいないから、ゲソは塩辛にする。
塩辛は本式には、数日をかけて熟成させて作るものだけれど、簡単に作ってしまっても十分うまい。
絞りだしたワタに塩小さじ4分の1くらいを混ぜ、よく水気をふきとりぶつ切りにしたゲソを和える。
2~3時間もして塩がなじんだら、酒とみりん、ポン酢かレモン汁をそれぞれひとたらしして出来あがり。
イカを煮付けるには、イカは煮過ぎると硬くなってしまうから、それだけは注意しないといけない。
煮時間は、5分程度にとどめるようにする。
ナスをたっぷりの油で炒めて、ナスがやわらかくなったらカップ1くらいの水をいれ、輪切りにしたイカを中火で1~2分煮て、まずはイカの出しをとる。
そうしたら酒4分の1カップくらい、砂糖大さじ1くらい、みりん大さじ2くらい、しょうゆ大さじ2くらいをこの順番でいれて味付けし、さらに中火で、落としブタをして2~3分。
計5分煮たら火を止め、そのまましばらく煮汁につけて、味をしみ込ませる。
これは大変簡単にできるけれども、イカの出しがしっかりとでて、死ぬかとおもうくらいうまかった。
あとは冷蔵庫に残っていた塩サバのあらで船場汁と、厚揚げの焼いたん、キュウリの浅漬。
芋焼酎の水割りを、2杯のつもりがついつい3杯。
鉄板焼屋をのぞくと、サラリーマンの男女の団体がなにやら大声で話しているのが聞こえたけれど、そう面白そうでもなかったから、ホームグラウンドにしているバー「Kaju」へ向かうことにした。
四条大宮は、サラリーマンが多い四条烏丸などとは違い、非サラリーマン系の雑多な人があつまる土地柄だけれど、その中でもこの鉄板焼屋は、特に雑多な人があつまる傾向があり、ひとりで入り、酒をのみながらお客さんを眺めているのは面白い。
サラリーマンがのむ姿は、誰をみても同じだけれど、非サラリーマン系の人たちは、ひとりひとり個性がある。
サラリーマンが酒をのみながら、会社のうさを晴らす姿など、自分もかつて散々経験したきたことだし、今さらみても仕方ない。
Kajuは「寛游園」という飲み屋街の一角にある。
この寛游園が、今どき珍しく、「昭和」の風情を色濃くのこしていて、細い路地の両脇に、間口の狭い、平屋の飲み屋がびっしりと軒をならべている。
15軒ほどある店の3分の1くらいには、すでに若い経営者がはいり込んでいて、20代から30代くらいのお客さんが中心となっているけれど、残りの10軒ほどはいまだに昔ながらのスタイルで営業していて、経営者もお客さんも、60代が中心だ。
60代の経営者は、ほとんどが「ママ」なのだけれど、これが「どぎつい」ともいいたくなるような、個性の強い人が多い。
お客さんもそれに応じてアクの強い人がたくさんいて、ヒモだとか、自称革命家、生活保護をうけているおばちゃん等々、見ると「世の中にはまだこんな人がいたのか」と、新鮮な気持ちになる。
目の前で、殴り合いのケンカになるのを見たこともある。
ただ「その筋」の人は、これまで寛游園では見かけたことがないから、深入りしなければ、とくべつ危険があるわけでもない。
Kajjuはもちろん、寛游園のなかでは「若い」部類だ。
ドアをあけると、30歳前後くらいの、男性のお客さんが1人でのんでいる。
やがてあとから、その友達も合流して、2人でのみ始めた。
それほど前からの常連さんではないみたいだけれど、その2人は、僕も何度かKajuで見かけたことがある。
サラリーマンではないみたいだが、遊び人でもない、「普通」なかんじのする男の子たち。
1人は最近、寛游園の60代の店にも顔を出しているようで、マスターに武勇伝を報告している。
「○○のママに、
『あなたは私の彼氏ね・・・』
といわれちゃったんですよ」
「そういわれたらお前、即座に
『あなたを抱けます』
といわなきゃいけないよ」
「はい、とりあえず、すぐに抱きついておきました・・・」
もう1人は、マスター手製のハマチのづけを、ひたすら1人で味わっている。
「いや、これはうまい・・・」
「酒にもご飯にも、イケちゃいますね・・・」
「これは芋焼酎より、むしろ日本酒のほうが合うのかな・・・」
僕はカウターの隅っこで、流れているDVDを眺めながら、その話を聞いている。
最近はネットで、家にいながらにして何でも用が足りてしまうようになったけれど、やはりそうして、自分の体で体験し、自分の舌で味わうことは、いつの時代でも大事なことだ。
こういう若い人達が、寛游園のような飲み屋街に出入りしているのであれば、これからの日本も捨てたものじゃない・・・。
そうおもいながら、芋焼酎の水割りをのみ終わった僕は、お勘定をして店を出た。
帰り途、鉄板焼屋をのぞいてみると、サラリーマンの団体はもう帰り、カウンターで、男性のお客さんひとりふたりと、店員の女の子がなにやら話している。
その女の子は、独特の雰囲気をもったかわいい子で、僕は以前から目を付けている。
「しまった、こちらへ来ればよかった・・・」
よっぽど今から鉄板焼屋へ入ろうかとおもったけれど、もう時間も遅いし、今日は前日ののみ疲れがまだ残っていたから、僕は後ろ髪を引かれつつ、おとなしく家にかえった。