このサイトは、おっさんひとり飯の「旧サイト」です。
新サイトはこちら
へ移動しました。
なんでサイトを移動したの?⇒ こちら

2008-07-17

尾道

近くで仕事の用があったので、ついでに尾道へ行ってきた。まずは何と言っても、尾道ラーメン。行列店の一つ、つたふじへ。



平日の午後1時20分でこの状態。炎天下で20分待ち。

店内は10席程のカウンター席のみ。見たところ地域によくある、徹底的に流行らないラーメン屋。メニューは中華そばが並と大、それに中華うどんなる物、並と大。中華うどんがどんな物なのか、大変興味はあったが、まずは定番、中華そば。大600円。



尾道ラーメンは、定義としては、
* 醤油味をベースに、瀬戸内海の小魚によるだしを加えた鶏がらスープ
* 歯ごたえのある平打ち麺
* 具にネギ、チャーシュー、メンマ、豚の背脂を使用
というものらしい。魚介出汁に豚の背脂というのは、今や日本のラーメンの主流とも言えるだろうが、元々は色んな地域でそれぞれが取り組んだものが、蓋を開けてみたら同じ様なやり方をしていた、という事なのかも知れない。

実際鶏がらスープに醤油って、あまり合わないんじゃないかと思う。特にスープがちょっと冷めると、何と言うか、独特の不味さがある。中国ではスープは塩味が中心なのだろう。日本人は醤油が好きだから、醤油に合う中華スープという事で魚介出汁を混ぜるようになり、それではあっさりし過ぎだから、という事で背脂を入れるようになった、という所なのではないだろうか。この店のスープも大変美味しく、暑いにもかかわらず全部飲み干してしまった。

上に「歯ごたえのある平打ち麺」と書いてあるが、この店の麺は歯ごたえのない丸い麺だった。よく蕎麦屋のラーメンとかで使われるような、懐かしいと言うか、今やよっぽど流行らないラーメン屋でしか見ないようなやつだ。この店がこの麺を選んでいるのは恐らく、特別に積極的な理由があるというよりも、店の開業当時、初めに選んだのがこの麺で、それをそのまま使い続けているというだけだろう。頑固というより、研究不熱心なのだと思う。しかしそれでは何故この店がそれほど行列を作り出すのか。

多分この店が、尾道ラーメンの原点がある、と感じさせるからなのではないだろうか。この店、創業は終戦後すぐで、尾道のラーメン屋の中では、老舗の一つであるらしい。近くに別の老舗の店があり、定休日だったので入れなかったが、建物はきれいに立て替えられていた。建物をきれいにするというのは良さそうに思うが、これが気を付けなければいけない所で、例えば古寺を鉄筋コンクリートに建て替えてしまったら何の価値もなくなってしまう、というような事が有り勝ちなのだと思う。この店は終戦直後のままではないとは思うが、何となく薄汚い感じのままだったり、麺も天然記念物かと思うような物だったりすることが、逆に本物感、これが原点だというオーラ、を醸し出す所があるのではないかという気がする。

しかしまぁ、実際美味しいラーメンだったので、今度中華うどんというのを是非食べてみたいと思う。

さて尾道の街なのだが、ひとことで言うと「昭和」なのだ。松江もそうだったが、尾道も空襲を受けなかったそうだ。古くから北前船が寄港するなど港町・商都として栄え、また造船業も盛んで、戦前は広島と匹敵すると言われるほどの経済力を持っていたそうだ。そういう栄えた街の風景を、今にそのまま残している。



尾道は平野が少なくて、海岸から線路を挟んですぐ山になってしまうのだが、その麓から中腹にかけて、家がびっしり建っている。山の斜面だから、階段とか細くくねくね曲がった道などが縦横無尽に走っている。







これって、古き佳き日本の街の、一つの代表的な風景なのではないかと思う。僕は小学生の頃、東京は港区の高輪に住んでいた事があるのだが、高輪も起伏に富んだ地形で、全く同じ様な階段や細い道がたくさんあった。平地が狭く起伏に富んだ場所に家をたくさん建てようとすると、自動的にこうなってしまうという事なのだろう。

そういう街だったから、文化人がたくさん生まれ、また住み着いた。志賀直哉も一時尾道に住み、有名な「暗夜行路」には尾道の事も登場するそうだ。また黒澤明と並ぶ日本の映画監督の巨匠、小津安二郎の代表作、「東京物語」も、主人公のお爺さんが尾道の出身という設定で、映画の撮影もここで行われたのだそうだ。

ちなみに志賀直哉が、一年程だったらしいが、下宿していた長屋というのが今も保存され公開されている。



尾道出身の有名人も多い。僕が聞いた事がある名前だけでもこれだけある・・・東ちづる(女優・旧因島市)、石堂淑朗(脚本家)、大林宣彦(映画監督)、高橋源一郎(小説家)、高橋玄洋(小説家・脚本家)、西山喜久恵(アナウンサー・フジテレビアナウンス室主任)、速水けんたろう(だんご3兄弟)、平山郁夫(日本画家・旧瀬戸田町)、藤原弘達(政治学者・政治評論家)、ポルノグラフィティ(ロックバンド・旧因島市)、山本モナ(フリーアナウンサー)。平山郁夫から山本モナまで、という幅の広さだが、それだけのパワーのある街なのだという事だろう。

尾道は瀬戸内海で島が密集する、ちょうどそういう場所にあるみたいで、そういう地の利を生かして経済も発展したようであるし、古代は海賊も暴れ回っていたらしい。ロープウエイで千光寺公園の展望台という所に上がったのだが、そこから見渡した瀬戸内海の島々。



海を挟んだ向島という場所の展望台から見た風景。



この世の物とは思えぬ位、本当にきれいだった。こういう景色を日常的に眺められる人の人生という物は、僕のように東京で育ち、ごみごみした街しか知らない人間の人生とは、随分違うものがあるのだろうなと思った。