めしを食うってのはしかし、楽しいもんなんだよな。
僕は一人で、あまり金をかけないでめしを食うことが多いわけだが、それって考え方として「寂しい」とか「わびしい」とか、そういう風に思う人というのも当然いるわけだ。
そりゃもちろん、いつも大人数で、お金をかけた食事ができれば、それはそれでまた楽しいものだろうとも思うけれども、一人でお金をかけずに食うめしも、べつに寂しくもわびしくもない。
何度も書いていることだけど、「めしを食う」ということは、人間が「生きる」ために最も基本的なことだから、それを人間が、いつも最大に楽しめるように、神様がつくってくれていると思うのだよな。
いやこの「神様」というのは、特定の宗教とかを意味するのじゃなく、日本人にとってごく普通の意味。
「自然」に人格をあたえた、というくらいの表現だ。
人間やることは色々あるから、食事の時間を節約するということにどうしてもなりがちだけれど、やはりそれって本末転倒だろう。
人間は食うために仕事をしているのであって、仕事をするために食うのではない。
そこのところの優先順位を間違ってしまうと、すべてがおかしな方向へ進んでしまうのだと思うのだよな。
どんな状況にあったとしても、それぞれの範囲で、めしを食うということを最大に楽しむことができる。
これは何も主義や主張ということではなく、人間が「生きている」ことを考えに入れる時、あまりにも当然な前提なのだと思う。
というわけで僕も、毎日ちまちまと、つまらない料理をこさえているというわけなのだ。
長ネギのソーミンチャンプルー。
玉ねぎに加えて、長ネギも、実は冷蔵庫に山ほど入っているのだ。
それを消費するための一品。
素麺と長ネギの相性は、なかなか悪くないことが分かった。
ツナ缶をフライパンに開け、細く切った長ネギをサッと炒める。
硬めにゆでて水洗いし、よく水を切った素麺を入れ、焦げ付きはじめるくらいまで炒め、塩コショウして出来上がり。
ツナ缶のうま味があるから、味付けは塩コショウで十分だが、香り付けに酒や醤油をちょこっとたらしたり、だしの素を入れたりしてもいいらしい。
さらにかつお節を振りかけるというのも可。
しかし炒めた麺というのは、どうしてこう美味いかな。
麺を炒めることによって、何かが根本的に変わるよな。
たぶん温度の問題なのだろうな。
土鍋でご飯を炊くと美味しいのは、土鍋の温度が200度くらいにまでなるからだと聞いたことがある。
穀物というものは、温度が高くなると甘くなるとか、そういうことがあるのだろうな。
素麺もただゆでたものより、炒めたほうが、味がしっかりしてくるよな。
晩めしはイワシが安く出ていたから、それを梅煮にした。
イワシっていいよな。
イワシに限らず、サバとかサンマとか、青魚っていい。
「安い」ってのももちろんあるんだが、クセが強くて気取っていない所が、僕なんかは好きなところだ。
イワシは頭とはらわたを落としてよく洗い、フライパンに並べる。
そこに水と酒を、あわせて1カップ半くらい、あと砂糖とみりん、醤油、それに包丁で叩いた梅干し一個分を入れ強火にかける。
梅干しの塩分があとから出てくるから、ここは味を見て「ちょっと甘いかな」というくらいにしておくのがポイントだ。
アクを取ったら落しブタをして、沸騰してから火を止めるまでの時間は7分。
最近煮物をする時に、砂糖をすごくたくさん入れてしまうのだ。
これを作るにも、スプーンに5杯くらい入れてしまった。
でもその煮汁を、素麺を入れて全部きれいに食べ尽くしてしまうわけだから、それだとやはり、糖分とり過ぎだよな。
食べ終わって、体がいかにも「糖分があふれている」という感じがした。
僕は早死するのは構わないのだけれども、死ぬ前に体が不自由にはなりたくないのだ。
糖尿病とか最低だからな。
気を付けよ。
それから玉ねぎ消費企画。
オニオンスライス。
水にさらした薄切り玉ねぎに、おかかとポン酢。
意外に酒にも合って、なかなかですな。
ちょっとクセになりそうかも。
玉ねぎも安いしな。
ほうれん草が一把200円とかしていても、一個50円くらいなんだから。
酒は「大七からくち生もと」を2合。