韓国の料理は、作れば作るほどおもしろくて、下手をすると毎日作ってしまいそうになり自重しているくらいです。
これは「韓流ドラマ」にハマる気持ちと、もしかしたら似ているんじゃないでしょうか。
韓流ドラマにハマる理由として、
「日本の30~40年前、高度経済成長の夢のある時代を思い出し、懐かしい」
という解釈がありますよね。
もちろんそれは、全くないとはいえず、韓国人の独特の素朴さや、自分の感情や個性をてらわず表現する様子は、
「日本人も、昔はそうだったんだろうな」
と思うところがあるのはたしかです。
でも僕は、日本人が韓流ドラマにハマるのは、そういう理由じゃないと思うんですね。
日本は40年前も、今と変わらず規則や人間関係でがんじがらめの中にいたし、韓国が40年後に、今の日本のように夢を失った状態になるかといえば、そうではないんじゃないかと思うんです。
ものすごく魅力的な異性に出会ったとき、初対面であるにもかかわらず、
「この人には以前会ったことがある」
と感じることとか、ないですか。
それとか、京都の昔ながらの街並みを見たとき、強烈に「懐かしい」と思うわけだけれど、実際に自分が江戸時代の日本を体験しているわけではない。
人間って、自分の「琴線」にふれるものを見たとき、どういう理由かしらないけれど、「それを昔見た」と思うものなのじゃないかと思うんです。
だから韓国の風俗を、「昔の日本に似ている」と多くの人が感じることは、韓国が実際に、昔の日本に似ているということではなく、韓国の風俗が、それだけ日本人の琴線にふれる、「魅力的」なものであるということを意味しているんじゃないかという気がします。
それでその韓国の文化が、なぜそれほど日本人にとって惹かれるものがあるかといえば、それは韓国が、
「日本が選択し得たけれども、選択しなかった道」
を歩んでいるからなんじゃないかという気がするんですよね。
「ほんとうは自分たちは、こうであり得たけれども、実際には歴史的に、べつの道を歩むことになってしまった・・・」
そういう想いが、韓国の文化を見る日本人の胸に、わき起こってくるからなんじゃないかと思うんです。
韓国の料理とかを作ってみると、それをほんとに感じるんですよね。
日本も韓国も、歴史的に見れば、「中国」の文化に、大きな影響を受けているのはまちがいないでしょう。
とうぜん料理も、もともとは中国を手本にしながら、日本も韓国も、自分たちなりの文化を発展させていったんだと思うんです。
ところが日本の場合、あるところで決定的に、「中国から離れた」と思えるところがある。
僕は歴史のことなどたいして知りませんから、適当なことをいうわけですが、これは鎌倉時代に、禅宗で「肉食」を禁じたり、「ニンニク」を禁じたりしたあたりからじゃないんでしょうか。
世界の多くの地域で、料理の根本は、
「油でニンニクと唐辛子を炒める」
というところにあるでしょう。
これは中国はもちろんそうだし、韓国もそう、ヨーロッパやインドなどでもおなじでしょう。
これはまず、「鉄器」が発明され、ものを「炒める」ことができるようになったという、技術的な進歩も関係していただろうし、またそれ以上に、
「ニンニクと唐辛子の風味をつけた油で肉を焼くとうまい」
という、味覚の上での理由があったでしょう。
しかし日本は、そのやり方を採用しなかった。
日本では、伝統的な和食には、「きんぴら」くらいしか、炒める料理法はつかわれず、油をつかう場合は「天ぷら」という、ほかの国ではあまりされない料理法が、中心になっているわけなんですよね。
だから日本は、このあたりで「世界標準」を大きく外れ、日本独自の道を歩み、その延長線上に「鎖国」することになったのじゃないかという気がするんです。
ところがお隣の韓国はちがう。
世界標準にあくまでのっとり、「油にニンニクと唐辛子」を料理の中心に据えていくことになった。
日本人も、世界標準への「あこがれ」はあるでしょう。
だから日本でも、多くの海外の料理がつくられ、食べられることになっている。
でもそれは、あくまで「とってつけた」ようなことであり、「和食」が拡大するということではない。
和食は和食で、あくまで日本人にとって、「心の故郷」でありつづけるわけなんですね。
だから日本人にとって、韓国の文化が、独特の魅力を放つことになっているんじゃないかと思うんです。
自分たちの文化に、きちんと世界標準をとりいれている韓国に、ある意味「羨望」を感じるのじゃないかと思うんですよね。
