菅首相が、
「原発に依存しない社会をつくる」
と今頃になって明言したわけだ。
これはどういう意味があるのかな。
脱原発というのはすでに、「国民の総意」であるとも言えることになっている。
あの原発事故が起こって、東京電力やら原子力安全保安院やらの体たらくを見てしまえば、これから原発を新設することなど国民が許すはずがない。
それは誰がなんと言おうと、実質的にそうなっているのであり、べつに今さら菅首相に言われなくたって分かっていることだ。
菅首相の実質的な政策決定は、浜岡原発を止めたり、原発のストレステストを実施することにしたり、再生可能エネルギーの固定買取制度の成立を退陣の条件にしたりと、脱原発の方向に進んでいることは、誰の目にも明らかだった。
これがもっと早く、2ヶ月か3ヶ月前にこの脱原発宣言をしていたら、国民は菅首相に対して、拍手喝采しただろう。
でも今さらそれを言われたって、
「また延命か」
というくらいにしか思えないということだよな。
こうやって見ていると、菅首相というのはつくづく「国民目線」のセンスがない人だと思ったりする。
国民がどう感じているのかとか、感じ取れる神経がないのだろうな。
しかしもちろん、それは何も菅首相に限らず、自民党にしたって、民主党の他の閣僚にしたって、大して変わらないことだ。
菅首相だけが、飛び抜けて能力が低いというわけでもない。
これが例えば、橋下大阪府知事みたいな、もっと目端のきいたやつが首相だったら、今頃東電やら経産省やらを相手に丁々発止の戦いを繰り広げていたのかもしれない。
そしたら国民は、拍手喝采してそれを迎えただろう。
でもその方が、日本にとっては危険だよな。
国民の人気を取るのがうまいやつは、陰で何をするか分からない。
菅首相がどんくさいおかげで、これまでの日本の政治の何がどうダメなのかということが、反吐が出そうなほど露わにはっきり見えてしまっている。
遠からず選挙だってあるのだから、そこで国民は、日本の進路について大きな選択をしていかなければならないことになる。
その選択を考えるための十分な時間が、こうやって与えられているということは、いいことなのだと僕は思うがな。
しかし菅首相、総理大臣やってるのが楽しくて仕方がないのだろうな。
初めの頃は、何かやっては叩かれ、やらなくても叩かれ、「それじゃ俺はどうしたらいいんだよ」くらいにむくれたりもしていたのだろう。
しかしそろそろ就任以来1年が過ぎ、多少は日本の操縦の仕方が分かってきたということだ。
楽しくて楽しくて、辞めたくないのだろうな。
まあ気持ちは分かるよ。
長居してもらいたくはないが。
昼めしは、卵入りの赤だし。
味噌の量をまちがえて、ちょっと味が薄かった。
しかし赤だしというのは、味噌汁とは別の食い物だと言ってもいいくらいだな。
「赤だし」と「味噌汁」の違いは、「お吸い物」と「味噌汁」の違いくらいはあるんじゃないか。
晩めしには、豚肉と小松菜の焼きそば。
もう最近は、「何でも焼きそば」式なのだ。
「何でも焼きそば連合会」とか結成しようか。
うそ。
いやこれはうまいっすよ、ほんとに。
まず「豚肉と小松菜の炒め物」がうまいということは誰が考えても分かるだろう。
そこに中華麺が、絶妙な形で絡んでくるのだから、うまくないというのは有り得ないのだ。
ただあえて問題を言えば、焼きそばは日本酒には合わないな。
「炒め物」というのが、日本酒には合わないのだ、たぶん。
だから日本の昔からの料理には、炒め物がないのだろうな。
やはり炒め物には、ビールか焼酎ということだよな。