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2009-04-19

「小林秀雄全作品1 様々なる意匠」

この所小林秀雄にハマっていて、文庫本を5、6冊読んだら面白くて、今度は全集を初めから読み始めた。
何がいいかと言うと、まずは文体なのだな。
「原稿用紙に向かってみないと、自分でも何が書けるのかわからない」というようなことをどこかに書いていたが、書きながら、まさにその瞬間に、自分でも見つけている、という感じ、ライブな感じなのだ。
読者は著者の思考の流れを、そのまま追体験することになる。
てにをはが違うんじゃ、というような文も時々あるのだが、それがまた無手勝流と言うか、著者の実感を色濃く表すような感じがしていいんだな。

それからそれと同じ意味なのだが、小林秀雄は高度に論理的だが、表現しようとしている内容は、論理そのものではない。
いやもちろん、情緒などでもないのだが、言葉のただ論理的には表現するのが大変難しい側面、詩や音楽にはっきり現れる、言葉の持つ調子や流れが、人間に大きな内容を喚起すること、そこから目を離さない。
人間が体験し、実感することによってしか、見ることができない内容、ただ簡潔な論理だけでは表現できない内容を、何とか表現しようとするから、一見難解にも見えるのだが、よくよく味わうと、別に難しいことを言おうとしているのではない、人間が誰でも、当たり前に感じていることを書こうとしているだけだということがわかる。

文庫本で読んだのは、戦後、小林秀雄が40代以降に書いたものばかりだったのだが、この全作品第一巻では、20代で書いたものが集められている。
懸賞論文で二等に当選し、世に名を成す前には小説も書いていて、それも載せられているが、小説はどうも退屈で、一つだけ読んで、後は飛ばしてしまった。
小林秀雄の本領は、やはり評論にあるんだな。

文芸春秋に毎月掲載された文芸時評も書いていて、これがすごい。
当時の名だたる若手作家を、名指しで、こてんぱんに貶していたりする。
しかしそれで、あまり文句も出なかったようなのは、小林秀雄が他人を見るのと同じ目で自分をも見つめ、自分の書く文章をも見つめ、言っている事とやっている事が違うとか、自分だけが偉そうにしているとか、そういうことが全くなかったからだろう。
そうやって自分を律すること、本当に難しいことだと思うが、小林秀雄はそれをやり通した人なのだろうな。

ちなみにもし小林秀雄を全く読んだ事がない人で、読んでみたいと思う場合、とりあえず読んでみたらいいと思うのはこの全集ではなく、
「考えるヒント」
だと思います。
文庫本だから安いし。