これはもちろん、食文化にかぎらず、TPPなどをめぐる世界情勢からも感じられることでしょう。
日本がTPPに参加すればいいという意味ではないのですが、さまざまな産業で、日本が世界標準から乗り遅れているのにたいし、韓国は巧みに世界標準をとりいれ、多くの分野で、日本を凌駕するようになっているのは事実でしょう。
まあそれで、「チヂミ」ということになるわけですが、韓国のチヂミは、
「韓国風お好み焼き」
と呼ばれたりすることがあるわけですよね。
たしかにチヂミは、小麦粉を水で溶いて、そこにさまざまな具をいれて焼くという、関西風のお好み焼きとそっくりな作り方をする。
でもチヂミが、日本の料理の中で対応するものとして、「お好み焼き」であるというのは、僕ははなはだ疑問なんですね。
むしろ「天ぷら」に相当するんじゃないか。
韓国にも天ぷらはあるんですが、わりと屋台料理的なマイナーな存在で、どこでも目にするものではありません。
韓国料理の中には、基本的には「揚げ物」は、中心的なところにはないんですよね。
小麦粉を水で溶かしたものを、食材にまぶしつけて、それを油で火を通すというのは、どの国でも採用している料理法で、それが日本の場合には、歴史的には「天ぷら」であるとしたら、韓国の伝統料理であるチヂミは、それと対応すると考えるべきでしょう。
だいたいお好み焼きは、まだ100年程度の歴史しかないわけですから、天ぷらやチヂミとは、歴史の文脈がまったくちがうところにあるのじゃないかと思います。
と主張してきましたが、「だからどうした」ということは全くないんですけどね。
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チチミの作り方は、たいへん簡単です。
もちろんチヂミは、千年の歴史をもつ韓国の伝統料理ですから、「おいしいチヂミ」を作るには、一朝一夕ではできるようにはならないでしょうが、「チヂミらしきもの」を作ってみて、韓国の文化に触れてみるくらいのことはすぐにでき、それでもけっこうおいしいです。
◎ チヂミの作り方
■ 材料
チヂミを作るには、韓国の人は、
「3時間~半日、タネを寝かせるとおいしい」
というんですね。
下の材料は、「1人分の1食」にはちょっと多いんですが、1人で食べる場合には、チヂミを金曜や土曜など、休前日の晩に作り、とりあえず半分焼いて、タネを冷蔵庫にいれておき、翌日の昼にでももう1回食べるというのが、いいやり方なのではないかと思います。
・小麦粉・・・400cc
・水・・・250cc
チヂミを作る場合の、小麦粉と水の分量の割合は、カップで計ったとすると、
「小麦粉3にたいして水2」
です。
小麦粉の汁と、中に入れる材料の分量の加減は、ちょうど「関西風お好み焼き」ていどだと思えばいいですから、材料を少なくしたり多くしたりすれば、全体の量をいくらでも増減させることは可能です。
・ニラ・・・2分の1把
・ニンジン・・・3分の1本
・玉ねぎ・・・4分の1個
これらはいずれも、3センチくらいの細長い感じに切り揃えておきます。
・スルメイカ・・・1パイ
足の根元にあるクチバシを手でむしりとって、ゲソは、やはり3センチくらいに切り揃えます。
胴はタテに通っている軟骨を引きぬき、両端をひらいて2枚に分け、残っているワタをとり、やはり3センチ長さくらいに細く切ります。
・卵・・・1個
・塩・・・小さじ2分の1
・ゴマ油・・・焼くとき使います
・タレ・・・ポン酢にゴマ油少々と、韓国唐辛子か七味唐辛子、それにニラか青ねぎを細かく刻んだもの
■ 作り方
ときどきフライパンをゆすって焦げ付かないようにしながら3~4分焼き、下面をのぞいてこんがり焼けたらひっくり返す。
小さじ1~2のゴマ油を鍋肌からまわしいれ、火を弱めて2~3分焼いて、ふたたび下面に、こんがり焼き色がついたら、まな板の上に出す。
チヂミは放射状ではなく、タテヨコに3センチ幅くらいに切るようにします。
簡単にできますが、それなりにバッチリおいしいですよ。
作り方は、関西風のお好み焼きとそっくりなんですが、中に入れる材料やタレがまったく異なるので、全然ちがった味がします。
ゴマ油が入るところとか、タレにつけて食べるところとか、やはりこれは、お好み焼きよりは天ぷらに、近い感じがしますよね。
でもこれは、ビールもよく合うと思います。
チヂミは昨日、2枚食べてしまったんですが、そしたらさすがに、ちょっと胃がもたれました。