週末は家の近くにある「新福菜館三条店」へ行くことになっている。
これはもう行きたいとか行きたくないとかいうことではない。僕の体はここのラーメンによる中毒症状になってしまっていて、ある一定期間食べないと、食べたくて食べたくて、どうにも我慢できない、ということになってしまうのだ。
いつもは土曜日に行っていたが、先週土曜日は「天山の湯」に行ってしまって、新福菜館のラーメンを食べない日が一日長くなってしまったおかげで、日曜にはもう新福菜館へ行くということ以外のことは考えられず、あそこのギョウザでビールを飲みたいということを、朝からずっと考えるということになってしまっていた。
しかしせっかくだから、ビールをおいしく飲むために、近所の銭湯で朝風呂。ここは平日は午後3時半からの営業だが、日曜だけは朝9時から利用できるようになっている。
ちなみに京都というのは、銭湯がものすごく多い。これは何故なのかな。理由はよく分からないが、家の近くにも徒歩5分圏内に、銭湯が5つくらいある。
というわけで汗をたっぷり流して、いよいよビールとギョウザの瞬間がやってきた。
これは毎度のことながら、ほんとうにタマラナイのだ。このギョウザはあまり特徴がないとも言える味なのだけれど、何度食べても食べ飽きることがない。何かと特徴が重視される世の中にあって、こういう食い物はほんとに貴重なのだよな。
中華そば並。九条ねぎが高くなっているのか、今回は普通の小ネギが入っていた。
このラーメン、いわゆる普通のラーメンとは、かなり違った味がするのだけれど、あえて似ている味の食べ物をあげるとしたら、「鴨南そば」なのだ。この味は誰でも想像がつくと思うが、甘辛い汁に鴨肉のうま味がたっぷりとしみ出したあの味だ。
「肉の味」と「醤油」とを合わせようとしたら、「甘み」を入れるというのが、日本料理の伝統であって、すき焼きにしたって、砂糖をたっぷり入れるし、トンカツにしたって、あのウスターソースというのは、要は醤油に甘味と酸味をくわえたものだ。鴨南そばというのは、そういう日本の伝統的な料理方法を普通にふまえたもので、この新福菜館のラーメンも、その延長線上にあると言っていいのだと思う。
ところが日本の他のラーメン屋で、鴨南そばに似た味のラーメンを出すところはほとんどない。それが何故かというのを、僕なりに想像すると、ラーメンはその出自として、既存のそば・うどん店に対して、挑戦をいどむ新興勢力であって、そば・うどんに対して差別化を図らなければいけなかったからだ。似た味では勝負にならず、そば・うどんに対して勝ち目がないということだ。
それでラーメンは、そば・うどんとは異なる独自の味の世界を創り出したということなのだろう。現在、「甘い味のラーメン」というものは、ほとんど存在しない。この「甘味」こそが、挑戦者であるラーメンが打破しなければならなかった、そば・うどんの味の特徴であったとも言えるのじゃないかと思うくらいだ。だから普通の人は、甘い味のラーメンを食べると、「これはラーメンじゃない」とすら思いたくなるところがあるのじゃないかと思う。
ところが新福菜館は戦前の創業で、その頃はまだラーメンというものも、それほど過激な上昇志向は持っておらず、おとなしかったのじゃないかと思うのだよな。日本でラーメンが本格的に流行りだすのは、戦後中国から引き揚げてきた人たちが、屋台を引いてやり出してからだろうから、そういう人たちがどん底から脱出したいと思う気持ちは、半端じゃなかっただろう。
ということで新福菜館は、そば・うどんとの差別化など考えずに、日本料理の伝統に沿って素直にラーメンを作ったということなのじゃないかというのが僕の考えだ。
それで実際にこれはうまい。だいたい日本人が本来好む味を素直に出したラーメンなのだから、うまくて当たり前なのだ。この味が他では食べられないということの方が、むしろ不思議なくらいなのだよな。