物を食うってことは、人生最大の楽しみなのじゃないかと僕は思うんだよな。
いやもちろん、僕が世の中の楽しみのすべてを知っているというわけではないのだけれど、簡単にそう言い切ってしまっていいのじゃないかと僕は思うのだ。
人間というものは、自分が生存するためにほんとうに必要なことは、楽しかったり、気持ちよかったりするように出来ている。
食べることはもちろんだし、汚い話だが排泄もそうだろう。子孫を生み出すということもそうだし、人と話すなんてことも、同じことだと言えると思う。必要なことを、ただ「必要だから」という理由だけでやるのではなく、それが「楽しみ」と両立するようになっている。
それは神様が人間をそのように創ってくれているということだと思うんだよな。必要なことが、ただ苦しかったり、つらかったりするようであれば、やはりみんな、それをあまりやりたがらない。それでは人類が生き残っていくことができないから、必要なことはすべて「楽しみ」という強力な推進力をセットにしてくれたということなわけだ。
そういう人間にとって必要な様々なことのうち、「物を食う」というのは、最も基本的なことだろう。何はともあれ、何かを食べて、自分の体を維持していかないことには、その他の色んなこともやりようがない。
そうすると、それが最も楽しいように神様がしてくれていると考えることに、疑問の余地はないと思うのだ。
よく一人暮らしの男性とか、「なんで料理をしないのか」と聞くと、「自分一人だけのために食事を作るのは虚しいから」という答えが帰ってきたりする。それで毎晩居酒屋でめしを食うとかいうことになるわけだ。
いやもちろん僕は居酒屋で食べるめしを否定するわけでもないし、一人で料理を作るのが虚しいという気持ちを、まったく理解できないというわけでもない。でも少なくともその男性は、料理の楽しさというものをまだ知らないということは言えるのだよな。
かく言う僕も、料理の楽しさを知ったのは、わりかし最近、10数年前だ。
元妻と別居して、子供たちとも離れて、一人で暮らさないといけないということになった。それ以前も料理をまったくしなかったというわけではななく、カレーやインスタントラーメンを作ったり、目玉焼きを焼いたり、程度のことはできたのだけれど、料理が「楽しい」とはあまり思っていなかった。
正月になり、僕は実家に帰るという習性がないものだから、自宅で一人で正月を迎えようと決意したのだけれど、お節は買えばいいとして、やはりどうしても雑煮が食いたい。元妻が鶏がらだしの雑煮を作っていたから、そのやり方を思い出して、僕も自分で雑煮を作ってみることにした。
それでまず鶏がらだしを取ってみたのだけれど、これが思いの外うまくいったのだ。
このだしを使って、雑煮を作るのはもちろんだけれど、けっこうな量があったから、せっかくだからこのだしを使って、何か他に料理ができないものかと考え始めた。それでその時は、鶏の水炊きをやったと思うのだが、それが僕にとっては、「料理をどうやって作ろうか」ということを、料理の本に頼らず、自分の頭で考え始めた一等最初の体験だったのだよな。
料理というのはやはり、レシピを色々見るのではなく、作り方を自分の頭で考え、それを実際にやってみて、食ってみて美味ければ良し、不味ければ次のやり方を考えるということが、何と言っても楽しい。そうやって、レシピではなく、自分の側から料理を眺めてみると、なんとも言えぬ広大な料理の世界の奥行きというものを感じることができる。それはほんとにちょっとした違いで、大して難しいことではないのだけれど、天と地ほどの違いがあると思うのだよな。
一人暮らしで料理を作るのは虚しいというのは、結局料理というものも、ほかのあらゆる手仕事と同様、初めはどうしても失敗が続いたり、ロクでもないものしか作れなかったりとかして、それが虚しさという気持ちにつながってしまうということだと思う。
だから僕は、一人暮らしの男性が料理を始めてみたいと思うのならば、まず
「だしを取る」
こをから始めることを薦める。
美味いだしが取れれば、そのだしで何を作っても、それなりに美味しいのだ。しかもだしは料理の基本中の基本だから、そこから料理のあらゆる方面に進んでいくことができる。
実際僕の知人で、料理をすごくやる男性が、自分も料理にハマったきっかけは、だしを取ったことだと言っていた。また別の知人に、だしを取ってみることを薦めたら、彼も料理に一気にハマっていた。
だしのとり方は料理の本にいくらでも出ているから、自分で好きな本を買って、その通りにやってみればいい。一人暮らしの男性で、料理をしようかどうしようか迷っている人、ダマされたと思って、ぜひ挑戦してもらいないなと思うところだ。
というわけで昨日の晩めし。
鶏肉のごった汁。
僕はこうやって、肉やいろんな野菜を一緒くたに入れて、グツグツ煮て食べるというのが非常に好きなのだよな。だいたい作るのが馬鹿みたいに簡単だし、しかも驚くほどうまい。こういう料理は料理の原型、歴史的に見て料理とはこういう形でスタートしたと僕は思っている。
鍋に入れた水に昆布を浸しておいて、そこに好きな肉だの野菜だのを入れて、好きなように味付けして、グツグツ煮るというだけ。これはたっぷりの酒に、みりんとうすくち醤油で味付けした。
これはまったく同じやり方で、材料や味付けをちょっと変えると、まったく違った感じになるというのが面白いところだ。豚汁、けんちん汁、カレー、シチュー、鯖の船場汁などなどは、すべてこの部類に属する。
よく肉や野菜を炒めるとレシピに書いてあるのだが、僕はその必要性がイマイチ分からない。炒めずそのまま煮てしまってまったく問題ない。
また肉を入れるのだから、昆布を入れる以外に、特別にだしを取る必要もない。
酒は大七からくち生もと。2合飲んだ。うまかったー。