「和食の方法論的な意味での進化は、鎌倉時代で止まってしまっているのじゃないか」
と思い始めているんですよ。
料理の歴史をふり返ってみると、一番大昔は、「生」で、塩などをかけただけで食べていたと思いますけど、そのうち「干す」ことをし始めるようになったでしょう。
塩をした魚を、そのあたりに置きっ放しにしてしまったものを食べてみたら、「生よりうまいじゃないか!」みたいなこと、あっただろうと思いますよね。
そのうち、いつ頃かわかりませんけど、「火」が発見されたでしょう。
火で「焼く」ことができるようになると、料理の幅は、はるかに広がることになる。
人間はかなり長いこと、「生」「干す」「焼く」くらいの方法で、料理をしていたのでしょうが、やがて世紀の大発明がされることとなった。
「鍋」の発明ですよね。
日本では、「縄文式土器」が1万6千年ほど前に発明されたと言われていますが、これによって「煮る」ことができるようになり、料理は決定的に進化した。
「スープ」が登場することになったんですね。
それまでは個別の食材を、それぞれ料理しないといけなかったものが、煮ることができるようになると、多くの食材をあわせて、それらから出てくるさまざまな味を、「スープ」として1つにまとめることができるようになった。
さらにスープは、煮詰めることにより、「ソース」へと発展していく。
だいたいこのあたりで、和食の基本的な「方法」は出そろって、和食はあとは、その中で内容をひたすら深化させるということになったと言えるんじゃないでしょうか。
ところが世界の趨勢は、この後さらなる技術革新を迎えることになる。
鉄器の製造と、石炭による強い火力を手にすることにより、「炒める」ことが行われるようになるんですよね。
中国では、ちょうど日本の平安時代の後期にあたる、「北宋」の時代から、炒め物がされるようになったのだそうです。
どっちが先かは知りませんけど、中国とシルクロードでつながったヨーロッパでも、おなじような時代から、炒めることを料理に取り入れるようになったのでしょう。
それ以降、現在に至るまで、料理法のスタンダードは、
「まず炒め、それから煮る」
ということになった。
高温で炒めることにより、調理時間を短縮したり、食材のクセをやわらげたり、油により、さらに多様な味付けができるようになったりしたわけですよね。
ところが日本は、その世界的な料理の発展の、蚊帳の外にいた。
江戸時代が終わるまで、和食の料理法として「炒める」が取り入れられることは、ほとんどありませんでした。
日本は平安時代以降、徐々に閉鎖性を強め、ついには鎖国までして、海外の文化を取り入れるのをやめてしまったんですから、料理法についても、その一環だったということができるのでしょう。
日本が閉鎖された中で、独自の文化を反映させることは、「ガラパゴス化」と揶揄されることも少なくありませんが、日本は閉鎖的であることで、自国の独立を勝ち得てもきているのですから、閉鎖的であることが悪いと言うつもりはもちろんありません。
しかし和食で「炒める」ことがされないのは、何か本質的な理由があるのでなく、ただ歴史上の偶然の産物だったとすると、べつに和食であっても、炒め物があってもいいということになるわけです。
炒め物というと、どうしても「中華」か「イタリアン」になりがちな現代、「和風の炒め物」には、広大な未開の天地が広がっているようにも思えるんですね。
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そういうわけでこのところ、いくつかの和風炒め物に取り組んできているわけなんですが、昨日やってみたのは「ナスとニシンの炒め物」。
ニシンは、「蒲焼き」で食べたりもしますから、焼いてから、甘辛い味をつける料理法は、まったく悪くありません。
火が通ったナスは、皿に取り出しておく。
ニシンが焼けたら、
「砂糖小さじ1、醤油大さじ1、みりん大さじ1、酒大さじ2、水大さじ3、おろしショウガ小指の先くらい」
というくらいのタレで、2~3分煮ます。
煮汁がなくなってきたら、火を強め、片栗粉でとろみをつければ出来あがり。
山椒と七味唐辛子をたっぷり振って食べます。
ただ煮付けるより、こんがりとして、また油のコクもでますから、とてもおいしいです。
唐辛子や山椒は、後から振るのでなく、料理の最中にいれるようにしても、よかったかもしれません。
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あとは「トマトと卵の炒め」。
これは和風も中華も洋風もなく、定番中の定番ですね。
トマトの皮は、湯剥きしたほうが歯応えはいいですが、べつにそのままでも、べつに問題ありません。
トマトがしんなりしたら、砂糖と塩、それに醤油で味付けすれば出来あがり。
トマトと卵の相性は最高で、これはほんとに、「ほっ」とする味になります。
焼酎は、うすく作れば、杯数を稼げますから、割ることができない日本酒と比べると、飲み過ぎる危険が少ないです。