今上陸しつつある台風は、けっこうでかいらしい。しかも時速15キロというスピードだというから、かなりのろまなやつだ。大きな被害などがなければいいと思うが、台風ってのは鉄筋コンクリのマンションの中にいたりして、出かけなくても済むのであれば、眺めている分には、悪くないものなのだよな。いつもとは違った風が吹き、雨が降るから、自然のエネルギーを感じることができる。
まあだいたい、純粋な自然災害ということなのであれば、あきらめるより仕方ないのだ。今回の大震災だって、地震と津波だけの話であれば、大勢の人が亡くなったとはいえ、どうすることもできなかったことだ。今回はそこに、原子力発電所の事故というものが加わってしまったことが、話をややこしく、そしてあまりに悲惨なものにしてしまっているのだよな。
よく今回の大震災を、太平洋戦争に例える人がいて、そういう場合だいたい、今のこの時点を、太平洋戦争の終戦の時点と重ね合わせるわけなのだけれど、それは違うんじゃないのか。
太平洋戦争というのは、当時の日本の政府やら軍部やらの幹部連中が引き起こした人災だ。
負けると分かっている戦争に突入し、不利な戦況を国民に隠し、終戦のタイミングを誤って空襲や沖縄上陸、原爆投下を許し大惨事をまねいた。
それに匹敵するようなことが、今まさに、これから始まろうとしているんじゃないかという感じがするんだがな。
だから今のこの時点は、太平洋戦争の開戦前くらいに当たるのじゃないかと思うのだ。
あの「脱原発」というのがいちばん怪しい。
太平洋戦争開戦前に、「大東亜共栄圏」という思想があって、知識人がこぞって賛成したのだそうだ。
英米が中心となった、侵略的な世界観ではなく、もっと共存共栄をめざすような、そういう新しい世界をアジアに作らなければいけないのじゃないか。
それが日本の使命であって、戦争はそのために行う「大東亜戦争」なのだ、という話だ。
これに京都学派を始めとした、そうそうたる哲学者が賛成した。
なんかそれって、「脱原発」と似ているんじゃないのか。
福島原発があれだけの事故を起こして、しかもその責任者であったはずの東京電力やら経産省やら政府やらの人たちが、ことごとく責任逃れをするようすを目にすれば、今後どんな地域だって、いくらお金を積まれても、もう原子力発電所の新設を認めることはないわけだ。
だから、「原子力発電所を新しく造らない」という消極的な意味では、脱原発はすでに達成されている。
「脱原発」をいう人は、それではさらに何を求めているのか。
「全原子力発電所の即時停止」ということならば、経済的な問題を何一つ考えずに、無謀な戦争に突っ込んでいったのと、何も変らないのじゃないか。
原発を止めて、明日から日本の経済はほんとうに大丈夫なのか。
脱原発の人たちは「大丈夫だ」というけれど、そんな議論を僕はきちんと聞いた覚えがない。
少なくとも脱原発を言うほとんどの人は、そんなことちゃんと考えてやしないだろう。
自分たちの生活が明日からどうなるかを、ちゃんと考えもしないで、感情的にものを言っているんだ。
今本当は大切なのは、感情的に原発に賛成か反対かを言うのじゃなくて、きちんと冷静に物事を分析し、これからどうしなくちゃいけないかを考えることなのだ。
これまで原発を推進してきた人たちは、自分たちの考えに誤りがあったことをきちんと認める。
福島原発の事故がなぜ起こったのかをきちんと検証する。
日本中の原発の安全性をすべて確認する。
電力の供給について、どういう方法でどれだけのことができるのかをちゃんと予測する。
そうしたものの上に立って、「それじゃ日本はこれからこうしていきましょう」としないといけないのじゃないか。
それをすべてすっ飛ばして、脱原発、自然エネルギー、そういうところに感情的に突き進んでいって、いいことがあるわけがない。
もちろんそれは、脱原発の人達だけが悪いということじゃないだろう。
原発を推進してきた当事者たちが、あくまで責任逃れをしようとするというところにも、大きな問題がある。
原発推進、原発反対、その両方が合わさって、日本をめちゃくちゃな方向へ進めようとしているということなのじゃないかと、僕は思うのだ。
また怖いのは、この脱原発の流れに菅首相が乗っかって、自分の権力を温存させようとしていることだ。
これで原発解散でも打って、脱原発組が勝ったりしたら、日本はそれこそ破滅だな。
菅首相の後に橋下徹が首相にでもなった日には、日本はおしまいだ。
まあしかし、日本というのは、破滅しない限り方向が変えられない国なのじゃないかという気もするのだよな。
「原理」とか「原則」とかいうものを持たず、妥協して、物事を曖昧にさせたままやっていくことで、力を発揮する国民性だから、原理や原則こそが必要な今のようなときには、どうすることもできない。
だからこのまま脱原発へ突き進んで、数年たって破滅して、それでやっと、方向を変えることができると。
そういうことになるんじゃないかと、僕は思うんだがな。
とまあ、そういうことになったとしても、人間はめしを食っていかなくちゃいけないのだ。
三条会商店街で露店を出して、すぐきやら野菜やらを売っている農家のおばちゃん。
このおばちゃんが、またほんとにいい人で、僕はこのおばちゃんを見かけると、どうしても何か買ってやりたくなってしまうのだ。
すぐきやらぬか漬けやら、すぐに食べられそうなものならいいのだけど、昨日はつい、袋にたんまりと入った玉ねぎ、200円で買ってしまった。
安いのだけれど、この量を使いきれるかどうか、はなはだ自信がない。
まあしかし、買ってしまったものは使わなければいけないということで、とりあえずいちばん玉ねぎを消費できそうなメニューとして、肉じゃがを作ってみた。
この肉じゃがは、僕は非常に自信作なんですけどねぇ。
ちょっと誰かに、味見をしてもらいたいもんです。
今まで食ったすべての肉じゃがの中で、これがいちばん美味いと僕は思うんですよねぇ。
一人暮らしが残念なのは、自分が美味いと思っても、それを証明できないことなんですよね。
作り方はとても簡単。
ジャガイモやらニンジンやらを切って、フライパンに入れる。玉ねぎはこの時入れてもいいし、煮上げるすこし前に入れて、シャキシャキ感を残してもいい。僕はそうします。
ジャガイモは、切ってからしばらく水にさらしておくと、煮崩れしにくくなる。
水を1カップ入れ、フタをして強火にかける。
沸騰したら、3分くらいそのまま煮る。
砂糖をスプーンに5杯くらい、バカバカ入れる。
また2分くらい煮る。
牛コマ肉を入れ、醤油を、すこし足りないかな、というくらいの量入れて、2分くらい煮る。
味を見て、醤油を追加して、ちょうど良い加減にして、3分煮る。
以上で煮時間10分。
10分以上煮てしまうと、ジャガイモが煮崩れてしまうから、ぜったいダメなのだ。
そしたらあとはフタを取って、フライパンを煽りながら、上下を返して、煮汁をほぼ完全に煮詰めてしまう。
青ネギと七味唐辛子をふって食べる。
ジャガイモを、完全に煮汁をかぶせずに煮ることになるから、それがかえって、蒸したようになって、ほっくりして美味いのだ、これが。
酒は日本酒。2合飲んで、日本酒はなくなって、さらに焼酎を1合飲んだ。
残りの肉じゃがで、今日は白めし。
いやこれはたまらん。