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2011-09-26

一人暮らし料理は出汁を自分で取るのがポイント

しかし主婦の人達が料理を作るってのは、大変なことだと思うんだよな。家庭によって違いはあるかも知れないが、主婦は家族のために料理を作ることに対して、責任を負うことになっているわけだ。専業主婦なら、料理は仕事になるわけだよな。仕事として料理をするのは、僕などは一度もやったことがないから、どんなに大変なことかは想像もつかないが、少なくとも僕のように、毎日気楽に好きなものを作ることとは、大きな違いがあるだろう。

自分が作ったものを、ご主人がきちんと褒めてくれれば、やる気も湧いて、楽しくもなってくるかもしれないが、そうでなければつらいよな。ただ義務としてだけやる仕事ほど、苦しいものはないわけだ。考えてみたら僕も母親が作る料理に対して、文句ばっかり言ってたわけで、今になって思うと申し訳ない。元妻の料理を、それほどけなしはしなかったとは思うが、あまり褒めてやった記憶もない。


僕が料理を始めたのは、一人で暮らすようになってからだ。それまでも料理はわりと好きで、子供の頃からちょこちょこ作っていたのだが、あくまでレシピを見て、そこに載っている材料をその通りに買い揃え、書いてあるやり方通りに作ることしか、やったことがなかった。そういう料理は、手作業としての面白さはあるのだけれど、本当に面白いものではないんだよな。

これはこのブログに、もう何度も書いていることだから、以前から読んでくれている人は、「またかよ」と思うかもしれないが、正月に雑煮を作ることにしたのだ。それで元妻がやっていたやり方を思い出し、鶏がらで出汁を取ってみた。元妻のお母さんは九州出身だから、雑煮は鶏がら出汁のすまし汁なのだ。

絶対に沸騰させてはいけないと聞いていたから、4~5時間、鍋の前に張り付いて様子を見ていた。鶏がら出汁を取るところなど、ずっと見続ける人は少ないと思うから、これはあまり知られていないのじゃないかと思うが、あれは火をかけ始めると、まず水が黒っぽくなるのだな。これはアクとは違い、どんなに掬っても取れないのだが、それじゃあ何なんだろう、いまだによく分からない。そうして4~5時間たつと、黒っぽかった水がある時一瞬にしてさっと澄んで、まあそれが、鶏がら出汁の完成ということになるわけだ。

そうして数時間にわたり、全精力をかけて出した出汁だから、愛着があるわけだ。雑煮を作ったのはもちろんだったが、せっかくだから、このおいしい出汁で、何か他の料理もできないかと考え始めるようになる。それで鶏の水炊きをやり、ちなみにこの鶏の水炊きは、家に招待した、件の韓国エステの女の子3人に食わせてやったのだが、あとはナスをその出汁で煮たりしてみた。味付けの仕方など、ろくすっぽ知らないわけだが、出汁がうまければ、ただ塩やら醤油やらで味を付けただけで十分うまい。

この時が僕が、レシピを見ずに料理を作った、初めての経験だった。何を作ろうかを、冷蔵庫にある材料などを考えながら、自分の頭で考え、それをその通りやり、実際食ってみる。それがいかに楽しいことかを、その時初めて知ったのだな。

それから一気に料理にハマり、もちろん料理の本もいろいろ買って、そこに書いてある通りに作ることも何度もしたことはあるが、基本的には料理をつくる時にはレシピは見ずに、自分勝手に考え、その通りに作るようにしている。


ただこのやり方は、自分が自分だけのために作る料理だから、できるのかもしれないと思うところはあるのだな。何故かというと、世の中のやり方を尊重せず、自己流に作ってしまうわけだから、失敗も多いのだ。

だいたい初挑戦の料理は、失敗することが多い。たしかに一回失敗してしまえば、失敗の原因を考えることで、2度目や3度目にはちゃんとうまくいくようにはなるのだが、これがもし主婦が、口うるさいご主人がいたりすると、失敗など許されないことになるだろう。だから自己流料理の楽しさは、一人暮らしだからこそ、できるものじゃないかと思ったりするわけだ。

一人暮らしの男は、僕も何人も友達でそういうのがいたが、だいたい料理をしない。コンビニでつまらないものを買ってしまうか、そうでない時には居酒屋へ行ってしまうのだ。自分で料理を作っても、なかなかうまくできないし、一人分の料理を作ると材料も余してしまうことになる。さらに自分のためだけに料理を作り、それを一人で食うのは寂しい。そういうことが理由だろう。

