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2011-09-19

新福菜館三条店のラーメンに見る京都の奥深さ


新福菜館三条店には、1年半ほど前に初めて食って以来、中毒にさせられていて、週にいっぺんはここのラーメンを食べないと、禁断症状が出て耐えられない体になってしまっていることは、このブログで何度となく書いている通りだ。いつもは土曜日に行っているが、今週は日曜に行くことにしていたところ、土曜日に早速禁断症状があらわれて、他の何を食っていても、新福菜館三条店のラーメンを思い浮かべてしまう始末だった。

新福菜館三条店のラーメンを、思う存分味わうためには、やはりそれなりの段取りも必要だ。まあ言わずと知れた、いつものパターン。


まずは朝風呂。汗をたっぷりかくことにより、体はビールとラーメンを求めて止まないようになる。


店に着いたら、まずビール。それからキムチ。朝風呂のあとのビールのうまさに、初っぱなからやられてしまう。


そしてギョウザ。もう何度となく書いている通りの、野菜と肉のバランスといい、ニンニクの量といい、皮のモチモチ具合といい、焼き加減といい、「これしかないだろう」と思わざるを得ない、絶妙な調整。これでほとんどもうフラフラにされてしまったところに、ラーメンが登場する。


大盛りラーメン。実は昨日はこれを食べて、思わず泣き崩れるかと思うほどの、感動のるつぼに叩き込まれることになってしまった。2週間ほど前から、この大盛りラーメンの食べ方について、店が本来想定している食べ方を、つかみかけていたのだが、昨日はとうとう、「これで間違いないだろう」と思えるところに到達したというわけなのだ。

以前書いたことの繰り返しにはなるが、新福菜館のラーメンは、大盛りになると、並盛には入っていない、生卵ともやしが追加されることになる。これをどのように扱うかが、大盛りラーメンを食べる場合に大きな問題となる。

もちろん食い方など、いくらでも自分が好きなように食えばいいのだが、生卵を初めからスープに溶いてしまうと、本来のスープの味を味わえないことになる。やはりそれはもったいないので、とりあえず生卵ともやしには手を付けず、スープと麺、それにチャーシュと青ねぎという、並盛と重なる部分を、しばらくは味わうのが基本となるだろう。

ここで先週、隣のお客さんが大盛ラーメンを頼んでいたから、ふと見たら、変わった食い方をしていたのだ。麺をどんぶりの底から引っ張り出して、それをスープの上に乗せていた。そのお客さんは常連のように見受けられたので、昨日はそのやり方を、そっくりそのまま真似してみた。


こうするとまず、麺が非常に食べやすい。東京のラーメン屋だと、麺をスープに入れたら、箸で麺をすくい上げ、麺が絡まっているのをほどいて、食べやすくしてくれるものだが、京都のラーメン屋でそれをするのを見たことがない。だから大盛りラーメンを食べるときはいつも、底の方で絡まった麺を引っ張り出すのに、けっこう苦労していたのだが、こうやってしまえば何の問題もないことになる。もしかしたら京都では、ラーメンをこうやってスープの上に乗せて食べるのが普通の食べ方で、だから店の方でも、あえて絡まった麺をほぐすことをしないのかもしれないよな。

しかしこのやり方が本当にすごいのは、ただ絡まった麺が食べやすくなるからではない。別の理由がある。麺をスープの上に持ってくるから、そのかわりにスープの上に盛られていたもやしが、スープの中に沈むことになる。すると上の麺を食っている間に、もやしがスープを吸い込んで、すっかりおいしくなってしまうのだ。

麺を半分ほど食ったところで、生卵を溶いてスープに溶かし込む。するとこの卵の味がするスープと、スープをたっぷり吸い込んだもやしが、なんともよく合う。このスープは、甘辛い、すき焼きのタレのような味がするから、卵とチャーシュー、それにスープを吸い込んだもやしが、まさにすき焼きのような、絶妙な取り合わせになるわけなのだ。

もやしはシャキシャキのままでも悪くはないが、それよりこうして、たっぷりスープを吸い込んだ方が、一段とうまい。そうなるとこれは、こうして麺を上に乗せ、もやしにたっぷりとスープを吸い込ませる食い方を、店は織り込んでいたということなのだろう。


京都のラーメン屋とは、こういう芸当をする所なのだな。丼に入れられたスープの、上部と下部の違いを利用して、食べながら味を変えるというのは、祇園松葉のにしんそばでも例がある。この新福菜館の大盛りラーメンでも似たようなやり方をして、ラーメンの味を、食べている途中で劇的に変えてみせる。これが京都のエンターテイメントなのだろう。

南禅寺などの山門で、山門に向かい参道を歩いて行くと、参道の両側に生い茂る松やら桜、もみじが、歩いていくうちに山門の眺めを変え、さらに山門の階段を登り切ると、正面に額縁の桜やもみじが目に飛び込んでくるというのと、考え方としてまったく同じだ。

しかもこのラーメンの楽しみ方は、1年半にわたって毎週この店に通い続けた末、ようやく発見されることになるわけだ。店のどこにも、大盛りラーメンの食べ方の説明書などありはしないし、店の人も教えてくれない。だから1度や2度、食べたくらいでは、この食べ方は分からないだろう。

新福菜館の創業者は、大盛りラーメンの楽しみ方について、綿密な設計をしているのだが、それを一切客に押し付けることはない。客が自分で見つけて初めて、その楽しみを享受できるようになる。創業者はもうとっくに亡くなっているわけだが、僕はこの食べ方を発見した瞬間、思わず創業者に抱きつきたくなるような、強い衝動と、心が震える感動をおぼえた。


グルメシティは木曜と並び日曜も特売日で、日曜の特売日では、いつも激安の国産鶏もも肉を買う。だいたい塩で焼きレモン汁をふって食うのだが、いつも同じというのも何だから、昨日は照り焼きにした。


鶏もも肉は、照り焼きもうまいのは言うまでもない。照り焼きの作り方は、ご存知かとは思うが、鶏もも肉に薄く塩をふって表裏を焼き、酒、みりん、砂糖、醤油を好みの味に混ぜ合わせたタレを注いで、それをよく煮絡める。

七味とコショウを、交互に振りかけながら食ってみたが、どちらも甲乙つけがたかった。



あとは昨日のナスの煮たのやら、冷奴やら、セロリの浅漬やらで、冷や酒を2合半。