とここで枕に「震災」をもってきてしまうところが、口では「元気な人は元気に」などといいながら、被災したひとたちに「ちょっと悪い」とおもってしまっているということなのだ。
とりあえず募金はしたが、「何かほかにできることがあるのでは」とおもう気持ちがある。
久米宏が「2億円を寄付した」ということがニュースになっていて、あの震災の被害をほんとに深刻に受け止め、それにたいする自分の気持を最大限に表現したものなのだろうなということは、僕自身の気持ちに照らして痛いほどよくわかるのだが、久米宏ほどの知名度があり、2億円のお金があるのだったら、何かほかにやりようがあるのじゃないかと、ちょっとおもわないこともない。
といっても、とりあえず何も思い付かないから、嵐山へいくわけだ。
嵐山は、まあご存知のこととはおもうが、京都盆地の西端につらなる山々のふもとに位置するところで、自然の有り様じたいは、日本中どこへいっても見ることができる田園風景なのであるが、そこが千年にわたって開発され、なんとも趣きのある寺社や建物が配置され、それがかなりのていど保存されて、地域全体がひとつの日本庭園のようになっているというのが凄いところだ。
みやげもの屋なども東山のほうにくらべると少なめで、天気のよい日に自然をながめながらのんびりと散歩するというのはこれ以上のものはない。
嵐山駅に着いたのがもう11時半ごろだったので、食事どきで混むまえに、まずは昼酒をすることにした。
嵐山は純粋に「観光地」だから、飲食店も観光客用の店しかない。
大きく分けると、
- 嵐山電車嵐山駅ちかくにある、わりと安いお食事処
- そこからちょっと北に上がったあたりにいろいろある、小じゃれた料理屋
- 天龍寺などお寺で食べられる精進料理
- 「吉兆」などの料亭
となるとおもうのだけれど、今日はそのどれでもない、前からちょっと目をつけていた店へいってみることにした。
嵐山電車嵐山駅前の通りを南へいき、渡月橋をわたらずに桂川沿いの道を右にはいり、「吉兆」など料亭をやり過ごして、さらに川沿いに奥にいったところにある。
「亀山家」という名前のひなびたお食事処で、まだ寒いからだろう、透明なビニールシートに覆われてはいたが、「オープンテラス」になっていて、すぐその目のまえが、碧色の水がゆったりと流れる桂川、その向こうがわは切り立った山の斜面になっていて、ロケーションは最高なのだ。
まだお客があまりいなかったので、いちばん奥の、いちばんいい席にひとりで陣取り、まずは温かいカップ酒におでん。
おでんは単品だと600円で、なんてことないものだが、タケノコまではいって品数も十分、味も芯までしみていて、きちんとうまいのだが、これに350円足して「おでん定食」にすると、小鉢が3品、ごはんと味噌汁、それに香の物までつく。
小鉢はカキの生姜煮、アサリの生姜煮、それに青菜の煮びたし。
カキもおっきいのがふたつ、アサリもたっぷりはいっていて、これで350円は信じられん。
味もきちんとうまかった。
お腹もふくれ、からだも暖まったところで、それから3時過ぎまで、あたりをぶらぶらと歩いた。
亀山公園展望台。
竹林。
常寂光寺。ここから京都の市街が一望できる。
二尊院。
清涼寺。
なんとも風情ある町並みも保存されている。
お寺ではそれぞれ、滅多にしないお賽銭をあげて、東北地震の被災者の冥福と無事を祈った。
お賽銭の威力など信じちゃいないのだが、やはり何かせずにはいられない。
宗教というものはこういうときのためにあるのだと、つくづく実感した。
いやしかし、嵐山はいいな。
今度は清滝のほうまで、足を伸ばしてみようとおもっている。