しかしこれは、なんとももったいない。一人暮らしという、自分勝手に料理を作る楽しさを満喫できる機会を、みすみす逃してしまうのだ。僕はこのブログをやることで、そういう一人暮らしの人が、料理をする一つの機会になればいいなと、実は思っているのだが、そんな一人暮らしでありながら、まだ料理をしていない人にぜひ薦めたいのが、「出汁を自分で取る」ことなのだ。

出汁を取ることが、料理の楽しさを知ることに、大きく役立つことは、絶対間違いない。僕の知り合いで料理が異常にうまい男性がいるのだが、その人も、やはり自分で出汁を取ったことが、料理にハマったきっかけだと言っていた。別の友人には、そいつは料理をしたことがなかったのだが、出汁を取るのを薦めてみたところ、嘘のように一気に料理にハマっていた。


出汁を取ると何がいいかといえば、他の何をどう失敗しても、出汁がうまければ、それなりにおいしく食べられるようになることが一つだろう。自分で料理してみて、失敗し、まずいものを食わなきゃいけないとなると、どうしても料理をやる気が萎えてしまうものだ。でも出汁をちゃんと自分で取ると、それが最小限に抑えられる。

それから出汁は、「料理の中心」とも言えるものだということが、もう一つの理由だ。出汁がすべての基本なのであり、出汁をちゃんと自分で取っていると、料理全体の構造が見えてくるようになる。一つ一つの料理だけでなく、すべての料理に共通の、普遍的なあり方が、出汁という料理の中心を抑えることにより、見えやすくなるのだな。

たとえばカレーとシチューと、豚汁、けんちん汁は、表面的にはまったく別の料理で、料理の本にも別のものとして書いてある。ところがこれらは実は、細かい違いはあるにせよ、根本的には同じもので、味付けがちがうだけなのだ。肉と野菜を炒めて、水を入れて煮、味を付けていくというやり方は、これらの料理で共通だ。

料理の共通性が見えてくると、料理はとたんに面白くなる。中国料理とイタリア料理も、非常にざっくり言えってしまえば、料理のやり方は非常に似ている。炒め物を中心とする作り方も似ているし、一皿の料理に肉から野菜から炭水化物から、全部を入れてしまうというのもそっくりだ。これは中国とイタリアが、シルクロードでつながっていたからなのかなとか、中国とイタリアといえば、古代の帝国の、東西の代表だろうが、そういう「すべてを一つにまとめる」帝国主義の考え方が、料理でも、「一皿に全てをまとめる」ものとして表れるのかなとか、色々考えたりする。べつに真偽の程は脇に置いておくとしても、料理をしながらそんなことを考えるのは、非常に楽しい。

というわけで、このブログを見てくれている、まだ料理をしていない一人暮らしの人は、ぜひ出汁を自分で取るところから、料理を始めてみてほしいと思うわけなのだ。



このごろ「漬ける」のが面白くなってきていて、昨日はグルメシティでスペアリブが安く売っていたから、それを自分でタレを作って漬け込み焼いてみた。豚肉には、やはり味噌味だろうということで、味噌に醤油、みりん、酒、砂糖、それにニンニクとショウガをすりおろしたのを入れてみた。


2~3時間冷蔵庫に入れておいて、それを魚の焼き網で焼いてみたが、なかなかいい。漬けるというのは、どうしてもそれなりに時間がかかるものだが、この時間がかかるというところが、いかにも「自然が料理してくれる」感じがして、楽しいところなのだよな。


浅漬も、この頃は欠かさないようになっている。これもただ塩もみし、昆布に鷹の爪、それに酢をぶっかけ、冷蔵庫に入れておくだけだが、ちゃんとおいしく出来上がり、1週間ほど食べ続けることができる。


小松菜と油揚げの炊いたん。小松菜は昨日ようやく、98円という通常通りの値段に落ち着いていた。しかしほうれん草は、相変わらず398円。398円のほうれん草って、誰か買う人がいるのか。


こんなものを酒の肴に、昨日も酒を2合。酒を2合飲むのに、2時間近くかけちびりちびりとやるのが、なんとも幸せなわけなのだ。